004
車窓を流れては過ぎていく田園風景を興味深々に眺める隣人の横顔は、昼間の陽光の中で金髪だけにキラキラとしている。
こうして見ていると、ただの外人観光客にしか見えない。
だが、吸血鬼である。
人間の血とか吸って殺しちゃったりするアレである。
「シノブ今のを見たかい?時間通りに駅を通過するなんて本当に正確なんだな」
「……」
「それにしても、このナッツは美味だ。アキには感謝しないとならないな」
「……」
通り過ぎ行く駅を時計を見ながらカウントしちゃウキウキと報告してきても吸血鬼である。
柿の種を上品につまんで食ってても、満足げにビール飲んでても吸血鬼なのである。
「……あのさぁ」
「あぁ、君も食べるかい」
「いらんわ。あんたさぁ本当に夜の業界の人なわけ?」
差し出された小袋を一瞥で無視して睨んでみたが、要領を得ないのか首を傾げられた。
自分でも何度目か分からない問いではあるが信じがたいんだからしょうがない。
「〔でかい声で吸血鬼がどうとか昼間っから話せるわけ無いだろ〕そっちの業界のお仕事は夜が主流だろ」
「なるほど確かに。だから夜の業界か」
非常識な山の生活に慣れた俺でも、外界で霊やら人外やらの話をする勇気は無い。
かわいそうな子を見る目で諭されるか、そっと離れて逃げられるかどっちかだってことくらいは分かっている。
それは彼にも分かるのか小声で言った俺に感心してしきりに頷いた。
「カテゴリーとしてはそうなってしまうね。まぁ、昼の会社員生活のほうが長いけれどね」
「あっそ」
にわかには信じがたいことだがそれは真実なのだった。
言うだけ言って新しいビールの缶に手をのばす非常識な吸血鬼に、俺は肘掛にひじをついて憮然とするしかなかった。
「信じてはもらえないかもしれないが」
アレスさんは困ったような、それでいて悲しそうに俺にそう言った。
「確かに私は吸血族の者ではあるが人間を死に至らしめたことは無い。生まれてこの方、血を吸ったことすらない。普通の人間として生活をしてきた、それは本当なんだ」
それはなんとなく分かる。
敵意も害意も無いのは検査で実証済みだったし、意図的に殺した経歴が無いのは信じろというなら信じてもいい。
むしろコレが吸血鬼だと信じろというほうが無理だった。
昼間のカフェとかで女の子とお茶でもしてそうな爽やか系の顔といい、シンプルだがなんとなく高そうな感じのする服装といい、俺にはどう見てもただのリア充系お兄さんにしか見えなかった。
しかし、人間GPSの異名を持ち、人・人外問わずに霊体紋を把握し追跡が出来る秋さんに言われたのでは信じるしかない。
「シノブ信じてはもらえないか」
「だって、秋さん」
「シラネェよ。許可したのお前だろうが。拾った以上は最後までちゃんと面倒見ろよ」
「捨て猫かよっ」
必死に訴えられてうろたえた俺は思わず秋さんにふっていた。
元々ちょっと意地悪い人ではあるんだが、楽しそうにそう転がすと秋さんはわざとらしくため息なんてついてくれた。
すんげぇむかつくが、この人が楽しそうって事はヤバイ奴じゃないって証拠でもある。
「一度落ち着きましょう」
畳み掛けるように訴えようとしたアレスさんを遮るように言ってくれたのは磯谷さんだった。
「秋里君も適当なことを言うのはやめなさい。平坂君は落ち着いて。アレイスさん、もう一度お話をさせていただきたいのですが宜しいですね?」
「もちろんです。害意がないと分かってもらえるのなら」
その言葉をきっかけに俺たちはもう一度ソファに戻った。
一度部屋を出ると、コーヒーを持って戻ってきた磯谷さんが席に着くのを待ってアレスさんは事情を話してくれた。
「彼の言う通り私はブレイド家の者であり、人間ではありません」
「アレイシー・ブレイド」それが彼の本来の名〔簡易名で真名ではないらしい〕であり、「人もどきのアーレ」それが彼のあだ名だそうな。
吸血鬼が世に認知された頃から続く古い一族の一つに「ブレイド家」がある。
