第十七話 しがない義兄②
私とお兄ちゃんがはじめて顔を合わせたのはお互いがまだ小学生の頃だった。
「今日から一緒に暮らすことになった類君と、これからは二人のお母さんになる優子さんだ。千尋、挨拶しなさい」
「・・・・・・初めまして。千尋っていい、ます」
最初は凄く恥ずかしくて、直ぐに父の背中に隠れてしまった。でもお兄ちゃんは、
「九条類です。えーっと、千尋? よろしくな」
特に何か恥ずかしがるわけでもなく、屈託のない笑顔で私に挨拶をした。きっとこの瞬間から私は―――
四人家族になってから、私の生活は大きく変わった。
いつも家にいるときは一人で本を読んだり、テレビを見たりしていたけれど、
「なあなあ千尋暇? なんか遊ぼうぜ!」
「千尋千尋! 宿題一緒にやろうよ! でも兄ちゃんには答えとか聞くなよ俺バカだからわかんねぇんだ!」
「千尋聞いてくれよぉ~兄ちゃん今日学校の体育でやったバスケで相手に二点差で負けたんだよぉ~。めちゃくちゃ悔しかった~」
家族が増えてからはいつもいつもお兄ちゃんが隣に居てくれた。
お父さんは仕事が忙しいなかでも私の相手をしていてくれたけど、それでも疲れているのは子供心ながらに察していたから私は迷惑がかからないようにしていた。
だから、こうやって側に居てくれる存在が私にとってはかけがえがなく大事だった。
「仕方ないなぁ、お兄ちゃんは・・・・・・」
私がいないとダメなんだから。
お兄ちゃんと過ごす日常は本当にいつもキラキラしていて楽しくて、いつまでもこんな日が続いたらと思っていた。
私が小学生高学年になるくらいからだろうか、中学生になった兄さんは多種多様な習い事や趣味を持ち始めていた。
習い事でいうならスポーツだと野球やサッカー、剣道にバスケにバレーに陸上競技、といった具合で芸術系だとピアノや書道など。会ったときから兄さんはどこか負けず嫌いなところがあって、どんなことでも一番にならないと気がすまない性格だった。
この性格がただの口だけというか、気の迷いとかそういうものであれば最終的には現実を知って諦めというものを知るのだけれど兄さんはやったら大抵は出来てしまう人だった。
だから諦めというものを知らない。限界は知っているくせにだ。むしろ兄さんは自分が満足したら、簡単に物事に区切りをつけてやめてしまう。だからこそ自分の限界をかなり低く見ている節があった。
故に諦めることの絶望と挫折を兄さんは知らない。ちなみに私は小学生の癖にその時期からあった女子特有のスクールカーストによってそういうものを全部知っていた。
そして、ある日のことだ。
小学校から帰ると、中学校の制服でソファーに顔を埋めながら泣きじゃくっている兄さんがいた。
「ちくしょう・・・・・・ちくしょう・・・・・・!」
「に、兄さん? どうしたの、何かあったの?」
「千尋ぉ・・・・・・! 聞いてくれよぉぉぉぉぉ!」
話によると、兄さんは中学のとある友人にゲームで負けたらしい。それもそのはずだ、兄さんは昔から今時の子供らしくなくゲームというものを一切やってこなかった。というよりもゲームなんてする暇がなかった。
何時なんどきであろうと習い事の練習とかしていたし少しでも暇になると私と一緒に遊んだりしてくれていた。
そんな兄さんがゲーム機でゲームを、なんてしている時間はなかったんだ。
「美咲のやつ俺が下手くそだからって何が「片手でやってあげようか?」だよ! くそぉぉぉ!」
「兄さん落ち着いて、そんなに怒らなくても」
今思い出せばあれほど悔しそうにしている兄さんを見たのは初めてだった。
「・・・・・・よし、決めた。なあ千尋、俺決めたよ」
「決めたって何が?」
「俺さゲームとかやったことないじゃん」
「うん、まあこの家にはそもそもゲーム機とかないし」
「でもゲームの練習しないと勝てないじゃん」
「確かにそうだねそれで兄さんは、どうするの?」
「俺・・・・・・プロゲーマーになるよ」
「え?」
