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黄昏の眷属  作者: 倉井部ハルカ
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第23話 ハストレアの想い

 ズキズキと激しい痛みが止まらない。

 

 物質が支配するこの世界で己の存在を維持するため、人間を喰らって奪い取った肉体。

 

 脆弱過ぎるその構造を根源から変転させ、本来ならば致命的となる程の傷でも、錬気によって修復出来る筈なのに。

 

 あの小娘の掌打に抉られた脇腹が回復しない。

 

 それどころか時間が経つに連れ炭化したように黒ずんだ傷口がボロボロと崩れて、その力の源である錬気がこぼれ出てしまう。

 

「うぐっ」


 “純潔なる瞑王”サイファの近衛としてあるまじき無様な呻き声を漏らして、ハストレアは茜色の黄昏に染まった教室に蹲る。

 

 机も椅子も片づけられ、閑散とした空間。

 

 忌々しいあの女。

 サイファさまのお目にとまりながらも、立場をわきまえず勝手気ままに振る舞い取り返しの付かない事態を招いた愚かな女、リリアムの痕跡を辿ってこの場にたどり着いた。

 

 人間の術師が張った結界の痕跡が残るこの空間に、その錬気の残滓に紛れさせて新たな結界を構築し中に潜む。

 

「まったく……。俺が交渉しているというのに先走って攻撃など仕掛けるからだ。まあ、向こうも黙ってこちらの要求を受け入れる気は無かったようだから、一戦交えざるを得なかったようだが」


「う、うるさいっ」


 ならば余計な小言などやめろとばかりに、冴えない中年男の姿で呟く眷属を睨み付ける。

 

 だがラタクアルチャはハストレアの視線を気にした様子もなく言葉を続けた。

 

「聞いたことがある。アビスウォーカーの波導掌打。掌から高速で振動する錬気を叩き込み対象を根源から崩壊に導く技だそうだ。その身体、早急に別の肉体へと乗り換えなくては危ないが……」


「いい。不用だ」


 いま結界から出て人間を調達すれば、あの暗殺者の仲間に居場所を悟られる。


 ガムドに聞いた話だとこの件には悪名高い殺戮狂、ガンスレイヤーまでも関わっているとの事だ。

 

 万全の状態ならば喜んでひねり潰してやるところだが、この身体の状態ではラタクアルチャとの二人掛かりでも分が悪い。

 

 どうするかと思案を巡らせていると、

 

「ここって学校か? オレをどうするつもりだ!?」


 リリアムの鬱陶しい臭いをぷんぷん漂わせる小娘が、下品な男言葉でわめき始めた。その声が怯えのためか無様に震えている。

 

 ここに来るまでの間ジタバタ暴れるので軽く気を失わせておいたのだが、息を吹き返したようだ。

 

 繭状に定形させた錬気の檻のなかで逃れようと無駄な足掻きをしている。

 

「やはり姫の意識は消失されてしまったのだな。そのお身体は紛れもなくリリアム姫の香りを放ち、内には知恵の実を孕んでおられるというのに」


 繭檻を内側から叩き続ける小娘をまじまじと見確かめながら、くたびれたコート姿の眷属が落胆の声を漏らす。

 

「姫……? 孕んでって、なに言ってるんだっ!?」


 その中年男の姿をした人に在らざる者へとリリアムの肉体を有する人間が、怯えを誤魔化すようにことさら声を張り上げる。

 

「リリアム姫をご寵愛されていたサイファ様には酷だが、この骸を連れ帰り花嫁として娶って頂くより他に策はないな」


 その様へ冷たい眼差しを返しながら呟くラタクアルチャの言葉は、実に聞き捨てならないものだった。

 

「なっ!! め、娶……ッ?」


「何を言っているっ、貴様っ!」


 男言葉の小娘が愕然と言葉を失う。その心情を代弁するかのように、ハストレアは語気を荒げてコート姿の眷属を睨み付けた。

 

「リリアムならばまだしも、このような人間の精神が残ったままの受肉し損ないなどを、神聖なる我らが盟主にして、楽園より追われし十二神族の長兄たるサイファ様の花嫁にだと!? 戯言を吐くのも大概にしろ、ラタクアルチャ! 不敬が過ぎるぞ!!」


 肉体の衰弱によろけながらも立ち上がり、冴えない中年の姿をした同胞に詰め寄る。

 

「座っていろハストレア、傷が悪化するぞ。それに不敬というのならお前こそ姫様を呼び捨てにするのはよさないか」


 しかしくたびれた容貌の眷属は動じた様子もなく、いきり立つ美女をなだめすかそうとする。

 

「確かに姫はお転婆が過ぎるところがあったし、その勝手な振る舞いがこのような事態を招いた。お前が盟主殿を案ずる気持ちはよくわかる。しかし、リリアム姫はサイファ様の寵愛を受け知恵の実の種子を御身に宿されたお方だ」


 ハストレアの胸に苦い疼きが芽生えた。ギリリと歯噛みする。

 

「我々サイファ様の眷属にとって知恵の実が熟れ実る事こそが、何にも代えがたい悦び。盟主殿がその実をお口にされたときこそ奪われし叡智が甦り、瞑した眼が見開かれる!」


 瞳に冷たい炎を宿し睨む美女眷属の前で、ラタクアルチャは次第に恍惚の表情となって声を震わせた。その様子に呆気に取られ言葉を失う小娘へと、

 

「その悲願を遂げるためにこそ、この人間、いや……」


 あろうことか臣下の礼を取るかのように、おもむろに片膝を突いて蹲り頭を垂れた。

 

「リリアム姫の御身を受け継ぐ貴女を、新たなる后としてサイファ様の元へお届けせねばならぬのだ!!」


「な、なんなんだ……? 后って、俺が!?」


(こいつ、何を言っている? この人間風情を、高貴なる我が君の后にだと!?)


 男言葉の下品な小娘が動転しているが、ハストレアの胸の内に込み上げる激情はその比ではなかった。

 

(サイファさまに、このような下賤な人間の小娘などを!? 我ら眷属全てを導く、神々の長兄たるお方にっ!)


 この胸へと甘えてくる仕草の愛らしさ。

 

 清涼なる微風の如き極上なる調べの御声。

 

 この膝で眠り遊ばされたときの体温の温かさ。

 

 そっと撫でた髪の柔らかくしなやかな感触。

 

 愛しき盟主の全てがハストレアの脳裏を満たす。

 

 何者であろうとも冒してはならぬ無垢なる御方に、我ら眷属が物質の支配するこの世界へと顕現するため、仕方なく喰らい我が身と成すためだけに存在する、卑しき肉如きを娶らせるなど……。

 

「じょ、冗談……」


「冗談ではないッ!!」


 気がつけば小娘の言葉を奪うように、怒号を発していた。

 

「なっ!? がふっ!」


 驚いてラタクアルチャが立ち上がる。

 

 その顔面へと、指先から突き出た鋼の爪を僅かの躊躇いもなく叩き込んだ。

 

 驚きの表情を浮かべた顔が串刺し状態となった。

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