006
チラチラと見え隠れする巨大な赤い鉄の塊を目指して坂をあがると、そこには不審者がいた。
東京タワー麓に立つ赤い鉄塊を見上げる全身黒ずくめの男、それだけで半径10メートル以内に入りたくない物件である。
だというのにどうしてだろう。次から次へと女子高生?に声掛けられては写真を撮られているのは何故だ。
黒いコートの裾はためく黒い丸眼鏡に黒い長髪のひょろりと長いその男は、ひらひらとふり返した手までご丁寧に黒い手袋と来ている。
あれが普通だというなら関東は怖いところだ。
そして何より恐ろしいのは、坂上の不審者は手をコートに戻すついでに坂下に落とした視線のまま俺に向かってしまいかけた手を振ったのだ。
「Gruess Gott!おちびちゃん久しぶりぃ!」
あぁ、やっぱあれがそうなのか?
突き抜けたような能天気な口調、よくわからんドイツ語っぽい何か、確かに俺が知っている人物と符丁は合うが見た目が違いすぎてにわかにゃ信じがたい。
しかし、とことこと近づいてくる怪しいおっさんは確かに知っている顔をしていて、俺は思わずがっくりとひざをついてしまった。
「大丈夫かい?ぶっちゃん」
黒眼鏡をわずかにずらして見下ろす薄青い目に俺は確信にいたる。
黒尽くめのおっさんは死霊使いの「ルイス・レイド」ことルイさんだった。
「ネクロマンス」と言われる死者の研究を代々している家門で、幽霊になっちゃった彼女と結婚したくてドイツ帝国圏からわざわざ日本にやって来た、精霊界及び人外種族の日本国内総領事館代表をやらされてる一応偉い人でもある。
因みに「ルイス・レイド」は世襲名なので本名は誰も知らない。俺にとっては偉い人ってより山にしょっちゅう遊びに来ちゃ、人のことをおちょくり倒してくるただの変なおっさんだった。
初めて会ったときから今日に至るまで胡散臭い外人臭漂う人だけど、この間会った時は本人曰わく、シルバーブロンド〔俺達は白髪じいって呼んでた〕にプラチナブルーがミステリアスな瞳のロマンスグレーダンディーだったはずだ。
それがなんでこんなにツヤツヤしてんの?黒って若く見えるの?それともなにやら怪しい術でも使ったの?つかなんで黒髪?
この人は増加の一途をたどっていた人外種の管理整備が始まったときに、人外種や欧州事情に詳しいからって領事を買って出てくれたのはいいが、拝命直後に人外種の人間社会へのリハビリ施設を提唱して、承認と予算が下りるやいなやコスプレメイド喫茶を秋葉原に作ってしまった人でもある。
今や都内有数のチェーン店になっているってのが恐ろしいが、確かに普段から喜んでコスプレしてるような変な爺さんではあったよ?
山をすでに降りてる卒業組のおっさん共に「俺らが山に入った年にはもうおったぞ」とか言ってるのを聞いて驚愕したし、それが事実なら見た目は40から50位をかれこれ30年位続けてる事になる。人間でもウッカリすると妖怪になるいい見本なのも知ってた。
それでもさ、この間会った時はそれなりにじいさんだったじゃねぇか若作りってレベルじゃねぇだろコレ。
「シ、シノブ大丈夫かい?」
衝撃過ぎて立ち直れない俺をアレスさんが屈んで様子を伺ってくれた。
が、ごめん。ようやく復活。
委託とはいえ公務員が胡散臭い格好すんじゃねぇって、あれっだけ桐さんからねじ込まれてたのにこのおっさん懲りてねぇ!
