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三日月は眠る  作者: 詩音
14/24

Chapter:13




「静谷君のお陰でかなり懐が潤ってるわ」

「そうですか」

 砂糖を山盛り五杯入れたダージリンの紅茶を喉に流し込む十夜は、目の前で止まることのない賞賛を喋り続ける新井鈴香に適当な相槌を打っていた。

「老体の適合者もあったし、今回は本当に助かったのよ? 手術も無事に成功してね」

「本題に入りませんか」

 飽きてしまったのか彼は話に歯止めをかける。

「あら、気短なのかしら。可愛い」

 お気に入りの十夜と二人で過ごすことが彼女にはかなり特別なことらしい。彼の行動すべてが新井鈴香の心をくすぐっていた。

「単刀直入に言うけど、クレセントを辞めてうちに来ない?」

 予想はしていたのか、十夜は無言で口にティーカップを運んだ。

 夕暮れの光が差し込むそこには、彼ら二人しかいない。

「無免許は勿論違法行為だから、出来れば影武者としてお願いしたいんだけど」

 他の医者には名前だけ借りて、執刀するのは十夜に一任するつもりだ。

 それほどまでに、新井鈴香は自己流な彼の技術に惚れ込んでいる。

「すみません。折角ですが辞退します」

 やんわりした十夜の断り。聞いた彼女の眉がすぐに八の字になった。

「影武者だから?」

「理由は二つあります」

 十夜の白く細長い指が二本立った。

「まず第一に、死体を飾れないからです。遺体に化粧や刺青を施すのは、今の僕には趣味そのものなので」

 にっこりと十夜は人の良い笑みを浮かべる。その姿は人殺しとは無縁な学生に見えた。

 新井鈴香は十夜の微笑に頬を赤く染める。

「そしてもう一つですが、人を生かすための術を僕は何一つ知りません。出来るのは切ることだけです」

 聞き入る新井鈴香に彼は続ける。

「そんな人間を病院に置くのはどうかと思いますよ」

「問題ないわ。医者は切るのが仕事みたいなものだから」

 両手をテーブルに置いて彼女はずいっと十夜に顔を近付ける。欲しいのだ、彼の技術も彼自身も。

 本人は新井鈴香から目をそらさない。

「お金だって希望額を出しても」

「ごめんなさい。仕事が残ってますから今日はこれで」

 強引な終わらせ方。平然と言う彼のカップにはもう何も入っていなかった。

「そう、ね……」

 タイミングと押しをくじかれた彼女はふらふらと会計をして店から出ていった。

 残された十夜は長いため息を吐き出す。

「ゆりかごをヘッドハンティングの場所に使わないでほしいんだけどなぁ」

 店の奥から現われた七緒。腕を組み納得していない顔で十夜に告げる。

 気を使って席を外していたのだろう。

「相手が客だし、十夜君だから仕方なく許可してるのよ?」

「すみません。七緒さんにはいつも感謝してます」

 彼は頭を下げた。髪が重力に従って落ちる。

「感謝はありがたいけど……別の形で示してちょうだい」

「何です?」

「あまり二人をいじめないでやって」

 明日香と葵のことだ。憂いを含んだ瞳が十夜に刺さる。

「いじめる?」

「無意識ならなおさら面倒ねぇ」

「……クレセントは良い踏み台になりますよ」

 七緒が一筋縄ではいかないと判断したのだろうか。十夜は髪をかき上げて吹っ切れたように言う。

 声は低く冷たい。

「貴方、一体何がしたいの?」

 数多くの相手と情報を得るために関わってきた七緒でさえ、彼の異様な姿に生唾を飲み込んだ。

 葵の言葉が反芻されてくる。十夜はずっと先を見据えているのだ。

「それは見ててください。僕はクレセントの人間に危害を加えるつもりはありませんから」

 彼はゲームを楽しむ顔をしていた。

 帰るため、扉に触れようとしたところで思い直したように十夜は七緒に身体を戻す。

「桐原に伝えてください。仕事はクライアントが来るまで休んで構わないって葵さんからの伝言です」

「……必ず伝えるわ。ありがとう」

 七緒はもう笑ってはいなかった。




「明日香」

 控え目なノック。その部屋から返事はない。感情を抑えた七緒の声は、どこか一本調子だった。

「またご飯食べなかったの?」

 足元にある冷えた料理は手付かずで、七緒が置いたそのままになっている。

 この状態がすでに二日経過していた。

「ねぇ、いい加減開けて。身体壊しちゃうわよ」

