表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黄昏の眷属  作者: 倉井部ハルカ
1/39

第1話 黄昏の邂逅

 遠くに連なるビル群を飲み込んだ不吉な夕日が、埃っぽい廊下を血のように赤く染める。

 

 いや……。血が赤いなんて嘘だ。

 

 如月朔也(きさらぎさくや)は、目の前でとろとろと広がりゆくどす黒い染みにそう思った。

 

 鼻につく鉄錆の匂い。

 

 私立戻橋学園(もどりばしがくえん)

 

 明日提出しなければならない課題のノートをうっかりと教室に忘れて来たことに気付いたのは、帰宅して一息ついてから。

 

 面倒とは思いながらも徒歩約二十分の道のりを引き返し、放課後で人気もまばらになった校舎に戻ってきた。

 

 校庭で練習に精を出す陸上部の掛け声を聞きながら、ほんの数時間前とは別の空間のような閑散とした雰囲気を不思議に思う。

 

 入学してからひと月とちょっと。部活はどうしようかと考えつつも、特に興味が持てることも無くどこにも入部せず帰宅部になってしまった。

 

 二階の教室でノートを回収した後、ちょっとした探索のつもりで最上の四階まで階段を昇ってみた。三年生の教室が並ぶ、普段は少々立ち入りがたい場所。

 

 だが……、昇りきったそこに繰り広げられていたのは、惨状だった。

 

「なんだ、これ……」


 ばらばらに切り刻まれ、窓から差し込む退廃の色を浴びて、廊下一面に散らばる血塗れの肉塊は、紛うことなく人間の屍。

 

 悪夢? ——ならばよかった。

 

 残念ながら意識ははっきりと目覚めている。

 

 現実離れした光景だが、夢まぼろしなどではない事をはっきりと理解している。

 

「うぐッ。この匂い」


 息をすれば、死が満ちた空気が肺を満たす。

 

 噎せ返るような生臭さに耐えかね、たまらず嘔吐しかけた。その刹那、

 血と肉塊の中で幽玄と佇んでいた影が、ゆっくりとこちらを振り返った。

 

「えっ!? なっ、あぁっ!」


 いつからそこにいたのだろうか。

 いや、はじめからずっとそこにいた。

 それなのに、動き出すまで彼女の存在に全然気が付けなかった。

 

 目には映っていたはずなのに。

 

 伸びすぎてぼさぼさになったようなボブカットの黒髪。

 

 三つ編みに束ねた長い後ろ髪だけが、尾のように背中に揺れる。

 

 均整のとれたしなやかな肢体に漆黒のタンクトップとスパッツを張り付かせる。

 

 夕日の赤と黒い影と、血。その中で朧に浮かび上がった蒼白の美貌。

 

「おんなの……こ……? え、ま、まさか……、犬神!?」


 しなやかな肢体を薄闇の中に佇ませるその少女を、朔也は知っていた。

 

 クラスで隣の席に座る同級生だ。

 

 だが入学してからいままで、挨拶程度の言葉しか交わしたことの無い。

 

 ともすれば存在を忘れてしまいそうに影の薄い、寡黙な女生徒。

 

 名前は、犬神ケイ。

 

 その彼女が、今頃こんな所で何をしているのか?

 

 尋ねる言葉を絞りだそうとして、朔也は息を飲んだ。

 

 これまで特に注視することの無かった彼女の容姿をいまさらにまじまじと見詰める。

 

 一切の情感を廃した無表情の左眼は鮮やかな緑色の光を宿す。

 

 しかし、長く垂れた前髪の狭間からのぞく右の眼はくすんだ灰色に濁り、しかも瞳は獲物を前に冷徹な眼差しを注ぐ毒蛇のように、縦に細い針状の瞳孔を備えていた。

 

 呪われた邪な眼。

 

 その眼に見据えられゾクリと背筋が総毛立った。

 

 本能的な恐怖に囚われ、身体が強ばったように動けない。

 

(確かに、い、犬神……だよな? でも、なんだ、これ!?)


 不安に心を蝕まれ、早鐘のように鼓動する心臓に荒い呼吸を繰り返す。

 ほんの数秒が無限の時間にも感じられる中で、

 

「う…………うう……」


 苦しげな呻きが血溜まりの中から聞こえた。驚いて目を向けたおぞましい肉塊の中から、助けを求めるように弱々しい腕が震えながら持ち上がる。

 

「い、生きてる!?」


 全て屍だと思った。血にまみれたその姿はどうにか人間だと分かる程度の有様だ。

 

 どうしよう? 助ける? どうやって!?

