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黄昏の眷属  作者: 倉井部ハルカ
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第2話 鬼繰の姫

(なんだ、アレっ! な、なんなんだ、アレっ!?)


 青白い炎の獣は鮮烈にその姿が脳裏に焼き付いている。

 

 しかし黒を纏った殺戮の少女の姿形が、いま見たばかりだというのにはっきりと思い出せない。

 

 確かに隣席のクラスメイトだったのか、それとも……?

 

 確かめたい。けれどももう一度振り返るなんてまっぴらだった。

 

 とにかく、あの闇から少しでも遠ざからなければ。

 

 必死に繰り出す脚が、悪夢の中のようにもつれて思うように前に出ない。

 それでいてあっという間に息が上がり、心臓がばくばくと苦痛を訴え掛ける。

 

 やたらと長い廊下をどこまで走っただろうか。

 

 いまいる棟と平行してそっくり同じ作りの第二校舎が建つ。

 そちらへと続く渡り廊下への角を曲がったその途端、

 

「うわぁっ!」


「きゃうっ!!」


 向こうから走ってきた相手とぶつかってしまった。

 

「ご、ごめんっ!」


 恐らく部活で居残っていたのだろう、臙脂の細いネクタイを締める白ブラウスに赤いチェックのスカートの制服を着た女生徒だった。

 

 尻餅をついてしまったその少女に慌てて駆け寄ると、ぶつけたらしいおでこをさすりながら顔を上げた。

 ポニーテールにまとめた軽い色合いの茶髪が軽やかに揺れる。

 

「うっ、あ、そ、その……」


 目鼻立ちがハッキリとした可愛らしい顔立ちに見詰められ、思わず頬が赤くなった。

 

「い、いま、向こうの方にっ! いっぱい、人が」


 恐る恐る振り返るが、あの闇を凝り固めたようなナイフ少女は追いかけてきていなかった。

 

 長い廊下の奥は深まりゆく夕暮れの闇に沈んで、ぼんやりと暗く見えない。

 

 ただ鼻の奥にこびりついて消えない鉄錆の生臭さが、恐怖を掻き立てる。

 

「人が、いっぱい殺されてて。犬神……い、いや、ナイフ持った、女の子が」


 クラスメイトの名を口にしかけて慌てて口を噤む。漆黒の刃から滴る血。薄闇の中から見詰めてくる視線の冷たさを思い返し、背筋が震え声が上擦る。

 

 やはりあれは他人のそら似に違いない。

 

 顔を伏せたまま消え入りそうな声でぼそぼそと話す少女に、あんな惨たらしい事が出来るとは思えない。

 

(あ、でも、声は、似てた。さっきのアレ、やっぱり犬神なのか……?)


 狐に似た炎の化け物に話しかる声を思い返し、ゾッと背筋に寒気が走った。

 いや、いまはとにかく……。

 

「は、早く、逃げなくちゃ」


 ぶつかった女の子の手を引っ張って立ち上がらせると、渡り廊下の向こうへ行こうとする。

 

「待って」


 しかし少女はその場に踏ん張って彼を引き留めた。

 

「え? あっ、うわっ、ごめん!」


 いまさらに、いま初めて顔を見た名前も知らない女子の手をしっかりと握り締めていたことに気付いた。慌てて離そうとする。

 

「そっちはだめ。来て」


 だが彼女はその手を握り返してちょっと舌っ足らずの可愛らしい声で引き留めた。

 

 廊下は渡らず、朔也が逃げてきた廊下の続きを走り出す。

 

 いざなわれるままに朔也も駆けだした。

 

 「うわっ!」

 

 その刹那、大気を震わせる銃声が響き渡った。

 

 「なに? ぐぁあっ」

 

 驚きに身を強張らせるよりも速く、激しい衝撃が全身を打ちのめす。

 

 吹っ飛ばされる。

 

 壁に目一杯叩きつけられ、息が詰まった。

 

「くっ、う、あぁ……ぐ……。いま……のは……?」


 痛みに呻きながら身を起こす。

 

 頭が痛い。軽い脳震盪を起こしたのか、視界が揺れている。

 

 首を軽く振り、かすむ目を擦りながら何度も瞬くと、

 

 「え……?」

 

 いま手をつないで一緒に走っていたばかりの制服の少女が、目の前に倒れていた。

 

 そのうずくまる姿に息を飲む。

 

