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それだけは言わない(3)

 言わなきゃよかった。

 お母さんは私に『気が緩んでいる』と言ったけど、それは半分くらい正しくて、でも理由の全部ではないと思う。


 一番は、多分、焦っていた。彰吾くんと一緒にいられる残り時間の少なさに慌てていた。離れてしまえば会う時間も減ってしまうだろうし、そもそも彰吾くんと距離を置いたことがなかったから、離れて暮らすのが私たちの関係にどんな影響を及ぼすのか、想像もつかない。だから今のうちに伝えておきたかった。

 彰吾くんが好き。一緒にいられなくても、なかなか会えなくたってこの気持ちは変わらない。浮気の心配もしない、だって彰吾くんがどういう人か、私はちゃんと知ってるから。これからもずっと好きでいるから。そう告げたかった。

 でも全てを言葉にする自信はなかった。気を抜いたら、言うべきじゃない、でも一番強い思いが飛び出してしまいそうで。だからクリスマスプレゼントという形で、明るくて前向きな気持ちだけを彰吾くんに伝えようと思った。

 高校から駅前までは歩いて三十分くらい。家とはまるで逆の方向だけど、放課後に寄り道をして買い物を済ませて、それから家へ帰ってもお夕飯の時間には間に合う。だから一日だけ、なるべく寒くない日にするから、寄り道してきてもいい? 思い切ってお母さんに尋ねてみた。


 お母さんは私を叱った。

 受験生なんだから、大事な時期なんだから、そんな馬鹿げたことをしている暇はないでしょう。ちょっと気が緩んでるんじゃない? プレゼントをあげなきゃ付き合ってくれないような男の子だっていうなら、もう会うのを止めなさい。――そんな風に言われて、私は俯くのが精一杯だった。

 彰吾くんはお母さんが不安がるような男の子じゃない。プレゼントなんかなくたっていいと言ってくれたし、その言葉が建前なんかじゃないのもわかっている。ただ、受験が終わったら離れ離れになってしまうから何かしたかった。それだけは反論したら一応納得してもらえたようだったけど、だからといって買い物に行く許可が下りることもなかった。

 言わなきゃよかった、と思った。

 言うべきじゃなかった、とも思った。


 叱られた次の日、彰吾くんとは登校途中に顔を合わせた。

 学校へ行くのに浮かないそぶりでいるのもよくない。だからなるべく普段通りにしていようと心がけてみたつもりだったのに、おはようと挨拶をした直後、ふと眉を顰めて心配そうにされてしまった。

「理緒、具合悪そうだ」

「そ、そんなこと……ないよ」

 昨日の夜はあまり眠れなかったから、顔色は悪いはずだった。でも具合の悪さよりも後悔を引きずっていることの方が辛かった。

 放射冷却のきつい朝。通学路に差し込む寒さと朝日の眩しさに顔をしかめたくなる。でもそうするのは八つ当たりみたいで、余計に嫌な気分になってしまいそうだ。だから止めた。

「大丈夫か?」

 彰吾くんは隣に並んで歩きながら、私の様子をうかがってくれる。

「うん。風邪引いたとかじゃないから」

「そっか、それならよかった」

 いつだってすごく優しい。潔癖過ぎるうちのお母さんが心配するようなことは何一つない。クリスマスプレゼントのことだって、昨日のうちから『気持ちだけでいい』って言ってくれたくらいだ。

 間違えたのは私だ。

「あのね、クリスマスのこと、だけど」

 私も歩きながら切り出す。彰吾くんの方を向く勇気はなく、話す間中、止まれないローファーの爪先を見つめていた。

「プレゼントはやっぱり、遅くなるから。受験終わってからになっちゃうけど……」

「いいよ、気にしなくても」

 彰吾くんが笑ったのが聞こえた。

「昨日も言っただろ。俺、理緒の気持ちだけで十分なんだって」

 諭すような口調はもしかすると、私がプレゼントを用意出来ない理由も察しているから、かもしれない。

「無理することない。俺だってそんなに高いもの用意してる訳じゃないし、理緒が俺の為にって考えてくれただけでも、うれしいから」

 予想通りの返答で、うれしいと言われて、でも私は複雑に思う。本当はもっともっと彰吾くんを喜ばせたかった。私の気持ちの前向きな部分は、全てわかっていて欲しかった。伝えたかった。そうしたらお互いに幸せなんだって、今はもう知っていたから。

