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二十五章 (1) 後始末



 カゼスが起き上がれるようになるまで、思いのほか時間がかかった。

 その間エンリルの迅速な対応によって、事件はその重大さにもかかわらず、滞りなく処理されていった。

 真っ先に、レムノス迎賓館に残っていたアペルの警護兵が、仇討ちの刃を振るう機会を与えられることなく軍団兵によって監禁された。次いで評議会に状況が報告され、すぐさま調査委員が組織されたが、その人選についてはケイウスから国王を通しての注文がついた。可能な限りアペルとの関係が薄い者を、と。

 そうして派遣された調査委員には、むろんエンリルも協力した。目撃証言と凶器のふたつによって、殺害の行われた状況はほぼ確定したが、関係者の立場や行動の理由はさらに調査が必要だった。

 カゼスの枕元にも、エンリルが何度か質問しに来たが、断片的で混乱した言葉をつぶやくように返すのがせいぜいだった。まともに話をすることが出来るようになった時には、ターケ・ラウシールに担ぎ込まれて四日が過ぎていた。


 クッションや毛布を支えに上体を起こし、久しぶりに自分でスープを飲んでいると、今まで何気なく行ってきた動作がすべて、どれほど大変なことかを実感する。カゼスは枕元についているエイルに、ぽつぽつと自分が見たものについて話した。すべてを鮮明に憶えているわけではなかったが、ファルカムとセレスティンに会ったこと、レムルが迎えに来たことは忘れていなかった。

 時々休憩しながらカゼスがすべてを語り終えると、エイルは何も言わずに頭を撫でてくれた。カゼス自身も、己の感情をうまく把握できていなかったので、エイルの態度はありがたかった。

 しばしの沈黙を挟み、エイルはしみじみと言った。

「……彼は、自分の命と引き換えに君を助けてくれたんだねぇ」

「引き換え……というと、少し、違うかもしれません」カゼスは小首を傾げた。「命は、取り替えられませんから。ただ、私を助けるには……そこまで治療をする必要が、あったから。上手く行けば、彼も生きていた……かも、知れなかった」

 一人の命で別の誰かの命を贖える、というわけではない。瀕死の者を治療するには、『力』を利用してもしなくても、相当な労力を要する。結果として治療者が命を落とす場合もあるし、そこまでしてさえ患者が死ぬこともある。もちろん、二人とも生き延びることも。

 カゼスはぼんやり宙を眺めた。レムルが死ぬつもりだったとは思えなかった。死んでも構わない、ぐらいの覚悟ではあったろうが。

「私は……、助け、たかったのに。結局、なんにも……ならなかった」

「君は確かに彼を助けたんだよ」エイルが優しく言った。「だからこそ、彼は君を助けることが出来た。自分の意志と、自分の力でね」

「それでも……」

 生きていて欲しかった。そして、もっとちゃんと話をして、一緒に状況を変えていきたかった。アペルの関与を明るみに出し、転移装置を修理して、それによって起きる社会的な問題の解決にも、共に力を尽くして欲しかった。

(……なんて思うのは、勝手なんだろうな)

 ふ、とため息。

 レムルは彼なりにさんざん悩んだのだろう。そして出した答えが、あの行動だった。それを自分は止めさせてしまったのだ。相手を独善と罵ったカゼス自身もまた、結局は独善的な思いで動いたに過ぎないのではないか。

(ケイは違うと言ってくれたけど……本当に?)

