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二十六章 (1) 最後の宴



「よお、来たか死に損ない」

「快気祝いにしちゃ、随分な歓迎の言葉ですね」

 苦笑したカゼスの肩を、イブンは笑いながら抱き寄せた。カゼスは当然のように、自分も相手の背に手を回して抱擁を返す。その反応にイブンの方が驚いた顔をした。

「なんだ、お嬢ちゃん、しばらく会えなくて俺が恋しくなったか?」

「ええ、まあね」

 カゼスは笑って受け流し、ぽんとイブンの腕を叩く。人の温もりと触れ合うことが、こんなに嬉しく感じられた事はなかった。不思議そうな顔をしたイブンに、カゼスは悪戯っぽく笑って見せる。

「死にかけたお陰かもしれませんね」

 それとケイの、と心の中で付け足す。迂闊にそんなことを言えば、この男にはどう冷やかされるやら知れたものではない。

「なるほど、ついでに少しは馬鹿も治ってりゃいいんだがな」

 憎まれ口を返して、イブンも笑った。傍で見ていたアーロンは、二人の気の置けないやりとりに興味深げな顔をしたが、あえてそれについては触れず、かわりに手土産を差し出した。

「イブンさん、これ、デニスのお酒です。用意して下さっているものの方がずっといいのは分かってますけど、折角あちらに行ったので、お土産に」

 どうぞ、と差し出されてイブンは、おっ、という顔になった。

「アラナ谷の葡萄酒か。気が利くな、こいつは美味いぞ」

「そうそう、私も用意しておいたんでした」カゼスもいそいそと手荷物から瓶を取り出す。「お酒ばっかりでなんですけど、ちょうど市場で見つけたんです。フローディス産の濁り酒」

 にやりとして差し出すカゼス。イブンは何とも言えない複雑な苦笑を浮かべて、ああ、とだけつぶやいて受け取った。懐かしそうな表情が一瞬その面をよぎったが、すぐに彼は気を取り直し、さあさあ、と客人たちを広間へいざなった。

 絨毯の上には既に酒肴が揃い、それぞれの客のためにクッションや肘置きが用意されている。エイルは早々と自分の場所を確保したが、ナーシルは遠慮がちに、皆が座ってからも後ろで途方に暮れた様子をしていた。どうした、とイブンが問う目を向けると、彼はちょっと頭を掻いて、居心地悪そうに言った。

「あのぉ、旦那、俺も同席していいんですか?」

「何をいまさら。カウロニアでも食事は一緒だったろう、雇われ者だからって遠慮するな。カゼスが死にかけたのも、おまえに責任はないさ。誰がどうしたって、こいつは無茶ばっかりするのをやめねえんだから」

 なぁ、とカゼスに皮肉な笑みを向ける。カゼスは苦笑いするしかなかった。

「はいはい、そうですとも。何がどうでも自業自得ですよ。……ナーシル、だから気にしないで座って下さい。折角のお祝いなんですし、ね」

 二人に説得されてやっと、ナーシルは最後まで空いていた場所に腰を下ろした。イブンが奥に声をかけると、ひょこ、と最初にカゼスが落ちてきた時に見た少女が、戸口から顔を覗かせた。

「ソラヤー、どうした。ほら、練習しただろう」

 苦笑気味にイブンが手招きする。客人たちが首を傾げていると、ソラヤーに続いて二人の娘がひょこひょこと顔を出し、それから少し恥ずかしそうに、緊張した面持ちでそろそろと広間に進み出た。ソラヤーともう一人は五弦琴を抱き、残る一人は鈴のついた輪をいくつか持っている。

 琴を持つ二人が床に座って、調律を始める。立ったままの一人は活発そうな雰囲気で、手足に鈴のついた輪をはめた。

「親馬鹿の座興にちょいと付き合ってくれ」

 イブンは客人を見回してにやりとすると、三人の娘に向かって、いいか、と確認した。父親と同じ黒髪と夏空色の目をした姉妹は、揃ってこくんとうなずく。

 イブンが最初の数拍、指を鳴らす。踊り子の爪先がそれに合わせてシャンシャンと小さく鈴の音を立て、五弦琴の前奏が始まる。そして不意に、あどけない外見からは想像もつかない、朗々とした歌声が響いた。踊り子が跳び、長い手足がしなる。

 子供の習い事、と言うには、あまりにも洗練されていた。思わずカゼスはぽかんと見惚れてしまう。歌はどうやら曲も詩も創作らしく、子供らしい新鮮なまなざしで世界を描写していた。途中で何箇所か間違えたようだが、その程度はご愛嬌だろう。