現在、もっとも人間社会に関わりがあり一番の親人派閥でありながらヴァチカンに忌み嫌われていて、山の封鎮祭にも外部の圧力団体の一つとしてちょっかいだしてきた一族だった。
当時はまだ小さかったし下界に疎開していたから詳しいことは知らないが、確かにその家の名前は俺でも知っていた。
その家に数百年ぶりに四男として産まれたのが彼なんだそうだ。
最初は久しぶりの子供に沸き立ったが、大きくなるにつれて彼が夜より昼を好むようになり、あげく日中出かけていたことが発覚してからは、吸血族の中で闇に生きるべきとする旧態派と光を肯定する新体制派に分かれてしまったんだそうな。
「家族は私にあわせて昼間でも寄り添おうとしてくれたんだが、そうそう上手くいかなくて私だけ離れて暮らすことにしたんだ」
それでも長生種族らしく年を取らないので、人間のふりをするもアメリカの各州を数十年ごとに転々とする生活を繰り返してきたらしい。
「今回も会社を退職したばかりで、次に住む州を決める前のバカンスのつもりで日本に来たんだ」
「じゃあ兄ちゃんがどうとかって」
「それも本当だ。兄に言われなければいつも通りハワイで過ごすつもりだった」
言うだけ言ってすっきりしたのかアレスさんは、穏やかさを取り戻して手にしたコーヒーをゆっくり口にした。
しかしハワイって吸血鬼にこれほど似合わない土地もないんじゃなかろうか。
それが俺の素直な感想だった。
「他意も害意が無いのは分かりましたが人間ではない以上、こちらでの処置以外に滞在登録が必要となるのですがご存知ですか?」
「いや」
「じゃあ駆け込み寺の事も知らないで日本に来たのかよ」
「渡されたガイドブックの知識以上のものは何も持ち合わせていないんだ。アジア圏にはあまり興味が無かったし」
探るような秋さんにもまっすぐそう答えると鞄から出したガイドブックを見せた。
「失礼、拝見します」
パラパラと磯谷さんがめくるページをじっと秋さんが見ている。
大まかな指紋としての霊体紋しか読み取れない俺と違って、秋さんは些細な霊波からも驚くほど色々と読み解けるから細かく探っているんだ。
「ユーロ圏のものですね」
「東欧から北が兄のテリトリーなので、そこで買ったものでしょう」
「本当に観光目的かよ」
「珍しいことなのか?」
「人外が日本に来ると言えばヴァチカンに追われて亡命願いがほとんどだからな。でもまぁいいんじゃねぇの?」
秋さんは渡された本をめくりもせずにローテーブルに投げ返した。
「事情はどうであれ許可証はすでに入ってんだ好きにしろ。但し、この俺に霊体紋掴まれてこの国で悪さ出来ると思うなよ。ま、悪さしたところでお前の家を強請るネタになるだけだからいいけどな」
「秋さん!」
「秋里君!」
人外種を強請るとかこの人なら本当にやりかねない。
かばう訳じゃないけど、秋さんだったらよほどアレスさんの方が人畜無害っぽいんだ、人外ぽくないのを引いても俺は思わず磯谷さんと口をそろえて非難していた。
「でもさパスポートとか本物だったしアレスさん本当に吸血鬼なんすか?」
確か吸血鬼は鏡や写真にも写らないはずだったが、俺が見せてもらったパスポートには確かに今見ている顔の写真があったのだ。
「アレスでかまわないよ。あれは絵なんだ、私は写真には写らないからね」
「でもおっかない雰囲気とか全然ないし、悪人ったら秋さんの方がよっぽど悪人オーラでてるし」
「お前なぁ、こいつらの習性考えてみろよ。テリトリーに入れてから捕食すんだからあからさまな威嚇なんてするわけないだろうが。ニコニコ明るくフレンドリーに「どうぞいらっしゃいませ、ご馳走様です」が本分なんだっつーの」
「ひ、否定は出来ないが一つだけ訂正させて欲しい」
あ、否定は出来ないんだ。
「中世の昔ならともかく現代では吸血という原始的捕食はほとんど行わなわれていない。我々は捕食するより分け与えてもらって共存する道を選んでいるんだ」
