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眼が覚めると時計の針は七時を差していた。急いでスーツに着替え支度をする。その時に気がついた。昨日会社を辞めたんだと。「横山智」と書かれたネームプレートを無造作にゴミ箱に捨てる。会社を辞めたにも理由があった。とは言ったものの今日から職なしの人がどうやってこれから生きるのか。自分には分からなくなっていた。
気分転換に外へ出かけてみると酷いぐらいに天気は良く、そのせいで余計に落ち込んでしまう。
「これからどうしようか……」
ふいに溢れてしまった言葉を隣にいたおじさんに聞かれてしまい、気まずくなってしまった。
「にいちゃん。仕事は? どうしたんじゃ?」
いきなり声をかけられた。
「辞めました。ていうか……クビですね……」
はは……と笑いながら言うが内心は悲しんでいた。
「それならここの近くにあるお店に行ってみるといい。あそこなら色々教えてくれるよ。ほらあそこじゃ」
おじいさんが指をさしたのを目で辿ってみると小さなお店らしきものがあった。
「あそこですか? あの黒いオーラが見えそうなお店?」
そうじゃ。と言いながらそのままおじいさんは去っていく。あそこに何があるのだろうか……とりあえず入ることにした。
カランコロンと昔ながらの入店音が店の中で鳴り響く。
「いらっしゃいませ! ようこそ探偵事務所ホームズ店へ」
ここは探偵事務所だったのか……とてもそんな場所には見えなかった。出迎えてくれたのは十代から二十代の可愛げのある女の子だった。アルバイトかな? と一瞬思ったが自己紹介でその正体が分かった。
「ここで働いている探偵の平山です」
この女の子こそが探偵だったのだ。
「随分若いね。君何歳なの?」
女性に聞くのは最低だと思ったが素直に聞きたくなってしまった。
「今年で二十歳になります。ふむふむ……なるほど」
平山と名乗る未成年の彼女は僕の周りを一周しては頷く。
「わかりました。会社をクビになり公園のベンチに座っていたところ偶然この事務所を見つけ足を運んできたということですね」
「どうしてそれを?」
ピンポイントで言ってきた彼女は僕を座らせコーヒーを淹れてくれた。そのコーヒーを一口分飲むと彼女が答え合せをしてきた。
「まずあなたはこんな時間だというのにカバンも何も持っていない。営業なら尚更持ち歩いてるはず。ということはあなたは今日お休みだということになります。かと言って平日にサラリーマンがお休みとも考えにくいです。そしてあなたのズボンの裾に付いてる松の木の枝ですが、ここの近くにある公園にしか咲かない木の枝なんですよ。ジャケットの後ろに腰掛けたと見られるシワもある。公園のベンチに座っていた証拠です。ここに入ったきっかけはおそらく……誰かが教えてくれたんじゃないでしょうか? 入ってきた時顔がキョトンってしてましたしまだ看板立ててないから普通はお店だと思いませんしね」
まるで全てを見てたかのように的確に答えた彼女は探偵と名乗ってるだけあった。
「当たっています。さっき知らないおじいさんから教えてもらったんです」
「あぁ……松下のじっちゃんか……」
松下? と聞こうとしたが先ほどのじいさんのことか……と勝手に解釈した。
「改めて! 悩み相談、捜し物、浮気調査などなど……なんでもやりますよ!」
平山探偵はニッコリと笑いながら言った。
「では早速なんですが、実は僕……会社をクビになったんです。これからどうすればいいでしょうか?」
どうして僕は自分より歳下の子にこんな相談をしなくちゃいけないんだ……とも思ったが黙った。
「えぇ……そんなこと相談されたって……」
正論だった。うーん……と悩んでいるが彼女にも分からないはずだ。
「ちなみにどうしてクビになったのですか?」
「部下が失敗をしその責任として私が代わりに会社を辞めることになったのです」
「どんな失敗なのでしょうか?」とグイグイ聞いてくる彼女に戸惑いながらも僕は答える。
「部下が横領をしていたらしく、それを聞いた上の方が監督不行届だということで代わりに私が……ということですね」
