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三日月は眠る  作者: 詩音
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Chapter:04




「お疲れ様です」

 放課後、明日香は真直ぐ事務所にやってきた。

「おー」

 いつもより土気色になってソファに横たわる葵を見て呆れ顔をする。二人掛け用のくたびれたそれには葵の頭と足がはみ出ている。

「また徹夜ですか?」

「そっ、飲まなきゃやってらんねぇの」

 これも仕事だと彼は大声で喚いて二日酔いで頭を抱えた。

 クレセントの長である彼は、たまに接待で飲むらしい。しかも半端ない量をだ。

「しんどい……」

 加減の出来ない葵に内心ため息を吐きつつ明日香は資料をまとめて外へ行こうとしたがくるりと葵を見やる。

「二日酔いの薬ならそこの棚にあります。ご存じだと思いますがクライアントは午後七時に来る予定です」

 時計の針は五時半を指していた。

「それまでにはもう少ししゃんとしてください」

「はいはーい」

 情けない手がぷらぷらと揺れるのがドアを閉める直前、彼女には見えた。

「おかえり」

 ブラックルームに入って真っ先に目に飛び込んできたのは、たたずむ静谷十夜。

 穏やかな声に一瞬固まっていた明日香が冷たく言い放つ。

「何してるの」

「別に何も」

 そう答えて十夜は伊沢颯のファイルに手を伸ばした。

「勝手に触らないで」

 明日香はそれを先に取り上げて阻んだ。どこか放心状態の彼が軽い謝罪を述べる。

 ふと横に目を向けると、十夜の執行部屋のドアが開いていた。

「ちょっと風通ししたくて」

 明日香の見つめる先を察した十夜が言う。

 向こう側の部屋に設置されている窓も開けてあるらしく、黒いカーテンが風でばさばさと吹き込んでいた。

「興味あるならエスコートしようか?」

「結構よ」

 冷めた態度で言い放つ明日香の腕を十夜が引く。二人は十夜の部屋へ。

「ちょっ、いいって言ってるでしょ」

 明日香は無理矢理その手を振り払う。動揺から息を乱しつつ、目の前にいる人物を睨み付ける。

 彼女の手首は赤い。

「結構とかいいって、どっちの意味もとれるんだよ」

 疲れ切った瞳には、生気があまり見えない。

 頭が冷めて、ようやく現状を思い出した明日香がせわしなく視線を彷徨わせる。

 壁や床は契約部屋と同じように黒い。部屋の中心に置かれたベッドは、テレビで観る手術室のものに似ていた。

 壁に張り巡らせた数十枚の写真が嫌でも目に飛び込んでくる。

「ここ、初めて入ったっけ?」

 飄々とした彼の問い掛け。ドアに寄り掛かる十夜は明日香の行動をじっと見つめていた。

「いつもクライアントしか入れないじゃない」

「そうだったかな」

 壁に貼られた写真は、殺した人間達だとすぐにわかる。

 隅に置いてある一人掛けの赤いソファにもたれ掛かる彼等は、ほとんどが全裸で写っていた。

「これ、絵?」

 明日香が注目したのは、左隅にある二十代の女性の写真。勿論彼女自身、生前は見覚えがあった。

 命を亡くした身体の至るところに咲いた薔薇の花一つ一つに指を添えていく。

「刺青だよ。絵だといつか褪せちゃうから」

 そんなこともやるのか、と言いたげな明日香の視線に十夜はふわりと笑う。

「クライアント……彼等を買う方の人からの指示だったんだ。薔薇の花を身体にって」

「痛そう」

「してみる?」

「嫌だ」

 踵を返して部屋を出ようとするとベッドにぶつかりかけた。

「そこで何人死んだと思う?」

 挑発を含めた十夜からの質問。

「……四十六人」

「覚えてるんだ」

 ぶっきらぼうに答えると十夜はわざとらしく目を見開いた。

 真直ぐな黒髪をかき上げ、苛ついた表情を浮かべる明日香。

「もう出る。あんたもさっさと準備しなさいよ」

「了解」

 彼女の反応を一通り楽しんだ十夜は笑う。明日香は勢いよくドアを閉めた。




「俺は君を救うために来た」

「……は?」

 初対面の人間に言われた一言に、彼女は営業スマイルを忘れて珍しく顔をしかめた。

 明日香は名前を確認しただけだ。伊沢颯であるかどうか、それだけなのに。

「こんな仕事、したくないんだろう?」

 伊沢颯は右手を明日香へ伸ばす。

