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三日月は眠る  作者: 詩音
10/24

Chapter:09




 二週間ほどの正月休み前に行われる学生の重要な試験。

 明日香達の高校では玄関に入ってすぐ成績上位者の名前が張り出されているのだ。

 わらわらと人込みに揉まれる中、明日香は成績上位者を見ることなく教室へ進もうとする。

「十番に入ってるなんて凄いね」

「……学年一位がそれ言わないでくれる?」

 いつ背後にいたのかわからないものの、動揺を隠して冷たく言い放つ明日香。

「それに、校内では話し掛けないでって言ってるでしょ」

 十夜は悪びれずにごめんと告げて明日香を抜かしていった。

 短いため息が不意に出てくる。

「おはよ、明日香」

「美穂」

 明日香の肩を叩いたのはクラスメイト兼友人の蓮見美穂(ハスミミホ)。限り無く黒に近い茶髪は肩より上の長さでパーマがかかっている。

「どうしたの? 暗い顔しちゃって」

「何でもないよ」

 明日香は作り物の笑顔を見せる。美穂はそれを信じた。

 目元の泣き黒子が印象的な彼女は朝から満面の笑顔だ。

「ねぇ、さっき静谷君といた?」

 くりくりの丸い目が獲物を求めるようにぎらつく。何かを企む顔だ。

「どうして?」

「それっぽい人が見えたから」

「残念ながら挨拶されただけ。テスト凄いねって」

 彼女に下手な嘘は通用しない。明日香は無難に納得させる答えを述べた。

 期待外れだった美穂は小さめの唇を尖らせる。

「なんだ、つまんないな。面白いニュースだと思ったのに」

「また記者みたいなこと言ってる」

「一応目指してるからねぇ」

 高校入学当初から、美穂は誰に自己紹介をするときも新聞記者になりたいと公言していた。

 勿論明日香も言われた一人だ。

「今新しい記事書きたいんだ。社会的な何か」

 前向きで意欲的な美穂に明日香は微笑む。

「頑張るね」

「そりゃあ夢への一歩ですからっ」

 楽しそうな美穂にどこか羨望のまなざしを浮かべ、明日香はひっそりとため息を吐いた。




「もう後戻り出来ませんよ。本当によろしいですか?」

「はい……っ」

 今日のクライアントは三十代の主婦だった。順風満帆だった結婚生活が、一時の気の迷いで行った不倫行為に壊された哀れな女性。

 離婚と慰謝料の請求に加えて、不倫相手からの一方的な別れ話を聞かされた彼女は精神的に参ってしまい、人生の選択肢をクレセントへ向けたのだ。

「では、こちらの書類にサインを」

 震える手で書かれた名前は歪んで見えた。

「あちらに担当者がおります」

 執行部屋に消えたクライアントを見送った明日香は壁に背を預けて煙草に火をつける。

 最初の煙を吐き出したところで葵が入ってきた。

「一日で二件は流石にきつかったな」

「仕方ないですよ」

 十夜の暴露話の一件以来、僅かに違和感があるが前と変わらず葵は明日香に接している。

 そして明日香もほぼ以前と同じように葵に話し掛けていた。

「桐原。帰り送ってやろうか」

「大丈夫ですよ。十分くらいで着くんだし」

 コートを着込んで赤いマフラーを首に巻く。帰り支度を済ませた明日香は葵の申し出をやんわりと断った。

「それは俺だって知ってるっての。ほらあれだ、最近変質者が多いらしいから危ねぇだろ?」

 確かに女性が襲われる事件は多い。騒ぎに関心を持たない明日香でも何度か耳にしていた。

「護身用のスタンガン持ってますから。私を心配するくらいならとっとと仕事片付けてください」

 コートのポケットから黒い小型機械を取り出し、ばちばちと光らせる。

 書類の山がほんの数時間で片付くとは到底思えず、こちらに回ってくるのは絶対に嫌だと彼女は目で訴えた。

「……了解」

 アイコンタクトを受けた葵は両手を上げて降参のポーズをとる。

 短く挨拶を告げて、明日香はクレセントから出た。

「はあ……」

 ため息が冷えた空気で白く変わる。

 家まであと数分で到着する。人通りのない道を早足で歩きながらマフラーを顔にうずめた。

「君、ちょっと」

 背後から呼ばれてぴたりと足を止める。周りにいる人間はいない、呼ばれた明日香と呼んだ男だけ。

 革靴の足音が大きくなるまで獲物という名の敵を引き寄せる。近付いたと感じ取り、ポケットから例のスタンガンを取り出して相手へ素早く向ける。

「うわっ!」

 ベージュのコートを着た男はまだ若いサラリーマンのように見える。

 勢いよく飛び退いたと思うと、明日香に向けて黒い手帳のようなものを開いて見せた。

「待った待った!」

「……警察?」

 警官の制服をきっちり着こなし、堅苦しい顔を浮かべた男の写真は目の前の人間と同一人物だった。表情は写真とはまったく違ったが。

「そ、そう! だからそれしまって」

「何か用ですか?」

 言われた通りにポケットへしまう。睨むような明日香の視線に警察官は若干たじろいだ。

「ここら辺を一人で歩くの危ないよ。物騒な事件が多いから警察も見回りしてるんだし」

「普段はもう少し早く帰ってます。それにこの道を通らないと家に帰れないんで」

「そう。まぁスタンガンなんか持ってるなら大丈夫そうだね」

 呆れと安心の中間のような微笑み。明日香はもうことは済んだと思い再び歩き始めようとする。

「あと、間違ってたらごめん」

 しかしまだ話は続いていた。

「君から煙草の臭いがするんだけど」

「……バイト先で髪に臭いがついたんじゃないですか」

 今日は確かに吸い過ぎていた。一日二本程度のはずが、仕事の量も重なり倍は吸った。

 ありがちな言い訳を告げて嗅覚の鋭い警察官を冷たくあしらう。

「もしかして俺、嫌われてる?」

「警察が嫌いなだけです」

 昔の記憶が、さざ波のように押し寄せてくるのを彼女は感じていた。

 ポケットの中できつく拳を作る。爪が食い込むくらい強く。

「結構傷付くな」

 へらりと彼は頼りなく笑った。

 どうでもいいと言わんばかりに明日香は大きく息を吐き出す。

「一応身分証見せて」

「何でですか」

「そういう形式なんだよ。悪用する気はないから」

 予想以上に手間取る会話に半分投げやりな態度で学生証を渡す。

「桐原明日香さん、ね」

 見たと判断してすぐに奪い上げてさっさと警察官と距離を開ける。

「あ、ちょっと……! 愛想ない子だなぁ」

 そう呟く警察官を無視して、明日香は七緒のいる店へ帰宅。

「おかえり、遅かったわね」

「仕事と職質」

「そう。仕事と職質……職質?」

 流すように聞いていた話に不可解な単語が紛れていた。

 七緒がそれに気付いたときには、明日香はもう部屋に向かっていて姿が見えない。

「ちょっと明日香、職質って何やったの!」

 まだ客がいることを気にする余裕もなく叫んだ七緒だが、彼女からの返答はなかった。

 部屋に入ってコートを脱がずに明日香はベッドへ倒れ込む。

「海野研一……」

 天井を見つめ、無意識に手を伸ばす。

「要注意人物」

 何もつかめない手のひらは、ただ空中を彷徨っていた。








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