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二十四章 (1) 予定外の破綻



 エンリルは緊張をかすかに漂わせたまま、技術長官を出迎えていた。本音では相手が何者だろうと臆する気持ちなどなかったが、今の緊張をそうした心情ゆえと見られるならかえって好都合というわけだ。

 既にハキームは施設内に潜んでいるし、軍団兵はあくまで歓迎と護衛の名目で動かしつつも、各隊長にはいざ予定にない命令が下された時の対処法を言い含めてある。

 予想外の突拍子もない行動を取りそうなラウシールは遠ざけた。今頃墓の前でめそめそしていることだろう。

(あとは、この男をうまく誘いこめるかどうかだ……)

 にこやかに握手しながら、エンリルは油断なく獲物を観察した。

 トゥーシス=アペル――華々しい職歴と名前は知っているが、直に会うのは初めてだ。いかにも武人上がりらしい、厳つく無骨な雰囲気を身にまとっている。頭髪にも髭にも白いものが混じっているが、気力の衰えは微塵も窺えない。とは言え前線から退いて長い証拠に、腹や首周りは明らかにたるんでおり、目に浮かぶ光は鋭さではなく貪欲と傲慢のあらわれに見えた。

 お定まりの社交辞令が交わされ、アペルとエンリルを先頭に、二十人ほどの警護兵が動き出す。その前後左右をぐるりと取り囲む、レムノス駐屯軍団兵の壁。

 大仰な行進は、しかし、かつての王宮内にある迎賓館までだった。流石にその後の視察にまで、全員を引き連れては回れない。

 前もって書面で知らされていた予定に従い、迎賓館での昼食会は控え目なものとなった。この後、一番近くにある転移施設の視察を最初に行ってから、盛大な晩餐会が開かれ、明日以降、他の施設やデニス古来の建築なども見てまわることになっている。もちろん、エンリルのもくろみが成功すれば、すべて取り消しということになるが。

 五人に減った警護兵を連れて、アペルはエンリルの先導で転移施設に向かった。従う軍団兵は十数人だ。残りは迎賓館周辺の警備に当たる……と見せかけて、アペルの私兵が動かぬよう監視している。

「私も各地を回ってきたが、属州の中では今のデニスが一番安定しておる。総督の腕前というところだな。お若いのに、大したものだ。我が愚息にも貴殿ほどの気概と手腕があれば良いのだが、年の頃は同じでも話にならん。貴殿は実に立派だ」

 含み笑いをしながらアペルが言う。褒め言葉にしては響きがいやらしいのは、属州を離れたことのない地方総督への軽侮と、勝手に息子と同列に並べて比較する“親”意識のせいだろう。それでもエンリルは畏まって礼を述べた。

 それに気を良くしたのか、アペルは大きく笑みを広げた。

「そして謙虚で礼儀を弁えておる、か。近頃の若者にしてはまったく珍しい。先行きの楽しみなことだ! 時に貴殿は最近、婚約されたとか。相手は確か、香料組合のバルフ家の娘で……ハイズラーンといったか」

 思いがけない話題にエンリルはひやりとしたが、「はい」と平静を装ってうなずく。

「美人だそうだな、めでたいことだ! 私からも祝いをさせてくれ」

 ははは、と愉しげに笑う声が、エンリルの癇に障った。相手が本気で祝福してなどいないように感じられたのだ。社交辞令でさえない、何かを知っていて嘲っているような。

(いや、考えすぎだ。この男がセレスティンとのことを知るはずがない。幼馴染ということは把握していても、あの日の事は……)

 知らないはずだ。そうであってほしい。エンリルは無意識に手を拳に握り締めた。

 単に自分の私的な弱みを握られたくないというだけではない。セレスティンと最後に会った日のことをアペルが何か聞き知っているとしたら、恐らく痴話喧嘩程度に考えていることだろう。それはエンリルに対する以上に、セレスティンへの侮辱だ。

 屈辱の苦味が舌にざらつく。それでもエンリルは、表情を変えなかった。

 やがて施設の前まで来ると、職員達がずらりと整列して出迎えた。

「ようこそお越し下さいました、アペル長官」

 所長が深くお辞儀をしてから、どうぞ、と中へいざなう。数歩進んでから彼は、思い出したように足を止めて振り返った。

「ああそうでした、アペル長官に言伝を預かっております」

 さりげなく差し出された紙片を受け取り、アペルはさっと目を通すと、それをくしゃりと手の中で握り潰した。横でエンリルが不審な顔をすると、彼はやや大袈裟に渋面を作り、肩を竦めて見せた。

