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二十三章 (2) 危急


 張り詰めたような、長い沈黙。そして、

「トゥーシス=アペルっていう人です」

 仕方なくのようにカゼスが言った。ナーシルが非難のまなざしを向けたが、エイルとアーロンは諦めたように、あるいは致し方なしと同意するかのように、目を伏せる。

 対してケイウスは本心から驚いたらしく、ぽかんと口を開けた。

「技術長官ですか? そんな大物だとは……まさか、あなた方だけで彼を告発して、打ち負かせると信じているんですか。たかが一魔術師との癒着だけで、しかもその魔術師に逃げられたとあっては、とても敵いませんよ。そもそも訴えの場に引きずり出すことさえ難しい。実力行使で連れ出すにしても、俺なら優秀な軍団兵の一個小隊を率いて行きますね」

「別にエクシスさんだけが頼りってわけじゃないんです。でもともかく、その人は別に軍人じゃないんでしょう? 何もそんな大袈裟な……」

 カゼスが不可解げに言いかけると、ケイウスは首を振った。

「政府の要職に就く者は軍団での経歴を持つ者が大半ですよ。一度も軍務を経験せず、国事に携わる者もおりますが……アペル殿は各地の総督や司令官を歴任していますし、軍団司令官でなくなった今も、身辺に屈強な警護兵を揃えています。レーデンを属州化した時、現地で剣奴と呼ばれていた奴隷を解放して組織したものですから、彼らの忠誠心は恐ろしいほどです。陛下でさえ、アペル殿の出した法案に反対する時は、細心の注意を払わなければならないのですよ」

「うわ……」

 流石にカゼスも不安げになり、エイルと顔を見合わせた。告発をもくろむエンリルは属州総督であり、現地有力者の御曹司ではあるが、さりとて王国中枢における権力者に比べると、その力は微々たるものだ。果たして太刀打ちできるのだろうか。むろん、それを成し遂げてこそ、エンリルの評議会入りも華々しく成されるというものだが……。

 そこでカゼスはおずおずと問うた。

「もしあなたが、アペルさんを告発する立場になったとしたら、どうします? 王様の知り合いじゃなかったら」

「そうですね」ケイウスは真剣に考え、物騒な答えをした。「まず、彼が一人にならざるを得ない機会をとらえて身柄を拘束します。警護兵から引き離して、我が家の客人になって頂く。その後で評議会に告発書を提出しますね」

「……一人にならざるを得ない機会、ですか」

「ええ。王都で大神殿に参詣する時か、国王陛下に拝謁賜る時が確実でしょうね。どちらの場合も、自分自身も丸腰であることを強いられますから、関係者を抱きこむ必要がありますが。しかし今は確か各地を視察中で、王都に戻るのは大分先になるはず……」

「あぁ!」

 いきなりカゼスが大声を上げたので、ケイウスは驚いて言葉を飲み込んだ。

「視察ってことは、転移施設ですよね」

 独り言のようにそう確かめたカゼスに、エイルも気付いて表情を改めた。

「うん、しかも操作室には関係者以外は入れない……」

「完全に一人になる事はないにしても、最低限、警備兵は外に残しますよね」

 エンリルの狙いはそこだ。二人は目顔で理解し合った。

 彼ならば、己が相手取っているのが何者か、よそ者のカゼスたちよりもよく解っているだろう。ケイウスの言ったようなことは、既に考えているに違いない。そして、不利な王都で単身戦いを挑むのではなく、相手が自分の所へやって来るのを待つつもりなのだ。このデニスならば、エンリルは自分の権限で軍団兵を動かすことが出来る。

 そこまで考えた時、カゼスの脳裏をエンリルの顔がよぎった。墓参りでもして来い、と言った時の、あの妙に優しげな口調。見覚えがあるような表情。

(まさか)

 カゼスはぎくりとして、ケイウスを見つめた。

「あの……アペルさんがいつデニスに来る予定か、知りませんか」

「そこまでは、さすがに」ケイウスが不審げに首を振る。「まさかここで実行するつもりですか?」

「ここっていうか、ここじゃないって言うか……ああ、まさか、でも」

 一人でおろおろし、カゼスは意味もなく右や左にうろうろ歩き回る。

(もしエンリル様が、実行の場に私が居合わせないようにと考えたのなら?)

