001
見上げれば山奥深い森の切れ間から空がうっすらと明けていく。
時刻は朝の四時。
入山をする修行者を出迎える時刻には僅かに早い。
集合時間前に主催者がスタンバイしてんのは当然の義務とはいえ、それでなくても神社の朝は早いのに夜明け前と言うのは死ぬほど…。
「ねっっむい…」
俺は思わず出かけた欠伸にあわててキョロキョロと辺りを伺った。
山頂に向かって延びる参道口の鳥居の奥、境内から下社に下る石段までぐるりと一周上から下まで確かめる。
よっし、誰もいないよな。
人影一つ見えないのを確認すると俺は大きく体を伸ばして眠気を掃った。
お客の前で欠伸なんてしようもんなら説教だけじゃすまないからなあ。
俺の家こと、ここ三幣神社が鎮守する山を修行場として部外者に入山を許可してから早くも2年。
平安奈良の時代から平成のご時世に至るまで生贄を求めてきた祟りの山として、悪名高いこの山の荒魂主を御鎮めする事に成功してからはもうすぐ10年を迎える。
だからと言って一般人が許可無く無防備に中に入ろうものなら、魂が削られ下手をすれば死に至ってしまう困った場所には今でも変わりは無い。
他所の神域の禁足地とは別の意味で人が入れない封印地ってやつだ。
しかし、入るだけで魂の源である霊気や精気の放出を強いられる山は、一定以上の能力の持ち主には魂を削られないよう抵抗する事で、力の出力調整や制御管理が磨ける修行スポットとして注目を集めたのだった。
日本の総人口中8割がなんかしらの異能持ちの中でも、神社仏閣に所属を義務付けされるような強い力を持ってる人には制御って大切だからなぁ。
俺に言わせりゃ物好きだなとしか言いようがないけどね。
とは言え、領域結界がわずかに薄くなる時期ともなれば、こぞって各宗教界から頼まれるので制限付きで修行者を受け入れてるわけだが、鎮まってても腐っても呪いの山である。ご勝手にドウゾお入りくださいして死なれても困るのでナビゲードが必須となる。
でもって、そんなめんどくさい仕事は俺みたいな下っ端に押し付けられるわけでめんどくさいことこの上もない。
ザリザリと響く静かな玉砂利の音に、振り返って見れば宿泊棟からこちらに向かう人影複数。
俺はでかけた二発目の欠伸をあわてて飲み込んだ。
「おっ、おはようございます」
「おはようございます」
境内の灯明の明かりだけが足元を照らす中、きびきびと整列を始める白装束のおじさん群は毎度のことながらシュールだ。
そういう自分も白衣に袴だったりするから人のことは言えないけどさ。
「本日より明日の下山まで、皆さんの案内人を勤めさせていただきます平坂忍と申します。宜しくお願いいたしします」
俺が営業スマイル全開でお辞儀をすると並んだおじさんらが一斉に俺に頭を下げる。
山の案内人をするのは初めてでは無いんだけれど、お仕事とは言え自分より年配の人に指示をする立場ってのは何度やっても慣れない。
こんな奈良の山奥までやってきて、修行をしてでも力を鍛えたい心理ってのが微妙に分からないと言うのもあるけどさ。かと言って真剣にやってくる人達を馬鹿にしてるわけじゃないんだ。
居心地がなんとなく悪いのは神職ですら無い俺なんかがいいのかなと毎度思うからだ。
物心付いた時にこの神社に引き取られた俺は神主じゃない。かと言って19ともなると子供ってわけでもないので、こうして神社〔うち〕の仕事を手伝っているただの身内バイトにすぎないんだぜ?丁寧にお辞儀とかされたらなんかばつが悪いわけよ。
(確かに力は鍛えられるからな。あと御寄進がばかにならん)
思わず帳簿とにらめっこをしては唸る権禰宜殿のボヤキを思い出してしまった。
神社ってのは基本ご寄進で運営が成り立っているが、うちの神社は国から予算が出ている。荒魂を少しでも鎮めようと神社が建てられた当時、最も力の強かった3つの一族を氏子に元からいた塚守を神主として国から託されたからだ。