 思ったことを何も告げられない頃があった。その時から比べたら、気持ちを伝えられるのは幸せだった――けど、別のことにも気付く。私の気持ちを表すのに、言葉は足りない。

「言葉だけじゃ足りないって思ったの」

 俯き加減で呟いたら、冷たい空気が鼻の奥でつんとした。

「受験生だから、勉強を一番にしなくちゃいけないのはわかってるけど。私もプレゼント、出来たらなって」

 一番にあるのが受験勉強じゃないこと、それはまさしく気が緩んでるからなんだろう。私は受験生になってからも、優先すべきじゃないことばかりをずっと考えていた。

「……理緒?」

 彰吾くんは怪訝そうだ。私の言葉が唐突に思えたんだろうけど、何だか今は違う意味にも受け取れた。私が受験勉強に打ち込めていないこと、彼みたいにしっかりした人からすれば、きっと不思議に違いない。

 春が来て、彰吾くんが傍にいなくなったら、すごくすごく寂しい。それが今の一番強い思い。それは彰吾くんのことが好きだから、これから先も、いつでも一緒にいたくて堪らないから。

 だけど寂しいとは言えない。絶対に困らせてしまうだろうし、大事な受験にも差し障るだろうし、行きたい大学へ通って欲しいのも本当のことだ。寂しい、という最も強い感情から『好き』だけを伝えるのに、言葉だけじゃ伝え切れなかった。クリスマスプレゼントはその為の手段のつもりだった。言えない分の気持ちは形を持った好意に変換して、彰吾くんにずっと持っていてもらえたらって思った。何を買うか、何を贈るかさえ考えつけていなかったけど、そういうプレゼントがしたかった。

「買い物に行きたいって言ったら、お母さんに叱られたの。気が緩んでるって」

 昨日の出来事を少しだけ、打ち明けてみた。

「確かにそうなんだと思う。私、受験生っぽくないことばかり考えてる。昨日だって、特別に許してもらえるんじゃないかって思ってたくらい。うちのお母さんがそういうこと、許してくれるはずがないのに」

 気が緩んでいたし、時間がなくてすごく焦っていた。

 ずっと昔、まだ私が彰吾くんを木谷くんと呼んでいた頃は、想いを口にする勇気がなかった。うっかり逃がしてしまった想いを彰吾くんが拾ってくれて、それでようやく言えた。聞いてもらえた。あの時は想いを交換し合うことさえ奇跡のような、途轍もないことに思えた。

 今は昔よりも言葉にするのが容易くなって、代わりに言葉の不器用さを知ってしまった。『好き』って声に出して言うことが全てではなく、その言葉自体も決して万能ではなかった。

 好きだから、離れても平気。――今はまだ完全じゃない、でもいつか彰吾くんの為、本物にしたい気持ちを伝える方法が欲しかった。

「十分、伝わってるよ」

 心の中を見透かされたような言葉が、すぐ隣であった。

 私はびくりとしつつ顔を上げ、恐る恐る、彰吾くんの表情をうかがう。彰吾くんは真っ直ぐ前を見て歩いている。横顔は明るい照れ笑いだ。

「理緒は、気付いてなかったかもしれないけど……」

「何を?」

「春先に志望校打ち明けた時、俺、別れるって言われるんじゃないかと思ってたから」

「……えっ」

 その言葉にはすごく、息を呑むくらいびっくりした。

 別れるって、そもそも考えたこともなかった。彰吾くんと一緒にいることに終わりがあるとも思えなくて、だからこそ離れてしまうのが寂しいって思っていた。

 でも振り返ってみれば、打ち明けられた日の彰吾くんの部屋。はにかんだような表情でものすごく慎重に抱き寄せられた時、三十五センチの距離をほんの数センチまで縮めてから告げられた言葉は、あまり彰吾くんらしくなかった。私はその時も驚いたし、でもやっぱり別れるなんてことは考えもしなかった。

「ずるい言い方したなって思ってた。理緒に、選択の余地を与えないようにしてたから」

 彰吾くんが高い肩を竦める。

「でも、理緒は大丈夫って言ってくれた。俺が向こうの大学受けるのも応援してくれた。それがすごく、うれしくて、俺も理緒の為に頑張ろうって目標立てた」

 惰性で辿る通学路の景色がぼやけた。あの角を曲がればもうじき校舎が見えてくる。冬休みも卒業も間近だ。私も、やらなくちゃいけないことがある。

「だから十分だ。理緒の、その気持ちだけで。俺はそれだけでこの先ずっと頑張れると思う」

 もしかしたら。

 彰吾くんには、私の寂しさなんてお見通しだったんじゃないだろうか。私が言葉にし切れない気持ちの全部を、私の知らないうちに読み取ってくれていたのかもしれない。

 だって彰吾くんは、すごい人だから。私よりも遠くを見ていられる人だから。

「……登校中に言うことじゃなかった、かな」

 後で真っ赤になってそう言っていたけど、私は黙ってかぶりを振った。

 そんなことない、今こそ必要な言葉だった。私も、彰吾くんの為に頑張ろうと思った。

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