 出来るだけ“善い”選択をしようと悩み、行動すればするほど、本当にそれが“善”なのかどうか分からなくなる。もし今回のことの結果、レムルが示唆したように、あるいはエイルが指摘したように、魔術による戦争が起こってレントが滅びてしまうとしたら、本当に自分はそれを受け止めることが出来るのだろうか。

 どんな結果でも、未来にいる者はそれを受け入れるしかない。

 それは、確かに事実ではあるのだが。

 もう一度深いため息をついて、両手で顔を覆う。と、その心中を察したように、エイルが軽く肩を叩いた。

「また例の罠にはまっているようだけどね、カゼス。君が一人で背負うことはないんだよ。君の選択は確かに歴史を変えてしまったかもしれない。でも、これからどうするかはレントの人々の選択によって決まることだ。楽観的な予想を言うならね、カゼス、私たちが元の時代に戻った時、ひょっとしたらレントにはまだ文明が残っていて、惑星間の交流が普通に行われているかもしれないよ」

 慰めなのか本気なのか、エイルはそんな明るい未来図を描いてみせる。カゼスは顔を上げ、弱々しく微笑んだ。

「あなたのその前向きさは、どこから出てくるんです?」

〈あなたの後ろ向きさに比べたら蟹の横這いだって前向きですよ〉

 容赦ない突っ込みを入れたのは、ドアから飛んで戻ってきたリトルだった。カゼスが寝込んでいる間、エンリルの調査に協力していたのだ。

 久しぶりの相棒に、カゼスは思わず怯む。あの世の入り口で見たリトルの影が、おぼろげながらも記憶に残っていた。これからはもう、ただの丸い玉っころとして見る事は出来ないだろう。

〈しかもあなたはまったく学習能力がないときていますからね、そりゃ前に進もうにも進めるわけがありませんよ。何回死にかけたら気が済むんですか、考えなしに行動されるといくら私でも保護するのに限界があります! いかに高性能であっても使い手がこれでは能力を生かすことが出来ないんですから! 自分のやった事が分かってるんですか? あなたのせいで私まで危うく機能停止するところだったんですよ、そういう点でこそ自己嫌悪の深みにはまって貰いたいものですね!〉

 いちいちごもっとも。カゼスは言い返せずにうなだれ、どんよりとリトルを見やった。ただの玉っころでなく自分の影に説教されていると思うと、滅入ること甚だしい。今後は少し怒られないようにしよう、などとあまりにも遅きに失する決意を抱く。

 と、リトルに遅れて、エンリルが入ってきた。

「起きられるようになったか。少しは実のある話が出来そうか」

「どうでしょうか」

 そもそも私の話に実なんてないし、などといじけたくなるのを堪え、カゼスは苦笑を浮かべた。エンリルは大して期待していないというように、わずかに肩を竦めてベッド横の椅子に腰を下ろす。

「おまえがうわごとのように言った、床石だの羽目板だのについてだが、そこの水晶球のおかげで正確な場所が分かったぞ」

「何か出てきましたか?」

「ああ。充分に」

 エンリルはにやりと笑った。腹いっぱい食べたばかりの肉食獣を思わせる。カゼスが複雑な表情をしているのには構わず、エンリルは機嫌よく説明してくれた。

「昔からアペルと繋がりのあった運輸業者との、金銭授受の記録だ。正式な契約書というより、念書のようなものだな。アペルは転移装置の改造がどんな結果を招くか、三年前には既に承知していた。魔術が使えなくなり、転移施設しか利用できなくなれば、日数はかかっても昔ながらの輸送手段に頼る者が増える」

「なるほど」エイルが相槌を打った。「そこでさらに、政府高官が人脈を利用して仕事を回してやれば、さらに懐が潤う、と」

「そうだ。その利潤からいくらか礼をしても充分に余るほど、な。アリル=エクシスはその事情を知っていたらしい。転移施設の視察は内密に打ち合わせの出来る絶好の機会であり、所長はそれに協力したことを認めたよ」

 そこまで話した後で、エンリルはふと真顔になった。

「あの日、室内で何が話されたのかを知る者はいない。調査委員は、恐らくアリルが手を切ろうとしたか、報酬を吊り上げようとしたため、アペルが口封じを決めたのだろうと推測している。……おまえは、何か二人のやりとりを聞いたか?」

 慎重に探りを入れるような問いだった。カゼスはまじまじとエンリルを見つめ、それから、何かが妙だと感じながら口を開いた。

「私は、何も……。あちら側に出て行く直前まで、様子はぼんやり見えても、声までは聞こえませんでしたから。ただ、会話をした様子はなかったと思います。アペル長官が、部屋に入ってすぐに剣を抜いたみたいでした」