生贄の対象は日本国全土だったし他教からは非人道的と糾弾されたけど、それでも生贄立てて外に出すよりはましだったってんだからどんだけやばい神様だという話だ。
ちなみに日本がアメリカとの戦争末期に一度だけ結界から外に出てしまったことがあるらしい。
当時を知るはずの大人衆がガンとして口を割らないので何があったかは知らないけどアメリカ海軍にまで金なら出すから、そこから出すなと治外法権の認定を受け停戦となったそうだ。まぁ色々ひどい事になったんだなぁと想像はつく。
そんな場所だから、被害がある内は臭い物にフタで国も予算にうるさくなかったんだけど、生贄も出さなくて良くなった今となっては、色々言われるらしくて運営に関してご寄進での運営に切り替えるべく模索中なのだ。
だが普通の参拝寄進は、呪詛を叶える山に参拝したいとか恨みを抱えて呪いたい人確定なので当然アウト。
そうなると特性を生かした修行地としての道を見出すかって話になり、試しに募集してみたら結構あたって現在に至っているわけだ。
さて、そんな話より今はお勤めをさっさと進めるか。
この人達、地元に帰ればみんなそれなりの役職の人たちなんだよなぁ。
一様に緊張にひきしまった顔に、こんな若造がすみませんと腹の中で一応謝っておく。
「では、境界の先に進む前の諸注意をお伝えします。まず結界通過時ですが」
ドッン!
言い終わる前に腹に響く轟音と横殴りの衝撃に襲われた。
山の地鳴りにざわめいた木々のねぐらから鳥が一斉に飛び立ち、唸るような高い鳴き声と揺り返す衝撃波に立っていられず思わず膝をついて身を伏せる。
一瞬のうねりのあと何事も無かったように山に静けさが戻ったが、息をついて起きた俺を同じように伏せていた全員が見ていた。
一様に恐れに慄いたパニック一歩手前の目で。
「ひっ、平坂君!今のはッ!?」
「地震じゃなかったよなっ!?」
うはっ。ここでコレとかめんどくせぇ。
あんた達ここの悪名や、尾ひれの付きまくった噂を承知して来てんでしょうが!こんなことぐらいでビビッてたら山なんか入れないっつの!
出かけた言葉を俺はぐっと飲み込む。そんなことしたら、なりかけパニックが本物になるだけだ。だけどパニックを起こす一歩手前の集団をなだめろとか、身内以外と話すのが好きじゃない俺には拷問に近いんですが。どうしよコレ。
とりあえず困ったらスマイルだ、スマイルでごまかすしかねぇ。
「えー。まぁうちの神社じゃ良くある事なんで気にしないでください」
「よくあるって君ねっ」
元気良く笑ってみたが顔を引きつらせたおっさんらに反って詰め寄られてしまった。あわてて俺は言い訳をひねり出す。
「あのっ、あれですよ。海の方の結界破ってなんか入ってきただけで害はありませんので大丈夫ですから」
「そんな言い方があるかっ」
ゴスッと硬い音を立てて後ろ頭に激痛が走る。
「いってぇぇぇ」
「おはようございます。皆さん、お怪我はありませんか?」
頭を抑えてしゃがみこむと後ろから現れた浅葱色の袴が視界をさえぎった。
「犬塚君、今のは」
そこにはいつもなら中社に詰めている権禰宜の犬塚桐人さんが立っていた。
「痛いよ桐さん」
「お前の説明はザックリしすぎなんだよ。まったく。ゲンコツ一つですんだんだ感謝しろ」
小声でぼそりと言いながらジロリと怒り顔で俺を一瞥した後、おっさんたちに手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
ようやく起き上がったのを確認してからの営業スマイルに、おっさん共はあからさまに安堵していた。
ムッとくるけどしょうがない。