思い出すだけでも腹が立ってしまい下唇を噛み締めてしまった。
「なんだか話を聞く限りおかしくないですか?」
「おかしい……とは?」
探偵は立ち上がり手を後ろに組み、歩きながら淡々と話し始めた。
「横領をしたその人ではなく何故あなたが? 監督不行届だったとしてもおかしいです。私が上の人だったらあなたではなくその人を解雇させます」
「まあそうですね……」
「まさかだと思いますがあなた……それで素直にはいって言って辞めてきてませんよね?」
彼女が僕をにらめつけてきた。
「言ってなかったらここにはいませんよ……」
顔が何やってんだ馬鹿野郎と言っていた。呆れていたのだ。彼女の顔でちょくちょく腹立ってしまう。
「抵抗すれば勝てたかもしれませんのに……何やってんですか。あんたバカ?」
段々と口が悪くなってきてる。大人をからかうなよ……。と言おうとしたが黙り込んだ。
「とりあえず明日その会社に行きます。これも何かの縁です。明日の九時にここにきてもらっていいですか? 」
いきなり決まってしまった。
「あの……どうやって中に入るんですか?厳重なセキュリティで入れませんよ?」
ふふふ……と不敵な笑みを零しながら彼女が言った。
「ずばり……潜入です!」
バカじゃねぇのか!!
と言いたかったが、これは後で家に帰ってから言おうと心に決めた。
次の日。声をガラガラにしながら朝早くから事務所に向かった僕は、外を掃き掃除をしている平山さんに会った。
「おはようございます平山さん」
「おはようござ……凄い声ですね」
「昨日帰ってから大声で叫んでしまって……おかげで隣の人から苦情がきてしまって」
ははは……と笑いながら僕をなるほどと頷く平山さん。半分はあなたのことで酒を飲みながら叫んでたんだよ……。
「それで…どうやって入るんでしょうか? 昨日は潜入とか言ってましたが……」
「実はこれを用意してました。ジャジャーン!」
見せてきたのは清掃員の服だった。
「ずばり! 探偵の変装といえば掃除のおじさんですよワトソン君?」
ドヤ顔で言ってくる彼女は腹立つのを超え少し可愛く見える。
「変装って……てかおじさんってなんですか?」
まさか……?と思ったが、その予想は的中していた。
「はい。あなたが掃除のおじさんで私は可愛いOLで会社に入ります」
「いや、それなら普通逆でしょ! 僕が社員であなたが掃除のおばさん!」
「ピチピチ二十歳前の人におばさんとは失礼ね。会社のことは私よりあなたがよく知ってるはずでしょ? 顔も知ってる社員もたくさんいるし。それなら顔を隠せる人になって色々証拠を探し出してください。私はその間社長と良い感じになりますから」
この計画は確実に失敗する……と言おうとしたが彼女のモチベーションを下げてしまうと思ったため黙った。同時にこれが終わったら今までの言いたいこと言ってやろうとも思った。
「では早速行きましょう。着いたら昨日話した段取りで……」
会社に向かう途中で今回の作戦を確認していたが、聞けば聞くほど成功の文字はなかった。上手く事が運んでくれるのなら良いが、なにせ未成年の少女が考えたことだ。不安で仕方がなかった。
「着きましたねワトソン君。私は社長室に向かいますのでワトソン君は持っているそのカードで正面から入って四階のお手洗いに向かってください。着いたらこれに連絡してきてくださいね」
渡されたのは小型のインターカム。通称インカムだった。これを付ければ行動しながら連絡は取ることはできる。
「平山さんはどうやって入るのですか?」
「秘密です」
ウィンクをし、颯爽と入っていく彼女。どうにでもなれと僕も会社に入った。
掃除用具の入ったカゴを押して歩く姿を、他の社員には清掃員のおじさんが自分だということに気がついていなかった。
「案外いけるんだな……」
そう呟くとインカムから声が聞こえた。
『あー聞こえますか? 聞こえたら静かに返事をお願いします』
「大丈夫です聞こえてます。平山さん今どこにいるんですか?」
『もう社長室の前にいますよ。あなたも早く持ち場に着いてください。どうぞ』
