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二章 囚われの将

****から視点が代わります。

****


 うめき声が響く、じめついた地下牢。その最奥に他より一回り大きな牢があった。

 頑丈な鉄格子の中、男はあぐらで座したまま、この数日間微動だにすることなく目を閉じていた。乱れた黒い髪の間から怜悧な面差しが見える。薄汚れた服は所々が破れ、細身ながらも鍛えられた身体には包帯が巻かれていた。


「……おい、飯を食え。毒なんぞ入っとらんぞ。アデリア様も随分とあんたを気にかけておいでだ」


 差し出された器にも手をつけず、水さえも拒否する姿に、年配の牢番はほとほと困り果てた様子で、牢の右下の穴から昼食をさらに奥へ奥へと押し出した。

 しかし男は相変わらず反応しない。


「やぁ、困ったものだ。聞けばお前さん、ユーランス王国の将軍だったそうじゃないか。本来なら拷問の末に殺されてもおかしくない立場だぞ。それを、陛下の妹君であられるアデリア姫が救って下さったというに。前線を知る者が、せっかく助かった命を無駄にするもんじゃないぞ」


 その時、地下牢の扉がきしみながら開き、一人の女が入ってきた。結い上げられた金髪と深い緑の瞳。きついながらも美しい顔立ちをしている。女は口元を扇で隠しながら真っ直ぐに男のいる牢屋へ近づいてくる。


「ごきげんよう。お身体のご調子はいかが?」


 女の名はアデリア。シラナミ帝国皇帝の腹違いの妹だ。本来ならば誰もに跪かれる立場だろうが、男はそんな相手にもただ沈黙を守った。代わりに門番が慌てた様子でアデリアの前に膝をつく。


「こ、これはアデリア様。このような所によう来てくださいました」


「いいわ、気を楽になさい。それよりもこの方のご様子は?」


「はっ、その、申し訳ない。今日も食事に手をつけないままでして……」


「まぁ、そうなの。少しはずしてくださらない? この方と二人だけでお話したいの」


「しかし、罪人と姫様を二人だけにするわけには」


「大丈夫よ。だってこの方、牢屋に入っているんですもの。わたくしに危害なんて加えられませんわ。ね、お願い」


「……わかりました。なにかありましたら、この爺をすぐにお呼びください。飛んできますからの」


 そう言われては従わないわけにはいかなかったのだろう。牢番は気がかりそうにしながらも、地下牢から出ていった。


「ねぇカムルク将軍、気はまだ変わらないのかしら? 貴方が素直にわたくしのものになるのなら、ここから出してもらえるように、お兄様に頼んでさしあげてもよくってよ?」


 鉄格子を指先で撫でてアデリアが甘やかな声で誘いかける。その声にそれまで人形のように動かなかった男がうっすらと目を開く。


「……ここは貴方のような身分ある者が来る場所ではないだろう。手当てには感謝しているが、私は他へ膝を折るつもりはない」


 猫のような目がやがて冷ややかに細まり、扇を握る手に力が篭った。女は立ち上がると、苛立たしそうに眉を顰める。


「そう、まだあんな国に忠誠を誓っているのね、愚かな人。素直に頷けば貴方にわたくしの全てを差し上げてもよろしいのに」


「人の心とは己が身に一つだけだ。ならば、私にはもう貴方へ与えられるものはない。我が心はすでにこの身体を離れている」


「ふふっ、それでは根競べをしましょうか。貴方が折れるまで、わたくしは何度でもここに来ますわ。ではまた近いうちに」


 毒々しく赤いドレスが翻る。うめき声を両側から向けられてなお、その足取りは揺るぎもしない。しかしドアの前で緩やかだった歩みがぴたりと止まる。


「──あぁ、そうそう。ユーランス王国の姫がこの城へ今来ていますのよ。なんでも、お兄様の后にするそうですわ」


 その言葉に初めて男がピクリと反応する。だが女はそれに気付くことなく牢屋から出ていった。

 来訪者が居なくなると、牢屋に響いていた呻き声は止まり、複数の気配が動き出す。


「隊長、今の話……」


「姫は我らの失態ゆえに捕らわれたのだろう。誰が好き好んで敵国へ嫁入りなどするものか!」


 カムルクは声を荒らげて拳を握り、きつく奥歯をかみ締めた。

 その悔しさに賛同するように左前の牢が騒がしくなる。カムルクの部下達が鉄格子を苛立たしそうに揺さぶっているのだ。


「ちくしょうが! こいつさえなければっ」


「まだなんすか副隊長! このままじゃ姫さんがあの野郎のモノになっちまう!」


 兵士が後ろに声を投げると、一人だけ座っていた副隊長、シグがのっそりと起き上がり、荒々しい空気をため息交じりに制した。


「落ち着け馬鹿野郎共。せっかく重症の振りしてんのにバレちまうだろうが。敵国へ潜り込んだ兵と連絡は取れた。後は──隊長、あんたの命令一つで全てが動く」


「今はまだ、時ではない。姫が来たことによって、周囲の目はそちらに向けられるだろう。私達はその隙を狙おう」


 感情を殺すことで落ち着きを取り戻して、カムルクは決然と作戦を告げた。しかしシグは皮肉に口を歪ませて、厳しい視線を寄越す。


「『無駄死にはさせない』か? あんたは相変わらず甘いな。だが、俺達はそんなあんたに命を救われた。育ちもよくねぇし、親の顔を知らない奴も多いが、受けた恩は命をかけて返すぜ。あんたは──姫さんと逃げろ」


「馬鹿なことを! お前達を犠牲にしては意味がない。生き残ることを考えるんだ」


「……それがあんたの命令なら従うさ。だけど忘れないでくれ。俺達はどんなことがあっても絶対にあんたを恨むことはないからな」


 いざと言う時のことを言外に匂わせて、シグは口を閉ざした。再び静けさの戻った牢の中で、カムルクの黒い瞳がほの暗く燃えた。


「貴方様を、必ずお救いします。我が姫──」


 深い痛みを堪えた声が囁くように呼んだのは、男が唯一と定めた姫の名だった。



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