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ある日の晩、突然彼女から電話が来た。
『もしもし横山さん? 明日から四日間旅行に出かけませんか?』
「旅行ですか?」
嬉しそうに話す彼女の声が受話器からでも分かる。しかし何故唐突に旅行を……。僕がそれを聞くと彼女が待ってましたと言わんばかりに答えた。
『実は前に依頼をしてきた方から連絡がありまして、もしよかったらってチケットをくれたんです! ちょうど二枚あるので横山さんも……。どうですか?』
「なるほど……。ちなみにどこなんですか?」
ふふふ……と密かな笑い声が聞こえ、喜びに満ち溢れた声で彼女が答えた。
『あのかの有名な名探偵の聖地、ロンドンです』
「え?」
彼女の喜びの声と僕の驚きの声は、今も覚えている。
そして、この時はまだ今回の旅行があの最悪な事件に巻き込まれるなどとは、二人は思いもしなかっただろう。
「横山さん! ここ行きたいです!」
飛行機のシートに座った僕らは、早速今回の旅行の計画を立てていた。
「ここはなんですか?」
「ホームズとワトソンが住んでいたベーカー街221Bですよ! まずここに行ってからハイドパークに行きましょう! ホームズとワトソンが散歩した場所です!」
えらくテンションが上がっている彼女を横目に、僕はふっ……と笑ってしまった。
「あ、笑いましたね今! 私がホームズを愛していることは横山さんだって分かってますよね?」
「ああ……ごめんごめん。楽しみです」
「一度は行ってみたかったロンドン……。まりさんに感謝です」
「まりさん?」と、僕は出てきた名前の人物のことを聞いた。
「旅行に行かせてくれた人です! まだ横山さんが事務所に来る前、事務所に来て依頼しに来たんですよ。ただの猫探しだったんですけどね」
「その猫探しの依頼に来た人が、そのお礼として外国行きのチケットを……」
優しい人もいるもんだなと僕は窓を見つめながら考えていた。
「あーー! ここも行きたいです!」
隣では騒がしい十九歳。やっぱり彼女も未成年なんだと笑ってしまった。
イギリスの某空港に着いた僕と彼女は、慣れない英語で現地の人に場所を聞く。一つ一つ見るものにはしゃぐ彼女と、地図を見たり携帯で観光場所などを調べている僕とのテンションは天と地の差ほどあった。
「ここ……バーソロミュー病院ですよ! ワトスンとホームズが最初に出会った場所です!」
「そうなんだ……」
シャーロックホームズの小説をまともに読んだことがなかった僕はついていくことができなかった。それでも彼女が喜んでくれるのであればそれでいいとも思った。
「Hey! Are you a tourist?」
突然後ろから声をかけられた。体が大きい外国人。僕は咄嗟に
「え、えっと……Yes! we are Tourist.」と答えてしまい綴りが合ってるか心配になってしまった。
「Japanese? オーケー! ようこそ! 我が国イギリスへ。日本語話せるから安心して」
「あ……はい。どうも……」
日本語話せるのかよ。と思ったが、やはりここでもツッコミは控えた。
「どこに行くんだい? よかったら案内するよ」
「それだったらあの子に聞いてください。あの子の付き添いなので……」
僕は彼女の方を向き指を指した。彼女は話しかけられてることを気にも止めずにロンドンの街を見渡していた。
「Hey girl! 僕が案内するよ! どこに行きたいのかい?」
「え? あ! 私シャーロックホームズが好きで、彼の聖地に行きたいです」
「オーケー! じゃあまずはホームズの下宿に行こう!」
二人が勝手に決めた計画に僕はただついていくだけだった。
彼はエドワード・フロストと名乗っていた。日本語が話せるのは前に日本に留学として来たときに、ホームステイをしていた家の人に日本語を教えてくれたからだそう。それから母国に帰ったエドワードは通訳案内士として観光案内をしているらしい。
「ミス・ヒラヤマ。君はシャーロキアンとしてホームズのことをどう思う?」
「最高の名探偵だと思います! 私が尊敬する探偵は彼しかいません!」
「ハハハ! いいね! ホームズを愛する人故の答えだ」
二人の会話はとても楽しそうにしていた。だが僕は、そんな二人を見てなにか違和感があった。
「ホームズが実在すれば、未解決事件なんてなかっただろうな……」
ふと、彼女が小さく放った言葉は僕にしか聞こえてなかったのか。エドワードはここが……あそこが……と案内を続けていた。
色々案内をされ、気が付けば時計の針は午前二時を指していた。イギリスでいう午後六時である。途中でエドワードと別れた二人は、夕食を食べに街へと向かった。
「エドワードさん優しかったですね。いい人です」
夕食中、彼女は楽しそうに話していた。
「そうですね。二人とも楽しそうに話してましたしね」
