第8話 己に克つ
先生に勝つ。どうしたって勝つ。
そして、先生を……。
オレは素早く昔の道着に着替えて先生の前に立った。
「審判がおらんからな。試合開始の合図をワシがとるぞ」
「よろしくお願いいたします」
「では、はじめ!」
途端に先生は巨人となる。
だが昔よりも小さい。自分の腕前が上がったということだろうか?
それとも先生もさすがに老いたということだろうか?
先生は無駄に動かない。
オレもそれに合わせた。
誰も見ていない試合。
傍から見れば動きのないつまらないものかもしれない。
だが、この見えない静けさの中、オレたちは殴り合っていた。
互いに頭の中で拳と拳をあわせ、蹴りと蹴りをあわせている。
そして先生はフッとバックステップを切る。
指射が来る。
先生は本気だ。勝ちを譲る気はないのだ。
だがそれが真の格闘家。
オレはそれに勝たねばならない。
「寅道。そなたの負けだ」
先生は呼吸を整え、二本の指を合わせたものを頭の上に振り上げる。
来る。
「きぇぇえええーーーー」
振り下ろされる指。そこから気合いの弾が飛び出す。
オレはそれに突っ込むように前に出て声を張り上げた。
「克!!」
驚いた先生から指射のエネルギーが消える。
指射は統一された精神から発せられる気合いの弾。
単純な竜司にはそれを会得することが容易だったのかもしれない。
オレにはできなかった。
だが、そのエネルギーをかき乱すことを編み出したのだ。
ひるんだ先生に突撃し、みぞおちに拳を当てる。
「ええーーい!!」
先生はそれを受けて転がり、道場の壁に衝突した。
オレは試合を中断して先生に駆け寄った。
「せ、先生」
「寅道。このバカモンが。年寄りのみぞおちを打つとは何事だ」
「す、すいません」
「一本! くくぅぅ~」
先生の小さいからだから発せられた一本の声。
オレの顔が緩む。
「先生。美空さんを私にください!」
「ふん。ワシに勝てる男になら仕方あるまい。連れて行け」
「つきましては先生」
「なんだ」
「先生も余生を私の家で過ごしませんか? 広い家を美空と使い余しております。私が世界を取れるようこれからもご指導ください」
「ほっほっほ。オマエの家にか。そうか。さすがに歳で人が恋しくなった。そうさせてもらおうかのう」
「あ、ありがとうございます」
尊は試合中も目を覚まさなかった。
大きな音でも目を覚まさないなんて大人物だと先生は褒めた。
行きは二人。帰りは三人。
オレたちは車に乗り込んだ。家では美空が待っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
白井 尊は後に、高祖父から修行を受け、世界最強の空手家となった。
しかし、その高祖父、百木 魚心はそれを見ることなく、92歳の時、近内家の一室において孫と曾孫、二人の愛弟子に見守られながらその生涯を閉じたのであった。