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分かれ道での待ち合わせ

 待ち合わせ場所は、いつもの帰り道の途中だった。

 いつもなら学校の帰り、木谷くんとここでお別れする。新しめできれいな家が並んでいる、静かな住宅街の一角だ。

 背の高いマンションの前の通りを真っすぐ行けば私の家。木谷くんの家は右に曲がった道の先にある。分かれ道の前で手を振り合って、また明日ね、と言う。ここから先は一緒に帰れなくて、ちょっと寂しいけど仕方なく辿る分かれ道だった。

 でも今日は、木谷くんと同じ道を辿ることになる。いつもは先に進めない分かれ道の向こう側へ行ってみる。木谷くんに連れて行ってもらう。

 知らない道と、その先には一体何があるんだろう。やっぱり、どきどきする。


 初めてのデート。その当日になってから、私は急に緊張してきた。

 考えてみたら、男の子の部屋に遊びに行くのも初めてだった。

 木谷くんの部屋はどんなところなんだろう。男の子の部屋って、やっぱり私の部屋みたいなのとは違うんだろうか。それともあんまり、変わらないんだろうか。いろいろ考えてみたけどちっともわからなくて、どきどきが増すばかりだった。

 木谷くんは、家ではどんな子なんだろうな。たぶんどこにいてもいつもみたいにゆったり、のんびりしていそうな気がする。今日はそんな木谷くんと一緒に、私もゆったり、のんびり過ごせたらいいなって思う。

 おしゃれをするのはちょっと恥ずかしくて、友達と遊びに行く時と同じ服を選んだ。お化粧もしていない。制服を着ている時とあまり変わらない私。せっかくのデートなのに準備不足のような気もする。だけどどきどきしすぎて、私はあんまりたくさんのことを考えられなくなっていた。

 こうして木谷くんを待っているのもすごく緊張する。木谷くんが来たら、きっともっと緊張してしまうと思う。

 だけど早く来てほしい。

 早く会いたいなって、すごく強く思っている。


「――並川さん」

 声を掛けられて、私はようやく、私に落ちてきた長い影に気づく。

 はっと顔を上げたら、制服姿じゃない木谷くんがすぐ目の前にいた。

 灰色のセーターにジーンズの、落ち着いた服装だった。高い位置にある顔はちょっとはにかんでいた。私を見下ろして、静かに口を開いた。

「おはよう」

「お、おはよう……」

 私はびっくりして、震えるような声を立てる。

 気配にも足音にも全然気づけなくって、どこかから急に木谷くんが現れたような感覚を覚えた。

「待たせてごめん」

 木谷くんはそう言うと、ふうと大きく息をついた。

「並川さん、もしかして早めに来てた?」

「うん、あの、ちょっとだけ……早めに来たの」

 心臓のどきどきが速くなる。心臓の音が外にまで聞こえてしまいそうで、答えた後で口を噤んだ。

 私よりもずっと落ち着いた様子の木谷くんが、優しく笑った。

「やっぱり。俺、けっこう早くに出てきたつもりだったんだけど、並川さんがもう来てたからびっくりした」

 きっと、木谷くんは緊張してないんだろうな。いつもと同じように見える。服装だけは制服姿と違って、見慣れない私服だったけど、それ以外は何も変わりのない木谷くんだった。

 私なんて緊張して、がちがちなのに。

「じゃあ、行こうか」

 木谷くんが、分かれ道の向こう側を指し示した。

 行ったことのない道の先には、あまり見慣れない町並みが続いている。

「ちょっとだけ歩くけど、そんなに遠くないよ」

「うん」

 私が頷くと、それが合図になったみたいに、お互いにゆっくり歩き出した。


 この辺りは新しい家がたくさん建っていて、でも似たような家も多いからか道が覚えにくくできている。一本違う道路に入るとたちまち方向がわからなくなる。この住宅街で暮らしてからもう何年も経つけど、木谷くんと歩く道は見覚えのまるでない、初めて通る道だった。

 背の低い家、背の高いマンション、小さな喫茶店、塀に囲まれた大きなお屋敷。知らない町並みを歩いていくのはちょっとだけ心細い。私は木谷くんの隣で、きょろきょろしながら歩いた。木谷くんはいつもどおり落ち着いた、ゆったりした歩き方だった。

