003
エスカレーターをあがり事務所の出入り口に隣接する部屋に落ち着く。
ここまでくればほとんど用が無くなる管理局の人達の撤収を磯谷さんに頼んで、あらためて俺は外人さんと向き合った。
ボストンひとつで荷物が見当たらない。
だから出てくるの早かったんだな。
「そちらどうぞ」
「旅に出る時はあまり荷物は持たないようにしているんだ」
俺の視線に気がついたのか、外人さんは軽く鞄を見せるようにあげてから勧めたソファに腰掛けた。
背が高いあんちゃんだなーとは見てて思ったんだけど、組んで投げ出された足の長さにいまさら驚く。
外人さんってなんでか背が高いよな。何食ったらこうなるんだろう、いいなぁ。
本物を近くでマジマジと見たことが無かったんでうっかり見てしまったが、気を取りなおて咳払いなんて一つしてみる。そんなことより仕事しないとな。
「あの、先ほどは突然すみませんでした」
俺はもう一度深々と頭を下げた。
「何かぶつかったと思ったのに誰も居ないから驚いたよ。霊体だろうと思って見回したら、すごい形相で君が走ってくるし」
「わ、忘れてください」
うつむいて思い出し笑いに肩を震わせる外人さんに俺はそうとしか言えなかった。
霊体って言ったか?あぁ、この人同業者っぽい。
「あの、おれ、いや私は結界の管理を行っています三幇神社、管理代行の平坂忍と申します。先ほどの現象も含めましてご説明させていただきます」
「それでは空のアレは結界の類だったのかな」
一応、名刺をさしだすと受け取るなりそう聞かれた。
「はい…」
同業者ならうちの結界について知っててもよさそうなんだけどなぁ、かと言って一般人ってわけでもなさそうだし概要説明のランクどうしよう。
一般人より同業者のほうが概要説明のハードルは極端に下がるから正直嬉しいんだけど、判断つきかねてそれ以上何も言わない俺に困ったように笑って彼は肩をすくめた。
「やはりそうだったか。飛行機で何か破った感覚があったから、私が何かしたのは判っていたので気になっていたんだ」
「色々ご説明しないといけないんですが、まずはご本人確認させてもらってもいいですか?」
ほっとした顔ですんなりとポケットから差し出されたパスポートと本人を確認する。
アレイス・ブライト アメリカ国籍 25歳。能力指数は2種で検知ボーダーラインか。
げっ、桐さんと同い年かよ。なんていうか、いいところのボンボン風だからかな?そんな年に見えないんだけど。
人って大なり小なり体の外側に洋服みたいに霊体をまとっているだろ?自己主張強い人は威嚇するみたいに尖った霊体をばんばん飛ばしてくるんだけど、この人は自己主張しないタイプなんだな。
控えめと言うか、主張することも無く穏やかで柔らかい霊体だからそう思うのか、俺としてはすんなりと入り込める感じで非常に話しやすいのはありがたい。
さて、丁重にパスポートを返すとここからが本番だ。
「えーと、日本の領域結界についてご存じではなかったんですか?」
「少なくとも私が買ったガイドブックには結界なんて載っていなかったし、聞いたことも無かったかな。でも、なぜあんな何も無い空などにかけてあるんだい?」
一般人向けの旅行ガイドにそんなアホな事は普通載せないでしょうよ、とは思ったんだけど…むしろ載せたほうが注意喚起になっていいのか?今度寿人さんに言ってみよう。
とりあえず知ってるなら説明不要だし、知らないなら余計な情報は出さないのがルールなのでチビチビと探りを入れますか。
「あの結界は日本全体をドーム状に覆っていて航路の空域まで高さがあるんです。お怪我とかはなかったですか?」
「驚いて飛び起きたのでアテンダントには心配されたよ。エアポケットにしては大きいと思ったのに私しか感じていなくて少し恥ずかしかったかな」