 肩口を押さえた彼女の指の間から、どくどくとおびただしい鮮血が溢れ返っていた。

 

 自分の手の中にある感触に恐る恐る目をやると、

 

「うっ! うわぁああああぁっ!!」


 付け根から無残に千切られた彼女の腕が、そこにあった。

 

 細い指がまだしっかりと朔也の手を握っている。

 

「ひ、ひぃいっ!」


 慌てて振り払うと、その腕がぼとりと足元に落ちた。

 

 込み上げる吐き気を懸命にこらえる。

 

 胸がむかむかして、頭に霞がかかったみたいで、考えが散らばってまとまらない。

 

「あ……あぁ……、だめだ。た、助けなくちゃ……」


 それでも少年は必死に勇気を振り絞った。

 苦痛に喘ぎながらも少女はまだ生きている。

 いまは彼女を連れて、誰か他の人がいるところまで逃げるのが先決だ。

 

 ガクガクと震える足を踏み出すと、

 

「酷いお姫さまだこと。家来見捨てて一人で逃げ出しちゃうだなんて。生憎だけれどあいつら、みーんなあたしがぶっ殺してやったわ」


 凛と通る声が居丈高に響き渡った。

 

「可哀想に、姫さまを守るんだーッて必死に向かって来ちゃって。あたしに敵うわけないのに。気の毒だからなぶり殺さず全員この護砲童子(ごほうどうじ)で一撃で仕留めてあげたわ。感謝なさい」


 残酷な口調に、片腕を失った少女が痛みをこらえて顔を上げ、キッと睨んだ。

 

 その眼差しを深い湖水を思わせる碧の瞳が、一分の情も宿さず見下す。

 

 その姿に朔也は息を飲んで立ち尽くしていた。

 

 鉢の小さな頭の両脇でツインテールに纏めた長い髪は、夕闇の中で目映く煌めく金色。

 

 絹のように白い肌。

 

 小振りな顔立ちは、絵画の女神のように魅惑の美を湛える。

 

 その鼻筋の通った彫りの深い作りは、紛うことなく欧州系白人の特徴を有していた。

 

 紺の吊りスカートにパフスリーブの白ブラウスという、気品を感じさせる他校の制服を纏う。

 

 腰高な長い脚としなやかに伸びた腕が、幼児体型ギリギリな体つきに芸術的なバランスをもたらしていた。

 

 しかし、その両手に握られている無骨な塊に、朔也は固唾を飲む。

 

(あ、あれって、拳銃?)


 少女の華奢な肢体には余りにも不似合い。

 

 屈強な男が構えてさえ、果たして扱いこなせるのだろうかと思うような、巨大な拳銃。

 

 両手に一丁ずつ握ったそれを、クルクルと器用に回して見せつける。

 

 護砲童子といったか? おおよそ銃の名称とは思えない。

 

 どのメイカーの何のモデルなのか、いままで見たこともない。

 

 ただオートマチック式の並外れた大口径な銃であることは確かだ。

 

 そんな物騒なものが二丁、右手と左手にそれぞれ握られている。

 

「く……、ガンスレイヤー」


 その巨銃を憎々しげに睨み、腕を失って転がる少女がくぐもった呻きを漏らす。

 

「へぇ、知られてるんだ、あたしの通り名。しかも“眷属(けんぞく)”のお姫さまなんかに。それは光栄ね。じゃあ、ついでにあたしの本名も教えといてあげるわ」


 銃の少女が口の端を吊り上げ、嬉しそうに笑う。

 

 気位が高く自信に満ちた、そして一片の慈悲もない怖い笑み。

 

龍姫(たつき)よ。——鬼繰師(きくりし)一条(いちじょう)宗家の次女、鬼神“護砲童子”の使い手、一条龍姫(いちじょうたつき)。それがあたしの名前」


 美しい名前。なのに、不吉な言葉を耳にしたような不安に駆られる。

 

 脚をガクガク震わせる朔也へは、ちらりと横目に伺ったのみ。

 

 血溜まりの中で後ずさる少女だけを見つめ、二丁拳銃を携えた金髪碧眼の美少女、一条龍姫はゆっくりとした足取りで向かってきた。

 

「いい名前でしょ。素敵でしょ。きちんと覚えたわね? あたしの名前。覚えたなら——」


 歩みが速まる。

 

