007
「で、どこ行くんだよ~」
車窓動画だとかなんとか言って楽しそうにしている人はともかく、俺はする事も無くてバックミラーにちらっと見えるルイさんに一応尋ねてみた。
「せっかちだねー。せっかく来たんだから遊んでいくくらいの余裕持ちなさいよ」
「別に興味ないし、帰りたいんだけどなぁ」
すると、一通り撮って満足したのかスマホをしまったアレスさんに上機嫌で肩を叩かれた。
「ルイの言う通りだと思うよ。せっかく現地のガイドがいるんだし楽しむべきじゃないだろうか」
「俺はアンタと違って遊びに来てんじゃないんですけど」
「…!…」
「…なんで驚くんすか」
「そう言えばそうだったと今思い出した」
「あーのーなー。あんたが不法侵入したから来てんでしょうが?わかってんのかよ…」
「それこそ言いがかりではないかな?入国審査では拒絶され無かったのだし、明文化されたルールではなかったのだから、私だけが悪いわけじゃないと思うのだが」
分かってて言っているんだろうけどさ、しれっとした笑顔がなんか無性に腹が立つんだよな。
むっとして言葉に詰まって黙った俺にルイさんが何か投げて寄こした。
ひざに落ちた薄いファイルボックスを手に取ると、中にはチラシや冊子が入っているようだった。
「なにこれ?」
「一冊、殿下に渡して差し上げて。うちで作ってる移住者向けのQ&A集なんだけど、それが一番人間じゃないグループ向けのガイドになりそうだから見てもらって」
カラフルな表紙の中から英語表記の一冊を抜き出して渡すとアレスさんがパラパラとめくる。
「都内にある主要施設の所在地と、進入に注意を要する場所と注意点。後は主要観光スポットと生活上の日本でのルールなんかがまとめてあります。大まかに知っておいたほうがいい場所ってのはあるものさ、その中でも重要なスポットにお連れしようと思ってね。ほらもうすぐ着くよ」
言われて前を見れば、ごちゃっとした町並みを横切るように大きな高速道路が視界を阻むように現れて、その下の道路に合流するのか信号でルイさんは車を止めた。
交差点から見えた高架下の道路は、広いわ、車線多いわで、電車だけでなく道路すらも都会はハードなのだと思い知る。
ルイさんがためらいもせずに車線に乗ると、走りすぎていく景色はそれまでの店が立ち並ぶ細かな町の景色から、観光というには少し殺風景な倉庫やビルと高架の柱に変わった。
「細かい場所は後日お連れするとして、まずは冊子の5ページをご参照ください」
そう言ってウィンカーを右に出すと、高架下に作られた駐車場の入り口に向かった。
「ここ?どう見ても駐車場にしか見えないんだけど」
「通り道だよ。まぁおとなしく見てなさいな」
ニヤニヤ笑いながらルイさんが入り口でカードを差し入れるとゲートが開く。だがやっぱり中は資材とトラックが点在している会社の駐車場にしか見えなかった。
そんなに大きくも無い敷地を奥へと進み簡易倉庫の前で車を止めると倉庫のシャッターが自動で開いていき、見えてきたのは暗いトンネルの入り口だった。
「ちょっと揺れますのでご注意くださいね」
「ちょっ、ルイさん、何処に行くのさ?つーか、これなに」
せまい地下駐車場への入り口を思い出させる暗い入り口に、ゆっくりと進んでいくと下りになっているのか、車が斜めに傾いで俺達はあわてて前のシートに掴まった。
振り返ると背後でシャッターが閉じていく。
点灯したライトの光で見える道は少しづつ広くなっていくみたいだが、狭いことこの上もなくて俺は何時ぶつかるか気が気じゃなかった。
大きくカーブを描いて進む真っ暗なトンネルが何処まで続くのか聞こうと身を乗り出したとたん、道路の壁に小さな明かりが点々と点り、カーブを曲がりきると唐突に現れた赤信号で車は止まった。
「なんでこんなとこに信号があんのさ」
「まぁ待ちなさいよ」
赤信号は普通に青へと変わり、トンネルの出口から右折すると車は現れた地下の大通りに合流したんだ。
「お客様、こちらは帝都の新地下道「Das Versteckダス フェアステック」となりまぁす」