 一曲終わると、三人の娘が揃ってぺこりとお辞儀をした。歌舞の見事さにその愛らしさも加わり、客人たちは惜しみなく拍手する。三人はそれぞれ恥ずかしそうに、あるいは誇らしげに笑みを振り撒いて、ぱたぱたと奥へ引っ込んだ。

「さて、後は好きなだけ飲んで食ってくれ。そら、カゼス、おまえが主役なんだからな」

 イブンが皆を促し、カゼスの杯に酒を注ぐ。カゼスはありがたく頂戴しながら、にやにやした。

「三人とも可愛いですねぇ、父親に似なくて本当に良かった」

 途端に頭をはたかれて、カゼスは酒をこぼしそうになる。イブンはフンと鼻を鳴らした。

「失敬な、あいつらは三人とも俺譲りのところが多いんだぞ。目の色も楽曲の才能も、顔立ちだって昔の俺によく似てる」

「えぇッ!?」

 本気で素っ頓狂な声を上げたのは、カゼスだけではなかった。慌ててアーロンが口を塞ぎ、目をそらす。イブンはじろりとそちらを睨んでから、自分の酒を飲んだ。

「まぁ、信じられなくても無理はないがな。俺も随分、歳を食っちまったことだし」

 思わせぶりな口調だった。カゼスは目をしばたたき、イブンの横顔を見つめ――そして、眉を寄せる。そう、確かに歳を取った。彼はもっと……。

 訝るカゼスの視線に応えるように、イブンは大皿の焼いたガチョウを切り分け、カゼスの分を小皿にとって差し出した。そら、と笑って見せた口元に、今まで気付かなかった皺が刻まれる。カゼスは目をぱちぱちさせながら皿を受け取った。

 イブンは面白そうな笑みを浮かべたが、直接カゼスの疑問には答えなかった。他の客にも肉を切り分けながら、気楽な態度でしゃべり続ける。

「娘が三人もいりゃあな、若さも吸い取られるってもんだ。アーロン、おまえも覚えておいたほうがいいぞ、娘はえらく金がかかるってな。この間はとうとう白髪を見つけたよ」

 やれやれ、といささか白々しいため息。アーロンとナーシルが同情的な顔をする一方、カゼスはぽかんと口を半開きにして、イブンを見つめていた。何をどう言えば良いのか分からなかった。こうして三度も異なる時代で出会ったのだから、またいつかどこかで会えるかもしれないと勝手に思い込んでいたのだが、どうやらそれは叶わぬ夢だったらしい。

 だがイブン本人にとっては、喜ばしいことなのかもしれない。子供の成長を見守り、引き換えに自分は……老いてゆく。他の人々と、愛する伴侶と同じように。そして後のことは子供たちに譲って、眠りにつくのだ。長い長い間、お預けにされていた眠りに。

 と言って今ここでおめでとうございますと祝うわけにもゆかず、カゼスは曖昧な顔のまま、黙ってちょっと杯を挙げた。


 宴は長く続いた。イブンが得意の歌を惜しみなく披露してくれたし、時々召使が影のように現れては、追加の酒や料理を供した。エイルとアーロンは相変わらず帝国時代の話で盛り上がっていたし、ナーシルとイブンはそれぞれが各地で見聞きした面白い話を次々に聞かせてくれた。

 そうして、気付くと外は宵闇に包まれ、空には明るい星が瞬き始めていた。

「あ、一番星かな」

 カゼスが外に目をやってつぶやく。たまたま聞きつけたアーロンが振り返り、ひときわ明るい星を見付けて「ああ」とうなずいた。

「ミネルバですね」

 直後、エイルが何かを喉に詰まらせ、むせかえった。カゼスも危うく料理を落としかけ、慌てて器を持ち直す。二人の反応に、アーロンはきょとんとした。

「どうかしましたか?」

「いえ、その、なんでも」カゼスがごまかす。「ちょっと、知ってる名前と同じだったので驚いて」

「そうなんですか? 僕らにとっては、女神の名前ですよ。明るくてきれいですからね。すぐ隣の惑星だそうです。天文学者の話では、今の時期は特に明るいらしくて……えぇと、何年って言ってたかな、六十年とか二百何十年とかに一度の、大接近だって話ですよ」

