005
「おおっっ?」
無事、浜松町の駅にたどり着き教えてもらった交差点を左に折れると、都会の町並みと空ににょきりと伸びた赤と白の三角形に、思わず俺たちは立ち止まってしまった。
「あれが東京タワーかい?」
「そうだと思うんだけど、とりあえず行ってみないとなんとも」
上しか見えていないせいかな結構小さい気がするし、なんか知っている形と違って見えた。
「なんかもちょっと足がドーンとあった気がするんだけどなぁ」
「ともかくアレを目指していけばいいのだろう?行くだけ行ってみようか」
「そっすね」
一本道をてくてくと三角目指して歩き出したアレスさんの後を俺はあわてて追いかけた。
一応年上だしな暫定的敬語に戻しとく。
のんびりと歩き出した先にある鉄塔の向こうの空は緩やかな雲を従えて蒼天。初夏の日差しは夏ほど強くないにしてもまぶしいくらいだ。
時々確かめるように視線を上げる以外は、珍しそうに町並みをキョロキョロと見ては楽しそうに店の種類なんかを質問してくるこの人は実に観光客だった。
聞かれたところで俺だっておのぼりさんなのでなんとなーくとしか答えられないんだけどね。
それにしてもだ、本当に何の違和感も無く歩いてんだよなぁ。
俺が知っている吸血種の人は人外種講習のテキスト通りに昼間寝て夜起きていた。光は得意じゃなくて白人種なのを除いても色素が薄くていかにもって雰囲気だった。
「なんだい?」
それなのに視線に気がついて愛想いい微笑を向けてくるアレスさんからは夜系種族特有の匂いがまったくしない。
「そうやってると普通の外国人観光客だなーって思って」
「正真正銘、観光客だと言ったのにまだ私は疑われているのかな?」
「そこは疑ってないけどさ、本当に昼間に出歩いてて痛くもかゆくも無いの?」
「うーん。子供の頃からこうだからね。逆に光が苦痛になる感覚のほうが良く分からないんだよ」
吸血鬼は常闇の狭間を漂う精霊体が形をなして産まれたものとされている。
触れられるほど濃い精霊体が人の生気を吸う事で人の形へと近づき、人の形を維持するためにさらなる人の生気を必要とするだっけ。
だから普通、吸血鬼は反対の属性を持つ光には刺されるような苦しみを覚えるらしい。
光だろうと闇だろうと精霊界が産地の種族ってだけで、俺らの感覚ではテリトリーの住み分けじゃねーのって気がしなくも無いけどね。
「確かさー血を吸う事で人間の生気を取り込むんだよね?血を吸わないのにどーやって生きてんの?」
「厳密には生きているというより存在を維持している。が、正しいかな」
俺達のそばに人がいないのをいいことになんとなく聞いてみると、これまた彼は普通に教えてくれた。
「もちろん私にも直接生体エネルギー吸う事は出来るんだが、吸血行為は色々オプションがついているんだよ」
「お、おぷしょん?」
「そう。例えば同じ人間から過度の摂取を行うと人間はいつか眷属化して体は死ぬ。眷属化したら補食も不可だ。そうなったら新たな人間も必要となる。だから人間を殺して神の加護の届かぬ下僕に変える悪魔として教会から嫌われたんだよ」
「悪魔祓いの歴史で習ったそれ!魂を汚されたとかなんとか言って教会がミサもしてくんなくなるってやつでしょ?」
「そうだね。実は大人になって吸血行為が出来るようになるまでは死霊や怨霊が主食なんだけど、そこまではちゃんと今までの吸血種と同じだったんだよ。でも生気と違って死気は生気の残渣だからあまり美味しくない。一度、吸血して生気を吸えばそれ以外は欲しくなくなると言われたんだけど何故かその気にならなかったんだ」
確かに死霊は生きることで発生する個人の記憶や思いが、基本となる魂を覆っていたものの一部が死の際、何らかの理由で魂から零れ落ち現界に残ったものだ。
通常なら魂が空に帰る時、それらの思いは魂に溶け魂を豊かにして次の命へと宿るとされているけど、強い未練だったり、恨みや憎しみなど強い感情は溶けきれずに零れ落ちてしまう事があるんだ。
