終章 愛する人
あれからどれだけの時が過ぎたのだろう。あの日、ミュラはカムルクに攫われるように帝国から連れ出された。隣国との境界線で落ち合った兵士は、カムルクに付き従うことを決め、ユーランス王国に帰ることはなかった。そして故郷がどうなったのか、ミュラは知らされることなく、カムルク達が新たな拠点とした場所で、一番奥まった部屋に監禁されるように生活していた。
天蓋付きのベットの上で、ミュラは幸福な夢の中に逃げ込んでいた。華奢な手足を小さく折り畳んで丸くなる姿は、子供のようにあどけない。真っ白なネグリジュの胸元が穏やかに上下している。
しかしその白い右手首には不似合いな枷があり、そこから伸びた鎖は、ベットの柱に繋がられていた。
小さな寝息だけの部屋に、ノックの音が響く。一拍の間を置いて、そっとドアが開かれた。入って来たのは、怜悧な顔立ちの男、カムルクである。室内に目を巡らせ、ベットに横たわるミュラを見つけた目が、愛しそうに溶けた。カムルクはベットの端に腰を下ろすと、穏やかな顔で眠るミュラの伸びた栗色の髪を愛しげに指を通す。
「ミュラ様、貴方を奪おうとしていたシラナミ帝国皇帝が暗殺されたそうです。どうやら、ここ二年で現れるようになった闇組織と、シラナミ帝国の第三皇子が裏で糸を引いたとか。貴方様を取り戻すことに執心していたがために、内部に毒虫を飼っていたことに気付かなかったのでしょう」
カムルクは睦言のように甘くミュラの耳元で囁いた。ふと彼女の眉間にほんのりと力が入る。そして眠気に潤んだ琥珀色が楕円を描く。
「ん……カムルク……お帰りなさい」
ミュラはゆっくりと身体を起こすと、カムルクの口づけを素直に受け入れる。
「ただいま戻りました。ミュラ、あぁ、ようやくこの腕に貴方を抱ける。この一月、貴方の元に戻ることだけを励みに、仕事を片付けていたんですよ。ミュラは寂しくはなかったですか?」
「……わたしも寂しかったわ。帰ってきてくれてとても嬉しい。それで、今回はどんなお仕事をしていたの?」
ミュラは寂しさを滲ませてカムルクの背中に腕を回す。しかし、その両腕はカタカタと震えていた。
「依頼主がやっかいでしたが、仕事はそんなに変わりません。今回はサムリがよく働いてくれました。あいつくらいですからね、違和感なく女装が出来る男は。今日は皆と大きな仕事を終えた祝いをしますから、夕食は期待していてください。前にお願いされたことも、今なら叶えてあげられるかもしれません」
「それは、嬉しいわ。貴方と一緒に街を歩いてみたいの」
「あれから二年が過ぎましたし、最近は皇帝の追っ手も現れなくなりました。そろそろいいでしょう。ただし、貴方が私からけして離れないと約束してくださるのなら、ですが」
「えぇ、えぇ。カムルクとの約束は絶対に破らないわ。お願い、信じて」
ミュラは涙を浮かべて、カムルクを見上げる。縋るような瞳の中に、悲しみと愛情が揺れている。彼女の心が、カムルクのために動いているのだ。その事実に胸を満たされて、真っ白な首筋に唇を落とす。
「信じていますよ。貴方が一生かけて私に償ってくれることを。……出かけるのは明後日にしましょうか。明日ではきっと、ミュラが辛いでしょうから」
そう言いながら、カムルクはミュラをベットの上に優しく押し倒した。震えても、拒絶はしない彼女が愛おしい。よくやく手に入れた愛しい姫を、カムルクは存分に喰らうことにした。
最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました! 本編は完結ですが、IF設定でもう一話、切ないバットエンドをアップする予定です。そちらでも、お会い出来れば嬉しいです。