桐人さんは中社の実質責任者で山の鎮守封印の立役者の一人なのだ。うちの神社で一番顔を知られているし、なにより外面がいい。
「呪詛が発動したわけでも、敵襲でもありませんので皆さんご心配なく」
その人にあっさりにっこり、そう言われては安心するよりしょうがないよな。
「皆さんご承知の通り海上には日本を囲むように結界があります。入山申請の諸注意項目にも記載がありますが、そのラインに一定以上の力量を持った物体が許可無く侵入しますと、結界の発生源である中社に知らせる為に領域内が揺れます。よくある現象なんですが驚かせてしまい申し訳ありませんでした」
そつがないって言うかあたかも当然とばかりに言い切った、桐さんの謎の説得力に押されてパニックが鎮まって行ったのに俺もほっと一安心。
こんな時に外結界になんかあったとかタイミング悪いにもほどがあるよなぁ。
日本をぐるりと囲むように海上に張られている外結界は荒魂主を封じた時に出来た物で、それこそがここ三幇神社の名前を悪名として国内外に轟かせちまった物なんだ。
封鎮祭の祭主を務めた三氏子の一つ、鏡坐の総代で今の山の主である寿人さんの言葉を信じるならそれは事故だったんだそうだ。
神社創立の際に行われた祭を再度行い、主様に今度こそ御篭り頂き眠りを妨げないように神殿、奥社、中社と三重の結界を張り鎮守する。それを可能にする高出力の能力者が揃っていたのもあって封印自体は成功した。
ただ、結界祈祷をした寿人さんがうっかり一番外側の結界領域の境を定めず張り続けてしまい、伸びるだけ伸びた結界は一瞬にして日本全土を覆いつくしてしまったんだそうな。
そしてなぜかうちの神社に害意・敵意・悪意のあった人達が結界に排除され海上に放り出されてしまった。
その数、500人弱。
発生した結界は寿人さんの手を離れ呪詛として山に固定され、一時的に霊能力者と排除者の日本への無断侵入が不可能になった。
国内外から横槍も縦槍も入れられまくった挙句に邪魔の限りをつくされたから、切れた上での犯行だろって桐人さんは今も怒るけど本人はすべて事故で済ませている。
実際、海難事故として当時の新聞にも「謎の竜巻か、神隠しか!?」などと書かれていて、ごまかしきれない騒動になったのは事実だ。
これで死人が出てないんだから奇跡だよな。
救助にあたったはいいが排除者を乗せているせいで結界内に入れず、領内ギリギリの海域をさ迷う羽目になったらしい海上保安庁と海上自衛隊の人達には同情を感じずにはいられない。
後でこっそり聞いた限りだと、さすがに殺すと寝覚めが悪いので船のそばに落としたとか言っていたし、ほんとあの人はちゃんと謝ったほうがいいと思う。
山も今と違って本当に限られた人しか入れなかったし、どんだけ頭にきてたのか考えるほどに恐ろしい。
でも国内のうるさい連中はもののついでだったんだろーなぁって思ってるんだ。なぜなら被害者の半分以上が口うるさい外国勢の筆頭「ヴァチカン皇国」関係者だったからだ。
生まれた時から何かしらの異能を持って生まれる日本人は、欧州の基準では管理下に無い異能として異端にあたるらしい。その中でも人柱を立てていたうちは事あるごとに干渉を受けてきた。
言い訳をするなら複数の生贄を立てて一人分にしたり本当に死人が出ないように色々頑張っていたのに、国圧かけて自分達の視点から文句言ってくるのは筋が違うと俺でも思う。
だからって強制排除はさすがにやりすぎだと思うけど完全に敵対宗教団体扱いで、臨戦状態におちいって宗教戦争勃発一歩手前までいったんだからどっちもどっちだ。
現在は両国間の政府が間に入って停戦中、てかうちは宣戦布告したつもりが無いので絶賛放置プレイ中。
そんな経緯で出来た結界と考えたら修行とは言え、些細なことでびびるのも仕方ない事かも知れない。
結界に何かあったみたいだけど大丈夫!
