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   ― テラ共和国、治安局本部 ―

 

 窓の外では柔らかな若葉が風にそよぎ、淡い黄緑色の光をふりまいている。廊下に吹き込んでくる暖かな風を頬に受けて、青い髪の魔術師は心地良さげに目を細めた。

 今日も『流れ』は穏やかで、生気に満ちている。軽く瞼を閉じるだけで、髪に、衣服に、指先に、ちらちらと触れては流れてゆく力の存在が感じられた。

「しちょーぉ」

 間延びした声が廊下の向こうから呼ぶ。魔術師は目を開けて、そちらを振り返った。若い魔術師が一人、書類片手にぱたぱたと小走りにやってくる。

「しちょ……、あれ? 師長いないんですか?」

 師長室の前で立ち止まり、若者は小首を傾げて廊下にいた先輩に問うた。

「ええ、お留守です」

 わざとゆっくり、きちんと敬語を使いなさいと諭すように答える。だが後輩には通じなかったようだ。なぁんだ、という顔をして肩を落とした。

「そうですか、残念だな。せっかく一番に知らせて喜ばせようと思ったのに」

「何かあったの?……ああ、また見付かったのね」

 問いかけた後で後輩の持つ書類に目を落とし、納得してうなずいた。若者はまるで自分の手柄のように、嬉しそうに笑みを広げて書類を見せる。惑星間通信のしるしである赤いラインが、左上に入っていた。

「はい、出ましたよ、例のラブレター」

 一語一語区切るようにして発音し、若者はくすくす笑った。その手から書類を受け取り、先輩魔術師は内容にさっと目を走らせる。

「あっちの考古学センターは仕事が早いわね。……これ、ちょうど前の続きみたいね。師長も喜ばれるでしょう。直接渡すのなら、明日には戻られるからその時にしたらいいわ。でも、ラブレターなんて言って茶化すんじゃないのよ」

「えー、だって皆言ってますよ。絶対これ、師長宛のラブレターだよなぁ、って。ほかにいないでしょ、あっちの過去でこれだけのことした人なんて。でもって書いてあるのは“偉大なる青き魔術師”本人か、関係した人のことばっかりなんだから」

 独り言のようにそこまでしゃべってから、彼はふと目をしばたいた。

「こんなに慕われてたのなら、どうして過去に残らなかったのかな。『時の調整力』の干渉をここまで受けずに済む人なんだから、残ろうと思えば残れたんじゃないのかな」

「あの方が戻られなかったら、『今』もどう変わっていたか分からないでしょ。それに個人的な事情もいろいろおありなんでしょうし、余計な詮索はしないの。ほら、なくさないようにしまっておきなさい」

 書類を返されて、若者は曖昧な顔のままそれをファイルに挟む。そして、所在なさげに師長室の扉を眺めた。

「……どこ行ってるんですか?」

 どちらにお出かけなんですか、と言い直してやるかわりに、先輩魔術師は深いため息をついて、やれやれと頭を振った。

「いつもの場所よ。ご家族と一緒」

「あれ、家族連れでもいいんですか? だって確か師長の“家族”って、レーニアでもラウシールでもないんでしょ」

「あのねぇ……別に私たち以外の人間はあそこに行っちゃ駄目だって決まりはないのよ。ただ、行っても流れをどうこうすることは出来ないだけ。あなた講義で何を聞いてたの? それに、もう学生じゃないんだから言葉遣いぐらいちゃんと……」

「はいはいはいはいっ、すみませんっ!」

 小言を遮り、若者は慌てて姿勢を正して一礼すると、素早くその場を逃げ出した。

 瞬く間に廊下の向こうに消える背中を見送り、先輩魔術師はうんざり顔でため息をつく。だがすぐに気を取り直し、顔を上げて窓からちょっと身を乗り出した。

 今日はいい天気だ。きっと師長ものんびりしているだろう。

 目を閉じて仰向くと、降り注ぐ暖かい光を感じた。

 ああ、流れがなんて穏やかで、力強いんだろう――

 

 

   ― 聖地 ―

 

 彼は長い間、そこに立っていた。

 長い紺碧の髪が乾いた風を受けて踊る。目を閉じると、髪の一本一本にまとわりついては流れてゆく、風の動きを感じられた。そこに宿る力のきらめきも、空と大地を巡り世界を織り成す繊細で複雑な流れも。

 水を支配する白い力が一筋、挨拶するようにすぐそばを走り抜ける。

 精神を大きく開いて遙か彼方まで意識を広げてゆくと、様々な力が自分の一部になり、己もまた力の一部となる。そっと静かに流れを巡らせて、隅々まで意識を届かせると、流れから外れた小さな力を見つけることが出来た。その時にはもう、力の欠片はもとの流れに呼び戻されている。

 ゆっくり、穏やかに、時に速く、あるいは緩やかに。それでいて決して澱むことはなく、流れ続ける力。

 すべてを感じ、確かめてから、彼はそっと息を吐いて目を開いた。

 青空のまぶしさに慌ててまた目を瞑り、いつの間にか仰向いていた顔を下ろす。ぱちぱちと瞬きしながら、うんと伸びをすると、体にも力が満ちてくるのが分かった。

 赤茶けた岩山の上には、ほかに誰もいない。一本の大樹が優しい木陰を作っているだけだ。見渡すと、緑の平原が一望できた。

 この景色は、以前の自宅からの眺めにも劣らず素晴らしい。彼は一人にっこりした。

 平原のなかほどにある白銀の円は、共和国の首都だ。周辺にも、衛星のように小さな円があり、細い糸のような道がそれらをつないでいる。それを見渡しながら、彼の目は数百年昔の光景を重ねていた。あの位置にあったのは、本当に頼りない、そのまま砂に埋もれてしまいそうな街だったのに。

 もちろん、彼が自分の目でその光景を見たわけではない。だが彼は知っていた。そこに暮らしていた人々を、かつての弱々しい力の流れを。

 空を仰ぐと、大気を通り越して宇宙が見えそうなほど、深く濃い青色だった。その向こうから、細い細い糸がつながっている。毎年決まった日に少しだけ太くなる糸。今年は、それが河のように広がるはずだ。もう、大昔のように強い流れはなくとも。

 何もかもが遠い世界の記憶のようだった。時々、本当にその記憶が自分のものなのか、彼には分からなくなる。聖地に入り浸りすぎたのかもしれない。遠い昔から、そして遙かな未来まで、同じ場所で同じように流れに浴してきたレーニアたちの記憶かも。

 それでも、不安はなかった。

 ここで流れに浴する者は多くいても、すべてが自分と共鳴するわけではない。継ぐ者だけが、先代や先々代、あるいは次代の者たちと触れ合うことが出来る。

 ある部分では、私たちは同じ一人なのだ。

 彼は深く呼吸をして、それからやっと、細い石段の方へ歩き出した。

 さく、さく、さく。足の下で砂が鳴る。一段一段、足を下ろすごとに、共鳴は静まり、精神と一体化していた流れが離れてゆく。

 あと数段のところまで来ると、下で待っていた者たちが、彼の姿を見つけて大きく手を振った。やっと降りて来た、早く早く、と招くように。

 彼は笑みを広げ、トントン、と最後の数段を駆け下りた。風が吹き、青い髪を巻き上げる。その行方を追うように、彼はちょっとだけ後ろを振り返って――再び走り出すと、彼を待っていた両腕の中に飛び込んだ。

 いくつもの朗らかな笑い声と温かな腕、そして優しい言葉が、彼を迎えた。

「――お帰り、カゼス!」



(完)

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