ファイル.6
「横山さん! 横山さん!」
遠くから聞き覚えのある声で僕の名前を呼ぶ人がいた。重たい瞼を開く。
「ひら……やまさん……」
「あ! 横山さん! よかった!」
目を覚ました僕に彼女は強く抱きしめた。
「痛っ! 痛いですよ……平山さん」
思ったよりも強く抱きしめられたため、倒れた時にぶつけたところが痛く感じる。同時に意識も戻った。
「ホテルに戻る道で横山さんが倒れてるのをエドワードが見つけてくれたんですよ! どうしたんですか?」
「それが……誰かにいきなり後ろから布を被らせて……」
倒れる直前のことを思い出そうとしたが、意識が遠くなっていったため犯人の顔を見ていなかった。
「どうして横山さんを……あなたを狙った犯人は今回の事件になにか関係あるのでしょうか?」
「分かりません。ですが用意周到な犯人です。その布に薬品を湿らせてたので」
思い出せる範囲であの時の状況を説明した。確かに布は湿っていた。それは覚えている。
「クロロホルム……ですね。嗅ぐと眠気がさす薬品です。計画的に狙ったと思いますね」
彼女の言う通り、突発的に狙うのであればそんなものを用意することはできない。それは僕でも分かった。
「だとしたら何故僕を狙ったのでしょうか? 観光客を狙う理由は……」
「もしかしたら……」
彼女が何かを言おうとした時、部屋のドアが開いた。
「目を覚ましたかい?」
「エドワードさん……」
エドワードが水を持って部屋に入っていく。
「はい。ありがとうございます。エドワードさんが助けてくれたらしいですね。感謝してます」
「No problem! ミスター・ヨコヤマが無事でよかったよ。さあ、これを飲みな」
エドワードは僕に水を渡し近くの椅子に座る。
「それより、ミスター・ヨコヤマを狙ったそいつの顔は覚えてないのかい?
「それが……顔を見る前に眠らされてしまって……」
「エドワード。過去に観光客を狙った事件はありますか?」
彼女がエドワードに聞くと、エドワードは静かに首を横に振り答えた。
「いや、そんな事件、今までに聞いたことがない。異例な事件だよ」
「そうですか……」
「とりあえず、これからは気をつけるといいよ。それと怪しい男を見かけたらすぐに僕かマスカレード警部に連絡してくれ」
エドワードがそう言うと部屋を出ていった。それを見送った彼女はなにやら思いつめた顔をしている。
「どうしたんですか?平山さん」
「いや、なんでもないですよ。横山さん、私と離れた時になにか違和感はありませんでしたか?」
「違和感……ですか?そんな感じはありませんでしたけど……」
エドワードに渡された水を飲み干しベッドから降りる。その時、ポケットに入っていた手紙が床に落ちた。
「あ……」
「これはなんですか?」
彼女が手紙を拾うと僕に聞いてきた。
「エドワードから渡されたんです。会社に届いたらしいですよ」
「LAST MYSTRY……最後の事件……」
彼女が文を読むと、突然机にあったメモを一枚破きなにかを書き込んだ。
「なにやってるんですか?」
「最初に殺害されたのはナショナルギャラリー。その次は大英博物館……次がビッグベン。そして四番目はここのホテルの近くのウィンザー城……」
彼女が事件の起きた場所を書き込むと、膝を曲げホームズと同じ体勢で椅子に座る。僕は彼女のことをじっと見つめ、何かを閃くのを待っていた。しばらくすると彼女はスッと椅子から立ち上がり何処かへ向かった。
「何かわかったですか?」
「いえ、お手洗いです」
なんだよ……と言いたいところだが、今はつっこむ場合ではない。少なくとももう一人殺される。早い所犯人を突き止めなくちゃいけない。文字通り僕たちは焦っていた。
彼女が手洗いから戻り、気分転換に僕たちは外に出た。事件が起きてると言うのに、ロンドンの街は変わらず賑やかだ。
「ジャックザリッパー……通称切り裂きジャックと呼ばれてますよね。あれってなんでそう呼ばれてるか分かりますか?」
突如彼女が僕に聞く。僕は分からなかったためその理由を聞いた。
「ジャックとは名前の分からない男性のことを言うんです。そして被害者が刺殺されてることから切り裂きジャックという名前が広まったんですよ」
「なるほど……では今回の犯人も男性だと?」
「おそらく……」
歩いてると、携帯が鳴ってることに気がつく。
「この番号はエドワードですね。もしもし」
『hey! ミスター・ヨコヤマかい? 大変だ! また被害者が出た! 今すぐテムズ川に来てくれ!』
「わかりました!」
エドワードの電話を切り、僕たちはロンドン塔に向かった。
テムズ川に着くと、マスカレード警部とエドワードが既に現場にいた。
「Japanese Detective! come on! 」
マスカレード警部の言われ、指をさした場所を見ると、8と書かれた数字が書いてある。
「また8ですか……なんの数字なんでしょうかね」