「あれ? 横山さんなんか怒ってます?」
僕の態度に気づいたのか、顔を覗き込んだ彼女。別に……と僕はそれだけ言って目の前の料理を口に運ぶ。
「明日はビッグベンに行きたいです」
「ああ……あの時計塔ですね。行きましょうか」
そっけなく答える僕を、彼女はどんな風に見えてるのだろうか。彼女はそれ以上何も言わなかった。
別々の部屋を用意してもらった僕らは、今回の旅行で初めて一人きりの時間を得ることができた。
「それでは明日。お休みなさい」
「お休みなさい」
バタンと閉めるドア。よっぽど疲れたのか、僕はそのまま眠ってしまった。
それからしばらくして、目が覚めると下宿の外が騒がしいことに気づいた。時計を見たらあれから二時間も経っておらず、外に出てみるとと現地の警察が何人もいる。
「あ、横山さん」
野次馬の中に彼女が立ってるのを見え、僕は駆け寄った。
「平山さんどうしたんですか? この野次馬たちは」
「さあ? 私も今起きたばっかりで……」
「Please don't move!」
警察がなにやら話している。寝起きのためか、はたまた普通に分からないのか英語の意味がうまく聞き取れなかった。
「どうやら動かないでって言ったらしいですよ」
耳打ちをする彼女の顔は何故か微笑んでいた。
「Sorry! sorry! 」
野次馬の中から見覚えのある顔が出てくる。エドワードだった。
「エドワード! どうしてここに?」
「近くに会社があるからそこで仮眠をとっていたらポリスがここに入ってくるのが見えてね。君たちが泊まる場所だって聞いたし心配だったからさ!」
「エドワード。悪いんだけどあの人が言ったこと訳してくれないかな?」
「オーケー!」
そう言うとエドワードは、警察が話していることを訳した。
「このホテルで殺人事件が起きた。君たちはここに残っててください」
「殺人事件!?」
彼女が嬉しそうに、また驚きの顔なのか。悲鳴のような声をあげ、周りの人たちを振り向かせた。
「エドワード。私を犯行現場に連れて行くようにあの人に伝えてもらってもいいですか? 私は日本の探偵です」
「Detective!? それは本当か!? 分かったよ! ミス・ヒラヤマ! 言ってくるよ」
エドワードが警察の人たちのそばに行き事情を話しに行った。僕は心配になってしまう。
「ちょっと平山さん……?大丈夫なんですか?」
「ロンドンの街で起きた殺人事件……。シャーロキアンの私にとってはこんな胸が高ぶることはありませんよ」
「でもこういう本格的な事件初めてなんじゃ……」
心配をしたことは、見事に的中した。
「あ……」
本当に大丈夫なのか……?
「話をつけてきたよ。あそこにいるのはマスカレード警部だ」
「レストレード警部!?」
彼女の聞き返しの問いに対してエドワードは笑っていた。
「違う違う! マスカレード警部」
「なんだか似てますね……」
ニヤニヤと笑う彼女となにも分からない僕だったが、話を続けさせた。
「被害者は女性で、警部が言うには連続殺人事件だろうって」
「え? 他に亡くなった人がいるんですか?」
「ああ。ここ最近殺人が続いててね。それが全員女性らしい。今回の犯人も恐らく同一犯だろう……」
淡々とエドワードが話しているが、普通に考えて危ない事件だった。
「警部がこの事件についてこう呼んでいたよ……『ジャックザリッパー事件』とね」
ジャックザリッパー……。聞いたことがあった。ロンドンで起きた実際に起きた連続殺人事件。ジャックザリッパーと呼ばれた犯人は五人の女性を殺害していったが犯人を捕まえることができず、その事件は未解決事件として幕を閉じた。
「もしかしたら……!」
ジャックザリッパーの名前を聞いた直後、彼女が突然に事件現場へと走って行く。それに僕らもついていった。
「いきなりなんですか! なにか気がついたんですか?」
僕の問いを聞いていないのか、必死で何かを探す彼女。
「あった! 横山さん。これを見てください」
「なんですかそれ?」
彼女に見せられたものは、白いチョークで書かれた数字の4だった。
「切り裂きジャックにはこんな諸説がありました。暴かれないという自信のためか被害者の血でメッセージをわざと残し、殺人を行なっていたと。もしそれと今回がジャックザリッパーにまつわる事件だとすれば、犯人は愉快犯の仕業かもしれません」
「じゃあこの4というのは?」
「わかりません。マスカレード警部に過去の事件にも同じような文字がなかったか聞かなきゃですね」
この子……事件に慣れてるのか……?彼女の慣れた捜査に戸惑いながらも指示に従う。
「聞いてきました。被害者は今回のを入れ四人。それぞれ数字が書かれてあったそうです。一人目の被害者は12。二人目は9。三人目は2と書かれていたそうです」
「12と9と2と4……」
「住所とか……例えば番地などではないんですかね?」
彼女に聞くが、彼女は首を横に振り答えた。
