Chapter:16
研一は警察署署内にある資料室にいた。
「桐原、桐原……」
真剣な彼に周囲の人間は近寄ろうとはしなかった。二人を除いては。
「今度は何やってんだお前」
「またクレセント関係か?」
いつものように現われた田口と内山。段ボールに囲まれ、当然のように床に座る研一を不思議そうな目で見ている。
「いえ、今回は妹の友達について」
「妹の友達?」
「彼女か」
「違いますよ! ……ご両親の事件が解決されずに捜査打ち切られたみたいで」
警察官になる前とはいえ、自分でも力になれるのではないか、研一はそう考えたのだ。
話を聞いた田口達は段ボール箱を覗く。
「それで過去の事件を洗ってるわけか」
内山が書類をつかんで適当にページをめくる。
「いつの事件なんだ? 殺害方法は?」
「さぁ……昔としか」
もごもごと曖昧な研一。それでもページをめくる手は止めなかった。
「お前まさか知らずに調べてるのか?」
「はい」
「馬鹿だ」
「あぁ、馬鹿だな」
「何なんですか二人して!」
大きな声に一瞬周囲の視線が集中してまた散った。内山と田口の馬鹿発言に彼は目を細める。
「未解決の事件なんて腐るほどあるっての」
「田口の言う通りだ。両親殺された子供だって少なくはない」
「そう、なんですか?」
深く頷く二人の姿に研一はため息を吐いた。丸くなった格好を尻目に内山が続ける。
「第一お前の調べ方は古典的すぎる。こういうのは機械に頼った方が効率的だ」
研一に立つよう促して、内山は資料室内の奥にあるパソコンが設置されたデスクに座る。長い足を組み、肘をつきながら慣れた様子でキーボードを叩く。
田口も興味を示して画面を上から覗き込んだ。
「彼女の名字は?」
「桐原です。植物の桐に原っぱ」
「昔……、三年前から五年間で下ってみるか。両親殺害の未解決事件」
一人呟きながら次々に入力されていく検索条件。小気味よくキーボードが鳴った。
内山はくるりと首を動かして研一を見やる。
「他にキーワードは?」
聞かれた本人は少し遅れて首を横に振った。
「了解。地域は県内に絞って、検索」
砂時計が数秒出て画面が切り替わる。選出された事件の文字に研一は瞬きせずそれを見つめた。
「早い……」
「だから言ったろう? 効率的に機械を頼れって」
「八件か」
田口がぽつりと言った。内山は長く息を漏らす。
「充分だな。後は娘がいたかどうかを重点的に見ながら調べればいい。無ければ条件をずらせ」
「あ、ありがとうございました」
後で何か奢れよ等と言いつつ、二人の男は去っていった。研一は大きく深呼吸してからパソコンに向き合う。
「これじゃない、か。残り三件」
一握りの事件数とはいえ、最初から最後まで目を通している研一は疲れから目頭に手を当てていた。
残りのうちになければまた明日調べようと諦めの色を濃くしていたが、次の瞬間目の色が変わった。
「朝、隣人が桐原家の一人娘が血塗れで外に倒れているのを見つけて事件発生に気付く……唯一すべてを知るはずの当時六歳の少女は何もわからないとしか答えなかった。桐原家は引っ越してきたばかりで恨まれるようなこともない」
小さな文字をゆっくり読み上げる。内容すべてを頭に入れるためだった。
「死因は刺殺による失血、凶器や容疑者が見つからず参考人もなし、強盗の要素も見られず……。お手上げだったわけか」
研一はくたびれた椅子の背もたれに思い切り寄り掛かった。
「何してるの」
自分より幾分か広い背中に向かって明日香は尋ねた。
くるりと顔を向けて十夜は答える。
「部屋の整理。年越し前にやっておこうかと思ってね」
「そう」
「そこにある段ボール取ってくれる?」
足元の箱を無言で持ち上げ、十夜の後ろに置く。
「ありがとう」
箱の中には数冊の本が入っていた。何気なく明日香がそれを開くと鮮やかな色彩が広がる。
「死体の写真」
「あぁ……壁にも限度があるから、古いものはアルバムに入れてるんだ」
剥された写真部分の壁は入った当初のままだった。無造作に重ねられた整理前の写真を眺めて呟く。
「あんたは人殺しをしたくてクレセントに入ったの?」
「急な質問だね」
言葉とは裏腹に、彼は平然としていた。
「僕が初めて殺したのは生まれたばかりの猫だったかな。野良猫が生んだ子猫を見つけて、近くに流れてた川に流したんだ」
写真を吟味しながら仕分けしていく。彼なりのこだわりがあるのだ。華奢な指がせわしなく動く。
「親は近くにはいなくて、瀕死状態だったのを今も覚えてる」
音が発することを拒むかのような静寂だった。外も中も、何も聞こえない。
「静かに迎える死が、僕をここまで成長させてくれたんだろうね」
彼は穏やかに笑う。明日香は何も言わなかった。
「あ、今頃一斉駆除の最中かな」
「……そういう言い方やめれば」
「性格丸くなった?」
「あんたは何でいつも他人の神経逆撫でして」
文句を言おうとする明日香の前に十夜は二本指を立てる。
「そんな桐原に二つ、予言するよ。まず一つ目はこの場所は近々なくなること」
話す余地を与えられない明日香は折れて一本だけ立った指を睨んだ。
「そしてもう一つは、君の大事な知り合いが危ないということ」
「……美穂のこと話したの?」
十夜の胸ぐらをつかみ床に押し付ける。声には恐怖と不安が入り交じっている。つかむ手も微かに震えていた。
「気にしてる暇があったら探した方が良いよ。もう政府は動き始めてる」
やや強引に明日香の手を押し退ける。
目を彷徨わせ、彼女はばたばたと部屋から出て行った。
「僕の手の内から逃げるなんて、誰も出来やしないんだから」
遠いどこかを見る彼の手はただ空をつかんだ。