一章 敗戦国の姫
終戦を迎えて数日後、人払いのされた王室で、王女ミュラは王である父と向き合っていた。目の前に立つ父は、兄の死がよほど堪えたのか、四十半ばであるにもかかわらず随分と年老いて見える。落ち窪んだ茶色の瞳に悲しみを漂わせ、口元を抑えきれない思いに震わせていた。
「本当にすまない……不甲斐ない父をどうか許しておくれ」
「お父様、どうかお気に病まないで。この身一つで我が国を、そしてあの人を救えるのなら、こんなにも嬉しいことはございません」
「しかし、本来ならばお前は……っ」
父が苦渋の顔をして言葉に詰る。十七を迎えたミュラは来月にも婚姻が決まっていたのだ。相手は幼い頃より共に育った自分だけの愛しい騎士。しかし、今や敵国に捕らわれの身となった彼の人と、敗戦国の姫だ。好いた人との婚姻など、許されるはずもない。
ミュラは優しげな面差しをそっと伏せる。背の半ばを覆う栗色の髪がさらりと肩をすべり、その表情を隠した。溢れそうになる悲しみを押し殺し、心に愛する人を強く思う。
五つ年上の彼、カムルク・シューノは小貴族の出ながら功績を上げ、若いながら将軍の地位に着いた青年だ。幼い頃はミュラの護衛騎士をしていたこともあり、よく遊び相手になってくれた。そんな彼にミュラが恋心を抱いたのはある意味、必然だったのだろう。
しかし二人の恋はけして平坦な道のりではなかった。ミュラとカムルクの間には身分という高い壁があり、彼からそれを理由に拒絶されたこともあった。それでも数ある縁談を断り、自分だけに生涯尽くすと誓ってくれたカムルクの心をミュラは欲したのだ。
数多の苦難を乗り越え、カムルクは功績を挙げることでミュラの想いに答えてくれた。将軍としての地位を手に入れることで周囲を認めさせ、これからようやく幸せになれる、という時だった。
誰彼構わず責めて、ただ胸を引き裂くような悲しみに沈むことが出来たならよかったのかもしれない。しかしどんなことがあろうと、今までこの国に育ててもらった身だ。一国の姫として、ミュラは覚悟をしなければいけない立場にあった。
「戦いがある度に、命を失い泣く者がある。そんな世がようやく明けようとしているのです。この身で、国を、民を、愛した人を守れる、それが私の誇りでございます。だから、私の為に悲しまないでくださいませ。ただ一つの気がかりは……あの人を傷つけてしまうことだけです」
ミュラは顔を上げると母譲りの琥珀の瞳を潤ませて、溢れる涙を堪えた。そして懸命に微笑もうと努力した。
「皇帝へ捕らえられた者達の開放をお願いしてみます。ですから、もしあの人が、カムルクが無事に帰ってきたら、どうかお伝えください。私のことは忘れて他の方をお迎えするように、と」
「本当にそれでいいのか? お前の真の言葉を伝えずに後悔しないか?」
カムルクのことを思えば、胸がつぶれそうに痛む。しかし、自分の恋を選ぶことはどうしても出来ないのだ。帝国に逆らえば、他国と同じようにユーランス王国も属国に貶められてしまう。そんなことを受け入れられるはずもない。
「伝えてしまえば、忘れがたくなりましょう。ですからよいのです。これで、よいのです……」
ミュラは涙を零しながらも微笑み続ける。
たとえ愛した人に裏切り者と罵られようとも、これがミュラに出来る最善のことだった。