「じっ、じじい!!!なんだその若作りはっっっ!!髪の色どうしたんだよっ!」
「いいっしょー染めたんよ。似合うっしょ?後、どうせ呼ぶならおじ様って呼びなさいって言ったでしょう?ほんとチミは年上への礼儀がなっとらんね」
黒いコートの裾を翻してモデルみたいなターンをくるりと一回転、腰に手を当てて指先を振るじじいに俺は切れた。
「黙れっ白髪染めっ」
観光地のど真ん中でニヤニヤとかます年齢不詳のクソおやじを俺は思わず怒鳴りつけていた。
「言わなきゃ分からんことを指摘する子は空気読めなーいって嫌われるよぉ?」
「回るなウザい!つか!なんなんだよ、そのいかがわしい格好はっ!」
「欧州からのお客様でしょうが。久しぶりなのでお持て成しモードでお出迎え?」
「ホントのとこはよ」
「うちの店、今ゴスロリフェア中なのよ。吸血鬼執事テイスト店長様のまま来た」
コスプレ喫茶からそのまま来たんかい!いい年こいてモデルみたいな立ち方すんじゃねーよ!ほんといくつだよアンタ。
「着替えてから来いよ!!年相応のかっこしろよホントもー!いい年こいて!」
「シノブ落ち着きたまえ」
「アレスさんは黙っててくれ!こんのおっさんだけはほんとに」
「いや、ものすごく見られているのだが。いいのだろうか…」
つい、地元のつもりで畳み掛けるように詰め寄った俺の肩にそっと乗せられた手の静止に我に返る。
もし音がしてたなら濁音だろうってぎこちなさで首をめぐらすと、整列した女子高生の集団がこちらを見ていた。
「修学旅行だねぇ。集合場所なんだって言ってたよ。可愛いねぇ」
じじいが用も無いのに上機嫌で再び彼女達に手を振ると、聞きなれない甲高い嬌声が上がる。
やべえ心臓が痛い。
だくだくと体中から汗が吹き出るのが分かった。ルイさんに手を振り替えしてきた女の子達と目が合ってしまった瞬間、俺はルイさんの襟首を掴んで思わず走っていた。
「こらこらお客様ほったらかしてこの子はもぅ」
茶化してんだか、たしなめてんだか分からないルイさんに我に返る。
公園までダッシュで戦略的撤退をしたのはいいが、アレスさんを置いてきてしまったらしい。
「あ゛っ!」
あわててもと来た道を俺は振り返った。
律儀に追いかけて来てくれた金髪にほっとする。
「ごめん!アレスさんっ」
「いやかまわない。なんというかその大丈夫だろうか」
面目無いことに気が抜けてしゃがみこんじまった俺にお気遣いありがとうっす。
でも今日一番で疲れた。
だってさ一人や二人ならともかく何十人という女子の凝視とか、心構えも無しに見るもんじゃないと思うわけですよ。
まぁ動じてるのは俺だけっぽいのは、腹を抱えて笑ってるルイさんの様子でよく分かる次第ですが、つか、じじい笑いすぎ。
「いやいや相変わらず面白いね君は」
「う、うるさい…」
ひとしきり笑って満足したルイさんは俺が立ち直る前に、アレスさんへ向き直ると手を胸に当て芝居がかった仕草で深々と頭を下げる。
「それではあらためまして神秘の帝国日本へようこそ殿下。お初にお目にかかります私めはネクロマンサー学を家命としております13代目ルイス=レイドと申します。以後、お見知りおきを」
「ああ、よろしく。かなり昔だが会ったことはありますよ」
それを平然と受け取るアレスさん、外人ってこれか普通なのか?
「あ、それきっとうちの爺さんと先代ですよ。欧州事変が収束した年にチャンスとばかりにご実家に居候させてもらって文献漁りしたってよく自慢されましたから」
そういうあんたも現在うちで同じことしてるけどな。
「そうだったのか人間にしては博識な方だったので色々と学ばせて貰ったし、また話せると楽しみにしていたんだが」
「お気持ちありがたく頂戴いたしますよ。生きてたら二人とも喜んだことでしょう」
「そうか、人間の時間はやはり短いものだなぁ。だがこうして子孫に会えるのも嬉しいことだ。滞在中は世話になります」
「謹んで」
なんかこうへりくだってんだか、芝居なんだか分からない適当な調子でしゃべりつつ会釈するルイさんはもうどうでもいい、むしろなんでかチラチラと俺を見ながら話すアレスさんが謎だった。
「もうなんでもいいよ。とりあえずなんで東京タワーなんだよ、店にいたならそれこそ秋葉原でも新橋でもよかったじゃん。観光地ってのは営業行為禁止されてるもんじゃん?ビラ配りしてぇだけだったら帰れよもー」
「あーその様子じゃ本当に理解してないのねー。秋ちゃんが放置したんだったら平気かとは思ったんだけど、ナビゲーターがうっかり者の忍ちゃんじゃーおじさんちょっと心配だったのよ」
はぁ?オーバーに肩をすくめられても意味がわからん。だが、とりあえず小ばかにされている事だけは理解したぞ。
こんな変な格好したおっさんにおちょくられたままでいてたまるかって、仁王立ちに立ち上がると宣言してやった。
「アレスさんごめん。こんな不審人物につきあうこた無かった、秋さんには適当言っとくからもう行っていいっすよ」