「こっちの方、珍しい?」

 あんまりきょろきょろしていたせいだろうか。不思議そうに木谷くんが聞いてきて、私は恥ずかしくなる。

「来たこと、そんなになかったから」

 ぼそぼそ、独り言みたいに答える。木谷くんが隣で少し笑う。

「そうだったんだ。この辺りって、道わかりにくいもんな」

「うん」

 そのせいで私、あんまりあちこち出歩くことがない。友達と遊びに行く時はバスに乗って駅前まで出るし、学校へ行く時はいつも同じ道を通っている。

「家庭訪問の時が大変なんだ。先生が道に迷っちゃって、毎年電話掛けてくる。迎えに来てくれって言ってさ」

 木谷くんはそう言って、また笑った。

 私もつられて笑いながら、うちの場合はどうだったかなと考えてみる。迎えに来てとまでは言われたことなかったけど、先生が時間に遅れてきちゃったことはあったかな。

「並川さんも、道、一回で覚えるのは大変だと思うけど」

 ふと、木谷くんが私を見る。首を傾げて、照れたようにしながら。

「何回か歩けば、すぐ覚えられるよ」

「……うん」

 そうだといいな、なんて思いながら頷いて、その後でふと気づく。

 何回か歩けば――ってことは、今日だけじゃなく、また今度も連れて行ってくれるってことなのかな。覚えてしまうくらい何回も行っていいんだろうか。

 その言葉をどう受け取っていいのかわからなくて、私は思わずうつむいた。

 すると、

「今日の並川さん、いつもと違うみたいだ」

 不意に木谷くんが、そんなことを言った。

 制服を着ていないだけで、特別おめかしもしていないのに。雑誌のモデルさんみたいにきれいじゃないし、お化粧もしていないし、ちっとも変わらない私のはずなのに。

「そ、そうかな……どこか、変?」

 顔を上げて、恐る恐る聞いてみた。

 木谷くんは目を逸らすように道の先を見て、少しの間黙った。何か考えているのか、迷っているのか、わからないくらいの間があった。

 それから、困っているみたいな横顔で、ぽつりと継いだ。

「かわいいよ。いつもよりずっと」


 びっくり、した。

 私は立ち止まらないようにするのがやっとで、呼吸すら止まってしまいそうで、でも木谷くんの歩く速さについていけるように一生懸命足を動かした。

 可愛いって。木谷くんが、可愛い、だって。

 誰のこと? 私のこと? そんなことちっともない。私、いつもとちっとも変わらない。可愛くしてみたなんてこともないのに、木谷くんはどうしてそう言ってくれたんだろう。そう思ってくれたんだろう。


 でもうれしい。

 うれしい。私、すごく。


「あ」

 私は苦しい息をつきながら、何とか言葉を口にする。

「ありがと……」

 お礼はちゃんと言っておきたかった。

 私、すごくすごくうれしかった。木谷くんがそう言ってくれたことが、今日、これから、木谷くんと一緒に過ごせることが。だから――。

 うつむかないようにしていた。顔を上げて、伝えたかった。

「ありがとう、木谷くん」

 重ねて告げたら、木谷くんは目だけを動かしてこっちを見た。そして照れ笑いを浮かべた。

 私も笑い返そうと思った。恥ずかしがっているのが一目でわかる、真っ赤な顔の笑みになっていたに違いない。だけどそれでも伝わるだろうからよかった。顔を上げていれば伝わるんだから、今日はできるだけずっと、そうしていよう。


 だってせっかくのデートなんだから。

 それも、ただのデートじゃない。初めてのデートなんだ。

 こうして歩きながらでも、木谷くんのこともちゃんと見ていたい。


「あ」

 その時ふと、木谷くんが声を上げた。

 はっとした様子で立ち止まる。そして辺りを見回すと、あわてながら私に言ってきた。

「ご、ごめん、並川さん」

「え?」

「道、通り過ぎた。向こうのマンションなんだ、俺の家」

 木谷くんが指差したのは、今通ってきた道の途中、右に曲がった先に建っている五階建てのマンションだ。私は後ろに振り向いて、それを見た。

 その後で木谷くんを見た。彼は真っ赤な顔で、うつむいた。

「戻ろう。もう、着くから」

「うん……」

 もしかすると木谷くんも緊張してるのかな。

 そう思い当たったのは、来た道を二人で戻り始めた時だった。

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