「だすう゛ぇす?…ルイさん!なんだよここっ!また変なもん作ったのかよ!」
俺は思わず助手席にかじりつくようにして前面に広がる風景に見入ってしまった。
一見、何の変哲もない街灯灯る夜の道に見えるが、そこはコンクリートの天井に覆われた巨大なトンネルの中だった。
「ちっちっちー近衛庁とお山も承認済みですよーん」
「いつの間にこんなもん作ったのさ」
「あれ?最新版の施設概要には載ってるよ?道路公団とのコラボトンネル、地図上の扱いは会社道路なのよー。いいでしょ?」
あっけに取られる俺に自慢げにそう言うと、ただのトンネル道路は両サイドが開けて両脇に店を携えた街道に変わった。
「公団に労働力斡旋してるじゃない?その代わりちょっと協力してもらったのさ。Geben und Nehmenね」
つまり地下に国そそのかして街道を作ったってことかよ。俺はあきれてものも言えなかった。
隣で車窓を流れる景色に見入っているアレスさんの顔も驚きに満ちていた。
「すごいな、まったく気配を感じなかったのにここは霊気に満ちている」
「流石は殿下、お気づきいただけましたか。帝都は京都と違って土地の霊子密度が濃くないので、地脈そばの地下の方が霊気が安定しているんですよ。最近やっと完成しましてねぇ、人間界での生活訓練施設兼憩いの場を兼ねた地下道となっているんです」
窓を開けると確かに薄暗く、それでいてほんのりとした明かりと霧のような濡れてまとわりつく夜の匂い。
その精霊体質特有の濃い香りが、住人が人ではないことを教えてくれる。
「今回は上の渋滞回避するのもにちょうどいいので通ってみました。隠しゲートの位置はガイドに掲載してありますので、お暇なときにでも散策なさってみてください。あと、ここだけではなく高速道路のあちこちに同じような隠し道がありますので、興味がおありでしたらまたご案内いたしますよ」
「それは楽しそうだね。あっ、あれは」
「どうかなさいましたか?」
紹介のつもりか大してスピードを出してなかったんだけど、ルイさんが路肩に寄せて車を止めるとアレスさんはあわててかばんの中からガイドブックを取り出して、あちこちに付箋が貼りまくられたページを俺に驚きと喜び半分の顔でさしだした。
「なんでこの店がこんなところにあるんだい?」
「…えーと、チェーン店だからじゃね?」
英語ですらない文字で書かれたガイドに載っている魚の写真からするに築地の紹介なのかな、寿司やラーメンだかと一緒に載っている、オレンジの看板でなじみの牛丼屋の写真に赤ペンでグリグリと丸がつけられていた。
振り返れば、少し通り過ぎてしまったけど確かに同じ看板の店がそこにあった。
「とても有名な店なんだろう?都内で何を食べるか困ったら、ここかカレーの店に行けと言われていたんだ」
「有名っちゃ有名だけど…ファーストフードなんだけど。つか、なんでここにこんなもんがあるの?」
「いや、地下街道扱いで普通に人も来るし、ほらコンビニだってあるでしょ?」
興奮気味なアレスさんには悪いが俺達はちょっと困った。
だってさ言っちゃ悪いがファーストフードなわけで、そんな興奮するようなもんでもないだろ?つか、何でガイドブックに載ってんだ。
「入ってみますか?」
「いいのかっ?」
それはそれはいい笑顔だった。でもさーこれって入ってがっかりしないか?なんかすごい高級店と勘違いしてる気がすごいするんですが。
すごく不安になったんだが、それは俺の杞憂に過ぎなかった。
隠れ街道のくせにそれなりに人が入っているのも驚いたが、キョロキョロと喜びを隠し切れないアレスさんの方が驚きを通り越して疲れた。
「シノブ?あれはどうなって」
「いいからはしゃぐなっ!座って」
何度つついて諌めてもカウンターのからそわそわと厨房を覗き込むわ、使えもしない箸と格闘しようとするからスプーン貰って食わせなきゃならんわ、ルイさんは爆笑してて役に立たないわ、最後に店長に断って写真まで撮らせてもらったアレスさんは実に楽しそうに初ファーストフード体験をしたようだった。