 鮮血が滴る傷口を押さえ青ざめた顔でよろよろと立ち上がる少女へと、

 

「——とっとと死ね」


 黒い塊のような声を叩きつけ、金髪ツインテールが巨大な銃を向ける。

 

 その刹那、勝手に身体が動いていた。

 

「や、やめろっ! 撃つなっ!!」


 なぜこんな勇気がとっさに出たのか分からない。

 

 銃口と少女の間に割って入り、大きく手を広げて庇う。

 

「なっ!? ば、ばかっ!! なにやってんのよっ! そいつは……!! 早くどきなさいってばっ!」


 撃たれるのを覚悟したのだが、龍姫は信じられないといった様子で朔也を怒鳴りつけ、引き金にかけた指を止めた。

 

 その刹那、朔也の髪を掠めて放たれた激しい衝撃が、銃を持つ金髪美少女の眉間を弾く。

 

「あがっ!」


 小柄な肢体が小さなうめきと共に吹っ飛ぶ。

 

「えっ!? あ、あぁ……?」


 なにが起こったのか、呆然としてしまう。

 

 銃把を握ったまま真後ろに倒れ、そのまま死んだように動かなくなった龍姫を驚きの眼差しで見たあと、朔也は慌てて後ろを振り返った。

 

 そこには、少女の残った方の片腕が朔也の肩越しに、龍姫が立っていた空間を狙い定めて真っ直ぐ突き出されていた。

 

 何も持っていない。小さな女の子の掌だ。

 だがそこから何か、かなりの威力のものが放たれ、金髪ツインテール娘を昏倒させたのは間違いなかった。

 

「しつこい一条の鬼繰師(きくりし)めがっ!!」


倒れた拳銃娘に向かって吐き捨てるように言う。


「この厄介な殺戮狂から助けてくれちゃってありがとう、間抜けな人間さん。ついでにもう一つお願いしちゃおっかしら」


そして振り返ると、立ち尽くす朔也へと尋ねてきた。


 突然非人間的な響きとなった声に、ゾッと背筋に寒気が走る。

 

 間髪入れず少女の片手が腰に巻き付いたかと思うと、朔也の身体をひょいと抱え上げた。

 

「へっ!? ふわぁああぁあぁ——ッ!!」


 朔也は華奢な方だが、彼より小柄で細身な女の子が簡単に持ち上げられるほど軽くはない。

 

 けれども彼女は、隻腕となった身体で朔也を苦も無く抱えたまま、尋常では無い速度で走り出した。


 超常的な出来事の連続に、頭がフリーズしっぱなしだった。

 

 胴に食い込む少女の腕が普通ではない力の強さで、息が詰まって声も出せない。

 

 屋上へ向かうのか階段を駆け上る。しかし昇降口を目の前にして、

 

「ぎゃんっ!」


 見えない壁にぶち当たったみたいに、彼女の身体が跳ね返った。

 

 そこにはなにもないのだが、それ以上先に進むことがどうしても出来ず彼女の顔に焦りが生じる。

 

「くそ、結界だわ。ここまで来て」


 しばし戸惑い、そして朔也を睨めつけた。

 

「いいわ。脚一本くらい。どうせ、すぐ新しい身体に乗り換えるから」


 対等の存在としてではなく、まるで器物か何かを見るようなその眼差しに寒気が走る。

 

(新しい身体に乗り換える? な、なにいってんだ、この娘)


 嫌な予感が膨らむ最中、彼女の右足に剣呑な感触をもたらす強い気配が膨れあがった。

 

 その脚で見えない壁に向かって蹴りを叩き込む。

 

「ぎゃうぅうっ!! く、あ、あぁッ!」


 刹那、太腿から先が、中に爆弾でも仕掛けられていたかのように内側から弾け飛んだ。

 

 同時に行く手を遮っていた不可視の障壁が、脚の肉片と相殺しあって消え失せる。

 

「うぐぅッ!! や、やった……」


 激痛だろう。

 凄まじい血飛沫が、肉と骨の砕けた惨たらしい傷口から溢れ堕ちている。

 

 腕と脚を立て続けに失って、まともな人間なら動くことなど無理に違いない。

 

 それなのに、少女は苦痛と歓喜の入り混じった表情を浮かべ、朔也を小脇に抱え続けたまま片足跳びで階段を昇りきると、屋上へ出る鉄扉を押し開いた。

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