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君が好きだと言ってしまった  作者: 森崎緩
君がいる夏
31/35

君を想う

 帰り際、送ると言ったら、理緒は少し迷うようにしてみせた。

 聞けば、

「雨、止んでるかな? 降ってないなら、お願いしたいんだけど」

 とのことらしい。

「俺は降ってたって構わないけどな」

 そう言い返しても彼女はいい顔をしない。

「降ってる中を送ってもらうのは悪いよ」

「でも寒い訳じゃないだろ? 理緒だって肩出してるし」

 指摘したら、ちょっと恥ずかしそうにされた。俺の為に着てきてくれたんだろうか。それならうれしいんだけどな。

「うん、暑いくらいだよ。むっとしてて。それで雨降ってたら、彰吾くんだって嫌かなって」

 理緒がそう言うから、俺は首を竦める。

「嫌じゃない。理緒と少しでも長く一緒にいられる方がいい」

 それで彼女は頬を染めて、じゃあ、と小さな声で言ってくれた。


 幸い、雨はすっかり止んでいた。むっと立ち込めるような熱気と湿気の中、俺は理緒の隣を歩く。彼女の家まで歩いていく。

 空っぽにした鍋はきれいに洗って、スーパーの袋に入れていた。こうして提げれば手を繋げた。俺はどうしても彼女と手を繋ぎたかった。壊れてしまいそうな手を、ぎゅっと握り締めていたかった。

「手のひら、べたべたしてない?」

 恥ずかしそうにしながら、理緒が尋ねてくる。

「汗かいてるから……ごめんね」

「俺もそうだよ、気にすることない」

 フォローにもならないようなことを言った後で、逆に問い返してみる。

「暑いのに、手を繋いでてもいいのか?」

「うん」

 彼女は即答してくれた。

「暑くてもちっとも気にならないよ」

「よかった。俺もだ」

 どんなに蒸し暑い夜でも、どんなに湿っぽい空気でも、理緒とは手を繋いでいたかった。これからはずっと繋いでいこうと思った。

 こうしていると幸せなんだ。夏の暑さなんて気にならないくらい、幸せだった。彼女の細い手に触れて、彼女と繋がっていることに、何よりも満たされた気分になる。

 夏が苦手だった。暑いのが嫌で、この季節が来るのが毎年憂鬱だった。どうやって暑さをしのごうかということで頭が一杯で、楽しんでいる余裕なんてなかった。暑い思いをするのが嫌で、外に出るのも億劫だった。

 だけど――今、思う。理緒がいる夏は特別だ。そんなもやもやした不安や悩みはどこかへ吹き飛んでしまって、今は彼女に寄り添いたいと強く思う。彼女の熱を感じていたい。彼女と片時も離れずにいたい。

 そうして二人で過ごす初めての夏を、じっくり味わいたいと思う。


 アスファルトの道の上、ところどころに水たまりが出来ていた。俺たちの影を映して、微かにさざめき立っている。

 それを手を繋いだまま飛び越えた。二人で、子どもみたいにはしゃぎながら飛んだ。飽きるまで何回もやった。その度ごとに鍋の入ったビニール袋ががさがさ言って、夜道で声を潜める俺たちの分まで賑やかしてくれた。

 街灯がもう点っている、夏の夜。

 雨が上がってすぐだというのに、どこかから虫の声もしていた。

「夏って感じがするな」

 俺が思わず呟くと、理緒が頷いてくれた。

「そうだね。すごく、夏っぽい」

「それにいい夜だ。何だか、風情があって」

 風情なんてものをちゃんと理解しているのかどうか、自分でもあまり自信はない。だけどこういう時間のことを、風情があるって言うんじゃないかって漠然と思う。静かで穏やかな夏の夜、隣には彼女、お腹はいっぱいで気分もいい。何もかもが満ち足りている。

「うん」

 理緒がもう一つ頷く。

 細い、滑らかな肩に、街灯の光が落ちていた。白く、輪郭のぼやけた丸い光を見下ろしていた。触れたくなるようなその肩に、どうしたらもう一度触れられるだろうって、考えてしまった。

 思いついたのは少し強引な手段。

「理緒」

「え? なあに?」

「腕、組もうか」

 肩を、と言わなかっただけ、俺は良識的なつもりだった。

 だけど理緒はたちまち赤くなって、慌てたようにもごもごと答える。

「え、でも、だって、暑くない? あの、そういうのって……嫌じゃない、けど、でもあの、身長の差だってあるし」

 口ごもっているのがまた可愛いなと思う。

「何とかなるよ」

 根拠もないのに俺は言う。三十五センチメートルの差は今更だ。そんなもの何の支障もないって、十分にわかってる。

 夏の暑さもそうだ。何の支障もない。いや、この夏のうちに、支障のないようにしてみせる。身長の差も気温もどんなものだって、俺と理緒の間に立ちはだかることは出来ないってわからせてやる。

「もっとくっついていたいんだ」

 そう言って促すと、理緒は俯き加減で応じてきた。

「わ、私も……そう、なの」

 幸せだ。

 しみじみと噛み締めつつ、俺は理緒と腕を組む。すべすべした肌の感触が心地よかった。肩にも触れられた。身長差のお蔭で、ちょうど俺の上腕に、彼女の肩がぶつかってきた。彼女の手は下腕に引っ掛けられている。夏だっていうのに、やたらくっついて歩いている。悪くない。

 夏も、案外悪くない。

 好きになりそうだ。隣に理緒がいてくれたら。


 腕を組んで歩くのは結構難しかったけど、慣れないうちだからかもしれない。きっとすぐに慣れるだろう。秋が来る前には慣れておきたい。

 ちょっと不格好に歩きながらも、俺は彼女に言ってみた。

「俺、理緒を幸せにしたい」

 背伸びした願い事を、理緒は笑わずに受け止めてくれた。返ってきた答えは、望んでいたものとは違っていたけど。

「もう十分過ぎるくらい幸せだよ、彰吾くん」

 理緒なら、そう言うだろうなと思った。でも駄目。こんなもんで満足されてちゃ困る。

「じゃあ、もっと幸せにしたい」

 俺の言葉に彼女はかぶりを振る。

「今でもすごく幸せだもん、気持ちだけでうれしいのに」

「それならもっともっと幸せにする。今以上に、ものすごく」

 子どもみたいに頑迷に言い張ってみた。彼女には、遂に笑われた。

 だけど笑いの中でも、

「そこまで言うなら、お願いしようかな」

 遂に了承もしてくれた。

「でも、私も彰吾くんを幸せにしたいな。それも、いいよね?」

 聞き返されて俺はちょっと困った。今でも十分幸せだ、そう答えたかったけど――俺の時と同じ問答の繰り返しになりそうだ。

 だから、素直に答えることにした。

「うん。二人で、幸せになろう」

 今でも十分幸せだ。蒸し暑い夜に腕を組んで歩いて、時々水を撥ね上げながらも幸せだ。それ以上の幸せは、二人がかりで掴み取るものだと思う。


 俺は何にも負けない。理緒をこれからもひたすらに想う。

 そうして幸せな夏を過ごしたい。初めて好きになれそうな、彼女が傍にいてくれる夏を。

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