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黄昏の眷属  作者: 倉井部ハルカ
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第5話 犬神の兄妹

「——チッ!!」


 あっという間に遠ざかり夜闇に紛れた少年を目で追いながら、龍姫は舌打ちした。

 

 銃の形状を模した鬼神“護砲童子”をスカートの下、細くすらりとした脚にベルトで止めたホルスターへ収めると、アビスウォーカーも彼女の首筋に突き付けたナイフを退ける。

 

 気配を消してこそこそと他人の背後に忍び寄る、忌々しい暗殺者。

 

 式術師、犬神忍の妹を名乗る、不愉快な無表情女。

 

「ふん!」


 敵意を隠そうともしない一瞥をケイに投げかけると、龍姫は式神の姿で罰が悪そうに誤魔化し笑いする忍へと向き直った。

 

「あんたたちじゃ手に余るって泣きついてきたから手伝ってあげたのに、ずいぶんな仕打ちだわね」


「あ〜、いや、これは、その、つまり……」


 いつものように適当なことをいってはぐらかそうとしているバカ狐を、一睨みで黙らせる。

 どうせこれっぽっちも悪いだなんて思ってないくせに。

 

「あいつ、あんたらで始末付けなさいよ。いまは見逃してあげるけど、次に見かけたら今度こそ問答無用で撃つから」


 またなにか適当な返事をしようとしているのが分かったから、口を開く前に睨んでやる。

 

 そしてやり取りはすべて忍のバカ狐に任せ、あのなり損ない眷属が消えていった方向を、我関せずといった態度で眺めているアビスウォーカーをもう一度横目に睨めつける。

 

 虫の好かない無感情女。

 

 なにか悪態でも吐いてやろうかと思ったが、どうせ何を言っても眉一つ動かさない。

 

 自分が余計に苛つくだけだと悟り、龍姫は不機嫌な表情のまま、朔也が去った方と反対の方角へ人間離れした跳躍で飛び去っていった。

 

 

    ※※※ ※※※ ※※※

    


 気がつけば、どこか知らないビルの屋上だった。

 

 吹き付ける夜風になぶられるまま、愕然と項垂れへたり込む。

 

 ひとっ飛びでいくつもの建物を飛び越え、あっという間に町の反対側まで来てしまった。

 凄まじいまでの身体能力。

 

 そして撓わに揺れる胸の膨らみが嫌でも目に入る、女性となってしまった肉体。

 

(け、けんぞく……とかって、いってた)


 それが何なのかはわからない。ただ自然の理を超えた、人外の存在であることは確かだ。

 

 手足を失いながら朔也を抱えて屋上に逃げたあの少女が、身体を乗っ取ろうとしたときに何かをした。

 それで、こんな身体になってしまった。

 

 原因は分かる。だが何の解決にもならない。

 

 この身体を戻すにはどうすればいいのか? そもそもまた普通の人間の男に戻ることができるのか?

 

 分からない。何もかも。途方に暮れて頭を抱える。

 

 その傍らへと音もなく、影と炎が出現した。

 

「のわぁっ!!」


 クラスメイト犬神ケイと狐の形をとる炎の二名だった。

 一条龍姫と名乗った拳銃女は来なかったらしい。

 

「ああ、やっと追いついた。さすが眷属の変転体。すごい体力だね〜」


 炎の狐がいう。

 だが朔也にしてみれば、すぐに追いついてきたお前たちこそ何者だと聞きたい。

 

 とにかく危機を感じて再び逃げだそうと立ち上がる。

 

 だが朔也のその手を、少女が握りしめた。


「大丈夫。わたしは、あなたを守るために来たから」


 冬に鳴る鈴の音のような、細く透き通った声だった。

 

 細い指。柔らかくしなやかな手が体温を伝えてくる。

 

 血溜まりの中で眉一つ動かさず無表情にナイフを振るっていた。

 躊躇いなく命を刈り取る手。

 その手の思いがけぬ温かさに、朔也は逃げることも忘れて立ち尽くした。

 

「き……君は、犬神、だよね? オレの隣の席の」


「ええ、そう。戻橋学園一年壱組、出席番号四番、犬神ケイ。間違いないわ」


 もう既に確信しつつも確かめると、左右の色が異なる瞳がジッと見詰めながら頷く。

 

 いままで近くに居ながら、何故か気がつかなかった美貌。

 透き通るような白磁の肌と、憂いを含んだ儚げな顔立ちに思わず息を飲む。

 

「あれは愚兄……。忍……」


 指をさす。兄? 狐が? って、それって……。

 

「うわッ!」


 もういい加減、様々なことに驚かされたというのに、新たな怪異に呻きが漏れる。

 

 呆気に取られ見詰めるなか、その青白く燃える獣の身体が見る見るうちに人の姿へと形を変えた。

 

 美しい、女性的な顔立ちをした少年の姿へと。

 

