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君が好きだと言ってしまった  作者: 森崎緩
君がいる夏
27/35

閉じ込められて、二人きり

 ぽつん、と不意に、頭に当たった。

「……あ」

 思わず立ち止まって空を見上げる。すっかり雲に覆われた空は、黒ではない、不気味な色をしていた。

 まずいなと思った拍子、もう一つぽつんと落ちてきた。

「降ってきた」

 理緒に告げると、彼女も空を見ているところだった。

「本当……急ごうか、彰吾くん」

 浴衣を着て下駄を履いた理緒を、急がせるのは気が引けた。だけどずぶ濡れになるのはもっとかわいそうだ。楽しかったお祭りの帰り道、お互いの家まではもう少しある。もたもたしていると家に着く前に本降りになるかもしれない。

 俺は慌てて、ずっと避けてきた彼女の手を取る。小さな手は握るのも気が引けるほどだったけど、今はそうも言ってられない。細い手首からぶら下がったヨーヨーが大きく跳ねた。

「あ、ごめんね」

 すかさず理緒は、俺を見て言う。反応の速さに驚かされる。

「え? な、何が?」

「ヨーヨー、ぶつからなかった?」

 理緒がはにかむように笑った。

「大丈夫」

 俺も笑い返そうとしたけど、そうするよりも先に。

 雨の冷たさよりも、ざあっという音の方が早くに来た。

 アスファルトの上がたちまち白っぽい雨粒に覆われる。水銀灯の光の中、降ってくる雨の真っ直ぐな筋が見えた。

「わっ、急に来ちゃった」

 理緒の声が遠く聞こえた。雨音に閉じ込められて、傍の声さえよく聞こえない。

 俺は辺りを見回して、シャッターの閉まった商店の、暗い軒先を発見する。雨宿りするならそこくらいしか見当たらない。家まで走っていくのは厳しい。選択肢は一つきりだった。

「理緒、あそこへ行こう」

 彼女の手首を握って、その商店まで駆けていく。理緒はよろけながらも転ばず、ちゃんとついてきた。雨をしのげる軒先へ飛び込むと、お互いに溜息が出た。

「酷い降りになっちゃったな」

「うん。弱まるまで、雨宿りしていこう」

 前髪から雫を落として、理緒が頷く。結局濡れてしまったなと、どうすることも出来ないくせに申し訳なく思う。


 ざあざあと派手な音を立てて、雨はしばらく降り続いていた。

「彰吾くん、これ使って」

 理緒が差し出してきたのは、子犬の柄のハンカチだった。俺が一瞬ためらうと、彼女はすかさず言い添えてくる。

「私、もう一枚持ってるの」

「じゃあ、借りるよ」

 ハンカチを受け取って、俺は雨を浴びた腕や顔を拭く。青いTシャツは水分をたっぷり吸っていて、色が変わったようになっていた。ジーンズが重い。髪まで拭くのは気が引けて、ハンカチを折り畳みながら理緒の様子を見遣る。

 理緒は小鳥の柄のハンカチで、丁寧に額を拭いていた。そこが終わると頬へ、その後は首へとゆっくり降りていく。押さえるような拭き方が、何となく彼女らしいと思う。思わずぼんやり見守ってしまう。首を拭いたハンカチが、次に辿り着くのはどこだろうと思いながら。

 途端、くるりとこちらを向いた。

「……どうかしたの?」

 俺の視線に気付いてか、理緒が小首を傾げてきた。大急ぎで目を逸らす。

「いや、何でも……」

 何でもなかった。本当に。ただぼうっと、眺めてしまっただけだ。

 でもまさか、眺めてたなんて言えない。

「彰吾くん、髪拭いた? 前髪からぽたぽた落ちてるよ」

 こちらの態度に不審を抱かなかったのか、理緒がそう言ってきた。

「拭いてない。ハンカチ、汚れるだろ?」

 つい正直に答えてしまったけど、そう答えたら理緒が首を横に振ることくらい、わかっていた。

「そんなこと気にしなくてもいいのに。少し拭いた方がいいよ。風邪引いちゃう」

「大丈夫だって、夏なんだから」

「駄目だよ。ね、屈んで」

 理緒の言葉を聞いて、俺は畳んだハンカチを手渡した。そして渋々といったそぶりで身を屈める。うれしいのにどこか気の引ける、複雑な気持ちでいっぱいだった。

 小さな手が握るハンカチは、彼女の身体を拭いていた時と同じように、丁寧に俺の髪を拭いてくれた。あまり優しいのでくすぐったいくらいだった。壊れ物みたいな理緒とは違うから、俺のことは乱暴に扱ってくれてもいい。理緒にはきっと、そんなことは出来ないだろうけど。


 雨のせいで視界が悪かった。すぐ先の道さえ見通せないほどだった。雨音も強く、絶え間なく続いている。

 この狭い軒先だけが、雨から切り離され、隔離された空間だった。

 よくある洋画で見るような、鉄格子みたいな雨だと思う。閉じ込められた俺たちは、なかなか外へ出られない。時間ばかりが過ぎていく。

「寒くないか、理緒」

「うん、平気。彰吾くんは?」

「大丈夫。理緒に髪、拭いてもらったから」

 むっと篭もる空気のせいか、寒さはそれほど感じなかった。雨を浴びながら帰ったら案外気持ちいいかもしれない。理緒がいなければ、やるんだけどな。

「せっかくのお祭りだったのに、最後の最後で降っちゃうなんて」

 理緒は心配そうに、雨空を見上げていた。

「ね、彰吾くん。縁日で出てたお店の人たち、大丈夫かな」

「どうだろうな……結構、店じまい始めてる人もいたし、降り出す前に帰れたんじゃないか?」

「だといいな。こんなに降られたら大変だもんね」

 呟く彼女が優しいなと思う。雨に降られて散々で、俺は理緒を気遣う余裕さえなかったっていうのにな。

 俺ももう少し、理緒に優しくなりたい。優しい言葉を告げられるようになりたい。いつでも自分のことだけで精一杯で、なかなかそうはなれないけど――。

「空、明るくなってきたね」

 彼女のそんな言葉を聞いて、安心よりも先に寂しさが過ぎった。

 だからつい、言ってしまう。

「でも、もう少し待とう」

「もう少し?」

「うん。もうちょっと、雨脚が弱まってから」

 雨に閉じ込められていたいとさえ思ってしまう。

 帰らずに済むなら、理緒と二人きりでいられるのなら――そんなことを考える時点で、俺はちっとも優しくなかった。

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