 疑問系だが確信に近い言い方をするクライアントの手を払い除けてじとりと見据える。

「触らないで」

 彼の動きが止まった。

「貴方に、ここは必要ない」

「そう。俺にはまったく必要ない」

 簡単に認めた男はファイル等が置かれたテーブルに浅く寄り掛かる。機密を守るためすぐに明日香がファイルを取り上げた。

「警察に偶然あった資料で調べたら、クレセントの内、二人はまだ未成年だった」

 政府直結であるクレセントは概要や社員について一通りの書類を提出している。

 何かのはずみで警察署に書類があり、伊沢颯に知られたらしい。

「政府がそれを認めてるのよ」

 明日香はファイルをきつく握り締める。

「俺は認めない。だから自殺願望のある男を演じた」

 七緒の調査が難航したのは彼が事前に予測して手回ししていたからだろう。

 悔しさから明日香は下唇を噛んだ。

「元警察官に何が出来るっていうの」

「君は、こんな仕事をするために生きてるのか?」

 正義感のこもった瞳が明日香を映す。

「……愚問ね」

 一言そう呟いて壁に設置された電話を使う。受話器を取っただけで事務所に繋がるため、葵が怠そうに返事をしてくる。

「桐原です。クライアントは偽者でした」

「……了解。今行く」

 仕事とプライベートを完璧に分ける彼は、すぐに無機質な声に変えた。

「待つんだ、君は」

「後はうちの責任者と話してください」

 伸ばされた手をすり抜けて、明日香は感情のない目で告げる。

 伊沢颯が何か話そうとした瞬間、二つのドアが同時に開いた。




 ブラックルームのドアを開けた葵に連れられて、伊沢颯はどこかへ行ってしまった。もうどこかで会うこともないだろう。

 残された明日香はもう一つの、執行部屋のドアを開けた人間がいじる折り畳みナイフをぼんやり眺めていた。

「偽者か……」

 ナイフを出し入れしながら独り言のように彼が呟く。

「作品の完成は延期ね」

「いいよ。これも想定内だし」

 お客さんには待ってもらう、彼はそう言った。

 ぱちりぱちりとナイフの刃が見え隠れする。光の角度で怪しげに輝いていた。

「それより面白い人だったなぁ。僕らを助けるだなんて」

 小刻みに肩を震わせてくつくつと笑う十夜。うんざりしたような顔で明日香は立ち上がった。

「今日はもう帰る。葵さんに言っといて」

「桐原」

 呼び止められて嫌々ながら振り向く。十夜は笑っていなかった。

「君はこんな仕事をするために生きてるのか?」

 同じ問い掛けに、ぐらりと明日香の瞳が揺れた。

「さっきは愚問だって言ってたけど、実際はどうなの?」

「……あんたなら、何て答える?」

「はい、勿論そうです。それで終わり」

 清々しいほどに言い切った十夜。それに明日香が嫌味ったらしく笑う。

「はっきりしてるのね」

「三年やっててまだ迷ってる桐原も凄いと思うよ」

 口喧嘩は彼が何枚も上手だ。

 押し黙る明日香に十夜は優越に浸ったようににっこりと笑っていた。

「……知ってた? この前殺した本田弥子のこと」

「殺したじゃなくて、依頼を完遂したって言って欲しいんだけど」

 余計な話を交える気のない、もしくは聞いてないのか、明日香は表情を変えず話を進める。

「捜索願い、出てたって」

「へぇ……そうなんだ」

 十夜はナイフいじりを止めた。

「でも警察にばれたって僕らのやったことなら咎められたりはしないだろ?」

「そういうことじゃない」

「わかってるよ」

 知っててわざとやるのが好きな彼。明日香は髪をかきむしった。

「可哀相な人だった。誰かに愛されてたのに自分を孤独だと思い込んでここに依頼するなんて」

 窓に目を移す。室内との気温の差で、硝子は白く曇っている。

 愛を知らぬまま死んだクライアントに明日香は僅かだが心を痛めた。

「悪く言えば気付かなかった自業自得だけど」

 それも確かに間違っていない事実だった。

「ねぇ」

「なに?」

「……なんでもない」

 何か言うつもりが思い浮かばなかった明日香。あやふやにした彼女は再び部屋から外へ歩き出す。

「お疲れ」

「……お疲れ様」

 その日明日香が最後に見た彼は、いつも通りの完璧すぎる笑みを浮かべていた。








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