俺はこんなに疲れた昼飯は初めてだったけどな。おごって貰ったから文句言いたくないが。
「それでは気を取り直してまいりますか」
あらためてご満悦のアレスさんを筆頭に車に戻って出発すると、確かに車通りはそこそこあって知ってる人には抜け道扱いになっているようだった。
大通りから反れるように信号とトンネルの入り口がパラパラと見える。そのうちの一つに進むと入り口と違って、普通の明かりが点いてるトンネルの先は高速道路に繋がっていた。
「これって普通の道に入ったの?」
「そうだよー。もう目的地に到着するからね。早いもんでしょ」
「いや、俺都内の交通事情なんてわからねぇし」
「もう目的地か楽しみだな」
合流してすぐの出口で下道を降りると、ゴミゴミしたビル色だった景色に緑が混ざり始める。
「それでは冊子5ページをご覧ください」
ガイドかと突っ込みかけたが、ルイさんに言われて素直にパラパラめくるアレスさんの横から冊子を一緒に覗き込む。
英語はまったく分からないので何が書いてあるかは分からないが、カラーの写真でやっと俺にも向かう場所が分かった。
いくつかの道を曲がると黒い石垣と水路が現れた。石垣の上には中をおいそれとは窺えないように蔽い重なっている木々が色濃く緑を重ねていて、その更に上にチラチラと見える櫓の瓦。
「左に見えますは関東御所こと、日本国皇帝の東京での城に当たります江戸城でございます」
「やっぱり…ただの観光スポット巡りじゃんか!帰っていい?俺」
「OH!君ねぇ、君達の直轄の上司のお家に向かってそりゃないんじゃないの?」
「だって陛下は今月は京都御所だもん。参内すんならともかくさぁ、アポも無いのに外から観光する意味ないじゃん」
「一般の観光ルートは見たことないでしょう?付き合いなよ。殿下も旅はツレがあった方が良いですよね」
「そうだね。一人よりは話す相手があるほうが楽しいかな?どうしても時間が無いのなら仕方ないが…」
俺がめんどくさがってるだけなのを承知で、残念そうにチラチラ見ながら言う台詞ではない。
「つきあやいいんでしょ。付き合えばー!」
「そうか。ありがとうシノブ」
勝手に握手をされてて思った。なんとなくだが、この人ニコニコしてるけど何気に押しが強いかもしれん。
車が駐車場に入ると大きなバスはもとより、結構な数のタクシーと車がとまっていた。
観光ガイドに引き連れられていく団体を見ながら俺は素直に感心した。
「結構、人来てるんだね」
「そりゃ東京で1、2を争う観光地だからね。開国からこっちの歴史がフルに詰まっている博物館もあるし、庭園としても関東随一。さすがに内堀から奥は進入禁止だけど、運がよければ遠くからでも見ることが出来るからね」
「確かに私の持っているガイドにも載っていたよ。日米海戦の作戦本部跡地が博物館になっているそうで、実際に江戸城に打ち込まれた砲弾や当時のジオラマは必見とあったよ」
「へーーーーー!」
「殿下、信じられますか?この子これでも関係者なんですよ?」
「うるっさいなー。用が無きゃ外堀のほうなんて来ないし。第一、米軍の動向は俺の管轄じゃないし」
団体さんの後ろをのんびりついて信号を渡ると外門が見えてきた。
大まかに歴史の流れはなんとなく分かるけど、細かいところはよく知らないんだよね俺。さすがにそれはまずいような気がしてきた。少なくとも観光客がエキサイトする程度には、関心を集める場所の関係者だってのに何も知らないのはまずいよなぁ。
せめて帰ったらもう少し勉強しようかな。
交差点をわたると見えてくる大きく古い木の門を視認するなり鳥肌が立った。
「あ、殿下じゃなかったアレスさん、ここ入るとき注意してください」
「これは?なかなかすごい結界臭だね。漏れてここまで届いているで合っているかな?」
さすがにわかるか。
内堀から中の居住区を含む施設を囲むように張られいてる強い結界は、外堀を包むように力が漏れていて、霊力を感じない一般人でも霊体に接触すれば判るほどに濃い。
まあ、多少鳥肌が立つ程度なので、誰も変には思わないけど霊体が強ければそれだけ受ける影響も強いんだよね。慣れの問題なのであせらなければ気にならなくなるのもあっという間なんだけどさ。