「それはないです。ロンドンの番地は数字と英語が混ざってますし、それに相手がジャックザリッパーと言われるてるのなら、もっと複雑にしていますよ」
「じゃあ……僕たちじゃ分からないじゃないですか」
不安な声をあげた僕に彼女は不敵に笑っていた。
「ジャックザリッパーと言っても、所詮は人間。人間が考えた謎を人間が解けないわけないのだよ。ワトスン君」
彼女の顔は真剣で、それに笑みを浮かべていた。
マスカレード警部から事件の資料をもらい部屋に戻るなり読み漁る彼女。関連性などを調べていたが、頭を抱え悩んでいる。
「もう八時ですよ平山さん。日本で言う朝の五時。少し休まれた方が……」
「いえ、どうしてもこの事件を解決しないといけませんので……」
「不眠は働くよりも遊ぶよりも人の神経をひどく悩ませるものだ。シャーロックホームズの黄色の顔で出てきた言葉だよ。ミス・ヒラヤマ」
突然ドアが開き、部屋に入ってきたのはエドワードだった。
「エドワード! ちょうどよかった。あなたに聞きたいことがありました」
「なんだい? 僕でよかったら答えるよ」
彼女はエドワードに、持参していたコーヒーを淹れ、椅子に座らせた。
「ジャックザリッパー事件についてなんですが、現場に数字以外になにかありましたか?」
「いや、話を聞く限りじゃ別に何もなかったらしい」
エドワードは答える。彼女は「そう……」とだけ答え、再度資料を読み始めた。
「犯人がもし、ジャックザリッパーを語る殺人犯なら残る被害者は一人……」
「また誰かが殺されるってことですか?」
エドワードに聞いた僕にエドワードは小さく頷いた。
「それを阻止できれば良いんだが……」
「殺害された場所は? この資料にはなにも記述されていませんが」
彼女がエドワードに聞くと、エドワードは部屋にあった地図を広げ説明し始めた。
「一人目が殺されたのはナショナルギャラリーで、二人目は大英博物館。三人目はビッグベンだ」
「殺害する場所に関連性はなさそうですね……」
手を顎に当て、考える彼女に対しエドワードの言った言葉をメモをする僕。
「次の殺人の目星はついてんですか?」
「いや、それがなにも分かってないんだよ。もちろんポリスたちは必死になって捜査をしてるんだが……」
「とりあえず、犯行現場に行ってみましょう。日本では現場百回と言って、事件が起きた場所に足を運ぶんです」
彼女はそう言うと早々と部屋を出て行った。
「じゃあ僕たちも」
「ミスター・ヨコヤマ。彼女にこれを渡してくれないか」
ポケットから紙を僕に渡してきた。
「これは?」
「今朝会社に送られてきたんだよ。LAST MYSTERY と書かれたこの手紙がね。これを彼女に渡しにきたんだが、彼女を見てたら忘れてしまって」
last mystery……日本語で訳すと「最後の事件」だった。どういう意味だ? この事件、何かあるのか……?
「僕は色々やることがあるのでね。ここで失礼するよ。また後で合流しよう。see you!」
エドワードが部屋を出て行く。僕もナショナルギャリーに向かうことにした。
ナショナルギャリーに着くと、彼女が辺りを見渡しながらずっと歩いていた。
「どうしたんですか?」
「どこで殺害されたのか分からないんです」
「ちゃんと探してくださいよ」
「ちゃんと探しました! でも見当たらないんです。どこを探しても事件があった現場が」
そう言われ僕も周りを見るが、確かに事件が起きたとは思えなかった。
「大英博物館に行ってみましょう」
二人は大英博物館に行ってみた。が、そこにもなにもなかった。
「おかしい……。ビッグベンもなにもなかったですよね? なんでだ……」
「一度シャーロックホームズ博物館に行ってみます? あそこに行って知恵を絞り直しましょう」
「わかりました」と彼女が素直に聞き、二人はシャーロックホームズ博物館に向かった。
着くなり彼女はホームズの椅子に座り、物思いに耽っていた。
「殺害されたのは女性……。いや……これはジャックザリッパーとしての再現……。殺害場所と数字……」
ブツブツと話す彼女を他の観光客が見ていた。
「I'm sorry, it seems that other customers would also like to sit ...…」
博物館にいた警備員に声をかけられ立ち上がる彼女。なにも分からないまま時だけが進んでいく。
「これからどうしますか?」
「一度横山さんは部屋に戻っといてくれませんか? 私はもう少しここで考えてみます」
僕は彼女の言われた通り帰ることにした。帰る途中にエドワードからもらった手紙を彼女に渡すのを忘れてしまったことに気づき、シャーロックホームズ博物館に引き返そうとした。
「うっ!」
いきなり視界が消える。後ろから誰かに、なにか布を被らされてた。その布を嗅いだ直後、突然の眠気が襲ってきた。
(誰だ……?)
相手の顔を見ようとしたが、視界がなくなり、その場で倒れてしまった