「つまらん陳情だよ。私がここに来ると聞いて、直訴すれば何がしかのお情けをかけてもらえると勘違いしておる。腹立たしい事に、王国の官僚は金づると同義だと勘違いしている輩は大勢おるのだよ」

「それは……つまらぬことで煩わせました、管理不行き届きで面目ない。誰からのものかお教え頂ければ、相応の対処を致しますが」

 慎重に申し出たエンリルに、しかしアペルは些事だとばかり手を振った。

「いや結構、そこまでしてかえって騒がれるのもかなわん。愚かな連中は扱いづらいものだ……貴殿もいずれは直面することになろうな。評議員になれば」

 あくまで自然な流れとしての台詞だったが、声音には微かな含みが感じられた。エンリルの表情がこわばる。アペルは自分の口調をごまかすように、作り笑いを浮かべた。

「今から覚悟しておかれることだ」

「肝に銘じておきます」

 エンリルはあくまで素直に応じたが、その声からは危うく鍍金が剥がれ落ちかけていた。“敵”は自分が“敵”だと気付いている、こちらもそうと察した――言外のやりとりによって緊張が高まる。

 警戒したエンリルを嘲笑うように、アペルは悠然と歩みを再開した。エンリルの存在は無視しても良いと判定を下したとでも言うかのように、彼は所長に話しかけた。

「さて、何より先に操作室を見せてもらおうか。所長、中には誰も入れておらんだろうな?」

「――は?」

 所長はぽかんとして聞き返し、アペルからもう一度、

「客はもちろん、職員も、今は誰一人残っておらんだろうな?」

 強い口調で念を押されて、やっと合点した風情で慌ててうなずいた。

「はっ、はいっ。今日は長官がお見えになると伺っておりましたので、朝から完全に立ち入り禁止にしてあります。職員も、お邪魔にならぬよう別棟に控えさせております」

 そのやりとりにエンリルは眉をひそめた。

(……? アペルが自分であの装置を細工できるというのか? そんな馬鹿な。アリル=エクシスか、さもなくば他の魔術師がいるはずだと睨んでいたが)

 今、アペルに付き従うのは屈強な警護兵ばかり。もぐりにしても魔術師だろうと窺えるような雰囲気の者は、一人もいない。ということは、つまり。

(アペル自身がもぐりの魔術師、それもラウシールに匹敵する技量の持ち主なのでもない限り、今の会話は嘘だ。誰もいない事になっているだろうな、というわけか)

 実際には“いないはずの誰か”が中にいるということだろう。エンリルは平静な表情を保つべく苦心しながら、アペルに続いて施設に入った。警護兵がすぐ後から、曲者が潜んでいないか周囲に目を配りながら付いてくる。さらにその後から、軍団兵が。

 操作室に近付くにつれ、エンリルの胸中に不吉な予感が募った。何かが間違っている、どこかを掛け違えた――そんな焦りに駆られ、彼は思い余って長官より前に出た。

「アペル長官、念のため私に扉を開けさせて下さい。入室はしません、中を確かめるだけです。万が一何者かが潜んでいて、御身に害なしては一大事ですので」

 誰がいると予想したわけではない。ただ、ここで良くないことが起こる、それだけはほとんど確信に近く予感した。だがそんなエンリルを、アペルは一笑に付した。

「心配性だな、貴殿は」

 そんな浅知恵でいまさら何かを取り繕えると思うのか、と、見下すまなざしが物語る。それでもなお阻もうとするエンリルを、五人の警護兵がつかんで下がらせた。

「私の身を案じてくれるのはありがたいが、所長も言っていたように、施設は立ち入りが禁止されているのだ。それは所長も確認したことであろう。誰も入り込めるはずがない。例外があるとすれば……」

 アペルは扉の把手を握り、くっ、と小さく笑った。

「魔術によって入り込んだ、長衣の者であろうよ」

 エンリルは自分の反応をかろうじて抑え込んだ。その隙に、アペルはもう扉を開けている。エンリルが中の様子を覗き見るより早く、扉はばたんと閉ざされてしまった。

(まさか)