そりゃ同情します。
心霊現象の何が嫌だって、感度が低くて受け取れない人にはまったく事象を感じ取れないことにある。
「悪い夢を見たようだでごまかしたよ」
「あはは、それしか言えないですよね。すいません、うちも解除できるよう色々研究中なんです」
「なかなか聞きしに勝る不思議国なんだな。これはこれで良い体験だと思っているよ」
灰色の目がとても楽しそうに笑っていた。
なんか、本当に良い人だなこの人。
ものすごく話しやすいし人懐っこいってのとは違うけど、なんか懐かしさすら感じる。
うちの兄さん方にこんな優しいタイプの人いないんだけど、既視感すら覚えるんですが誰に似てるんだろう。
「アレイスさん、今回の渡航目的伺ってもいいですか」
「アレスかアレでかまわないよ」
ちゃんとした外人さんだとカタカナ名前も痛くはないが、ちょっと恥ずかしいしアレスさんでいくか。
「じゃあアレスさん。今回は」
「観光に来たんだ。アジアにはさほど興味が無かったんだが、兄からバカンスならぜひ日本に行くべきだと進められて」
確かに脱いで置かれた灰色のコートも、セーターにジーンズと鞄もビジネスとは到底思えなかった。
「お兄さんも一緒なんですか」
「いや、兄に急な仕事が入ったようで、航空券勿体無いから遊びに行くなら俺の代わりに行ってくれと言われたんだ。ついでに買い物も頼まれたが、あんなに必死になった兄を見たことが無くてね。ハワイも定番だったし、たまにはいいかと思ったんだ」
「へー。あ、そうだ。もしかして宗教団体関係者だったりしますか?」
「いや私自身は普通のビジネスマンだよ。家のほうは関係があるといえば非常にあるのだが、私自身は関係者ではないかな」
さらっと聞くとアレスさんも何事もなくさらりと教えてくれた。なるほど多少知識のある一般人と。何気ない口で最重要ポイントをこれまたさらりと聞く。
「まさかヴァチカン皇国関係だったりしますか?」
「確か、あちらとは古い付き合いのはず」
うわぁ、最悪のパターンだ。
実際にうちと喧嘩になったのはヴァチカン皇国の中の一部門になるんだけど、結界は坊主憎ければ袈裟まで憎い方式で関係のありそうなところには本当に反応する。
こんな一般人相手にまでほんとやめて欲しい。
実際、ここまで高レベルの異能者だと一般人と呼ぶには多少抵抗があるけど、昔と違って家が魔術や異能系の家系であっても普通に生活している人がほとんどだ。
どっち方向の能力を持っているかは知らないが、普通にサラリーマン出来てるってことはキチンと制御できているってことに他ならない。
「ほんと、うちの馬鹿な結界がすみません。簡単に説明する前に、まずヴァチカン皇国内の10番目の省ってご存知ですか?」
「すまない。実家を出てずいぶん経つし詳しくは知らないんだ」
困ったようにアレスさんは肩をすくめた。
ありゃ本当に異能持ちの一般人なんだな。
「それなら詳しくは説明しませんが、要は「倫理省」って言うんですが、そこと喧嘩になった際に日本から彼らを強制退出をさせる為に張られたものなんです」
俺は関係者ではない人用のマニュアルを必死に思い出す。
「ですがあまりにも大きすぎて細かい制御が得意では無く、そのせいで霊体。まあ魂の力が強い方や、魂に異能が連動している方が許可証も無く結界内に入ると、ご本人と結界発生源は衝撃を受けてしまうんです」
説明しながら俺は色々思い出していた。
家系や力のせいで欧州に居ずらい人が、コントロール可能で問題さえ起こさなければ異能持ちでも生活が出来るアメリカに国籍を移すってのを聞いたことがある。
どこの国の異能持ちも大変って事なんだな。