「お前のトコロはだろ?まあいい。亡命じゃないにせよ滞在中は滞在登録しとけよな。忍、ルイのところに連れていって登録してこい」
「登録?」
「ああ、ネクロマンシーのルイス・レイドの名前くらいは知ってるだろ?奴が国内に在住している人外の管理窓口なんだ。居住するわけじゃねぇから本式登録する必要は無いがルールなんでな、手間でも行ってもらう」
「えーGPSつけてるんだし放免でよくない?連れてかなくたってさ」
もうここで解散する気満々だった俺は異議を唱えていた。
だってルイさんところって都内だし、西の人間に東の道案内とか無茶にもほどがある、っていうか秋さんが行ってくれればいんじゃね?
そんな俺の心が読めたのか、秋さんはにっこりと間を溜めて一番思い出したくない事を言ってくれた。
「ぶっちょ?人外に人間用の許可通したとか犬が知ったらなんて言うかね?」
そのあだ名やめろと言う気にもならなかった。
「そもそも人か人外かの確認作業を怠った点がだなぁ」
「いやだって人外種が飛行機で来るとかありえないし」
「なんと!ここに実証例がっ!」
マジメくさってアレスさんを手で指ししめさなくったって分かってるっての。
あんたはあんたですまなさそうな顔スンナ。
「俺は脅しとか好きじゃないしどうしようか?ん?因みに俺はバイク移動者なのでお見送りできねぇしなぁ。犬に言って誰か来て貰っちゃうか?連れてくだけだしー」
「そ、それは…」
「私なら住所さえ分かるなら一人で行けると思うよ。ルイスなら知らない仲ではないし」
「では、ご住所はお教えしますので平坂君はアレスさんをお連れしてください。秋里君は献供の義をお願いします。いいですね」
黙って成り行きを見ていた磯谷さんの一言ですべてが決まった。
秋さんの扱いに慣れてるのもすごいが、有無を言わさない迫力が一般人とは思えない。
お世話になった磯谷さんの提案じゃ蹴るに蹴れないし、俺は大人しく肯くしかなかった。
「しょうがねぇな。忍、ひとつ貸しだからな」
但し、秋さんの捨て台詞は聞かなかったことにしよう。
そんなわけで俺たちは二人、コンビニ袋を持たされスカイライナーに放り込まれて現在に至る。
「…シノブ」
しばらくははしゃぎ気味に辺りを見回していたアレスさんはわれに帰ったのか静かになった。
「なんすか?」
明らかに俺用のペットボトルを袋から出してふたを開ける。良いご旅行をって千葉から東京じゃそんな時間もかかんねぇのになぁ。
なんか流されるままに電車乗ってしまったけど、色々と釈然としないままなんだよな。
商売柄人外の存在には慣れているんだけど、ここまで普通のお兄ちゃんっぽいのには当たったことがない。
実証されても困るけどさ、日光の下で吸血鬼ですとか言われて生暖かい気分にならない方が変というものだ。この人が悪いんじゃないんだけどね。
午後の穏やかなざわめきにレールを走る電車の音が静かに混じる。
俺に呼びかけたまま音の中に言葉を捜して止まったアレスさんを横目に、まだ冷たいお茶を飲みながら次を待った。
「すまなかった。素直に言うべかもしれないとは思ったんだが、信じてもらえない場合どうするかとか、今までも黙っていれば誰にもわからなかったものだから、つい」
手の中で缶を転がしながらアレスさんは言葉を選ぶようにそう言った。
能力持ちも人外種も一般人に黙ってこっそり生活する苦労に変わりはないのかな。
もう一度車窓に目を向ける姿に俺はそう思った。
能力者に囲まれている日常は世間では一般的ではないことは知っている。だからこそ外に出たくないと駄々をこねているんだ、知らないわけが無いから良く分かる。
そうか、ばれないように過ごしてきたから、この人はあんま自己主張しないタイプに思えたんだ。
「もういいっすよ。俺、こっちの地理には詳しくないから文句言っちゃったけど、許可出したのは俺だし最後まで付き合いますよ。それよりルイさんと知り合いなんすね」
気をつけて明るく言った。