「んーーーー。ま、こんなとこで立ち話も何だし車行かない?」
とりあえず執行権限は俺だってのを主張して見たがルイさんにさらっと流される。
「シノブ、そうさせてもらわないか?」
ちょ!あんた俺の味方じゃねぇのかよ。
アレスさんにまでたしなめる様にそう言われのは釈然としないが、そもそもアンタが人間じゃないのが悪いんじゃんとも言えず、さっさと歩き出したルイさんと付いて来るのを待ってるアレスさんに俺にはどうしようもなく結局付いて行く事しか出来なかった。
タワー裏の駐車場にあった見たことの無い黒塗りの車にちょっとびびる。
いつもの営業車〔痛車〕じゃなくて良かったような気がしなくも無いが、従者よろしく扉を開いてエスコートする方もする方だが、気にせず乗り込む方も結構アレだと思った。
遠巻きに眺めてた俺に気がついてルイさんが手招きする。
「ほれ、何してんの。忍ちゃんも入んなさい、せっかく借りてきたんだから」
「いやもーおっさんに預けるし」
「何言ってんのお山の鬼軍曹ちゃんにあること無いこと吹き込まれたくないならさっさと入る」
鬼軍曹って桐さんか!似合いすぎてて怖ぇぇ。
しぶしぶ近づくと楽しそうにアレスさんに続いて後部座席に押し込まれた。うへぇ、やっぱ俺も強制参加なのね。
前に回って運転席に着くとそのままエンジンをかけたルイさんに違和感を覚える。
「つか、せっかく東京タワー来てるのに昇らないのかよ」
「ああ、タワーはどうせなら夜上ったほうが綺麗だから後でね。せっかくだし普通の観光じゃ行かないところ紹介ツアーしようかなと思ってさ。あ、その前に殿下、左腕見せていただいてもよろしいですか」
「構わないよ」
だからなんでそう警戒心無く差し出すかなと思う間もなく、座席の間から素直に左腕を差し出したアレスさんの腕に、ルイさんは左手の中指にはめていた指輪の石を当てた。
「今のは」
「緊急パスです。正式なものは後でお渡ししますが、殿下の生態状況は帝都内での活動制限に多少引っかかってしまいますので」
「え?そんなはずなくない?ちゃんとガイダンスしたけど変なとこもなかったし」
「おバカだねーこの子は。私の目が黒いうちはパスも無しに歩かせられないでしょ」
「黒くないじゃん、そこまでやっといて目だけカラーコンタクト入れてないとか手抜きじゃね?」
「日本には言葉の様式美ってもんがあるの。ほんと君も日本人なら言葉に気を使いなさいよ。申し訳ありませんね、そこのチビっ子は死者の扱いは丁寧なんですが、どうも俗世間に疎くて」
「保護者かっ!…アレスさんどうかした?」
「いや、これは本当にパス〔許可証〕と呼んでいいのかと思ってね」
まじまじと見つめている何の跡も無く見える左腕には、うっすらと金の輪っかが明滅している。
「対人間外用なので行動を制限する作用が多少ありますので違和感があるかとは思いますがご容赦ください。普通に生活していただくにはなんら問題はありません」
確かに亡命や何らかの理由で日本を訪れる人外は、基本人間と相容れない生活習慣を持っているから住処を追われる。
その中には人間の生死に関わる習性だってある。
だから生活習慣に取って代わる生活を約束する代わりに、今までの生活を改めてもらう。
その約束の誓いがルイさんの管理しているパスだった。罰則に抵触する行為の制限と、処罰対象行為を行った際の緊急行動停止機能を備えている。
悪く言えば飼い犬になるための首輪だ。
きちんと説明をして受け入れられるなら生活できるよう全面的にバックアップもしているので、苦情が出たことも違反行為を行った奴もいないので一応そこまでひどい物じゃないのは知っているが。
「この人すごく無害なんだけど、そこまでする必要あんの?」
なんとなくそう言ってしまった。
なんか複雑な顔をした後、アレスさんは腕を組んだひざに落として微妙に拗ねた感じに笑った。
「こうも無害無害言われると吸血鬼としての証明をしなければいけないような使命感にかられてしまうよ」
「いや、すんな。無害でいいじゃん。平和が一番だよ」
「いやーそこは私も忍ちゃんが悪いと思うよ。忍ちゃん、牡力低いからわからないかも知れないが、男にとっていい人とか無害って価値無しって言われてるようなもんでしょうよ」
「そんなこと言って無いじゃん俺」
すんごい誤解過ぎる。
どうやったらそう解釈になるのか意味が分からないが、とりあえず二人は慌てふためく俺に遠慮のない爆笑をしてくれた。なんなんだよ、くそう。
「さて、殿下が欧州一敵意の無い吸血種ってのは良く存じてますよ。生きている間にお目にかかれるとは思ってもいませんでしたが」
「そうなのかい?」
「ある意味、とてつもなく有名ですからね貴方は」
「そうなん?俺知らないよ」
「現代欧州史には必ず出てくるのに勉強不足だね。そんなんだからベル様にもカモにされるんだよ」
「…シノブは兄を知っているのか?」
ベル様だとう?