「なので二種以上の能力値の方は入国前に許可を受ける必要があるんですが、知らなくてここで処置する人も結構居るんで気にしないでください」
「処置という事はやはりトラブルがおきているのかい?」
「まだ大丈夫です」
アレスさんが見るからにへこんでいって俺はあわててフォローした。
「無許可の侵入位ならよくあるし発動する前に処置出来るから全然大丈夫ですよ」
異能者はそのつもりが無くても能力のせいで、トラブルに巻き込まれやすい。
きっと今までに痛い目に何度もあってんだろうな。
俺だって「また何かやったか」って焦るのはしょっちゅうだし、へこむ気持ちはよく分かる。
「対象者が宗教界関係者でなかった日にゃ、本当にうちの結界事情なんて知らないっすよ。説明するのだって大変だし、むしろ事情が理解してもらえるだけ楽って言うか、迷惑かけてるのこっちだし気にしないでください」
まぁ俺自身は説明なんてやったこと無いが、大変なんだって聞いたのは嘘じゃないからここは話を盛っておく。
能力隠して普通に生きるのってなんか大変なんだな。
「そうか。ありがとう」
申し訳なさそうにそう言うアレスさんにそう思った。
日本は能力者に比較的理解のある国だし、滞在中はせめてのんびりして欲しいなぁ。
よし、さっさと許可しちまおう。
「じゃあ、簡単な聞き取り調査と入国許可の処置をさせてもらいますね。「入国の際の諸注意」なんですけど英語ので大丈夫でしたか?」
「日本語は読めないので英語のをいただこう」
「許可証の発行は対象者の安全を守るためにあります。結界は発動しますと侵入痕に残された霊体紋、えーと魂の指紋みたいなもんです。それを元に対象者を結界の外に排除してしまいます。結界の外は海だし飛ばされれば遭難事故になるから、それを防ぐ為に必要なのが許可証なんです」
申請用紙にプロフィールと目的をを書きこみながら説明する。
ちらりとうかがった顔はポカンとするでもなく、真剣に書類を読んでいた。
渡航目的が「観光」かあ。
初めて聞いたけど、そんな可能性もあるんだなあ。
「一応規則なので伺いますが滞在地は決まっているんですか」
「東京を拠点に有名所を回ろうかと思っているんだ。兄のお勧めは都内なら渋谷スクランブル交差点と東京タワーに秋葉原だったかな」
「へー史跡とかじゃないんですね」
それが俺には驚きだった。
うちの県の観光スポットと言えばほぼ史跡しかないし、観光といえば寺か神社かなんらかの跡地を思い浮かべるんだけど、そんな場所が外人さんには観光スポットになるんだなぁ。
「じゃあしばらくは都内ですね」
「そのつもりだ。1ケ月かけて色々回るつもりなんだが、後は京都も行きたいと思っている」
1ヵ月ね、思ったより金持ち日程だな。
基本事項の記入をチェックするが、書類上の審査は問題なしと。
「では許可証発行前の審査をします。えーと入国前の金属チェックみたいなものだと思ってください」
審査の中心は滞在中の悪意の有無を確認することにある。
俺は折りたたんである色紙サイズの紙をローテーブルに開いて広げた。
「これは?」
「一度これで魂をサーチして敵意や害意が無い証明して、まずアレスさんの疑いをこれで消します」
広げた和紙には毛筆で呪詞が書かれている。
祝詞じゃないところがアレなんだが、外人さんには言わなきゃ分からないだろう。
「手をこちらの中心にに置いてください」
現在のアレスさんの状況は「疑わしき人」なので魂レベルで悪意の検索をするんだが、こいつはどんな嘘発見機も適わない優れなんだ。
生きている人間ってのは、体を心臓が動かし心を魂が動かしている。
その魂に直接検索をかけるんだから嘘のつきようがない。