「そんなことまで分かってるんですか」

 カゼスは驚きを隠せなかった。惑星という概念が既にあるのはともかく、すぐ隣だの大接近だのという所まで分かっているということは、惑星軌道の計算が出来るレベルに達しているということで……

 と、そこまで考えてカゼスは一人ぽんと手を打った。

〈それだけ接近している時期だから、ファルカムの呼び声も強力に作用したんだな。物理的な距離が近ければ、それだけ魔術的にも効果を及ぼしやすくなる。レムルがあんな細工をしてまでこの時代から集中的に呼び集められるようにしたのは、ラウシールが大勢いたからとか社会情勢がどうとかって話もあるだろうけど……〉

〈距離が近くて呼び寄せやすいから、というのが最たる理由でしょうね。ざっと計算してみましたが、今が私たちの時代から九百年ほど前なら、たしかに過去四万年の中で最大接近する年がありますよ〉

〈ってことは、今なら……〉

 頭の中で、ふたつの惑星が太陽を廻りながらゆっくり近付いていくイメージが浮かび、何かが思考の形をとりかけた、その時。

「ラウシールよ」

 久しぶりに聞く声が目の前の酒瓶から届き、カゼスは目をぱちくりさせた。声自体は大きくはなかったが、豊かな響きが一同の注意を引く。いっせいに集まった視線の先で、酒瓶から白い竜の首がにゅっと突き出した。

「イシル!」

 歓喜の声を上げたカゼスとは対照的に、イブンは勘弁してくれと天を仰ぎ、ナーシルは目を剥いて顔をひきつらせた。

「だ、旦那っ、旦那! 蛇、蛇がっっ!」

 誰が蛇か、とイシルが言い返すよりも早く、イブンが手を振って遮った。

「蛇じゃない、幻覚だ気にするな。酒が見せるまぼろしだ」

「で、でも」

「気持ち悪けりゃこっちの酒を飲んでろ。これも美味いぞ」

 な、と薦めたのはフローディスの濁り酒。カゼスが眉を上げるのも無視して、イブンは強引にナーシルに飲ませる。既にさんざん飲み食いした後で、度数の高い酒を飲まされたナーシルは、ひとたまりもなかった。ものの数秒でクッションに倒れこみ、深い寝息を立て始める。

 大丈夫かな、とカゼスはちょっとナーシルの背に触れて精神体で様子をさぐり、一安心してから改めてイシルに向き直った。

「あなたがこうして出て来られるなんて、元気になったんですね。良かった。相変わらずお酒に目がないんですね」

 カゼスが笑うと、イシルはちゃぷんと水音を立てた。瓶の中で尻尾でも揺らしたのだろう。物珍しげに眺めているアーロンとエイルは無視して、イシルは緑青色の目をカゼスにひたと当てた。

「汝のおかげで少しは息がしやすうなった。たいして長うはないが、命が永らえて、もう一度酒が飲めるのは喜ばしいわい」

「私の……? あ、もしかして、力場のことですか」

 カゼスは怪訝な顔をしたものの、はたと思い当たって問うた。イシルほどの生物ともなれば、力場との相関性は非常に高いはずだ。存在自体が魔術的と言っても良い。

「だからあなたはあの時、私があなたの寿命を延ばすかもしれない、みたいなことをおっしゃったんですね。私が何をしでかすか、あなたには分かっていたんですか?」

「未来を知ることは出来ぬよ」イシルは目を細めた。「だが彼の地の力が汝を求め、汝もまた流れを求めることは分かっておったのでな。そうせずには居られぬはずじゃと。お陰でこうして汝と話が出来る」

 喜ばしいと告げていながら、その声音にはあまり浮いた気配がない。カゼスが真顔になってイシルを見つめると、水竜はふと、わずかに頭を下げた。

「汝に頼みがある」

「……なんでしょう? 素面で聞いた方が良さそうな感じですね」

 カゼスは言いながらもう、力を動かしにかかる。いつぞやカワードにかけたこともある、酔い覚ましの術だ。イシルは目をしばたいた。

「酔うておった方が良かったやも知れぬぞ。……先にも言うたが、儂の命はじきに尽きる。最近の力の異常がそれを早めたとは言え、まあ、どちらにせよそろそろ再生せねばならん潮時じゃろう」

「再生?」

 カゼスは首を傾げたが、イシルは例によって説明はしてくれなかった。自分の話を淡々と続ける。

「しかし今回のことで気付かされた。もはや水竜が水竜として生きてはゆかれまいとな。この地の力は数多の細い流れに分かたれ、水竜の存在を保てるだけの場を失ってしもうた。ゆえに次の姿は小さなものとなるじゃろう。しかしそうなれば、すべてがこの地では狭苦しい」

