元旦の出来事
悪い予兆っていうものについて、考えるときが必ずくる。
それがどういう形をとっているか、それを知るのはすべてが終わったあとのことだ。
これもよくある話の一つだと思っていい。おれにもそういう話のストックがある。
おれは気がつくべきだった。何に?そしてそれをどうやって防ぐんだ?
そう、こういう種類の出来事のポイントは、いつも運命と神と偶然がつくった歪なかたちのディルドが俺の予約席に固定されてあるってことだ。
まあ聞いてくれ。それは元旦のことだった。
おれは例のごとくクソ田舎道を散歩していた。おれはいつもクソ田舎道を散歩している。小奇麗な街をジョギングするんじゃない。見晴らしいのいいカフェで放心するのでもない。山頭火のように砂利を踏みしめながら、田舎道を転げまわるのが好きなんだ。
とにかく、その日は、いつもの田舎道じゃなく、用事でさらに田舎の山奥の盆地にきてたわけだから、さらにさらに田舎道を歩いていた。世界の道の9割は田舎道だ。田舎道にはなにがある?家と店と駅だ。俺がいた田舎道も田んぼの間にそういうのがポツンポツンとあった。
元旦の午前の太陽は新年の陽気と穏やかさをもって田舎道を照らしていた。
そこでおれは、その時自分の目に飛び込んできたものを信じることができなかった。
まさか、何かの啓示だろう。そうとしか考えられなかった。
おれの歩いていた道のすぐ脇から、デニムのミニホットパンツを履いて、ケツの肉を3分の一出して歩く若い女が現れたんだ。
こんなクソ田舎になぜ?
そしてなぜおれの前なんだ?
元旦だぞ?
おれは警戒しながら慎重に後をつけた。
女は砂利道を高いヒールで慎重に歩いた。
そしてほどなく、クソ田舎駅にたどり着いた。
このクソ田舎駅は古井木造の待合室と自動券売機がおいてあるだけの小さなものだった。
こんな小さい駅をこのアマゾネスは使うのか?毎朝、目立ちすぎるのじゃないか?
女は待合室を通り過ぎ、外の電話ボックスのトビラに自分の全身を写し化粧直しを始めた。
おれは注意深く女の太ももの筋肉を見ながら作戦を考えた。
ある精神科医はおれのIQは120ほどあると言っていた。
つまりおれの頭をどうにかうまく使えば、このアマゾネスと楽しいことができるかも知れないと思ったんだ。
人間の驕りは罪だ。でも今日は元旦だった。おれは自分のために今日を吉日にする必要があった。
俺は模造の一万円札を数枚、ポケットの取り出しやすい場所にいれて、ゆっくりと女に近づいた。
すみません、ライターありますか?
おれの言葉のイントネーションは旅人らしい、無邪気なものだったと思う。
女は黒い瞳で俺を見た。
おれを見て、そしてなにも言わなかった。
IQ120の俺の脳みそは思った。しまった、この女はフィリピーナだったか?それならある種の説明はつく。幸いなことにおれは3国語話すことができた。
おれはライターを擦るジェスチャーとともにファイヤー?、とまさに口に出そうとした瞬間、女はくるりと後ろを向き、軽やかに待合室に入っていった。
あまりの自然な動きに今度は俺がなにも言えなくなった。
おれは20秒ほど女が待合室の中の人間に火を借りに行ったのだと本気で思っていた。おれはなぜ自分がIQというものを信用していないか忘れていたんだ。
女は言うまでもなく戻ってこなかった。
女は待合室の古いベンチの年輪のようなババアと一緒にこっちを見ていた。やがて、クソ田舎駅に一車両だけの玩具のような電車がきて、待合室には誰もいなくなった。
その時おれは、待合室の古いベンチに座り、考えざるおえなかった。
運命と偶然について。
つまり悪り予兆のことを。