四章 姫と黒騎士
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重い牢獄の扉を開き現れた人に、カムルクははっと立ち上がり牢屋の鉄格子に手をかけた。彼女は左右の牢獄に収容された兵士達に目を流しながら、ゆっくりと奥に進んでくる。
「ミュラ様……っ!」
「どのくらいぶりの再会でしょうか、カムルク。……あぁ、こんなにも痩せてしまって……長く苦しい生活をよくぞ生き延びましたね」
ミュラは切なげに目を細めると、柵の隙間から指を伸ばし、カムルクの頬を優しく撫でた。伝わるぬくもりに胸の痛みが溢れ、カムルクはその場に土下座した。
「申し訳ありません! 私は兄君様を、王国を、貴方様をお守りすることが出来ませんでした! 何をしてでも勝たねばならなかったのに……っ」
「姫様、隊長のせいではありません!ルノーク様が討たれてしまったことで、オレ達に伝令が届かなかったのです。それゆえに、包囲網に気付くのが遅れてしまった」
「オレ達の責任でもあります」
「よせ、お前達。私は将軍であり直接隊長として指示する立場であった。この敗戦の責任は全て私のものだ! 暫し時間を下さい、ミュラ様。私は黒騎士の名にかけて、必ずや貴方をお救いいたします」
国王より賜った黒騎士の称号は、カムルクの誇りだった。その名をかけると言うことは、命をかけるより重いものとされる。
その重さを知るはずのミュラは、ざわめき立つ兵士の声を制すように周囲を見回す。
「もういいのです。顔を上げてください、皆さん。貴方方が尽くしてくれたことは王国も、私もよく知っています。貴方方が今ここに生きて在ること。私にはそれだけで十分なのです」
血を吐かんばかりのカムルクの慟哭を受け止めた彼女の表情は、不自然なほど穏やかなものだった。その異変に即座に気付き、戸惑いがちに顔を上げると、彼女はドレスが汚れることも構わずに牢屋の前に座り込む。そして、白く細い手がカムルクの座す鉄格子をきつくつかむ。
そこに強い気持ちがあるのを感じ、カムルクは躊躇いがちに己の指をそっと伸ばす。しかし彼女の指先に触れ寸前、その手は鉄格子から離れていく。
「ミュラ様……?」
「──今日より五日後、この城から出されるように手配しました。剣は捨て、これからは自由に生きなさい。これが、ユーランス王国の姫として私が出す、最後の命です」
苦しそうな顔で微笑むミュラに、誰もが言葉を失う。カムルクの胸に嫌な予感が過ぎる。そのまま背を向ける彼女に、咄嗟に出来たのは、無礼を承知で呼び止めることだけだった。
「お待ちくださいミュラ様! そのようなお顔をしながら、何故私を切り捨てようとなさるのです! シラナミ帝国が敵将である私を自由にするはずがない……っ。貴方は私の命を救う代わりに、シラナミ帝国へ何を差し出したのですか!?」
冷酷と名高い皇帝が、ただで自分を解放するはずがない。カムルクはオリビアに耳打ちされたことを忘れてはいなかった。
「…………」
「お答え下さい、我が姫! 私は、貴方を犠牲にしては生きられないのです。あなたを失い、心を殺すくらいなら、今ここで私をお切り下さいっ!!」
声に背を向けたまま足を止めたミュラは微動だにしない。カムルクは届かないと知りながらも、鉄格子の隙間から必死に指を伸ばす。
「姫様、そろそろお時間です」
外から牢番のしゃがれた声がかかる。ミュラの足が再びゆっくりと動き出す。
「──どうか、生きて幸せに」
小さく震える声が届いたのを最後に、ミュラは二度と振り返ることなく扉の向こうへ消える。小さな背中が遠くなる。カムルクは指の股が裂けるのも構わず指を伸ばし続けた。
「ミュラ様っ!」
再び扉が閉じられていく、そして細く伸びた光が──消えた。 その瞬間、カムルクの中で何かが壊れる音がした。
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