「……なんとなく、あなたが言ってることと、言おうとしていることが分かってきた気がしますよ」

 カゼスはしょっぱい顔になり、やっぱり酔っ払ってりゃ良かったかな、と後悔した。まったくこの水竜は、五百年経ってもやることが同じなのか。

「あなたが『再生』した後、その……子供だか生まれ変わりだかを、いくらか私の故郷に連れて行けって言うんでしょう。私の『中』に入れて運べ、って」

「命じてはおらぬ。頼みがある、と言うたじゃろう」

 イシルの声が面白そうな響きを帯びた。とぷんと一度酒瓶の中に消え、それからまた顔を出す。

「汝には出来るはずじゃ。以前のように『中』に入れずともな」

「買いかぶらないで下さいよ、そんな簡単に言いますけどね、実際のところ問題が色々とあるわけで」

 生物や土の付着した物を持ち帰らないこと、って注意事項があったよなぁ、などと思い出してカゼスはうめいた。厳密にはイシルは魔術的な生物ではあってもナマモノではないかもしれないし、土がついてもいないが、こちらの力場の一部とも言える水竜をミネルバに連れて行くなど――

「…………!」

 不意に、先刻、脳裏をよぎったイメージがよみがえる。接近するふたつの惑星、そしてその間を渡ってゆくのは――

「イシル、まさか」

 愕然としたカゼスに、イシルは感情の読めないまなざしと沈黙を返す。絶句したカゼスに、エイルが心配そうな声をかけた。

「カゼス? どうしたんだい、大丈夫かい」

「うわ……」

 カゼスは答える代わりに両手で頭を抱えた。

「どうしよう、とんでもない事を思いついてしまったんですけど、しかもイシルはそれをお望みのようなんですけど、でも、でもなぁ、ああああぁ」

「一人で唸ってないで説明しろよ」

 イブンが呆れてカゼスの頭をはたく。アーロンもすっかり酔いの醒めた様子で、身を乗り出してきた。

「何の話をされているんですか? この……イシルさんは、叙事詩にも出てくるあの水竜ですよね? 連れて行くって、そんなこと出来るんですか」

「出来ちゃうんですよ」カゼスは嘆くように言った。「普通なら無理です、普通ならね。だってイシルは多分こっちの力場と一体になっている生物なんですよ、だから私の『中』に入れたとしても、あっちには連れて行けない。でも……今の時期なら、イシルの存在が変化するその時なら、出来てしまうんです。というか、多分、理屈としては出来るはずなんです」

 ああ、とカゼスは嘆息し、やれやれと顔を上げて一同を見回した。

「さっき、あの明るい星の話をしたでしょう。ミネルバって」

「ええ。それが?」アーロンが促す。

「実は……あれが、私たちの故郷なんです。そして、失踪した魔術師たちが呼ばれて行った先でもあります。時代的にはかなり開きがあって、私たちはずっと未来の人間ですが」

 カゼスの説明に、アーロンはかくんと顎を落とし、イブンは夏空色の目をみはった。カゼスはちらっとエイルを見て、止める様子がないと確かめると、先を続けた。

「それで、今は距離がものすごく近くなっている上に、多分まだ向こうから呼んでる人がいる。だから……」

「『橋』を架けられる。そういうことだね」

 エイルが感心したように言い、カゼスとイシルを交互に眺めて、ほうと息をついた。

「カゼス、もし君がそれを実行したら、こっちとあっちで何が起こるんだい? なんとなく想像はつくけどね」

「橋を架ける時間と規模によります。でも多分、少しだけこっちの力場が弱まって、あっちの力場が強まるでしょうね。いくら距離が近いと言っても惑星間のやりとりとなると、それほど激しい変化は起こり得ませんし。もっとも、私だけではイシルの望みを叶えられるほどの橋は作れないでしょうから、ほかにも魔術師の協力を仰がなきゃなりませんけど」

 そこまで言ってカゼスは、明るい一番星を振り仰いだ。

「多分それは、うまくごまかせると思います。それにエイルさん、うまく橋が架けられたら、私たちもそこを通って安全に帰れますよ」

 帰り着いた先がどうなっているかはともかく、という懸念は口にしなかった。エイルもそれは分かっているはずだ。既に彼らは行動してしまった。もはや取り消すことは出来ない。あとは『時の調整力』ができるだけ都合よく作用してくれることを祈るのみだ――出発前より良くなっているとまではゆかずとも、せめて何ら変わっていないようにと。

