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三日月は眠る  作者: 詩音
12/24

Chapter:11




 署内の書類倉庫の床に、海野研一は倒れた。

「田口!」

 内山の叱責する声が部屋中に響き渡る。研一は田口に左頬を殴られた。

「お前……自分が何してるかわかってんのか」

 息を乱し、怒りに肩を震わせる田口の顔は真っ赤になっていた。

 寝転んだ状態から研一が上半身を起こす。歯を食いしばる余裕も与えられなかったため、唇が切れて血が垂れた。

「クレセントは忘れろ、そう言ったよな」

「田口やめろ」

 伸ばした腕は研一の胸倉をつかみ揺さぶる。内山が二人の間に入って止めようと試みるが腕力は田口が上。容易に振り払われてしまった。

「あの居酒屋にいた記者と会ってんの見たんだ。驚いたし、すぐ殴ってやろうかって思った」

 偶然の出来事だった。非番だった研一を聞き込み帰りの田口が見つけたのだ。

 彼の怒りは後輩を心配するもの。

「伊沢さんがクレセントに関わってどうなったか、わかってんだろ海野!」

「わかってます」

 怒鳴り声を張り上げる田口に、うつむいたまま研一が語る。

「会いました。二宮さんに教えてもらって、伊沢さんに会ってきました」

「どこにいたんだ」

 これには二人も驚いたらしい。緊張感を含んだ内山の声が先を急かす。

 田口の腕は内山がつかんでいたが当人自身暴れることを忘れたように動かなかった。

「公園で、ホームレスになってました。言葉を話せなくなってたんです、伊沢さん」

 初めて聞く話に内山と田口は息を飲んだ。

「国の秘密を知ったら人権を無視して言葉を忘れさせるような真似しても良いんですか」

 静まり返る倉庫。人工の明かりが三人をただ照らしていた。

「こんな世間を良いと思ったことなんて一度もない」

 唸るように内山が呟く。太股の真横にある拳はわなわなと震えていた。

「だが一般の警察官に何が出来るって言うんだ」

「たとえ一般でも、集団になれば……!」

「国に歯向かう国家公務員がいるか?」

 内山の問いに研一はぐっと喉に言葉を詰まらせる。

「諦めろ」

 一人取り残された研一の心に重く暗い闇が広がった。




「あ……」

 怪我の手当てをした研一は仕事に戻った。訝しる上司に笑顔で誤魔化し見回りに入ると警察嫌いの明日香に偶然出会う。

「こ、こんばんは」

 引きつった顔の挨拶にうさん臭さを感じた明日香がポケットに手を入れる。取り出すものはただ一つ。

「違うよ、たまたま通り掛かっただけで別にストーカーみたいなことしてないから物騒なもの出さないで!」

 必死な説得に彼女は無表情で見つめる。ポケットにもうその手はない。

「いつもこんな時間に帰ってるの?」

「バイトですから」

「そう、なんだ」

 陰鬱な雰囲気を全体にまとう明日香に若干戸惑う研一。

 する必要のない会話すらまったく弾まない状態だ。

「仕事、上手くいってないんですか」

「……何で?」

 初めて話しかけられた研一は間の抜けた顔になって質問を質問で返す。

「顔」

 その一言だけだった。殴られた傷のことを指しているのだろう。

 徐々につかんできた明日香の難しい性格に研一は苦笑した。

「見えないようで見えてる、そんな敵と戦わなきゃいけないんだ」

 自らの手のひらを見つめる。武骨とは程遠い華奢な手。

 何故自分が話そうと思ったか研一にもわからなかった。しかしもう止まらない。

「俺の力は小さいから同盟を組もうと思った。でも周りはそんなことは出来ないって言う」

 諦めた内山の顔がちらついた。

「難しいよ……って、君に愚痴ってもしょうがないよね」

 情けない笑い声が妙に道に響く。呆れて立ち去られてしまうと思っていた研一は聞いていた明日香に少し好感を持った。