なにがどうぞだよ……。はいと返事をし僕は向かった。
「着きましたよ平山さん。今四階のトイレですどうぞ」
『少し遅いですよワトソン君。まあいいや……次の指示があるまでそこで待機で。その間掃除でもしてピッカピカにしててください』
彼女の言われた通り僕は掃除を始めた。しばらく掃除をして十分、二十分と時間が経つ。しかし、一向に次の指示がこなかった。
「ちょっと平山さん? 次どうすればいいですか?」
彼女を何度呼んでも返事はなかった。
「なにをしてるんだ。横山」
後ろから聞いたことのある声がした。
「しゃ……社長……」
そこには社長が立っていた。
「清掃員にでも転職したのかお前は」
「いや……荷物をまとめようとして……」
苦しい言い訳。
「ちょっと……平山さん? バレました……!」
『そのようですね』
ようやく返事をした彼女の言葉はそれだけだった。
「そのようですね……って、どうすればいいですか!?」
『ちょっと黙ってください。忙しいので』
その後いくら声をかけても返事はない。背中から冷たい汗が流れてくる。
「今すぐこの会社から立ち去れ。荷物は後でお前の自宅に送っとく。お前みたいな奴がいる場所ではない」
そう言った後、社長は静かに去っていく。終わった……と思いながら僕はスーツに着替えた。
会社を出ると玄関の前に彼女が立っていた。
「お帰りなさい」
笑顔で答える彼女。
「お帰りなさいじゃないですよ! やっぱり失敗に終わったじゃないですか!」
僕は怒りをぶつけてしまった。だが彼女は笑いながらこう言った。
「さて。謎を解明しようじゃないかワトソン君!」
事務所に帰ると彼女は奥の部屋からホワイトボードを出してきた。
「あなたが四階に行ってる間、私は社長室の前まで行きました」
「それは事前に言ってた作戦ですよね」
「ええ。 そしてあなたが会社にいるとどうしてバレたと思います?」
「誰かが僕を見つけ、それを社長に言った……? ですかね?」
変装は完璧だと思い込んでいたが実はそうではなかったのかと落ち込んでしまった。
「落ち込まないでください。実は誰にもバレていません」
「じゃあなんで?」
バレてないとすれば何故社長にバレたのか。彼女はニヤニヤしながらソファに腰掛けた。
「社長に言ったのは私です。横山智が来ていると」
意外な答えだった。いや、そんな気がした。どうして? と言う前に続けて話す彼女。
「あなたがいると伝えれば社長自らあなたの所に行くと思っていました。そして案の定そちらに行った。その間社長室には誰もいなくなり、おかげで色々調べることができました。いきなりの出来事でパソコンもそのまま。調べやすかったです」
「だからあそこのトイレに行かせたんですね?社長室から遠い場所だったから。僕をダシに使ったということか……」
納得の出来ない話だった。
「それで収穫はあったんですよね? 僕をあんな目に合わせて何もないとは言わせませんよ」
もちろん! と言いながら彼女は一枚の紙をテーブルに置く。
「まずはこれを見てください。社長のパソコンに入っていました」
「これ……僕が考えた企画書に似てますね」
「そりゃそうです。だってこれ、あなたの企画書をそっくりそのまま書いたものなんですから」
「え……?」と僕はキョトンとした顔をしながら彼女の方を見た。
「私の推理はこうです。あなたが考えた企画書を見た部下は、自分の手柄としてこの案をプレゼンしたいと思った。だけどそれには発案者であるあなたが邪魔だった。そこで部下は社長にこう言ったのです。“横山先輩に濡れ衣を着せられた”と。その一方で自分が数々の失敗をしていると自ら社内に広めていきました。ちなみに部下がやらかしていたと言われた横領の件は多分嘘だと思います。社長のパソコンを見ましたがなに一つそのようなは事実はありませんでした」
淡々と説明するが、あまり理解はできていなかった。
「なんで自分がやったと広めたんでしょうか?」
「恐らくすぐにあなたがやってないってバレると思ったんでしょうね。それなら自分がやったと言った方が信用性なんて本人次第だし。手が込んでますね」