 扉の木目を見つめ、エンリルは愕然とする。

(アペルは『長衣の者』すら潰してしまうつもりでいるのか)

 中にアリルか誰かがいるのは明白だ。それが正規の『長衣の者』でないことも。

 にもかかわらずアペルは魔術師だと言った――すなわち、中で何が起こるとしてもその咎は『長衣の者』に帰せられる、と。

 エンリルは警護兵につかまれた腕を、押し入るつもりだと思われない程度に、穏やかにほどいた。用心深く手を離した兵士の前で、エンリルはわざと体の力を抜き、つかまれた腕をさすって息をついた。大人しく待っていると見せかけるために。

(ハキーム、どこにいる)

 素早く視線を走らせたが、頼りになる秘書官の姿はない。だが代わりに、ひとつ向こうの扉の下から、小さなビーズ球が転がってきた。あまりに小さいので誰も気付かないが、エンリルだけはそれが青金石であることまで見て取った。

(準備よし)

 エンリルは悟られないように視線をそらし、再び操作室の扉を睨む。

 ――と、その瞬間。

「あっ!?」

 二種類の声が室内から響いた。アペルの驚愕と、誰かの鋭い警告と。

 反射的にエンリルはドアに飛びつき、叩きつけるように開く。だが中に踏み込むことは出来なかった。

「うわあッ!」

 吹っ飛ばされたアペルの体が激突したのだ。

 もろともに廊下へ飛ばされ、折り重なって倒れる。咄嗟にエンリルは頭をかばった。そして、五人の警護兵が剣を抜くのを目にした瞬間、彼は叫んだ。

「拘束しろ!」

 前もって知らされていたにもかかわらず、突然のことに軍団兵の反応は遅れた。その隙に、アペルの兵が操作室に駆け込む。

「くそッ!」

 エンリルは邪魔なアペルの体を乱暴に押しのけ、自分でも意識せぬまま右手を突き出した。頭の中でわぁんと鐘が鳴り、紫色の光が視界に弾ける。

 紫光の壁に突き倒され、三人の警護兵が倒れる。残る二人はアペル同様、見えない手で廊下へ投げ飛ばされた。

「近寄るな!」

 男の声が怒鳴り、靴音が入り乱れる。エンリルは頭痛と眩暈に一度に襲われ、よろめいた。その体を支えたのはハキームだった。

「ば……か、それより」

 痺れた舌を動かしてなんとかそれだけ言う。ハキームはそっとエンリルを壁際に座らせて、「大丈夫です」とささやいた。

「アペル長官は気絶しているようです。慌てなくても逃げはしませんよ」

「……そうか」

 エンリルは痛みに歪んだ笑みを浮かべた。ぎゅっと目を瞑り、両手で顔をこすってからゆっくり深呼吸する。その時になって彼は初めて、空気に漂う生臭さに気が付いた。

「――!」

 へたり込んでいる場合ではない。彼は弾かれたように立ち上がり、操作室に飛び込んだ。中では既に、軍団兵が警護兵を取り押さえていた。そしてそのまま、どうしたら良いのかわからないというように、誰もが呆然と部屋の中央を見つめていた。

 彼らが見ているものをエンリルも目にし、

「なぜ……なぜここに」

 青ざめ、声を震わせる。一人は予想通り、そしてもう一人はまったく予想外の人物が、そこにいた。

 憤怒の形相で立ち尽くすアリル。会った事はなくとも、エクシスそっくりの容貌と声とで、エンリルにもすぐに正体が知れた。そして、その足元に横たわる――

「ラウシール」

 誰かがつぶやいた。床に広がる青い髪と深紅の血が美しいほど対照的で、その眺めは良く出来た作り物のよう。だが胸に突き立ったままの小さな懐剣が、冷然と現実を告げていた。

「近寄るな」

 もう一度、アリルが警告した。そして、ゆっくりカゼスの傍らに膝をつく。

「あの男が……アペルが、私を殺そうとした。彼は私を庇って身代わりに……」

 独り言のような告白に、応じる者はいない。誰もが凍りついている中、アリルはカゼスの体に両手を当て、深く息を吸い込んだ。

「まだ間に合うかもしれない。治療する間、誰も、指一本、私たちに触れるな。彼を死なせたくなければ」

 アリルはそれだけ言うと、質問も抗議も受け付けず、目を閉じた。


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