「目眩がする場合もありますが一瞬でおわるので気分が悪くなるようなら教えてください」
「わかった」
素直にあっさりと手を置いてくれるのは嬉しいが、ちょっとは疑ったりとかしないのかな。
これって相当怪しいっちゃ怪しいよなぁ、やってる俺が言うなって思うけどさ。
ちょっとだけ不安になってアレスさんを見る……
なんだろうチラチラと何か言いたそうというか、すんごい目が合う。
「あのーなんか気になるとこでもありますか?」
「はっ、いやっ、その……」
何故に焦る。
キョロキョロと視線を泳がせた後、彼は思い切ったように俺を見た。
「終わったら、これは貰えないだろうか」
「へ?」
「とてもミステリアスで兄が喜びそうだし記念に」
「コレっすか?いいけど、どうせ一人に一回しか使えないから終わったら捨てちゃうし」
「本当にいいのかい?」
とたんにキラキラ音がしそうな笑顔になった。
こんなんで喜ぶのかよ。
「実は兄の買い物リストに忍者用品があるんだが、店の位置は秘匿されているから探して来いと言われていて困っていたんだ。君の知り合いに忍者がいるのなら紹介して貰いたいと思っていたが、これでも十分喜びそうだし。もちろん紹介していただけるならそれはそれで嬉しい」
「忍者は職業ジョブ的にゃ存在してねぇよ」
「えっ?」
俺は素で突っ込んでいた。
アレスさんも同様に素で驚いているが、現代日本に忍者とか本気で信じてんのかよ嘘だよな?それって絶対に
「アレスさん。それ兄ちゃんにだまされてない?日本には今は忍者なんておらんよ」
「!!!!!」
嬉しそうに和紙を眺めていた顔をはっと上げ俺を見て、目に見えてしょげていくアレスさんに俺はあせった。
「いや、えーあ、その、い、伊賀とか甲賀くらいにしかおらんて意味ですよ。あはははは、近所を忍者がウロウロしてたら驚くでしょ、あははは」
とたんに萎れた顔に笑顔が戻る。
兄ちゃんがどうとか言ってたけどさりげなく期待してたんだな、忍者。
しっかし、この人の兄ちゃんはなんて言って騙したんだろう?ひでぇよなぁ。
世の兄貴って奴はちょっと先に生まれてるってだけで、弟を暇つぶしの道具とでも思っているに違いない。
「それでは都内には忍者はいないのか、それは残念だ」
「そうなんですよーあはははは」
俺はいまさら本当のことも言えず、相手は一ヶ月もすれば去っていく観光客と腹をくくって真実は葬り去った。
夢は夢のまま見せておくに限る。
なんかもー本当に俺は観光客相手に何やってんだろうか。
「えーと、次進んでもいいですか?」
「おっと、すまなかった。それでこのままでいればいいのかい?」
なんだかアトラクションと勘違いされている気がしなくも無いようなワクワクオーラを再び出したアレスさんが、きちんと手を和紙の上に置きなおす。
お土産に渡すんだったらもっと達筆な人のにしてあげれればよかったのになぁ。
俺だって字が下手だとは思わないが、上手い人のと並べるととたんにミミズに見える出来栄えである。
だがしかし、祝詞の類は奉じる本人の字と言葉でないと通らないし、言霊が成るまで漢字と格闘して出来た詞なのだ、及第点とはいかなくても神様がコレでOK出したんだし、何よりアレスさんがすごい嬉しそうなので外人さんに文字の良し悪しが分から無いことを祈る。
「じゃあ始めます。この手から始まり足元に落ちて頭から抜けていく感覚があると思いますが、気分悪くなったら言ってください」
和紙の端に左ひと指し指を置き、言霊を墨に封じて書かれた呪詞〔しゅし〕に触れる。
目を閉じて大きく息を吸うと俺は和紙の端を少し千切り切麻として口に入れた。
呪詞用に漉かれた麻入りの和紙は浄書される前に祈祷されていて、口に含むことでお伺いする前のお清めの代わりとするんだ。