「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!どっかでみた事ある顔だと思ったらベルさんかっ!」
俺は思わずまじまじとアレスさんの顔を凝視してしまった。
山の領域結界にちょっかいをかけては余計な事件を起こしてくれる俺が唯一知っている吸血鬼と確かに良く似た顔立ちだった。
同じパーツ系なのにこうも雰囲気って変わるもんなんだ。
アレスさんが結構爽やか系な印象なのに、あっちはどう良心的にとっても闇の種族ですありがとうって黒さしかないのでまったく気がつかなかった。
「驚いた」
「大きい声急に出さない、秋ちゃんにブレイド一族本家だって聞いたんでしょ?あれだけ酷い目に合わされててなんで思い出さないかね」
「すまない。あ、兄が何かしたんだろうか」
「気にしなくていいですよ。あの方も基本的に山の連中は好きなのですが、時々ささやかな悪戯をしかけるので年長組みが面倒くさいからってこの子に相手させてるだけなんですよ」
うろたえて俺とルイさんを交互に見るアレスさんに、ルイさんはこれまたしれっと答えた。
「だけじゃねぇっつの!人のうちの庭に巣を作ろうとすんなって言っといてくんないですか?山なんてそれで無くても平常の空間じゃないんだから、欧州と一発で繋がる異界作ろうとかマジろくな事しないんですよあの人!」
「す、すまない!ベル兄さんには必ず伝える。本当にすまなかった」
「や、アレスさんは悪くないからいいんですけど。興奮してすんませんでした」
必死に頭を下げられ我に返る。
アレが兄貴とかもう同情しかなくなった俺もなんとなく頭下げあって、発進することも困難になるくらいハンドルに突っ伏して笑っているじじいは死ねばいいのにと睨み付けた。
「話は本題に戻りますが、殿下の行動形態は人間社会にカスタマイズされておいでだから害は無いのは当然です。ですがこの日本においては少々事情が異なります」
眼鏡を外して笑いすぎて出た涙をぬぐうと普通の眼鏡に替えてルイさんは車を発進させた。
「そこでぶっちゃんに質問です。問1、幽霊と呼ばれる状態にある霊子の基本構造と構成は?」
いきなり何を言い出したかと思ったら基本霊子体系学の講座が始まった。
「昇天しない状態で現界に固定された状態の魂核が生前の霊体子を保有している状態の精霊態でしょ」
「正解。問2、人外と呼ばれる属にはどんな種類があるでしょう」
「大枠で有機体と無機体で分けてて、そこから細分化する」
まぁここらへんは基本でもあるし俺の得意分野でもあるんだけど、それを知らないはず無いのに何がしたいのかさっぱり分からなかった。
「大正解。問3、日本の人外向け刑法が制定されたのは明正15年ですが、なぜ制定されたのでしょう」
「んあっ?えーと。えー、第三期欧州事変の影響で欧州から亡命した人外種が爆発的に増えたから?」
「よくできましたー」
「なんなんだよ。なんか意味があるわけ?」
「おお有りだよ。最後の質問だけど、殿下の生態状況は聞いたのかい?」
それは浜松町からの道すがら聞いたことだった。
「聞いてるっての。吸血行為の変わりに不特定多数の人間から行動に支障が無い量の生気の吸収…でいいんだよね?」
おもわず本人に確認したが穏やかに頷かれほっとする。
「そうやって人間社会にゃ影響ないようにしてるんだから問題ないじゃん」
「80点かなぁ。生気の基本構造である霊子体の吸収が正解かな。人間に負担をかけないよう、生気にこだわらず吸収をなさっていますね」
「ああ。そう燃費は悪くないので吸収自体も普段は行わないようにしているが」
「ここまで聞いてまだ分からないかい?そうだとしたら君のジョブ的にショックなんだけどなぁ」
何か見落としているでしょうと、バックミラー越しにちらりと俺を見たルイさんの目がそう責めていた。
適当でしょうも無いおっさんだが仕事に関しては線引きをきっちりする人でもあるのは知っている。そのルイさんがたしなめるような事を俺がしてるって事だった。