「I don't know. だが、これ以上被害者を出すわけにはいかない。何としてでもこの事件を解決しなくては……」
エドワード僕らを見て答えた。
「エドワード……あなたに聞きたいことがあるのですが……」
彼女が聞こうとした時、マスカレード警部が僕らを呼ぶ。
「Japanese Detective!」
「マスカレード警部が呼んでるぞ」
不審な顔をしながらも彼女はマスカレード警部のところに向かう。
「ミスター・ヨコヤマ。彼女はこの事件を解決することはできるのかい?」
「え? 分かりません。ですがワトソンとして今まで近くで見てきましたが、彼女は素晴らしい探偵です」
「ワトスン? ハハハ!君がワトスンならあの子はホームズということか! ならお手並み拝見といこうじゃないか! 僕らが敬愛するシャーロックホームズの名にふさわしいか」
不敵に笑うエドワードの顔は怖く感じてしまった。
「横山さん。マスカレード警部から新しい情報を聞いたんですが、今回の事件で初めて目撃者がいたんだそうです」
「目撃者?」
「はい。殺害されるところは見てないらしいのですが、そこにいた怪しい人がこう呟いたそうです……“when you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.” 『不可能なものを除外していき、例えそれがどんなにありえないことでも事実である』……シャーロックホームズに出てくるセリフです」
「犯人は意外な人物……ってことでしょうかね……?」
僕が聞こうとした時、彼女は現場を離れていった。
「平山さん? どこ行かれるんですか?」
「今回の事件を解決する前に少し寄りたいところがあります」
彼女の言葉は自信満々でそして真剣な表情で僕に答えた。
彼女に連れられ、やがて着いた所はハイドパークだった。
「何故ここに?」
「ここはホームズがワトスンと散歩した場所なんです。一度来てみたかったんですよ」
なにも答えることができなかった。彼女を見ると、 分かったのかもしれない。今回の連続殺人事件が……。
「やっと来ましたね。まさかあなたが犯人だとは」
後ろから足跡が聞こえた。振り返るとそこに立っていたのは……
「エドワード……さん?」
「Waht? いきなりここに呼び出してなにを言ってんだい?」
エドワードは困った顔で答える。彼女は手を後ろに組み今回の事件のあらましを説明した。
「連続殺人事件……通称ジャックザリッパー事件。被害者は五人の女性。そして謎の数字……私たちはその数字に酷く悩まされました。そして、その数字の意味がようやく分かったのです」
「説明してもらおうじゃないか。ミス・ヒラヤマ……いや、ジャパニーズホームズちゃん」
「最初に殺された女性に書かれたと言った数字は12。次に起きた事件の数字は9でその次は2。その次は4。そして最後は8でした。一見なにも関連性のない数字……ですが、これは自己顕示欲の強い犯人からのメッセージだとしたら……」
「メッセージだと?」
「そう……これは数字のみでは解決できない事件でした。殺された場所と組み合わせることで初めて犯人に導き出せる」
彼女は手に先ほど書いていた紙を持ち説明し始める。
「現場を順番に言うと、ナショナルギャラリー、大英博物館、ビッグベン、ウィンザー城、テムズ川です。それらを英文字にし、それぞれの数字の部分のスペルを並べると……」
「The national Galleryの十二番目はGで、その次の大英博物館……英語でBritish MuscnmだからU……。三番目のBig BenはIで四番目のWindsor CastleはDで……」
読み上げていると、ある英単語が浮かび上がってきた。
「テムズ川のスペルは、The Thamesです。その八番目はEとなります。出てきた英語を繋ぎ合わせると……」
「Guide……案内……」
「案内士であるエドワードのことです。今思えばあなたの行動や発言はおかしい部分が多々ありました。やけに事件に詳しいこと。見ていないあなたが何故横山さんを襲った犯人が男だと断定できたのか……」
エドワードはなにも言わずただ下を向いていた。そして小さくエドワードが笑いだす。
「ハハハ……さすが探偵と名乗っただけあるな。若いのに良い推理力のお持ちだ。僕からのメッセージを読み取れたのは君だけだよ。ミス・ヒラヤマホームズ。そうだ。僕がこの事件の犯人さ!」
「エドワードさん……どうして?」
「どうして? 君はワトスンと違って随分マヌケのようだね。簡単なことだ。ゲームさ」
「ゲーム……だと?」
豹変したエドワードがこちらに一歩ずつ歩み寄ってきた。
「この仕事をしているとね、やれホームズだ。やれコナンドイルだとそれしか言わない観光客が大勢来る。もちろん君も例外ではないさ。もっとロンドンの良いところはたくさんあるだろう! 何故そこに行かないんだ! 僕が悩んだ末に導いた答えは、事件現場に観光名所を使い、お客を呼ぼうとしたのさ! ジャックザリッパーの名を語ってね。どうだ? 回った場所はどれも良いところだっただろう?」