 そこでアーロンが、小さなため息をこぼした。

「ああ……、本当にいなくなってしまうんですね。残念だなぁ。今度はずっとこっちにいて貰えるかと、実はまだこっそり期待していたんですけど」

 がっかりした様子で首を振ったアーロンに、イブンがおどけて眉を上げる。

「名前が同じだからって、律儀に惚れることはないんだぞアーロン」

「イブンさん!」

 途端にカゼスは真っ赤になり、手近にあったクッションを投げつける。アーロンは軽く笑い、面白そうな顔になった。

「そういうわけじゃありませんけど。ただ、僕は史料を通してラウシールという人や、皇帝エンリルや皇妃アトッサや、アーロン卿……色んな人たちに、確かに惚れ込んではいますから。あの時代に生まれたかったなぁとか、生まれていても多分無名の一市民で流れ矢に当たってどこか隅っこで死んでしまうのがオチだから、この時代で良かったんだ、とか、いろいろ考えたりして……そんな憧れの人たちの一人が身近にいてくれるなら、すごく嬉しいですよ」

「光栄なお言葉ですね」カゼスは苦笑した。「でも実際には、私はあの時代の人間ではなくて、もっとずっと先の、しかもあそこの人間ですからねぇ」

 あそこ、とカゼスは星を指差す。アーロンもそちらを見やり、小さくうなずいた。

「ええ、驚きました。でも、あそこがカゼスさんの故郷なら、しかも遠い未来だと言うのなら……いつか、また会えますよね」

 妙に確信を持って言われ、カゼスはことんと首を傾げた。それは無理だろう、とすぐには否定できない何かが、アーロンの声には含まれている。

 曖昧な顔で黙ってしまったカゼスに、アーロンはにこりと笑いかけた。

「あなたと同じ時代のミネルバの人たちは、その時代のレントに来ることが出来るんじゃありませんか? 時は越えられなくても、空間を移動する技術は――たとえば転移装置みたいに――何かがあるんでしょう。そして、かつてのあなたのように歴史の一部になってしまった僕らのことも、あなた方は埋もれた史料から見出した。エイルさんが僕らの歴史に興味津々なのも、あなたの体験談だけでなく、実際に何か史料を掘り出したからでしょう。違いますか?」

「それは……、その、まぁ……」

 カゼスは口ごもり、エイルと揃って困り顔になる。アーロンは、分かってます、と励ますようにうなずいた。

「あなた方にとっては過去のことでも、僕らにとっては未来だから、あなたの時代に『ここ』がどうなっているのかを知らせることは出来ない。そういうことですよね。でも、もし僕がうまく後世まで伝わるような何かを残せたら、それは――あなたも目にする日が来る。それなら僕は、もう一度あなたに会えるんですよ。石に刻んだ碑文や、書物に記された文章を通してね」

「…………」

 カゼスはまじまじとアーロンを見つめた。驚きと、静かで深い喜びが胸に湧き上がる。

(もしかして、もしかしたら、あれは)

 レントで発見された、歴史を記した書物の封印された箱。わざわざ風化を遅らせる処置まで施すとは、過去のレント人が滅びを悟って遺したものかという推測もされていたが――

「あなたに、伝言を残しますよ。今回のことの結果がどうなったか、エンリル総督のこと、僕やナーシルやイブンさんがどう過ごしたかなんてことも、全部、あなたに宛てて書きます。こっちの世界であなたが何をしたか、それがどう僕たちを変えたか、五百年前のことも今のことも何もかも。……だから、あなたは自分の時代に帰ったら、僕に会いに来て下さい」

「……ええ、きっと。きっとそうしますよ」

 カゼスは微笑み、瞬きして涙をごまかした。

(もう会っていたんですよ、あなたには)

 心の中でだけそう言い、約束のしるしに深くうなずく。

 短い沈黙の後、イブンがちょっと頭を掻いて言った。

「帰る、か。故郷があるってのはいいもんだ。それがどんな所でも」

「きっといい所なんでしょうね。カゼスさんの育った所なんですから」

 アーロンが羨ましそうな、夢見るまなざしを向けたので、カゼスは苦笑するしかなかった。私を基準にして、どうしていい場所だなんて言えるんだろう、などと考えてから、以前にも似たような質問をされたと思い出す。