「その通り、内堀を外にして結界が張られています。日本各地にある結界の中でも若い部類に当たるので隠されるほど老獪ではないんで力がにじみ出てしまっているんですよ。ほっときゃ慣れますからご心配なく」
俺よりも先にガイドよろしくルイさんが答えた。
ひょいと大門をくぐり右へと道を折れて進む団体を見送り、俺たちは連れて行かれるまままっすぐ進む。
内堀は基本かなり深い鎮守の森が作られているのだけど、外苑のそこにも都会のど真ん中とは思えない森がひろがっていた。
「団体さんは庭園散策のち歴史館。それから簡易参観ルートですけど、我々は先に管理局に行きますよ」
管理局はお堀内のすべての警備を行っている警察のようなものだ。
つか、管理局いくのかぁ。
枝分かれする道を慣れた足取りで進むルイさんを追いながら、さすがに撮影はしないもののキョロキョロと珍しげに辺りを見回すアレスさんを後ろから見ながら付いていく。
東京は120年くらい前の開国にしたがって急遽近代化した場所だけど、ここだけは時間が止まっているみたいに静かだ。
「シノブはここには来た事があるのかい?」
「ないけど?なんで?」
頭の中の地図をなぞるように道の端々に見え隠れする櫓を特定していた俺はふいに声をかけられて慌てた。
「外堀には来ないと言っていたろう?」
「ああ、なんかあった時の為に地図は覚えさせられてるし、京都と構成そのものは一緒だしあっちでも外苑なんて行かないからさー」
「米軍ってのは駐屯隊のことかい?」
「なんで知ってんの。あ、一応アメリカ人か。東京イコール日米海戦なんだけど、俺は欧州が管轄だから今も昔もあんま興味ないんだよね。実害あるわけじゃないしミリタリーとか趣味じゃないし」
「まぁ、精神世界や宗教世界に頭まで浸かっていると、実行世界の事情には疎くなるけどね。一応、同盟国なんだから少しくらいは気にしてやんなさいな。そろそろ着きますよ。ここは内堀に悪さしなければ比較的何も無いところですが、陛下がいらっしゃる時は警戒レベルが跳ね上がりますので入城の時期はご注意くださいね。非常時以外は暦通りですし、ニュースをごらんになっていれば必ず話題になるのでそちらをチェックするといいでしょう」
「はーい」
「ははは。ガイドの旗でも持ってくるんだったなぁ」
やる気なく返事した俺にかぶせるように、元気良く答えたアレスさんに気を良くしたのかルイさんが見えない旗を振って笑った。
とはいえ、俺は穏やかにはなれなかった。
だって管理局って下っ端も下っ端な俺は、端っこで控えて見てた時の印象しかないんだけど、怖い人の集団ってイメージしかないんだよな。
東京はどうなんだろう。
だがしかしだ。観光客への進入許可を与えるだけの門番は厳格かつ、いかめしくも敵愾心を感じてビビルほどでもなく普通だった。
管理局と言っても内堀前に設けられた入り口を通る時に身体チェックされるくらいで、金属チェックゲートの森とのミスマッチ加減にちょっと笑いそうになったけどな。
ゲートを抜けて小道を散歩気分で進めばそこには庭園と内堀と繋がっている池に着く。
「こちらをごらんくださーい。「帰らずの橋」こと内堀への大橋となりまーす。こちらは入る際にしか使用されないためそう呼ばれておりマース」
そして現在、庭園に嫌ってほど似つかわしくない黒尽くめの男が、参観時間がかぶって一緒になった集団を引き連れてなんちゃってガイドをやっているわけだ。
なんでこう派手に目立つこととに命懸けてんだかなぁ、あのおっさんは。
整備されたきれいな庭と池にかかる大きな黒い橋、白い壁の向こうにはまた森の緑が続き、その向こうに参観の目玉である江戸城が見えるんだ。緑の森と黒い瓦と白い壁のコントラストは言うまでも無く有名で、京都御所との違いはこの江戸城になるのかなー。
わかっちゃいたけど威嚇感はんぱねぇなー江戸城。
まさに空にそびえる勢いの黒い城を見上げるここは、唯一の写真OK地帯ときてるのでみんな撮る撮る。