「愚兄は酷いな、ケイ。すてきなおにいさまと呼んでくれて構わないのに」


 背中まで届く長い後ろ髪を一纏めに結んで垂らす。

 その漆黒の前髪を指で掻き上げながら、少女の身も蓋もない言い草に、端正な美貌が苦笑した。

 

「愚かな兄だから、愚兄。忍は愚兄」


 容赦ない妹の返事に、トホホと落胆を見せる。

 しかし美貌の少年はすぐに気を取り直すと、穏和そうな、しかしどこか油断の無さを感じさせる笑みを朔也へ向けてくる。

 

「ぼくの事は知っていると思うけれど、直接話すのはこれが初めてだから改めて自己紹介させてもらうよ、如月朔也君。ぼくは犬神忍(いぬがみしのぶ)。ケイの兄でそして人に仇なす人外の怪物“黄昏(たそがれ)眷属(けんぞく)”を討伐する退魔式術(たいましきじゅつ)犬神の総領。まあそれよりも、この私立戻橋学園高等部の生徒会長といった方が、話が早いかな」


 いわれてみると入学式や全校朝礼などで何度かスピーチをしているのを目にした覚えがある。

 

 その調った容貌に女生徒たちが騒いでいたが、かなり残念な性格をしているという事実が発覚するにつれ、その人気も急降下していった一つ上の上級生。

 

 だが今はそんなことはどうでもいい。

 

「黄昏の……眷属?」


 日常では決して使われないであろう、聞き慣れない名称。

 

「それが、オレの身体を!? どうしてこんな……」


 何度確かめ見ても、夢や錯覚などでは決してない。

 

 正真正銘の女の身体。それがいまの、自分の身体。

 

 少女の姿形をしながら、腕を吹っ飛ばされ、脚が破砕しても人並み外れた力を発揮した。

 決して人間などでは無い何かであるソレが、この身体を変えてしまった。

 

 自分の手でしっかりと触り確かめようとしながらも、胸に揺れる撓わな膨らみにためらってしまう。

 戸惑いにへたり込んだまま呆然とする朔也へと、忍が言葉を続けた。

 

「奴らは己の肉体を持たない、いわば精神生命体のようなものでね。だから人間の身体を奪い取り、しかも使い捨てのように乗り換えながら生きている。その際に自分たちに適した構造へと肉体そのものを変転させてしまうのだけど……。君の場合は性別まであの眷属に合わせて変えられてしまったみたいだね」


 何をいっているのか、さっぱり訳が分からない。

 

 言わんとしていることは分かるのだが、まるで現実とは思えない内容に戸惑うばかりだ。

 

 いまも、悪夢が続いているかのようだ。——こんなこと、ありえる筈がない。

 

「治るのか? この身体。オレは、お、男に戻れるの?」


 沈黙。朔也の問いにしばし唇を閉ざした後、忍は重い口調でいった。

 

「気休めを言っても仕方がないから、正直に答えよう。その人に在らざる眷属の肉体が、いまの君の身体なんだ。残念だが、もう元には戻せない」


 なんとなくそんな気がしていた。

 見た目にはごく普通の人間だが、性別が変わった以上にこの身体がいままでとまったく異質な存在になってしまったことは、朔也自身が一番実感している。

 

「う、嘘だ! こんなことっ。オ、オレは、男だ。そんな、眷属なんかじゃないっ!!」


 それでもハッキリと現実を知らされるのはショックだった。

 またしてもこの場から逃げだそうと立ち上がる。だが、

 

「だめ、行っては」


 背中からケイが抱きついて引き留める。

 

 「い、犬神……」


 女っぽく細く括れてしまった腰に回される、彼女の腕の感触にハッとなった。

 

 背中にふわりと、柔らかな膨らみが二つ押しつけられる。

 

「黄昏の眷属となった身体は戻せないが、その身体が有する眷属の能力を君が使いこなせるようになれば、もしかしたら外見は元通り男の姿を取るようになれるかもしれない」


「え……?」


 思わず動きを止めた朔也へと、思案を巡らせながら忍が呟く。

 

「ヤツら黄昏の眷属は戦闘時とか状況に合わせて姿形を変える能力を持っている。ぼくらが眷属と戦うために身体の能力を強化する錬気術と同じ系統の繰気法なので、その応用で上手くいくかもしれない」


 それがどういう事なのかは、やはり良く分からない。

 

 それでも、元の姿に戻れるというなら構わない。

 

 ケイに抱きすくめられたまま、朔也は一縷の希望にすがる眼差しで忍を見詰めた。

 

「そもそも戦いに巻き込んでしまったのは、ぼくの結界が不十分だったせいだからね。この償いは極力させてもらうよ」


 いいのだろうかと、一瞬怯む。

 

 しかしこのままでは女である上に、人間では無い得体の知れない身体となったままだ。

 

(信じて……いいのか?)


 異常すぎる事態に他に頼る者もいない。

 

 絶望が胸を染め上げる中、朔也はどこか胡散臭さを感じさせる忍の笑みをぼんやりと眺めていた。

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