 

 どうにも出来るわけ無い。

 

 いったい何故こんな状態になっているのかも分からない。

 ただ掠れた声で呻き、おろおろと怯えるだけだ。

 

 その最中、犬神ケイの灰色に濁った右目がギロリと瀕死の影を睨め付けた。

 

 目にも留まらぬ速さで、細い腕が一閃する。

 

 黒く鋭い闇が奔った。

 

「がぁああっ!」


 短い断末魔の叫びと血飛沫が吹き上がり、瀕死の誰かは再び血溜まりへと沈み込んだ。

 

 一瞬にして静寂が場を支配する。

 

 朔也の驚愕の呻きと、激しく鼓動する心臓の響きを残して。

 

(殺した? 人を、斬った!!)


 真新しい血飛沫がしたたるその手に握られているのは、大振りのナイフ。

 

 単なる道具としてではなく、殺傷を目的とした威圧的な形状。

 

 諸刃の刀身は鈍く光るどころか、あらゆる光という光を喰らい尽くすかのような漆黒。

 

 鋭すぎる切れ味はいま証明されたばかりだ。

 

 切っ先をだらりと下げ、立ち尽くす。

 

 その傍ら、肉塊と血溜まりの中で突然に、青白い炎が燃え上がった。

 

「ひっ!」


 朔也が息を飲む間にその炎はみるみる形を整え、一頭の獣の姿を取った。

 

 耳をピンと立て、太い尾をふさふさとなびかせながら細い身体をしなやかにくねらせる。

 鼻面の尖った三角の顔立ちに糸を引いたような細い眼は、冷たく燃えさかる身体のなかでひときわ爛々と輝き、狐に似た異形を際立たせていた。

 

「相変わらず見事な手際だね〜、ケイ。それはそうと、向こうの方もそろそろ片付いたかな?」


 その獣の姿をした炎が、傍らの黒衣の少女へ呑気に声をかけた。

 

(しゃべってる! これって、狐か……? と、とにかく、動物が人間の言葉を!! や、やっぱりこれって夢だよな? そう、悪い夢だ!)


 実はもうとっくにノートは家に持ち帰った。その後すぐ課題に取りかかったのだけどついウトウトと眠ってしまった。

 

 きっと、夕暮れの校舎の心細い雰囲気が心に残っていて、こんな夢を見せているのだ。

 

 ここは自宅の自分の部屋。目を閉じて三つ数を数えもう一度開けば、突っ伏した机の上で目覚める。そのはずだ。

 

 けれど恐ろしくて試せない。

 

 そんなことをしても、いまと何も変わらない光景が、再び見開いた眼に映るから。

 

 これが悪夢などではなく、紛うことのない現実だと思い知ってしまうから。

 

 背中を伝う汗と、気分を不快にさせる澱んだ空気の生々しさがが恨めしかった。

 

 獣の形をした、しかし獣でも人でもない。

 

 人語を操るその異形のモノは、問いに答えも返さず黙して佇む少女を訝しんだ。

 

「どうしたんだい? ケイ」


 その問いかけに、

 

「ん……、あれ」


 小さく囁くような声が犬神ケイの無表情な美貌から零れ出る。

 澄んだ声。

 あんなに平然と人を殺めておきながら、どこか寂しげな声なのが意外だった。

 

 少女の握ったナイフの切っ先が朔也を指し示す。

 

「あれれ、きちんと結界を張り巡らせたはずなのに。どうやって入ってこれたのかな? う〜ん、やはり横着せず“籠目(かごめ)”を展開させるべきだったかな?」


 炎の獣の金色の両眼が朔也を見詰める。

 鋭い牙を覗かせた獣の口が明瞭な言葉を放ち、妙に人間めいた仕草で小首を傾げた。

 

「愚兄の仕事は常に詰めが甘い」


 その獣へと、血に塗れたナイフを構える少女が、一切の抑揚を欠いたゾッとするような声色で話しかける。

 

「いつも、わたしが尻ぬぐいをする」


 左右の色が異なる瞳が、獲物に狙いを定めるように、こちらをはっきりと見据える。

 

「ひっ」


 限界だった。

 

 恐怖に張り詰めていた精神の糸が、プツリと断ち切られる。

 

「う、うわぁあああぁ——ッ!」


 掠れた悲鳴を張り上げて、朔也はその瞳に背を向けると、全力でその場から走り去った。

以前に別名義で発表していたものを改稿再編成した作品です。

毎日、12時と18時頃に更新してゆく予定です。

よろしくお願いします。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