「その根拠などはあるんですか?」
僕は淹れてくれたコーヒーを全て飲み干し聞いてみた。それに気づいた彼女はコーヒーの淹れ直すためにキッチンに向かった。
「ありません。全ては私の憶測です。しかしその方が辻褄が合います」
彼女は満面の笑みで答えた。証拠のない理論を並べてしまった彼女は、僕を励ますがために考えた推理をしたのだろう。
「どうしたものか……もう手遅れですよね」
「私に提案があります。社員ではなくなったあなたにしかできないことです。やってくれますか?」
コーヒの入ったカップを持ちながら彼女は僕に言ってきた。
「僕にしかできないことですか?」
「あなたの企画書を他の会社に提出するだけでいいです。その後のことは私がやりますので」
彼女に言われ、僕は早速ほかの会社に企画書を出した。その会社の社長は驚いていたが、話をしたら快く引き受け、その会社の案として採用してくれた。その後の事は何も教えられず、そのまま一週間が経った。
一週間ぶりに訪れた事務所は、なにやら騒がしかった。
「あ! 来た! ワトソン君遅いですよ」
笑顔な彼女に手を引かれ中に入ると、テーブルの上には豪華なご馳走。壁や天井には手作りで作られた飾りがついている。
「これは……?」
僕は状況が読み込めてなかった。
「平山探偵見事事件を解決! 依頼者と喜び合う会です!」
「事件解決? ていうか……平山さんあれからなにやったんですか?」
一週間前、事務所に訪れたが「一週間不在のため営業しないです」と書かれた張り紙が貼ってあったので、その一週間後に訪れると今の状況になっていた。
「まあまあ! はい! 座ってください」
無理やり座らせられ、缶ビール(ノンアルコール)を渡された。
「気分で酔ってください。私はオレンジジュースで」
彼女の乾杯の音頭で、宴が始まった。
「では本題に入りましょうかね。ワトソン君」
「はい……」
「あなたが渡したあの案。実は私もあれからほかの会社に送ったんです。それも十社も。そしたらその案は私の会社だーー! ってみんな奪い合い。 でも一社だけ何も言ってこなかったんです。どこだと思います?」
「うちの元会社ですか?」
「ピンポーン! 何故言ってこなかったというと、その案を出したあなたが会社にいなかったからです。言えば解雇にしたことがバレ、素晴らしい案を出したあなたを引き抜こうとする人もいますしね。あなたの考えた企画、とても良かったらしいですよ?」
と、彼女は他人事のように言う。そんないい案を出したのか……と思うと少し嬉しく感じた。
「でもそれだったら部下が出した案だと思うんじゃないですか?現にそいつが出したことになってますから」そう聞くと、ニヤッと笑い彼女が言った。
「社長室でパソコンをいじってた時、ついであなたの名前に書き換えておきました。多分部下は嘘がバレてクビになってるかもですね。もう少しで電話がくるんじゃないでしょうか?戻ってきてほしいって。」
するとタイミングよく僕の携帯に会社から電話がかかってきた。
「どうするかはあなたの自由です。戻るべきか」
そう言葉を付け、彼女は奥の部屋に入っていった。電話に出ると案の定社長が戻っててきてほしいと……部下の件は全て嘘だと知ったと言っていた。
「生憎ですが社長……人を見極める目をお持ちではない方に、付いていくバカはいません。お疲れ様でした」
電話を切った僕は、なんだか清々しく感じてしまった。とは言ってもまた就職先を決めなきゃいけない。途方に暮れようとしていたその時。彼女が帰ってきた。
「かっこよかったですよ。ワトソン君」
褒められたのか馬鹿にされたのか分からなかったが、解決したといえば解決した。
そういえば……
「依頼料はいくらなんでしょうか?」
彼女に言うと
「それなんですが、次の仕事先が見つかるまで、私のところで働いてくれませんか?それが依頼料です。もちろん給料は出しますよ。そんなに出せませんけど……今回の件であなたが必要だと知りました。どうでしょうか?」
とお願いをしてきた。
そして僕は答える。
「ホームズの助手はワトソンですよね?」