 一人ため息を吐く七緒。親心に近いそれは明日香を思うものだった。

 七緒は十夜から頼まれた言伝を話す。

「静谷君がさっき伝言残していったわ。クライアントが来るまで仕事は休んでいいって」

「本当?」

 二人の間を隔てていた扉が開く。

 控え目に顔を出した明日香は、病的な青白い顔をしていた。眠っていないのか、目の下には薄くクマが出来ている。

「行かなくて嬉しいの?」

「……わからない」

 素直な感想を述べる彼女に今日何度目かのため息。

「アタシもわからないわ。明日香が一体どうしたいのか」

 愚痴ではない。七緒の本心だった。

 それを聞いた明日香は逡巡していたが、意を決して重い口を開く。

「クレセントを、潰したい」

 言った瞬間明日香の左頬に衝撃が走った。七緒が明日香に手を上げたのだ。

「二度とそんなこと言わないで」

 両肩をつかみ、ぐっと力を入れる。女顔と言っても性別は男、じわりとくる痛みに明日香が眉をしかめる。

 七緒は口早に続けた。

「仮にもアタシ達はそこで働いてるのよ?」

「そうだね」

 徐々に赤みが差す頬を気遣うことなく問い質す七緒に背中を向けて窓に近寄る。

 小さな背は大きな何かを背負っているように映った。

「……明日香?」

「何で、関わっちゃったんだろ」

 酷く腹立たしいような声で、泣き出しそうになるのを堪えた顔で明日香は言う。

「死にたい人の背中ずっと押してきた。何人も何十人も」

 呟くような小声が静寂に波紋を作る。

「たまにね、ありがとうって言われるの。あいつの部屋に入る前にクライアントが」

 レースのカーテンに爪をたてれば穴が広がった。明日香の中の闇が大きくなるように。

「もっと違う形で聞きたいし、言ってほしいと思うのは、私のわがままなのかな」

「……ご飯、温め直すから、ちゃんと食べなさい」

 七緒にはそれしか言うことが出来なかった。

 一階に降りてクローズの札をオープンに変えて中に入ろうとすると、見知った人がこちらに来る。

「こんにちは。やってますか」

 それは風来坊のような常連客だった。足しげく通う時期もあれば、月に一回ということもあった。

「あ、はい。どうぞ」

「先程までクローズだったので、何かあったのかと思いました」

 カウンターに座り男は言う。ベージュのコートは隣の椅子に折り畳んで置いていた。

「すみません、ご心配おかけしました」

「お疲れのようですね」

「いえ、ちょっと……姪の体調が悪くて」

 他人に明日香を紹介するとき、七緒はいつも姪だと言う。ちなみに明日香の場合は下宿先の大家となる。

 気配りの出来るその客は触れる話題でないことを自然と察した。

「今度元気なときにお会いしたいですね」

「ありがとうございます」

 七緒はカップを客の前に置いた。ゆりかご特製のブレンドコーヒー。常連客はいつもそれを頼むのだ。

 初めて店に訪れたときから、ずっと変わることなくブレンドコーヒーを頼んでいる。

「そういえば久し振りですね。前に来られたのは……一ヶ月前でしたか?」

「えぇ。少し仕事が忙しくて」

「仕事?」

「営業のようなものです」

 客は疲れの混じった笑顔を浮かべる。

 それから数十分、二人はぽつぽつこぼれる他愛のない世間話で過ごした。

「ここは落ち着きますねぇ、時間が経つのを忘れてしまう」

「ありがとうございます」

 帰り支度を整える男に七緒は満面の笑みで礼を述べる。

「名残惜しいですがまた来ますよ」

「はい。ぜひ」

 扉についたベルがからんと涼しげな音色をたてた。

「また来ます……か。次は容疑者として取材させていただきたいものですね。片瀬七緒さん」

 渋い色のマフラーを口まで持ち上げて、常連客は先程とはまったく違う不敵な笑みを作っていた。

「普通の常連だったら良かったのに……」

 残った空のカップを流し台の中心に持っていき上から手を話す。

 重力に従い落ちたそれは控え目に悲鳴をあげて粉々に割れた。

「二宮慎吾、リスト入り決定だわ」

 七緒は冷めきった瞳で使えなくなったカップの破片を握り締める。

「仲間がいるかどうか、一応調べてもらわなきゃね……」

 呟きは誰にも聞かれることなく消えていった。








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