「何が観光名所ですか! あなたは自分でその場所を汚したんですよ! そんなくだらない理由で人を殺めるなんて最低です!」
「お喋りはここまでだ。ジャパニーズホームズ。シャーロックホームズも言ってるだろう? 神様はなんでこうも弱い人間に悪戯をするのだろうとな」
エドワードの手には拳銃が握られていた。そしてその銃口は彼女の方に向けられる。
「あなたみたいな人がホームズのセリフを言う資格はありません! あなたは何者でもない殺人犯です!」
「だったらどうする? 君たちにはなにも勝ち目はないのだよ」
殺気立ててた彼女の目は消え、静かに目を瞑っていた。
「君を確実に破滅させることができるのであれば、公共の利益の為に僕は喜んで死を受け入れよう……」
彼女がその言葉を言うと、どこから手に入れたのか右手に拳銃を持っていた。
「平山さん!」
「ごめんなさい横山さん。先ほどマスカレード警部に護身用に持たされました。まさかこんなところで使うとは……平山探偵最後の事件としてあなたと共に死ぬ覚悟はできていますよ」
「さらばだ。ミス・ヒラヤマ」
「平山さーーんーー!!」
そして二つの銃声が鳴り響く。反射的に目を瞑ってしまった僕は、何秒かして目を開けた。
「ヒラヤマさん……?」
「横山さん? あれ? 生きてる?」
彼女はおろかエドワードも立っていた。
「ふふふ……ハハハ! おめでとう! ミス・ヒラヤマ!」
「どういうことですか!? エドワード」
なにがなんだか分からず二人は呆然としていた。
「僕からの挑戦状、楽しんでくれたかな?」
「え?」
「Hey! Japanese Detective!」
後ろから突然マスカレード警部が現れた。
「マスカレード警部?」
「ああ……その人は警部じゃなくて僕と同じ観光案内士だよ。シャーロキアンの君らを楽しんでくれるイベントだったわけさ!」
「じゃあ……あの殺害とかは……」
エドワードとマスカレード警部……?が笑う。
「Yes! あれも嘘! シャーロックホームズの地で事件を解決してもらって、同時に観光させるものだったのさ!」
僕と彼女は疲れたのか、その場で崩れてしまった。
「Oh...Sorry.どうだった? 僕らが考えた謎は楽しめたかい?」
「まあ……ホームズになりきることはできましたけど……」
彼女の顔はやるせない顔になってた。僕はただ笑うことしかできない。
「さて! 日本に帰るまでまだ時間はあるかい? 残りの時間、僕らがちゃんと案内しよう! 事件を解決した特典だ」
エドワードに言われるがまま、僕らは色々な観光名所を案内された。最初は不機嫌だった彼女の顔も晴れやかになっていき最後には笑顔が戻っていた。そして最終日。ヒースロー空港にエドワードとマスカレード警部と名乗ったマイケル・グラスが見送りに来てくれた。
「色々すまなかったな。ミス・ヒラヤマ&ミスター・ヨコヤマ」
「いえ、楽しめました。ありがとうございました」
僕と彼女は二人にお辞儀をし握手を交わした。
「最後の君のセリフ、ホームズがモリアーティ教授に言ったセリフだったな。カッコよかったよ」
「え、いや、それは……あなたがくれた手紙にLAST MYSTERYって書いてあったのを思い出して言ったので……」
「僕が考えてたシナリオ通りだったよ! グラスが君に拳銃を渡した甲斐があった」
まるで今までの行動が筒抜けだったように話すエドワードは、もしかしたら彼女以上に頭のキレる人なんだろう。そう思ってしまった。
「ミスター・ワトスン。君も色々すまなかったな。リアリティーを増すために薬品を使って眠らせてしまって……」
「もうそれはいいですよエドワード。何度も謝ってくれたじゃないですか」
イベントの後、彼は何度も僕にそのことについて謝ってきた。しつこいぐらいに。
「それと……」
エドワードは僕に耳を貸してくれとジェスチャーをし、彼女が聞こえないぐらいの声で言ってきた。
「彼女……もしかしたら君のこと……」
「え? そりゃないですよ。だって彼女は十九歳。僕の三つ下ですから」
「What!? 19歳だと!?」
そういえば彼女の年齢を言ってなかったな……。驚くエドワードに少し笑ってしまった。
「そろそろ時間ですよ横山さん。行きましょう」
「え!? あ! はい!」
彼女が僕を呼びゲートに向かおうとした。そして振り返り彼女が叫ぶ
「エドワード! グラス! 本当にありがとう! この思い出は忘れないよ!」
「日本でも頑張ってくれ! ホームズ!」
別れの言葉を交わし、僕と彼女は飛行機へ乗っていった。
こうして四日間のロンドン旅行を終え、日本へと帰った。
ちなみに……
「あ……お土産買うの忘れた……」
思い出した時には既に日本に着いていたのは言うまでもなかった。