Chapter:21
十夜が明日香へ連絡する三時間ほど前のことだった。
「……肝に銘じておきます」
そう言った十夜が七緒の胸にナイフを突き立てた。短く悲鳴を上げて崩れる。
「七緒!」
物音を聞いてドアを開けた葵は血相を変えて彼を抱えた。床にしたたる血は湖のように広がっていく。
「あ、おいちゃ……」
とぎれとぎれに七緒は葵を呼んだ。
「アタシ、死ぬのね。不思議……恐くない」
咳き込んだ後、喉が苦しげに鳴いた。
葵は七緒の身体を支える手に力を込める。
「俺がお前をクレセントに巻き込んだこと、今更後悔してる」
「ホント、今更だわ」
死ぬ間際なのに、と力なく笑う姿につられて葵も唇を歪めた。
「でも楽し、かっ……」
「七緒?」
閉じられた瞼が開くことはなかった。声を押し殺して七緒の手に顔を埋める葵の後ろで嘆息の音が聞こえる。
「驚きましたね、深く刺したつもりでしたがずいぶん饒舌で」
十夜は抜いたナイフをくるくる回して手持ちぶさたを解消していた。
「……俺も殺すのか?」
「すみません。必要不可欠なことですから」
死人に慣れているのか、彼はいつものように微笑んでいた。
そんな十夜を見て葵は座り込み壁に背を預ける。ぼさぼさの髪が壁で潰れた。
「俺がここに入ったのは、親友に騙されたからだ」
唐突に始まった昔話に、十夜はおとなしく耳を傾ける。
「楽に高い給料がもらえる仕事がある、そう言われて入ったのがクレセントだった。親友は俺を身代わりにして逃げ出した。結局殺されたがな」
それが葵にとって初めて国からの裁きを見た瞬間だった。選ばれ残された彼は時を経てクレセントの長を勤めているのだ。
「最初から気付くべきだったんだ。こいつがずっと止めてたってのに」
静かに拳を握り締めた。
「もう少し、マシな生き方したかったな」
「そうですか」
感情の欠片も感じられない十夜の相槌が気に入らないのか、不満げに彼を見上げた。
「お前今何考えてる?」
「特に何も」
吸って良いか断ってから葵は煙草に火をつけた。吐き出した白い息は空高く舞い上がっていく。
「七緒を殺して俺もってことは、桐原もやるのか?」
「どうでしょうね。今は政府に追い回されてるでしょうから、夜にでも呼びますよ。お二人を作品にしますから」
「男前にしろよ」
それは死を認めた発言だった。
「努力します」
皮肉めいた葵に十夜はにっこりと笑って返す。
「……俺は桐原に何も話さなかった」
「安心してください。今日すべて話すつもりです」
「変わらなかったな、お前は」
しみじみと懐かしむように葵が呟いた。遠い目の先に、十夜の姿はない。
「クレセントに入ったときと何も変わらない。あの頃のままだ」
「変わる気がなければこのままでいるのは当然でしょう」
「ここをどうする気だ?」
「こんな殺人組織に未練がありますか」
十夜からの質問に葵が嘲笑う。
「そんなもん、とうに捨てたよ」
「貴方は頭の良い人だ。勘も鋭くて、僕の中じゃ要注意人物の先陣を切ってたんだけど」
血が付着したナイフを布で押さえ、丁寧に拭う。
「無欲であきらめの早いところはあまり好きになれなかった」
「……俺は女にしか興味がねぇよ」
「そうですか。残念です」
吸いかけの煙草が地面に落ちた。
「お兄ちゃん!」
「海野、しっかりしろ!」
騒がしい声に研一は瞼を上げた。
真顔で見下ろす美穂と田口にゆっくり身体を起こす。
「二人とも……何で」
「何でじゃないよ、なかなか戻って来ないと思ったら倒れてるんだもん!」
意識をはっきりさせた研一は田口の腕をつかむ。
「桐原さんは」
「逃げられた。ったく、まだ本調子じゃないってのに」
「クレセントの仲間から呼ばれてました。脅されて、行かなきゃって……」
目を彷徨わせ、頭を抱える研一の携帯電話がフローリングの床で震えていた。
誰からの着信か見ることなく彼は通話ボタンを押した。
「二宮です。ニュース見ましたか? クレセントが大々的に取り上げられてるんです」
「そうみたいですね」
明日香ではなかったことに肩を落とす。
「海野さん。政府の手先が来ませんでしたか?」
「……来ました」
「やはりそうでしたか。ご無事でなにより」
「すみません、これから急ぎの用事があるんで失礼します」
構う暇はないと言いたげに研一は話をさえぎった。
「あぁ、時間を取らせて申し訳ない。ではこれだけ伝えておきます」
二宮は一層声のトーンを抑えて言った。
「クレセントのアジト、つかみましたよ」
「本当ですか?」
急に研一の態度が変わり美穂や田口も聞き耳を立てようと身体を伸ばす。
「えぇ、今からちょっと見に行こうかと思いまして。海野さんも一緒にどうかと思ったんですが、先約があるならいずれまた」
「どこにあるんですか、クレセントは」
「気になるんですねぇ。どうでしょう、ワタシと物々交換しませんか?」
「そんなこと言ってる場合じゃないんですよ!」
あくまでも自分のペースを貫く二宮に研一の苛立ちは更に募る。
「それは貴方の問題でしょう? 急ぐのなら早く話してください、ワタシでも満足出来るクレセントの情報」
研一が見なくてもわかるくらい、二宮は嫌味っぽく笑っていた。