なんて、俺ごときに言われた程度で安心なんてそりゃするわけないよなぁ。
俺だって無理だわ。
「とは言え、安定の確認が取れてから入山するのが良いかと思います。とりあえず下社の日供祭をお手伝いいただき昼からの入山とさせていただきます」
桐人さんがそう宣言するととたんに場の緊張が解けて空気が緩んだ。
気がつくと境内には下社の何人かがあがって来ていた。白装束集団を下に案内しに来たんだ、という事は俺はお役御免か。
「お疲れ様でした~」
すぐさま俺は丁寧に客人を見送ることにした。
義務から解放されて嬉しかったからとかは言わないでおく。
にこやかに手を振り、何事も無く持ち場に戻る風を装って立ち去ろうとした俺の目論見は、着物の後ろ襟をぎっちり掴まれて阻まれた。
俺はそろりと手の主に顔だけ向けてみる。
桐人さんと目が合う。
うん、笑ってねぇし。
「お前はちょっとこっち来い」
「俺、ちゃんと仕事してたよ?そりゃアドリブとか苦手だけどさ」
「そうじゃない。結界突入前に馬鹿秋から不許可侵入の警告があった」
「秋里さんから?なんで?」
手を離されとりあえずお説教ではなかったことにほっとする。
秋里さんは東京にある分社の手伝いをしてくれてる人で、桐人さんとは仲が悪く普段は連絡を取り合うことすらない。
いい人なんだけどね。
寿人さんに言わせると犬はテリトリーでかち合うと喧嘩するだろって事らしいが、とにかく顔を合わせれば喧嘩ばっかりしているイメージなので正直驚いた。
「操さんとデートだから呼び出すなとさ」
「あーそっちか。でもなんで秋さんこっちにそんなこと言ってきたんだろ?」
黙って歩き出した桐人さんに釣られて歩き出す。
結界発動当時ならまだしも定着した今は、よほどうちに悪意を持っていない限り結界にそこまでの排除力はない。
船だったり飛行機だったりが日常的に出入りをしているわけで、結界が反応する程度の力を持った物や人が許可無く入り込むのは珍しいことじゃなかった。
それこそ海外旅行の土産に買ったアンティークが怨霊付きだったせいで反応しましたなんてのまであって、山で暮らす俺達にしてみれば日常茶飯事なのだ。
ただ、問題が無いわけでもなくってさ、侵入されたことによって結界が思い出したように発動しちまう事がある。
人の手を離れた結界は対象を特定できるほど精密じゃなくて、適当にそれっぽい人間を一斉に結界外。つまり海に放り出してしまうのだ。
もちろん悪意がなければ発動しない場合がほとんどだけど、うっかり無関係の人が意味無く海にかっ飛ばされた後の始末のことを考えてみて欲しい。
ものすごく面倒くさいんだ。
もちろん侵入者に悪意があれば侵入と同時に発動するし、そのついでに無関係の人間を巻き込むことも考えられた。
だから、日本各地にうちの分社を置いて入国した対象物には封印をかけて、対象者には許可証を携帯してもらうことで結界に刺激を与えないようにしてるんだ。
最近では、結界が反応するほど強い能力持ちは大抵どこかに所属しているから、ビザ申請の時に一緒に許可証発行したりもしている。
後はいざって時のために海上保安庁と排出口付近の海域の監視をしたりアフターケアにも気を配っているわけよ。
それでも10年たった今でも「日本国結界封鎖事件の元凶」とか「人災から生まれた天災」などと陰口たたかれてるんだから本当に恐れられてんだなと思う。
ともかく、船なら各管区の海上保安庁、飛行機なら国際線の発着する空港に対処する部署があるんだ。
本社とは言え国際線はおろか、港もない奈良にコール送ってこなくても特に問題なんて無いはずなんだけど秋さんも何やってんだかな。