面倒くさいことに変わりは無いんだが、忍者がどうとか浮かれていた姿を思い出したらやることさっさと済まして旅行に戻してあげたくなった。
「あぁ、彼が日本に亡命するときに手を貸したのが父なんだ。滞在中に一度くらい顔を出しておくように言われていたからちょうどいいよ」
やっと笑顔が戻った。
やっぱり神妙にされてるよりはビールうめぇとかテンション上げられてるほうがこっちも楽しい。
それに現状ぼっちで都内うろつくよりツレが居る方がずっとマシなワケで、昼間歩けて人間と同じ生活してる吸血鬼ってところで驚きはしたけど、所詮は観光客なんだしルイさんとこにさえ行ければ終わるわけだしね。
「それにしても、あのおっさん駆け込み寺組だったんだなぁ。知らなかった」
「駆け込み寺?」
「各国にある日本大使館のことなんだけど、一時期欧州で人外狩りがあったんでしょ?」
「うーん。彼が欧州を離脱した頃には私はアメリカに住んでいたからなぁ。家からも連絡は無かったし親族一同で亡命した者もいないからなぁ」
「まぁ人外族よりも古い術者の家系が多かったみたいですからね」
などと言ってはいるが俺だって詳しくは知らなかったりする。
知る限りで分かりやすく言うと、ヴァチカンの管理下に入るか死を選べみたいなお達しが出て、どっちも嫌がった対象者が欧州を逃げ出した時期があったらしい。
大半がアメリカに移住して逃げ出したんだけど、そもそもガチで人間じゃない人外族やアメリカ政府からその能力はちょっとと断られた人達が救いを求めたのが日本だったんだ。
そらそーだよね。欧州に中世の昔から根を張ってる団体と、対等にやりあってる上に能力者には外国より理解があるとなれば、どっちの管理下に入るほうがましかって話になる。
「まぁ、そんな感じで大使館に逃げてこんでくる連中の受け入れやってるんでそう呼ばれてんですよ」
「なるほど」
感心して相槌を打ちながらアレスさんは嬉しそうに笑っていた。
「ルイさんは会うの久しぶりなんですか?」
「彼がまだ小さい頃に会ったきりだから私を覚えているかは分からないけれどね。まだルーマニアに居た頃だよ。なつかしいなぁ」
あ、実家はベタな場所なんだ。そう思ったけど突っ込むのはやめた。
「素性が分かると色々不便なので人間族とは深い付き合いはしない様にしているからね。だから私の素性を知っている人間に会うのは実家を出てから初めてなんじゃないだろうか」
本当に嬉しそうにそんなこと言われたらさ、なんか突っ込むのも野暮な気がして俺もつられて笑ってしまった。
「つまり、はしゃいでいるのはそれもあるとか?」
「いや、そればかりではないが。まぁ良い旅行になりそうなのは確かだね」
照れ笑いでそう言われると毒気を抜かれるというか、ほんと人畜無害な人外だよなと思った。
「…君の笑顔には何か釈然としないものを感じるのだが?」
「なんか人外だけど普通だなーって思って、しかも擬態じゃなくて天然なんですよね」
それでなくても吸血族なんて見た目は人間なんだから当然なんだけどさ、それを横に置いても気のいい普通の人間にしか見えないんだからしょうがない。
「そこは関心するところではないだろう」
ムッとした口調に俺はあわてて顔を引き締めた。笑うつもりじゃなかったんだけどさー、なんか笑っちゃったんだよな。
「いや悪い意味じゃないですよ。気を悪くしたんなら謝ります」
「それには及ばないが」
口ごもられて、また笑いがこみ上げたが今度はちゃんと我慢する。
しかし、そんな和みまくった俺に、第一の試練が軽やかな電子音にのせてアナウンスされたのだった。
『~ご乗車いただきありがとうございます。次の停車駅は日暮里、日暮里に停車いたします~』
キタ!下車駅日暮里。
このスカイライナーを降りてしまったら、そこから先は1つの駅で幾重にも分岐する複合ダンジョンが俺たちを待ちかまえているわけですよ。
和み気分もいっぺんに消えうせるっての。なんだってこう都会は路線が多いのか!
