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君が好きだと言ってしまった  作者: 森崎緩
君がいる夏
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雨の中、一人きり

 一週間ほど雨が続いていた。

 あのお祭りの日以来だ。ぐずついた天気の毎日で、降ったり止んだり、止んでもどんよりした空ばかりを目にしている。

 せっかくの夏休みなのに、と思う人はいるだろう。だけど暑さに苦手な俺としては願ってもない日々だった。雨が多少なりとも夏の熱を冷ましてくれるから、ここぞとばかりにあちこちへ出かけた。


 今日も傘を差しながら、CDショップをはしごした。お目当ての新譜を購入して、ついでに無料配布の情報冊子もたっぷり仕入れた。がらがらの店内で心ゆくまで視聴して、興味のないはずの楽器コーナーまで冷やかしてきた。

 趣味を堪能した後は、スーパーにも寄った。俺の夏の定番メニュー、そうめんをしこたま買い込んだ。ついでにスナック菓子とペットボトルのお茶も揃えて、意気揚々と帰宅の途に着く。

 一人で出歩くのは慣れていた。雨の日じゃ理緒は誘えないし、友達にも声を掛けにくい。今更、一人が寂しいだなんて言ってもいられない。

 昔からそうだった。一人で出歩く機会が多かった。放っておけば家から食べ物のなくなってしまう時もあったから、一人がどうこうなんて気にしていられなかったっていうのが本当のところだ。親は仕事が忙しかったから、自分の食べ物の管理は自分でしないといけなくて、そのうちいろんなことに慣れてしまった。

 雨の日の買い物もそう。一人でいるのと同じように、別に嫌なことではなかった。過ごし易いし、店が空いていていい。そういう感覚に慣れてしまった。


 慣れていないのはむしろ、理緒のいる毎日なのかもしれない。


 学校から帰る時には、いつも同じ場所で別れる。

 だから俺は、分かれ道のその先にある理緒の家を、知らないことになっている。――あくまでも建前上は。

 似たような建物の続く住宅街の分岐点。そこを、俺の家のある方じゃなく、いつも理緒が帰っていく方向へと進んでいく。既に何度か通って、見慣れてしまったその道を辿ってしばらくすると、すっかり記憶に残ってしまった門構えが見えてくる。

 雨に包まれた、二階建ての一軒家。表札には『並川』とある。ここが彼女の家かどうか、彼女自身に確かめたことはない。少し離れた位置からその佇まいを眺めて、俺にはストーカーの資質があるんだろうなと思う。

 付き合ってるんだから、素直に聞けばいいだけの話だ。

 いや、もっとはっきり言うなら、付き合ってるんだから素直に『会いたい』って告げればいいだけだ。こうして彼女の家を、本当に彼女が住んでいるのかどうかも知らない家をぼんやり眺めているだけなんて、実に不健康だろう。さすがにチャイムを鳴らすことはしちゃいけないと思うけど、今からでも電話を掛けて、彼女の声だけでも聞けばいい。

 こんなに、寂しいって思ってるくらいなら。


 傘に落ちる雨音は、気分をやけに落ち込ませる。

 嫌いじゃない、むしろ過ごし易いはずの夏の雨の日。なのに俺は憂鬱な思いで、ここから立ち去るのを拒んでいた。家に帰りたくないと思った。

 理緒のいないところにはいたくなかった。夏休みのせいで学校でも会えず、雨のせいで外でも会えない今日みたいな日が嫌だった。いつでも、ずっと一緒にいられたらいいのに。

 会いたいと思う気持ちが強過ぎて、会える回数をいつの間にか上回っている。一緒にいる時は幸せなのに、離れてしまうと寂しくてしょうがない。平気だったはずの一人の時間が、理緒の存在一つだけで、ちっとも平気じゃなくなってしまった。


 ざあざあ言う音に紛れて、がちゃりと金属の音がした。

 俺は我に返って、目の前にある家の門構えを見遣る。玄関のドアの前で赤い傘が開かれて、その持ち主が門をくぐる。低い位置で差された赤い傘は、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

 動けない俺に、聞き慣れた声が掛けられる。

「あれ、彰吾くん……?」

 赤い傘が軽く持ち上げられて、中から理緒の顔が覗いた。不思議そうな表情だった。瞬きを繰り返してから、照れたような笑みが浮かぶ。

「彰吾くん、だよね? どうしたの、こんなところで」

「いや、その」

 答えに詰まった。

 偶然だって嘘をついたら信じてもらえるだろうか。理緒なら信じるかもしれない。俺が本当はどう思っているかなんて知りもせず、この距離を保ち続けてくれるだろう。会いたくて会いたくてしょうがなかったって、知らないままでいてくれるだろう。

 でも、

「……会いたかったんだ」

 正直に、言ってしまった。

「理緒に会いたくて、ここまで……ごめん、何か、おかしいよな」

 異常なふるまいなんだってことは自覚していた。俺が告げると、理緒はびっくりしたような顔になって、それでも首を横に振る。

「そんな、おかしくなんかないよ」

 優しいから、理緒はそう答えるだろうってわかっていた。今だけはその優しさも望んでなかった。はっきり言ってくれてもよかった。教えられてもいないはずの家までやって来るなんておかしいって。

「私に……会いに来てくれたの?」

 少し頬を赤らめた彼女は、うれしそうにも見えた。余計に罪深い気持ちになる。

 俺の気持ちは理緒ほど純粋じゃない。

 本当に好きだった。会いたくて堪らなかった。天気も何も関係ないくらい。

「会いたかった」

 繰り返した俺を見て、理緒は困ったように笑った。

「そう、だったんだ。ありがとう、あの……」

 そして彼女の視線が、小さな手で握り締めた財布へと落ちる。僅かな間があってから、ためらいがちに切り出してきた。

「あのね、彰吾くん。私、お買い物に行くところなんだ。スーパーまで」

 お使いだろうか。俺ははっとして、慌てて応じる。

「ごめん、急いでたんだな」

「あ、ち、違うの。ゆっくりでもいい用事だから。だからね」

 俺を見上げる理緒の表情は明るかった。

「時間よかったら、お買い物に付き合ってくれないかな?」


 うれしいのに、うれしいって顔が出来なかった。

 ただ頷いて、それから呟くように言ったありがとうを、理緒は笑って受け止めてくれた。

 俺は、彼女みたいに優しくはなれない。だけど理緒が好きだった。優しくする余裕すらなくなるくらいに好きで、好きでしょうがなかった。

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