「東京分社の邦さんに連絡した方が早いのにね」
二度手間じゃんとばかりに言うと桐さんにジロッと睨まれた。
「お前それ本気で言ってるのか?おっと、やっと入管の発令か」
振動音に足を止めると桐人さんは手にしていたスマホを立ち上げた。
明かりが夜目にまぶしい。
「4時17分、北海道ラインからの進入を確認。結界進入許可申請無し。レベル超過物もしくは無許可侵入と断定。海域ゲートへの誘導軌道に乗らないことと追跡ルートから10時半成田着フィンランドエアライン使用の予想。現地審査を要請」
「いわく付き手土産シリーズなんじゃない?」
「そんなとこだな。忍、ちょっと行って片付けて来い」
アンティークブームとか本当勘弁して欲しいと言い掛けて、聞き捨てなら無い台詞に俺は止まった。
「………俺?」
「そう。お前」
思わず自分を指さしてしまった。
ちらりと見るなり桐人さんは当然とばかりに重々しく頷いた。
「ちょっ、なんで!東京の仕事じゃん!でなかったら島さんが行くとか」
「お前、昨日から島さんが何処行ってるか知ってるよな」
「あ、呉港だ」
結界にはゲートと呼んでいる排出口が二箇所ある。
発動時に排出された場所が固定されてしまったからなんだけど呉の沖には南のゲートがあった。
「じゃあなんで行ってるかも知ってるな?」
「えーと、北の海域ゲートの場所を変えるから南の状態を見に、あっ」
「そう、岩邦は青森からゲートを東京に誘導するからって二日前に横須賀を出たばっかりだ」
問題は襟裳岬と八戸の間に開いてしまった北のゲートだった。
今のところ凍死者は出てないけど官庁各所から、せめて場所だけでも動かして欲しいとずっと言われていて、去年やっと結界原理の解析がすんだんだ。
なんとか海に落ちる前に関東圏の海まで飛ばせそうだって話を聞いたのは先週の話。
正直、俺には関係ないと思っていたので話半分に聞いていたんだよね。
ちらっと桐人さんを見る。
だいぶ明けてきたとは言え森の参道の暗がりの中、スマホのバックライトに照らされ浮かぶ顔は笑顔だが笑ってない。
「おおお覚えてた!マジで」
「嘘つけ、てめぇ!忘れてやがったろ。島さんがいない間はボケでニートだろうと、ここに居る限りお前が力量上位になるんだから自覚しろって言ったよな?」
「はい。すんません」
やっぱり怒られた。
ほんと誰だよ許可無し侵入した馬鹿。
「もうなぁ子供じゃないんだ。もうすぐ成人だぞ?いいかげん外の仕事も覚えてろ」
「ちゃんとやってるじゃん。外にだって行ってるし、今日だってさー」
「お前の言う外は麓の町じゃねーか!あそこはうちの関係者しか住んでねぇだろうが!そういうのは身内っつーんだ。うちにニートは一人で十分なんだよ」
「寿人にいさん、俺はニートじゃねぇ。働かないのが俺の仕事なんだって言ってたよ」
「あいつはまた後で殴っとく。ともかく、結界が不安定な時に発動させるわけにいかないのは分かるな?でもって秋が当てにならないのは理解したな?現在、東京には責任者不在となったら、うちから行くしかないだろうが。分かるな?」
「でも、やったこと無い俺よりも出来る人いるんじゃないかと。心霊付きか力場持ちか知らないけど鎮守も封守も出来る人いなかったっけ?東京分社」
正直な話、俺は奈良はおろか山からほとんど出たことが無い。
つーか学校すらも通信で済ませた俺に東京とか無茶を言わんで欲しいわけで、出来ることなら外に出たくない。
ニートとどつかれようと出たくない。
知らない人と話すとか台本でもない限り遠慮したいのが本音だった。
「なぁ忍。お前、ここに居たいって言ってたよな?」