「いつか変化があるかもしれない」

「え?」

「貴方と同じ意志を持つ人が現れたり、敵が勝手に消えるかもしれない」

 淡々と紡ぐ言葉は、確かに研一へ届いている。

「諦めなければ、いつか勝機が見えると思います」

 それは明日香が自分自身にも言ったようなものだった。突き進んできた人殺しの道が、徐々にぶれ始めていた。

「……ありがとう」

 ほっとした笑顔を見せる研一に明日香は無言で行ってしまう。

「あ、帰り道気をつけて!」

 彼女は何も応えなかった。

「諦めなければいつか勝機が見える、か」

 復唱して忘れまいと脳内に刻み込む。

 研一が短く嘆息を漏らすと携帯電話が震えた。

「もしもし……あ、二宮さん。え、また新しい情報? じゃあ明日この前の喫茶店で、はい」

 よし、と彼は小さく意気込んだ。




「臓器売買、ですか」

「はい」

 以前と同じクラシックの流れた喫茶店。

 研一はブレンドコーヒー、二宮慎吾はアメリカンコーヒーをそれぞれ頼み会話が始まる。

 重苦しい内容が嫌でも予想されて、研一の表情はいつにも増して暗かった。

「クレセントで臓器って一体……」

「死にたがる人間はその後の処理をクレセントに任せることがあるそうです」

 調べてきた情報を惜しげもなく話す二宮慎吾。聞き入っている研一を見て更に続けた。

「それに、火葬すれば残るのは骨だけ。内蔵なんかは持っていってもそう簡単にばれたりしません」

「でもそんな情報どうやって?」

「企業秘密にしておいてください」

 ふっと強気に笑う姿に研一は妙な安心感を覚えた。目の前にいる相手は国にすら勝とうとしているかもしれないと。

「凄いシステムですよ」

「え?」

「クレセントに必要な臓器を用意してもらう代わりに火葬の手配を病院で行う」

 それぞれ処理の余るところを見事にカバーしている。循環の流れは完璧だ。

「病院がどこかは……」

「まだ調査中です」

「そうですか」

 注文したコーヒーが来て、話は一時中断した。

 カップに口を付けると傷の痛みに顔を歪める。

「何か揉めましたか?」

 唐突な質問にきょとんと見つめ返す研一。

 その様子を見て笑った二宮慎吾は自らの口許をとんとんと指で叩く。

「顔の痣です」

「あぁ……ちょっと色々あって」

 殴られたとは流石に言えなかった。

 情報をもらう仲間でも、相手は記者なのだから警察内部の揉め事を知られるわけにはいかない。

 記事にされて被害が及ぶのは研一だけではないのだから。

「血気盛んで良いですねぇ」

「からかわないでください」

 日常会話もほどほどに出来るほど和やかな空気になった。

 それを断ち切ったのは一本の電話。

「すみません。出ても良いですか?」

「勿論です。どうぞ?」

 研一宛てのそれは長々と着信音が流れている。二宮慎吾は大きく頷いた。

「もしもし、お前まだ昼間……え?」

 怒っていたはずの顔が一気に青色に変わる。

「何でそんなこと知ってるんだ」

 咎めるような研一の口調に両目を瞑っていた二宮慎吾が片方の瞼を開けた。

 聞き耳を立てていたらしい。

「クレセントには絶対関わるな。良いな?」

「……好奇心旺盛なお知り合いがいらっしゃるんですね」

 明らかに強引な電話の切り方に記者が興味深げな表情をする。

 研一は正直に戸惑いの入り交じった愚痴を口にした。

「どっから仕入れたのかクレセントについてあちこちで嗅ぎ回ってるようで……」

「賢明な判断でしたよ。伊沢颯のようになる人間は少ない方がいい」

「わかってます。やっぱり俺は、非クレセント派ですから」

 そう答えた研一に、二宮慎吾は満足げに笑った。








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