 故郷を失い、家族を失い、己自身さえ失いかけて、最後には結局それまで敵地だった場所に安住を見出した、赤い眼の青年。彼が問うたのだった。やはり帰りたいか、おまえにとって良い故郷とは言えないようだが、と。

 あの時はなんて答えたんだっけ、とぼんやり考えながら、カゼスはぽつぽつと思いつくままに言葉を口にのぼせた。

「そうですね。いい所なんだと思います。戦争はないし、一部の人が別の集団を迫害するとかいうこともなくて……ただ、小さないざこざや、難しい事はたくさんありますけど」

 探究心と独占欲のゆえに他人の実験素材を横取りし、ひとりの人生をめちゃくちゃにしてしまった人々がいた。狭い世界しか知らない子供たちは、異質な存在を容赦なくからかい、言葉の礫を投げつけた。家族としてやっていくには、あまりにも心の離れた、解り合えない人々もいた。

 カゼスの長くもない人生経験だけでも、世間が厭になるのに充分なことがあったのは確かだ。だがしかし、それだけではないと、今なら言う事が出来る。

「それでも、やっぱりいい故郷なんですよ。平和だし、うちの庭から見える景色がまた良くてね。海と山と谷がいっぺんに見られるんです。それに、友達もいるし……美味しい食べ物も、便利な道具もあるし」

 ひとつひとつ数え上げていくと、その度に家が恋しくなる。すっかり片付けて出てきたとは言え、あの家は今、荷物だけが残された空っぽの建物ではない。カゼスの帰りを待つ、オーツや数少ない友人達の想いがそこにある。

「あとは……アーロンには悪いんですけど、私はここにいたらどうしても伝説の人になってしまうでしょう。向こうでも師長はやってましたけど、それはあくまで便利に使われてたってだけで、一般人だったんです。休みの日には一日中、家でパジャマのままごろごろして、飲み物片手に読み古した本を広げてても、誰にも文句を言われないし……そういう、静かな生活が好きなんですよ」

「そうだろうと思ってました」

 アーロンが微笑み、エイルもくすっと意味ありげに笑う。カゼスは目をぱちくりさせたが、追及はしなかった。

 ふと言葉が途切れ、誰もがすこし黙り込んだ。それぞれの故郷を想っているのか、近付く別れに名残を惜しんでいるのか。

 だがしんみりした空気も長続きしなかった。ほとんど無意識に酒を注ごうとしたイブンが、瓶の軽さにぎくりとしたからだ。慌てて逆さに振ってみても、ほんの一滴、ぴとんと杯に跳ねただけだった。

「……っ、このジジイ! 出てきたと思ったらすぐこれか! 返せ俺の酒!!」

 怒鳴るや否や、イシルが出てきた酒瓶をひっつかむ。だが一瞬早く白い尾ひれが瓶の中に消え、ちゃぷんと音を立てた。これまたやけに軽い響きに、イブンは情けない顔になって瓶を振る。もうほとんど残っていない。

「くっそ、だから飲兵衛の爺さんは嫌なんだ!」

 毒づいたイブンに、堪えきれずカゼスが大笑いする。次々に瓶や杯を覗き込むイブンを戯弄するように、イシルが水差しからわざと首を出した。姿を見せずとも声を聞かせる事は出来るはずだというのに。

「汝は既に充分飲んだであろうが。末期の水を惜しむとは随分狭量な」

「何が末期の水だ、充分飲んだのはそっちこそだろうが。何百年だか何千年だか、飲んだくれ通しのくせに」

 忌々しげに唸りながらも、イブンはやれやれと召使を呼ぶ。追加の酒を運ばせるためだ。カゼスはまだくすくす笑いながら、結局親切なんだから、とからかいかけたが、察したイブンがしかめっ面をしたのでおどけて口をつぐんだ。

 イシルだけでなく、イブンにとっても残された時間は――今までの人生に比べたら――そう長くはない。愉しみに水を差しては勿体無いだろう。

 カゼスはそっと微笑むと、静かに精神の手を伸ばし、ほんのわずか『力』を引き出した。蝋燭の明かりしかなかった室内に、淡く色のついた光がふわりと灯る。

 翡翠、瑠璃、黄金に白銀、赤銅――きらめきは緩やかに色と形を変え、ひらりひらりと戯れる。

 陽炎のような光は、言葉も視線も、時間をも包み込んで、いつまでも静かに舞い続けていた。


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