まてまてまて、殿下が人間に負担かけない生態系を作ってんのと何の関係がある。
「じゃあ最終ヒント。おじさんのお嫁チャンは幽霊です。幽霊の体の基本構造である精霊態の基本因子は死気と呼ばれる霊子体で出来ています」
「ルイ!すまない。確かにこれは必要かつ必然のパスだ」
俺より先に顔を青くしたアレスさんがそう答えた。
「えっ?アレスさんが分かってる?あっ!無機体族の体は精気体もしくは霊子体で構成されてる」
「正解。殿下は無差別に吸収しているわけでは無いのでいいとは思うけど、警告はしかるべきでしょう?今この帝都にどんだけ無機体の人外が住んでると思ってんのよ。体のある人間は多少吸われても回復するけど、彼らにしてみれば吸収は体を食われることと同じなの。私には問題が起きないように管理する権限が与えられると同時に、彼らが日本で平和に暮らす権限を守ることも含まれているんですよ。なので現在、東京内でもっとも無機種へ影響の少ない地へ誘導させていただきました」
ショックだった。
精霊態の触ればふれられる体は人間と根本的に構造が違う。そんな分かりきったことに気がつかずにフラフラしていたバカ野郎な自分に腹が立った。
間違いがあれば双方にとって良くないのは想像するまでも無い。
「まぁ、東京はお山のように自動的に補填されるほど霊子の密度が濃くないせいでもあるんだけどね」
どうフォローされようと吸精を主とするアレスさんにその注意を与えず、人間として処置したのは俺の責任だ。
「…色々すいませんでした」
「君のそういう素直にへこむところは好きだが、もうちょっと注意力を上げような。秋ちゃんにも分かってて放置はやめるよう言っておいたから」
「はい」
「そんなわけで精霊態種族への吸精行為の禁止のみを織り込みさせていただいたパスになります。急ごしらえですので具合が悪ければ再調整したものを後でお持ちいたしますよ。たいした強制力も無いので着けるほどの物ではないのですが、無いと一応罰則の範疇になっちゃいますので保険だと思ってください」
「シノブをあまり責めないでほしい。元は私が何も知らずに来たことなのだから」
さらに本人からのフォローに俺はもう頭を上げていられなかった。
マジですんません。ほんともう。
「いやいやアナウンスは受け皿の仕事ですし殿下はお気になさらず。ちっとビビラしといてとか秋ちゃんに頼まれたとは言え乗りすぎちゃったかなぁと思わんでもないので」
「あ゛?」
ちょっとまて、今なんだって?
抱えていた頭を上げるとバックミラーの目はさっきと打って変わってニヤニヤと俺を見下ろしていた。
「おじさん嘘は一つも言ってないよぅ?説明一個抜かした君が悪いのは事実でしょ?とは言え、あれだけ無害無害言ってたくせにちったぁ自分を信じなさいよ。本当にからかいがいのあるちびっ子だなぁ君は」
我慢しきれずに笑いがルイさんの口から漏れ出した。
「く・そ・じ・じ・い!」
まったく気にも留めずにシリアスっぽく作っていた顔をさらっと捨て、いつもの不信感満載の笑顔で愛想よくアレスさんに片目を閉じて見せた。
じじいのウィンクなんてあの世で死神相手にしてろや。
「殿下が無差別に吸精を行わないようにむしろ閉めてるのは見れば分かりますし、空港留め置き措置不要って時点でパスなんて必要ないくらいですよ。すみませんね、孫を構うのは年寄りの唯一の楽しみなものでして」
からかわれる隙を作った俺が悪いのも確かだけど、どいつもこいつも隙を見逃すとか教えて指導するとか、そういう年長らしい配慮をする気が無いのかと問いたい。
まぁ自分への言い訳なのは分かってるけどさ。
俺はどっと押し寄せた疲れに窓にがっくりと頭を押し付けた。
「大丈夫かいシノブ」
「大丈夫っす、むしろこのじいさんの平常運転コレなんで」
「さーて、そんじゃま人外限定のアンダーグラウンドツアーに参りましょうか」
無駄に元気なじじいの明るい号令とともに強制東京観光ツアーがこうして幕を開けたのだった。