まぁ経路のメモもちゃんと貰ったし、携帯にも路線ページは一応登録したし、だ、だ、大丈夫だって俺。来る時だってちゃんと成田には着いたじゃないか。
正直あんまり勝てる気がしないが、駅名に反応した隣席の吸血鬼がのんびりゴミなんか片付け始めたわけで時間はあまり無い。
「シノブ?」
「ナンデモナイッスヨ!まずは9番線か10番線さえ見つけられれば完了だし」
日暮里なら難しくないって言ってたし、よっしゃとメモを片手に開いた扉から構内に降りるとポケットに仕舞ったままだった携帯が鳴り出した。
「ちょ、誰だよ。もしもし?」
『ようニート二号君!家に来るんだってー?』
すっかり流暢になった明るい日本語はルイさんだった。
「ニートじゃないし、ちゃんと働いてるし。つか、なんすか?ちゃんとそっち向かってんだから勝手に出かけないでくださいよ?」
『えー?ぶっちょくーん?せっかく分かりやすいとこまで迎えに行ってやろうと思ったのになぁ。そういう事言っちゃう訳だ』
ぐぬぅ。くそおやじめ。
いいかげん社の連中にいじられるのは慣れっこだけど、外部の連中にまで同基準なのはどうなんだっつの。
「別に行けるから平気です」
『まぁそう言わずにさー。東京タワーで待ち合わせしよーよ。あそこが一番車停めやすいんだよねー』
「あんた人の話聞いてる?どーせ勝手に迎えにきといて、桐さんに迷子になってたとか吹く気でしょ?」
『言わないよーん。いやさーブレイド家の人が来たんでしょ?接待したいんだよねーおじさん。浜松町まで行けば歩いて行けるし奢ってあげるから待っててよー!そんじゃ後でねー!Ciaoー!』
「は?新橋じゃねぇの?何勝手なこと言ってんの?ちょっとおっさん!」
能天気ないつもの挨拶とともに俺の話は聞かれること無く電話は切られた。
「ルイだったのかい?」
「なんか浜松町まで来いとか言われたっす。ちょっと待ってもらっていいですか?調べないと」
「いや」
手にした携帯を操作しようとした俺の手をアレスさんが止めた。
「なんですか?」
「ここは私に任せてもらえないだろうか」
「はぁ?」
「いや、確かに私はその夜の職業であることは隠して生きては来たが、その技のすべてを捨てたわけではないからね」
いやいや、いきなり何言い出したんだ?この人。
「せっかくこうして素性を明かしているんだ。人間ではない証明をしておきたい」
「ちょっと待て!何する気だアンタ」
「先ほどアキも言っていただろう?我々は捕食対象が気がつかないうちに取り入り、心を支配することが出来るのだと」
こそっと耳打ちされたのは見過ごすことの出来ないセリフだった。
ちょっと待てや!えーっと、えーっと。対吸血種対策はなにすんだったっけ?や、こいつ光平気だし何が弱点なんだ?
