桜色の夏に微睡みたい
列車に乗っていた。
誰もいない列車に一人。
出発もしていなかった。
扉は開いていて、直ぐにでも降りられた。けど、自分は此処で降りたらいけない気がして、降りようとは思わなかった。
座席に座って動かない車窓を眺めた。
暫くそうしているとプシュ、と空気が抜けるような音がして列車が動き始めた。
動き出した車窓と共に、心音は高鳴っていく。
興奮?いや、焦燥。
『本当に、降りなくて良かったのか』
慌てて過ぎ去る駅のホームに追い縋るように窓に張り付いた。
無情にも列車は止まらない。だって、一度出発してしまったのだから。その場に留まることは出来ても後退なんてしないだろう。その場に留まることだって、普通はし
ない。
次のホームまで、止まらない。
正確には、次のホームで一時停車をしてから終着駅でやっと、本当に止まる。
先程の自分は何故降りたらいけないと思ったのか。今は不思議な程に降りたいと思う。
一番後ろまで、時折揺れる車内でよろけながら走った。
大きめの、列車らしい最後尾の大きな窓硝子に張り付いて、遠のいていく駅のホームを追い縋る様に見た。
直ぐに見えなくなって移ろう景色が視界を通り過ぎて行った。
ふと、通った後の線路が無いことに気が付いた。
自分の乗っている列車が通り過ぎると、砂の様になって形を崩していた。
さらさら、さらさら。
きっと、ほんとうの一番最後の車輪が滑り、通り過ぎた瞬間から崩壊していくのだろう。粒は、不格好に線路らしきカタチの名残を残しながらも表面を風に攫われていた。
ふと、下を向いていた顔を上げると周りは砂が全ての世界になっていた。
驚いて一両だけ戻って窓に張り付いた。
普通の、何の変哲もない景色。民家、木、鉄網、車、、、、、
確かにあった。なのに今は通り過ぎて、全て砂になってしまった。
空は鈍色。
自分のいた世界の面影は何も残っていなかった。
──この列車が止まれば、全て解決する?
唐突にそう思った。
自分が列車から降りて、元のホームまで戻れば……
__戻れたとして、ホームがあるかどうかすらも分からないのに。
車掌室に、この列車を運転する人がいるのだろうか。この列車には自分一人しか乗っていないのに、少し希望を持ってしまう。
全ての車両を回った訳では無いのに、乗車している客は自分しかいないのだと、そう、分かっていた。
ではこの列車は誰のものなのだろう。電車とはこうやって閉じ込めて、自分の望みもしない場所へ連れ去って行くのだろうか。"行先不明の不安な路線"そうとしか思えなかった。
果たして車掌はいるのか。
自分をこんな目に合わせた犯人を一目見るため。列車を止めるため。次はよろけないように注意しながら走った。
車両ごとに自分を阻む扉にやきもきしながら、体当たりをするように最前の車両の扉を開け、中に侵入した。
遠目から見ても人影は見えなかった。
絶望感を抱きながらも車掌室の扉を引く手を止めなかった。
開くのか。
普通、車掌のいる場所は開かないのではなかったか。
まあ、遠目で確認した通り誰もいなかったのだ。閉める人すらもいないのだろう。
では、この列車は誰が運転しているのだろうか。貨物列車のように遠隔操作されているのだろうか。
誰の意思も介入すること無く、安全な最短ルートを線路に導かれるまま、走行する。
しかし、それだと不自然な点があった。
カーブでさえ、スピードを落とさないのだ。それだと安全とは言えない。曲がり切れずに線路から車輪が外れて横転、なんて笑えない。つまり制御し切れていない。壊れているのだろうか。
しかし、そうだとしても安全装置が働いて止められるのではないか。
"何か"から追われているかの様に列車は速さを落とさない。
しかし乗車している自分も、目の前の何処かにブレーキがあるはずなのに、何処なのか分からなかった。
今も、走り切った線路は砂になっているのだろうか。
どうやったって止まれない事を、戻れない事から、目を逸らしたかった。
×××
何をする訳でもなく車掌が座るべき座席に座って風を切る様子を眺めていた。
砂が当たって硝子が曇っていたのにいつの間に止み、ワイパーが動いて硝子も綺麗に拭かれた。
視界は良好。
前方には駅のホームが近付いてきていた。
此処で、降りて戻ろうか。下りの列車はあるだろうか。
ぼんやりとそう考えていた。
引き返して、一両目のドアの前へ立ち、今か今かと待っていた。
しかし、開かない。
どうして?
反対側は当然開かない。下りの列車が通る線路の筈だ。降りるべきホームは無い。振り向くと、青が広がっていた。
言葉を失った。絶句とも言う。
広大な、海。下りの線路は何処にも無かった。もしかしたら砂漠の時点で消えてしまっていたのかもしれない。いや、そもそも無かったのかもしれない。
……砂漠の次は海か。
こうも現実離れしていると夢なのではないかと思ってしまう。いや、夢の中にしか存在しない世界なのかもしれない。
ポツンと、ホームは白い砂の上に建っていた。透明度の高い透き通った海水。緩やかな波の満ち引きが砂を攫っては戻し、遠くに運び遠くから持ち寄る。
線路は塩水で錆びないのだろうか。
咄嗟に浮かんだ疑問といえばそれだけだった。いや、他にももっと根本的な疑問はあるのだが、考えるのが無駄だ。
はたして、このホームに降りられたとすると、自分は此処ではきっと生きていけないのだろう。過酷過ぎる。
あの海のど真ん中にあるホームに降りようとは今は到底思えなかった。
プシュ、という音と共に列車はまたも動き出した。
次は、風だけでなく水を押しのけ引き摺る音を連れて。
速度が上がるにつれ、波が列車の壁にぶつかり、窓へ飛沫を飛ばす。
砂漠より断然良い。虚しさは無くなった。
魚が游ぎ、海鳥が風を凪ぐ。車窓は無味乾燥では無くなった。
思わず窓を押し上げた。ベタつく風が今は好ましい。カタチを持たない現象が存在を主張している。
海と風から生命の匂いを感じる。
青い空と海の青が何処までも広がって気持ちいい。空間と水の境界が見えないのは当たり前なのにとても珍しく感じた。
飛沫がキラキラ輝いていた。
一体、何処を目指して列車は快走しているのやら。
きっと今の自分には分からない。
夢だというのに、妙にリアルな感覚を覚えた。
まあでも、起きたらベッドの上で、また同じ日常が始まるのだろう。
「まだ、寝ていたいな」
夢の中で微睡みは感じられないけど、きっと私は微睡んでいる。
まだ夢を見ていたい。そう思った。
今の私はこの作品をこれ以上添削しようと思えないです。
今の私も拙い文しか書けないのですが、高校生最後の作品として未完成のまま持っていたいです。