「そうか」

 つぶやくように言い、エンリルは手元に目を落とした。カサ、と音がする。カゼスがつられてそこに目をやると、エンリルは血の染みた紙片を差し出した。

「これは……」

「施設に入る直前、所長がアペルに渡したものだ。警告だ。私がアペルを告発しようとしている、とな。書いた奴は馬鹿正直に署名までしている。スルフィ=エクシス、と」

「――!」

 カゼスは息を呑んだ。エンリルは紙片を取り返し、手の中でもてあそんだ。

「いくらアペルでも、いきなり属州総督を刺し殺すことは出来ない。だからまず証人を消して時間を稼ごうとしたのだろう。幸いなことにアリル=エクシスは、その存在をどこにも記録されていない“ドブネズミ”だ。胡乱な魔術師が長官暗殺をもくろんで潜んでいた、だから自衛のため殺した、と言われたら……どうしようもないところだった」

 そこまで言い、彼はくしゃりと紙を握り潰した。顔に滲んだ苦渋の色は、危うくアペルに返り討ちにされるところだった自分への怒りゆえか、あるいは……続けて言った台詞に対するものだったかもしれない。

「一時はおまえのせいですべて台無しにされたと思ったが、結局おまえは――あくまで結果として、の話だが、私だけでなく『長衣の者』まで守ったわけだ。そのことには、礼を言わねばなるまいな」

「え……」

 状況がすぐに飲み込めず、カゼスは頭の中を整理しようとしながら曖昧な顔をする。カゼスの理解が追いつくのを待たず、エンリルは「だが!」と厳しく言った。

「おまえの行動が無謀で浅はかで大博打だったことに変わりはない! もしまだこの時代に居座るつもりなら、今後一切二度と考えなしの行動を取るな! 分かったか!」

「は、はいっ」

 勢いに押されてカゼスは反射的にうなずいた。エンリルは疑わしげにカゼスを睨んだものの、じきにはぁっと深いため息をつき、疲れた風情で腰を上げた。

「とりあえず話はそれだけだ。……ゆっくり休め」

 そこへ、彼が出て行くと見て、外から新たな見舞い客が入ってきた。否、見舞いではないかもしれない。

「残念ながら、そうも行かんでしょうな」

 気の毒そうに言ったのは、ヴァフラムだった。横でリュンデも苦笑し、二人の間でラジーが申し訳なさそうに縮こまっている。それぞれが手にしているのは、ベッドの上で使える小さな書き物台、書類と手紙の束、それに印章と筆記具の入った文箱。

「……あぅぁ」

 カゼスが呻き、毛布に沈み込む。立ち去りかけていたエンリルは足を止めて、ちらりと振り向いた。だがもちろん彼が助けてくれる筈もなく、まるで真情のこもらない「同情する」の一言だけを残し、そのまますたすた出て行ってしまった。

「ご無理なさらずに、出来るだけで構いませんからね」

 リュンデが言いながらも容赦なく台を置く。まったく逃げる余地がない。カゼスは新手の拷問だろうかと、憂鬱げにそれを見つめた。その目の前で、書類と文箱がそろえて置かれ、インク壺が開けられて。

「ラジーが手伝います。では、どうぞ宜しく」

 にこやかにヴァフラムが言い、ぺこりと頭を下げた。カゼスはげんなりしながらも、気力を奮い起こして書類に向かい合った。

「はいはい……どうせこのぐらいしか出来る事はないんだし、給料分は働きますとも」

 ぼやきながらもペンを取って握ると、自分の手にちゃんとまた力が入ることが、とても新鮮に感じられた。ゆっくりと動かして、ペン先をインクに浸して、紙の上に置く。

(ああ、生きてるんだな)

 しんみりとそんなことを思いながら、カゼスは一枚目の書類に目を通し、丁寧に署名した。



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