祭の祝詞を奉げるには事前に色々するんだけど、コレは奉げると言うよりはお願いを聞いてくださいってねだるのに近い。
あとでまとめ払いするから宜しくってところだ。
「掛巻母畏伎乃比乃地爾坐須大神等乃御前爾平坂忍畏美畏美母白佐久(かけまくもかしこきこのちにますおおかみのおんまえにひらさかしのぶかしこみかしこみもまおさく)」
息を吐かないよう、言葉に抑揚を乗せないよう一言一句音を乗せて詞を立てると、わずかに指先から力が吸われて文字が言霊となっていく。
文字が揺らぎにゆがんで見え始めたと思ったら、ぼんやりと光る小さな白い人型がゆらゆらと紙の上に立った。よっしゃ、まずは起動成功。
「おおぅ!」
おっ、ウケてる。しかし本当に楽しそうだなアンタ。
こうもウケてくれると添削地獄で半泣きになりながら書いたのもホントに報われるよ。
「何者止因弓彼乃者草乃片葉爾至留麻伝探給比弓業乎行成佐牟登願志弓給辺登慎敬比母白佐久(なにものぞとよりてかのものくさのかきはにいたるまであなぐりたまひてげふをおこなさむとねぎしてたまへとつつしみうやまひもまおさく)」
人型はふらふらと和紙から離れて浮かぶと、ゆっくりアレスさんの周りを大きく旋回して置かれた手の甲の上にぴたりと止まって回転を始める。
無事承認されて人型は始めはゆっくりと手の甲に下りて行き、中まで落ちると掻き消えるように人型は手に吸い込まれる。
一瞬で霊体、つまり魂の中を駆け巡り頭上から飛び出した人型は、白いまま光に散るように消えていった。
よかった白だ。
うちに何か含むものあればその方向に応じて色が着くが、何も無ければ白いまま現れるので分かってはいたけど俺は一安心した。
「本当になにか抜けた気がする」
置いていた手を戻して辺りをキョロキョロと伺うと、アレスさんは楽しそうに俺にそう告げた。
少なくとも調子は悪くなったようには見えないので俺は和紙を折りたたむと差し出したわけだが、嬉々として受け取られるのってなんか気恥ずかしいな。
余計恥ずかしくなるから、わざわざ開いて見たりすんなと言ってやりたいのをぐっとこらえる。
「これで確認できたので終わりです。気分とか悪くないですか?」
「特には無いな」
「それなら後は許可証を持って貰えれば滞在して貰って差し支えないので、もう一度腕を出してもらっていいですか」
差し出された腕に今度は同じ和紙で出来た紙の輪っかをはめる。
「これは?」
「結界が発動した時に飛ばされないよう結界を弾いたり、間違って海に飛ばされた際には海上保安庁が回収を速やかに行えるよう、GPSみたいな発信の作用があります。だから日本に滞在中は外そうとしたりしないでください。何かあったら責任持てないし、故意的に外された場合は処罰の対象になります」
「これでそこまで出来るのか。しかし紙では切れてしまわないだろうか」
腕にはめられた紙の輪っかをしげしげと眺めて関心してるところ悪いがさすがにそれは無い。
「これはえーと、貼る前のシールみたいなもんです」
俺はアレスさんの腕を取ると、手のひらを上に手首の動脈部に当たるように輪っかを指で押さえた。
霊体紋を指先から読み取って和紙へと写すと、紙に練られていた呪詛返しの祈祷がアレスさん専用に書き換えられて腕の中へ吸い込まれて和紙は塵になった。
「なにか入ったようだが」
「アレスさん専用の結界ですね、あなた自体の霊力を動力源として張り続けられるので何もしなくても切れることはありません。もしも海に飛ばされた場合は、右腕の許可証を上に「ここに居る」と祈ってもらえれば、各管区に設置した霊体探査用の人型が反応して助けに行きますので慌てないでください」
「わかった」