いつかは東京に来てココにも来るんだろうなー、なんて思ったことが無いわけじゃなかったのでなんか微妙。
初参内がこんなんでいいのかなー俺、まぁ来たくて来たんじゃないし中には入ってないからノーカンなんだろうけどさ。
数少ないベンチに座って団体さんの背後から見える城を俺はそんなこと考えながらぼんやり見上げていた。
「シノブこんなところにいたのか!」
そしてタワーの時よろしく団体さんに混じって負けない位、はしゃいでいたアレスさんが喜色満面で戻ってきた。
「あ?写真撮って来たんすか?」
「あちらで集合写真とやらを作成するそうで、誘われたのだが君も来ないか」
「あんた写真写らねぇでしょうが」
「だからだ。君が変わりに写ってくれれば私もここに来た証拠になるじゃないか」
「だからだじゃねぇっつーの!なんで俺がツアー客でもねーのに混ざんなきゃならないんだよー」
「シノブ?城の写真だけではそれこそネットの海からいくらでも落とせてしまう。対象となるものが写っていなきゃ意味が無いじゃないか」
「しらねーよ!ルイさん撮ればいいじゃん!」
「えー」
「えーじゃねぇっての!」
「しかし、つまらないものだなぁ」
「なに?その嫌味」
「君じゃないよ。どんなに機器が発達しようと、精神体の我々が写ることはできないんだなと思うとつまらないじゃないか。せっかくこんなに楽しいのに残念だよ」
「だからって人を犠牲にすんのはどうかと思うけど」
「違いない」
隣に腰を下ろして笑うところを見るとこの人も、本気で言ったわけじゃなさそうだった。
……あちらでこちらを見ているツアーのおねーさん方は冗談じゃなかったようだが。
アレは見なかったことにするとして、おっさんが仰々しく説明するセリフをBGMにぼんやりするのはそう悪くないな。
観客がいるとほんと輝いてるぜおっさん。
「結構綺麗に撮れたよ」
アレスさんが見せてくれた城の写真は結構格好良くて、俺も後で一枚貰いたいなと思った。
「やれやれ、やっと開放されたわ」
ぞろぞろと連れられていく団体に手を振って、戻ってきたルイさんは手にしていた缶を俺たちに渡すと狭いベンチに並んで座った。
「おっさん狭いって。って、どうしたんだよコレ」
五月晴れの午後の陽気にほんのり冷たいお茶の缶は正直ありがたいけど、正門付近でないと休憩場所もないのに何処から出した。
「お嬢さん方に貰った。ファンってのはありがたいもんだね。そこらへんおじさんに感謝しありがたくいただきなさいな」
「ファンだぁ?」
ついに脳でも沸いたのかと思った。
さっさと缶を開けて上手そうに飲んでるルイさんと、思わず本気で市販品か缶をマジマジと検分する俺に挟まれたアレスさんは、缶を片手に双方を見比べて結局缶を開けた。
「……く、草の香りがする」
「ぶっ、草って。そりゃーお茶だし」
「ぶっ、日本茶というんですよ殿下」
一口恐る恐る飲んだその感想に両サイドでふきだしてしまった。
「まぁ缶ですしご無理はなさらないでください」
「そうそう、缶のお茶って結構当たり外れあるし」
「いや、好意で頂いたものなら礼を尽くしていただくのが筋というものだ」
眉間にしわを寄せながら缶をにらんで深呼吸して覚悟決めないでくれ、真剣な顔をされるほど笑いのつぼがあがってくる。
アレスさんを挟んで反対側のおっさんもそうなのか、すでに体をおって背中向けてやがる。
これが俺だったら遠慮無しに笑うくせに、我慢しているのか小刻みに背中が震えていた。
「おっさんが貰ってくるからだぞー!お客に変な覚悟決めさせんなよ」
「だってさー。よかったらみなさんでどうぞとか可愛く言われて断るほど鬼じゃないしー」
その間にもチビチビと頑張って飲むアレスさんを、俺もついに正視してられなくて湧き上がる笑いをこらえて背中を向けていた。
壮麗な江戸城を前に真剣かつシブい顔をして、お茶缶握り締めて飲んでる金髪の兄ちゃんって破壊力が高すぎだろ。
「…異文化にふれたよ」
ため息と共に感慨深くしみじみとつぶやかれ、俺たちは最後の背中を押されて爆笑してしまった。
悪いとは思う。悪いとは思うけど異文化て!