「まぁそこで見ていたまえ。すぐに戻る」
一瞬マニュアルが頭を駆け巡り止めそびれた俺の手に、手を振りかえしてアレスさんはスタスタと歩いていってしまった。
ヤバイ、何をする気か知らないが問題をこんなところで起こされてみろ、自治体はもとより神社本庁に怒られる。追いかけて止めないと!
しかし、奴はすぐ目の前で止まった。
「失礼マダム?あなたの時間を少々いただけないでしょうか」
「えぇっ?」
「あらあら」
「まぁまぁまぁ」
ゆるくお辞儀をした先にはおばちゃんが三人いた。
「実はこれから東京タワーへ向かいたいのですが、よろしければ行き方を教えていただけないでしょうか」
「あらまぁ、観光?」
「えぇ。友人と待ち合わせをしているのですが、着たばかりで日本の鉄道には不慣れでして」
「それじゃあお困りねぇ。良かったらご一緒いたしますわよ」
「ご好意感謝いたします」
その後、吸血鬼がおばちゃん三人を引き連れ戻ってくると、俺達はおばちゃん達にエスコートして貰って電車に乗せてもらった。
めちゃくちゃ笑顔のおばちゃん達は上機嫌で手を振って見送ってくれ、それにこの吸血鬼野郎は丁寧にお辞儀を返し成り行き上俺も一緒に頭を下げた。
ホームのおばちゃん達が見えなくなると彼はくるりと得意げに俺に向き直った。
「どうだね。人心を掴み意のままに操る技は」
どうよと言わんばかりに感想を求められているらしい。だから俺は素直に言ってやった。
「あんた馬鹿だろ」
「シノブ見ていなかったのか?私の」
「あのさー調子のってるとこ悪いけど、その顔でおばちゃんにマダムとか言ったら親切にして貰えない訳無いじゃん」
白人のイケメン族爽やか目に属していなさる顔だろ?アホみたいに高い身長だろ?でもって丁寧な口調とか。夜の業界って言ったけどさー本当はホストなんじゃねぇの?あんたとしか思えなかった。
「いやいや、あれはだ生命の源たる魂を騙して従わせる手法で」
「恋愛営業乙。あんたは俺の中で一般人のお兄さんから、水商売のお兄さんにジョブチェンジしたから」
「なぜだシノブ」
「や、必死になられてもさー。色々と間違ってるってよーく判ったから無理しなくっていっすよ」
まぁしかし苦労せずして電車に乗れたんだからよかったことにする。
この王子様〔笑〕は納得してないみたいだけど、アレを吸血鬼被害としてどう批評せいと言うのか問いたい。
なんとなく扉にもたれて揺れるのに身を任せると、なんかビビッていたのが馬鹿らしくなってくるから不思議だ。
確かに人がめちゃくちゃ多くて疲れるけど、案外なれちゃえば怖いものでもないのかな。
「まぁいい。東京タワーは観光ノルマの一つではあったし。私が全うな業界の種である事は後でしっかり理解してもらうとする」
「はいはーい」
不満げな当てこすりに適当に返事をかえしながら思い出す。そうだった俺達東京タワーに行くんだ。
誰でも知ってる赤いテレビ塔は写真や画面で目にしたことはあっても実物を見たことなんて無い。
「俺も初めて行くんだよなぁ東京タワー。ちょっと楽しみだな」
「そうなのか」
「西の人間ですから」
ビルとビルの隙間にちらちらと見える赤にちょっとワクワクしてきた俺に釣られたのか、腕を組んで扉にもたれていた彼も窓の向こうに目を向ける。
その姿は一枚の絵のように決まっていて車内の視線を一気に集めた。
うんまぁ、そっと俺は反対側に移動したけどね。
「どうしたんだい?シノブ」
「こっちくんな」
そうかアレと連れ立って観光地か……
俺は一刻も早くルイさんに会えるよう祈るのみだった。