ある意味人だったものには変わりないから生気を糧にしている種族には、確かに死霊を好む連中もいる。
そして死霊より生きた人間を好む種族ほど人の形に近く、人型に最も近い吸血種はある意味精霊界のグルメってとこになるのかな。
「ある日、昼間に目が覚めてね。最初は敷地内だけで遊んでいたんだが一人だとつまらなくて、外の町に通うようになった。そうなれば顔なじみだって出来るだろう?一族の中には子供はいなかったし、人間の町には似たような年恰好の子供が大勢いて本当に楽しかった。でもそれは本来あるべき姿ではなかった」
そりゃそうだろな。ウサギと虎が仲良く遊んでいるようなもんだ。
「ばれた時は大人達にものすごく怒られたんだ。すぐに成人の儀を行って吸血族の本分をとか色々言われたよ。それで私が間違っていたことは理解した。でも、君なら友達を自分が生きるために食い殺せるかい?」
「いや、俺は人間だし。むしろ人間食わないし」
「確かにそうだ。…私は血を吸うことが出来なかったんだ。もちろん、やろうと思えば出来るしやり方も知っている。それでも」
んー、やっぱ伝統がドーとかあるのだろうか。人間サイドとして考えると嫌な伝統ではあるけど、時間が積み重ねたものを誇りにして身動きが取れなくなるのはどんなとこでも同じなんだなぁ。
「友達を食いたくないって普通の感覚っしょ。結局食べなくてすんだんでしょ?」
「うん。家族は私をかばってくれたし、吸血行為を捨ててくれた。ただ、そのせいで一族は二つに割れてしまったのでバツが悪くてさ」
「でもさー別に悪いことしてるわけじゃないんだし、家族がいいって言ってるなら親戚のおっさんのたわ言なんて無視でいいと思うけどなぁ。いるよなー関係ないのに横から口出してくる親戚って。でもってすんげーぇ面倒くさいの。俺は正しい一点張りでさ」
家族のいない俺だけど、代々三幇神社の宮司をやってる犬塚本家の次男である桐さんが、よく親戚のおっさんにえばられちゃー切れているので良く分かる。
はいはい言うこと聞いてないと帰らないし、なんでか宮司の親父さんに言わないで桐さんとこ来るんだよなぁ。まぁ、中社が内外の折衝してるから影響力の誇示行為の為としか言いようが無いけど。
「無理しなくてすんでるんだから良かったじゃん」
「ああ、家族には好きにさせてもらって感謝しているよ」
嬉しいような、困ったような顔でそう言うアレスさんは、ありがたいと思うから申し訳ないんだろうな。
人外であっても感情がないわけじゃない。むしろ、人の世界に介入できるほど人間社会と同じようなコミュニティを築くし、閨閥を築けるような長生族ならなおさらだ。
でもまぁ害がないならそれで十分だよな。
「あ、でも維持できてるってことはどうやって生気を取ってんですか?」
「それはね。生体エネルギーを少しづつ分けてもらっているんだ。さっき君が広げたみたいに人間は大小はあっても体の回りに生気からなる霊体を帯びているだろう?それを少し吸わせてもらっているんだ」
「へーーーーーーそんなことできるんだ。あぁ出来るか。霊体も生気も要は精神分子で出来てるから取り込んで維持にまわせるんだ」
「よく分かるね」
「さっき会った秋さんの特技がそれなんです。さすがに有機物を分解は出来ないみたいなんだけど、無機物質だったらなんでも分解整理できるし、霊体の流れを活性化させたり抜いたり調整できるし霊体って何処までも細く出来るからGPS風にひも付けしたり出来るんだって。さっきの簡易結界もその応用なんですよ」
精気力を血液全般とするなら生気や死気は赤血球とかの成分ってとこだ。
献血や輸血のように扱うことの出来る強力な精気力管理は、さすがにレアな能力なので日本国内にも数十人くらいしかいないけど、整体士とかマッサージやってる人なんかにはそう珍しい技術ではない。
基本、精気力は血流の流れに近い動きをしているからね。
「はぁ。なかなか非常識な技術で作られているんだな」