「え?そりゃまぁ」
「全国各地から生贄連れて来てた頃ならともかく、普通の神社としてやっていくって決めた以上、神社本庁の通例に従う。そうなった以上ここに就職したいなら神職の資格取らないとだめだって言ったよな?」
俺は思わず笑顔の桐人さんから視線をそらしてしまった。
桐さんその話は……
「だからって俺が大学入試の手配までこぎつけてやったにもかかわらず、当日逃げたのは誰だ?」
「あっ、あれは俺のせいじゃないし」
あれは山にいらんちょっかいかけてくる連中がいるのが悪いのであって、保守人員にかりだされたせいであって。
しかし、言い訳は言葉にならなかった。
もはや笑みすら消え、切れる一歩手前の桐人さんの目つきに睨まれて言えるわけが無い。
「なんで途中で帰ってこなかった?帰って来いって言ったよな俺は」
やっぱそうなるよねー、それを言われると辛い。
大学ともなれば知らない人だらけな訳でハードル高いと思って、つい帰れたのに言い訳して戻らなかった自覚があるだけに耳が痛い。
なんで神職認定は通信無いんだろ。
言ったら神職をなんだと思ってんだと殴られるの確定だから言わないけどさ。
「今の状態は出仕どころかバイトだって言ったよな?あの後せっかく親父に言って推薦状出してもらったにもかかわらず、階位検定講習会行かずに顔つぶしたのは誰だ?」
「あれこそ俺だけのせいじゃなかったじゃん。本気で帰って来れないかと思ったし」
「まぁな。講習会の方は認めてやってもいい。だがな試験当日の方は帰ってこれたよな距離的に」
「……すいませんでした」
「わかればよろしい」
言外にせめて義務は果たせと言わんばかりにザカザカと参道を下る足音すらおっかない。
階段を降りきると、さすがに明けてきた境内はお勤めの掃除が始まっていた。
そのうちの誰かが桐人さんに荷物を片手になにやら合図をした。
俺はせめてもの抵抗を試みる。
「空港って成田でしょ?今から行っても到着間に合わないんじゃない?」
「そうでもないぞ」
桐人さんは受け取った荷物をそのまま俺に放り投げる。
えーと、これって桐さんがいつも使ってる出張かばん、それと紙袋には服が入っていた。
「さすがにその格好で東京に行けとは言わない。駅に5時20分までに着けば新幹線にも成田にも十分間に合う。切符類は駅で伊神さんから受け取れ」
「ここから1時間以内に奈良駅って無理でしょ」
「お前なぁ、ここはそんなに山奥でもないんだぞ。普通に走っても十分間に合うんだがな」
がっちりと俺の腕をつかんで、くいっと桐人さんの示す指先には目にも痛い赤いライトを回転させた白黒の車が鎮座していた。
「ちょっと何呼んでんですかっ」
「ゲート固定の障害になるかもっつったら即効で手配してくれた」
ずるずると引きずりながら会釈するとパトカー脇に控えていたお巡りさんが敬礼を返した。
「ちょっ、職権乱用!!」
「黙れ!俺は使えるものは親でも使う主義だ!」
ちょっと困ったような顔のお巡りさんに桐人さんは再度深々と頭を下げる。
「宜しくお願いいたします」
「うっそ、マジで?」
「いい機会だ外界の荒波にもまれて来い!放り出してでも逞しくなって欲しい兄心とでも思えっ!こうでもしないと出ていかないお前が悪い!」
呆然としてる間に後部座席に押し込まれた。
「逃げたら分かってんだろうな?忍」
なんだろう、桐人さんのものすごくいい笑顔を向こうにドアが閉まると車は静かに出発した。
まじで?マジでか?
あわてて振り返ると、後部のガラスの向こうに社と桐人さんが小さく遠ざかっていく。
かくして俺は静かな山の生活にしばし別れを告げることとなったのだ。