「そこまで笑うことはないだろう君たち」
「ごめっ、ごめんて」
「し、失礼しました。今度ちゃんとした日本茶がいただける場所にご案内しますのでご勘弁を」
いや笑った笑った。憮然としてるアレスさんにゃ悪いが本当に面白かった。
俺たちの日常の物でも外国から来た人には見たこともない初体験になるんだな。
「そーそーファンとか見栄張ったおっさんが全部悪い」
「それは本当じゃないかな。最初は私がガイドされていたんだが、先ほどの女性陣はルイを知っていて声をかけたようだったよ」
「そうなん?なんで?」
「なんでって、テレビで秋葉原の特集やるときは必ずおじさんのお店出るもん。最近はお店よりもおじさん所に取材に来るケース増えててさー、普通に歩いてても写真撮られたりしてたんだよね」
「だから白髪染めてかつらなんてつけてんの?」
「エクステ。ほんに君は現代っ子かね?」
「さすがに付け足しのエクステをかつらと呼ぶのはどうだろう」
ちっ、おっさんはともかくニコニコとアレスさんに反撃された。
「さて、都内で一番おさえなきゃならん場所はここなんですが、次に行く前に行きたい場所のリクエストがありましたら受付いたしますよ」
「そうかい?それなら」
かばんから車で渡された冊子を取り出しひざに広げる。開かれたページは23区の全体マップだった。
「FBでスモウを薦められていたんだがリョーゴクが進入禁止エリアになっている。どうしてもダメだろうか」
「あぁ、入れないことはないですよ。殿下でしたらなんとかなるとは思いますが、積極的にはお勧めしません」
「なぜ?」
なんで俺を見るのさ。
首をかしげて説明を求めるならルイさんにではないだろうか。おっさんもどうぞとばかりにうなづいてんじゃねぇよ。
「そら、相撲は神事の一環でやってる行事だし、国技館自体もあそこは守り道の要だから退魔の備えは万全だわ、そもそも悪いものが江戸城に流れ込まないように留めるよう置かれてるんだもん。無機体のどっちかって言えば闇寄りのアレスさんじゃ領域内では常時お払いされてるようなもんだから…じゃない?」
「その通り。無機体の方にあの領域に入るのはお勧めしてないんですよ。殿下ほど色濃く構築されている方なら消えはしないでしょうが、霊体密度の低い子では最悪体を保てなくなるんです」
「そうか…」
そう言いながらもアレスさんはあきらめ切れないようだった。国技館も観光地だからなぁ。
「体が保てるなら行っても構わないだろうか?」
「そりゃまー都内の有数の観光地ですからね。お気持ちは分かりますが何かあった場合」
「心配には及ばない、私の責任は私自身で取る。それに私は教会のミサにだって出たこともある。聖域に入る際の心得くらいはあるさ」
そこはえばれるところじゃないと突っ込みたい。
しかし本人はキメタと思ってるのか格好つけて足を組みなおし、うっかり手にしていたお茶をまた飲んでむせた。
それでまた俺たちは噴出してしまって大いにアレスさんを憤慨させたのだった。