「今もって非常識な存在のあんたに言われたくないわ」
まじまじと右腕を見る昼行灯系吸血鬼にそうつっこむと、彼は怒らずに声を上げて笑った。
生き方が違うだけで普通なことこの上も無い。だから思わず俺も一緒になって笑ってしまった。お互い非常識すぎで本当にいっそ可笑しかった。
「ありえないわー笑える」
「本当に面白いなぁ。まぁそんなわけで生体エネルギーの吸収だけでもやっていけるものだよ。人間が多いほど一人当たりの負担も少ないし、空港は人も多かったし今の私は非常に良好だよ。満たされているとえり好みしたくなってくるけどね」
「えり好み?」
「そりゃあ好みの生気くらいはあるよ。人間の食事と一緒で美味しいものは誰であれ好きだろう?」
「そういやあんたフツーにビール飲んでたけど味とか分かるのかよ」
「分かるよ。扱いのカテゴリーは死気の分解摂取ってところだけれど味を感じるのは別だからね。だから吸収じゃなく吸血のほうが旨いはずという理屈もよく言われたけど、吸収でだって味の良し悪しはあるんだよ。ちなみに苦しみや焦燥がこもった生気が好みだ」
「爽やかな笑顔で言うんじゃねぇよ」
やっぱあんた。夜属性だったわ。
陽光の中、キラキラと輝くような笑顔に突っ込むが、それすらも可笑しいのかアレスさんの笑いは止まらなかった。
「そんなに、ははは、怒らなく、ふふっ、ても」
「いいかげん笑うのやめろっての」
「はぁ、久しぶりに笑ったよ。ところでシノブ結界の気配を感じるのだが。領域かな?これは」
「へ?」
気がつけば小さかった東京タワーの展望台は見上げる位置になっていた。
目の前の門の先にこんもりと茂る木々と領域の気配、そういえばタワーのそばには寺があるんだっけ。
「お寺があるんですよ。領域ですね。そっか神殿系は入れなかったりします?」
「いやー教会にミサに行ける位だから平気だよ」
とことん非常識な吸血鬼だなあんた。
「それにしてもこれは」
門をくぐるとその道路の先に瓦屋根がかすかに見える。まばらだった人影が急に増えていき、寺前の信号には人だかりが出来ていた。
「おぉぉ。なんて風景なんだ」
人種入り乱れてそれぞれがカメラやスマホを空にかざしていた。
話に夢中になっていて気がつかなかったけど寺の構えの空に見上げれば鉄塔、一見ミスマッチな光景がなぜかしっくりとそこに存在していた。
「なんかすげー」
そびえるような塔は朱がかって赤く高く、おもわず指差して話しかけようと横見るとアレスさんはいなかった。
「おおー!」
声のほうを見れば彼はいつの間にか信号待ちで並んだ観光客に混じって、懐から出したスマホを空にかざしていた。
交差点を右に左に角度を変えて写真を撮り5分もそうしていただろうか、満足げに戻ってきて鉄塔の写真を俺に見せる。
「ビル街に教会はアメリカにもある光景だが、テラ!&タワー!なんてエキゾチックな!」
「はぁ」
そのままなにやらスマホで作業をしはじめる。
「……なにしてんの?」
「FBにこの感動を忘れないうちに載せたいじゃないか」
「……フェイスブックやってんだ」
「あぁ、家族には用もないのにメールするのもなんだから、その分FBのフォローで生存確認されてる。結構フォロワーもいるんだよ。日本に行くって載せたら食いつきよくて写真も期待されていたんだ」
いやもーほんと吸血鬼なんだか一般人なんだか色々どーでもよくなった。
人害なのは確かかもしれないが、いいかげんほったらかして帰りたいわ。
「そうだ!私は電子機器には写りこめないけど君を撮ろう!ほらそこに立って!」
「いらないから!つーかすんなっ!恥ずかしいっ!やーめーろー!」
だめだこいつ、さっさと東京タワー連れてってルイさんに回収してもらおう。
信号の前に立たされそうになったのを逆手にとって俺はアレスさんの腕を引っ張りあわてて信号を渡った。
感慨を感じる暇も無くテンション上げる外人を片手に、俺は近づくほどに写真でよく見る姿を現す赤い塔へと向かったのだった。