それからというもの、兄さんは人が変わったようにゲームにのめり込んでいった。貯めていたお年玉で何十万もするゲーミングPCっていうゲーム専用のパソコンと色々なゲーム機を買って、ただひたすらに練習に練習。遊びなんて一切なく、そこにあったのは純粋な勝利への欲求だけだった。
そして気づいた頃には兄さんを負かした人を兄さんは何十倍にもして負かし返した。そしてついに、
「千尋聞いてくれ! 俺プロゲーマーになったんだ!」
大会で優勝した兄さんは見事にプロゲーマーのジュニアライセンスを獲得し、プロゲーマーになった。
このときの私は「いつもみたいに辞めちゃうのかな?」なんて思っていたけれど、
「今度さ、パズルゲームの大会があるんだ! 見ててくれよ千尋、絶対優勝するからさ」
「うん、頑張ってね・・・・・・」
この時、私は素直に兄さんを応援することが出来なかった。
「・・・・・・」
パズルゲームの大会から一週間、兄さんは廃人のようになってしまった。ゲーム廃人ってそういうことじゃないと思う。
いつものように兄さんは私に事情を話すことはせずに、何かするわけでもなくただボーッとしていた。学校から帰ってきたらリビングで、自室で、時には玄関で、何もせずにただボーッと。
そしてある日、
「勝たなくちゃな・・・・・・」
そんな一言で、兄さんは部屋に引きこもりがちになった。
そして私が中学生に、兄さんが高校生になった頃だ。
「兄さん、私今度中学の生徒会に入ることに・・・・・・」
「そうか、すごいな」
「兄さん、テストで一位に・・・・・・」
「すごいな、ごめん千尋俺今忙しいんだ」
兄さんと私はまともに会話することがなくなった。
兄さんがプロゲーマーになってからというもの私の孤独の時間はまた増えていった。
この年頃の娘を下手に構うことが出来ない両親を気遣い私はお父さんとお母さんに対して遠慮がちな態度をとるようになり、学校でも生徒会なんてものに入ってしまったから真面目に行動しなくてはいけなくなった。
次第に私は、自分がわからなくなっていった。
そんな時だ。私はあることに気づいた。
今兄さんはゲームで一番になりたくて頑張っているんだ。でも私が居ると兄さんに気を遣わせてしまう。ならばせめて、他人のように振る舞おう。自己犠牲、というのは違うけれど今は我慢しよう。
そうすれば前の、いつもの兄さんが戻ってきてくれる。なにより他人行儀で生活すれば兄さんは私のことを妹と思わなくなるかもしれないし、もしかしたら・・・・・・
どうせなら兄さん、なんて呼ばないでもっとわざとらしく他人のように。
話し方も変えよう。学校で生徒会に居るときみたいに敬語で話そう。
兄と距離をとるようになってから二年。私は中学三年生、兄は高校三年生。お互いが受験などを考える年になった。
そんなある日のことだ。町である張り紙を見かけた。
『サバゲー大会! 参加者募集中!!」
何を思ったのか私は、そのサバゲーの大会に参加することにした。ルールをネットで知った程度の私に、なにかできるわけでもないだろう。でもたまの気晴らしにはちょうどいいかもと、
「ヒット! くっそやるじゃんか」
「え・・・・・・?」
買ったばかりの真新しい迷彩服にタクティカルゴーグル、値段がいい感じだった「AKー47」のエアガンで、参加者二十名程の大会で偶然にも優勝した。
優勝賞品として私がもらったものは――――――
「それでは自己紹介をお願いしますね」
「わかりました。九条千尋、サバゲーの大会で優勝して一般人枠としてこのVRゲームのテストプレイヤーに選ばれました。プロゲーマーのお二人には敵わないと思いますがよろしくお願いいたします」
「そうか君が一般枠の、ルイくん知っていたのか?」
「・・・・・・」
ポカーン、と口を開けて兄は突っ立っている。
そしてようやく喋ったかと思ったら、
「なんでお前がここにいるんだよぉぉぉ!?」
慌てる兄を見て、不覚にも私はニヤリと頬が上がった気がした。