跡の無い手首を興味深げに何度も返しては見ているのが面白かった。
よし、完了。やれば出来るじゃん俺。
「それではお疲れ様でした」
「色々と迷惑を掛けたようですまなかった」
「イヤー仕事ですから」
桐人さん辺りが聞いたら「ニートが何を抜かす」と言われかねないが、ここにはいないので俺は気兼ねなく謙遜して笑ってみたりした。
やばいなすごい気分良いぞコレ。
承認さえ終わってしまえば後は滞在中の規制と諸注意のガイダンスだけだし、それらをさくっと終わらせ俺たちが立ち上がると磯谷さんが部屋に戻ってきた。
後ろに誰か従えて。
「磯谷さん。もう終わりましたんで、俺ちょっと改札まで案内してきますね」
意気揚々とのたまった俺は、磯谷さんの肩越しに見えたニヤニヤ顔に固まった。
「よう、クソガキ元気そうじゃねーか」
「ああああ秋さん!なにやってんの?」
「お前、人の女に勝手に電話すんじゃねぇって犬に言っておけよ」
その一言で桐さんが秋さんに文句を言わずに、この人の飼い主である操さんに直接連絡したのだけは分かった。
ちょ、なにやってんだよ桐さん!八つ当たりされるの俺じゃんかよ。
あれ?でも。
そんなことをすれば烈火のごとく怒るはずの秋さんは何故かニヤニヤ不気味に笑っている。
「で、だ。ぶっちょ~?奈良はついにイタリアにカチコミかける気になったのか?」
「ぶっちょやめろっつったろ、じゃなくて。なんでイタリア?」
「だって、そいつ人外種でもヴァチカン様が「特級警戒種」にご指名してる吸血族の中じゃもっとも嫌われてるブレイド家の奴だろうが。見るからに許可おろしてるし、ヴァチカンの横っ面張り倒す行為と言わざるを得ない」
なに言ってんだ?この人?
なんで吸血鬼がパスポート持ってて普通に飛行機で観光しにくるんだよ。
そもそも今、昼間だしお日様燦々と照っちゃっているわけで。
「しかもこの昼日中うろつけるとは、お前本家の四男だろ」
俺の思考を読んだ様なセリフは背後に居るはずの人物に向けられたものだった。
俺はそろりと振り返る。
そこには目を見開き、顔を蒼白にして秋さんを見返すアレスさんがいた。
「……なぜ」
「俺は霊体紋のプロだぜ。一族揃って似たような霊体紋しやがって分からない方がおかしいっての。それにお前の兄貴にゃ世話になっててなぁ、空港に入る前から気配をプンプン漂せてからに俺のシマでいい度胸だぜ」
「吸血族」
人間以外の知性生命は倫理的に認めていないヴァチカンの規格の中でも、直接生命に害をなす種族の筆頭として中世の彼方から忌み嫌われてきた種族だ。
夜の闇の中に生き大きな力を揮える代わりに、神と光に背を向けた種族とされている。
人外自体はそう珍しくない日本でもレアな存在だった。
だけどさ。
「でっ、でもさっ。この人アメリカ国籍だよ?ちゃんと税関通って来てんだよ?パスポートだって本物だったし」
「アホか、パスポートロンダリングなんざ長生系人外種の常套手段だろうが。人間だって能力があって住みにくいってだけでグリーンカードを欲しがるご時勢に、人外種が同じ事してないわけがないだろうがよ」
ちょっと待って、ちょっと待って。
俺はもう一度、今度はちゃんと向き直ってアレスさんを見る。すると彼はそっと視線をそらした。
「騙すつもりはなかったんだが確かに私は人間ではない。それは真実だ。だが君に話したことも全て真実なんだ。私を信じては貰えないだろうかシノブ」
意を決したように真剣な顔で俺の手を取るとに告げるアレスさんの顔はマジだった。
信じるも、信じないもどうすりゃいいんだよコレ。
途方にくれた俺は手を取られたまま振り返るも、秋さんには吹き出してそっぽを向かれ、磯谷さんには深いため息をつかれたのだった。