 相手が悪すぎる、だから万一に備えて、事情を知る者が生き延びられるようにと考えたのなら。あるいは、カゼスがいては邪魔だと考えたのなら。

(視察に来るのに、最初に訪れるのは当然、総督府のあるレムノスだよな。ここからじゃ遠いし、何もなければ私はこの後エデッサの学府に戻っていたはずで、レムノスの動きなんか分かりっこない)

 それを計算してエンリルが墓参りを勧めたのなら、アペルは今日明日にでもデニスへやって来るに違いない。

(技術長官の予定なんか……ああ、そうだ、リトルだ! リトルに訊けば分かるはず)

 今もリトルは王都レンディルで、長官の住まいや近隣の出入りを監視している。これまでに集めた会話などのデータから、長官の視察行の予定ぐらいは割り出せるだろう。

(今から一度王都に行けば)

 駄目だ、そんなに慌てて転移装置で往復したりすれば、動きを察知されてしまう。何も関りのない人にはともかく、ラウシールの動きを注視している人々には確実に。

 どうか思い過ごしであってくれと願いながら、カゼスは目をきつく閉じた。己の内に意識を向けて、深部に埋もれた絆を掘り起こし、それを揺さぶるようにして呼びかける。

〈リトル!〉

 振動が、遙か彼方へ伝わっていく。しかしあまりにも遠い。

 二度、三度と呼びかけても応えがなく、駄目かと諦めかけた時、その存在を感知した。カゼスは心底ほっと安堵し、もう一度強く呼んだ。意識の手を彼方に伸ばして掴み取り、引き寄せる。その一瞬、確かに向こうからも手が伸ばされていたと感じたが、それについて考える間もなく、がくんと衝撃が全身を襲った。

 はっと目を開くと、カゼスは再び地べたにくずおれていた。両手でしっかりと抱え込んでいるのは、すっかり馴染んだ球体。

「……ああ、びっくりした」

 カゼスが言うと、横でアーロンとナーシルが脱力した。

「驚いたのはこっちですよ。カゼスさん、何をやったんです?……あれ、確かその水晶球は」

「ええ、王都から呼び寄せたんです。本当に出来るとは思わなかったんですけど」

 口で答えながらカゼスは精神波でリトルに問いかけ、必要な答えを得た。立ち上がって長衣の裾についた砂を払い、一同を見回す。

「時間がありません。アペル長官は今日、レムノス入りの予定だそうです。最初に船でレムノスに入って、それから転移施設に行くそうです」 

 全国各地を次々に施設から施設へ転移すれば視察も早かろうが、技術長官の管轄はそれだけではない。よって基本的には、従来の船や馬車といった移動手段を使うのである。むろんそれは、転移して現れた先が謀反人どもに占拠されていた、などという事態を避けるための策でもあった。

 カゼスの告げた内容にエイルとアーロンが顔色を変え、ケイウスは息を呑んだ。

「まさか」ケイウスがささやくように言う。「カゼス、デニス総督と共同で動いているのですか? 彼の謀反を助けるために?」

「謀反じゃありません。あぁそうか、それもあって追い払われたのか」

 答えてから一人納得し、カゼスは舌打ちした。アペル拘束の現場に青い髪の魔術師がいたとあっては、正義に則った告発ではなく、王国に対する反乱だと取られかねない。その危険性も考えた上で、エンリルはカゼスをさり気なく遠ざけたのだろう。

「だけど、危険すぎる」

 カゼスは頭を振って、リトルを握りしめた。

 アペルの居る所には、恐らく間違いなくエクシスが現れるだろう。それが兄弟のどちらであろうと、共に魔術の使い手だ。力場が使い物にならないからとて油断は出来ない。とりわけアリル――レムルの方は、恐らく精神的な操作に長けている。時空を超えて子孫の意識に同化するほどの技を持つのだから。

(しかも、転移装置に細工していたのは彼の方だ。長官の視察が細工のチェックを兼ねているのなら、同行しているか施設で落ち合うことは充分ありえる。もしエンリル様が彼と鉢合わせしたら……)

 カゼスはきゅっと唇を引き結ぶと、決然と顔を上げた。

「今から、どうにかしてエンリル様のところに跳べないか試してみます。皆さんは出来るだけ急いで、転移施設を使ってレムノスへ来て下さい。私の考えすぎなら、何も起こらないでしょう。けれどもし予想が的中したら、レムノスの施設でひと騒動あるはずです」

「ちょっと待てよ」慌ててナーシルが口を挟む。「だったらあんたが一人で行くのは危ないだろ! 今からすぐ街に戻れば、施設までそんなに遠くはないんだし」

「だから、急いで下さい。私は先に行きます」

 断固として言い切り、カゼスはもはや反論も許さず目を閉じる。

 精神を開いて力場に触れると、暗く凍った海の上を一筋の輝く流れが走ってきた。まるでカゼスが精神世界に戻るのを待っていたかのように。

 今ではカゼスにもその正体が分かっていた。

 デニスに特有の、土地に宿る力――高地人の血を引く者にだけ共鳴する、特殊な力だ。

 差し伸べた手に光の流れが飛び込み、螺旋を描いてまとわりつき、カゼスのまわりに渦を作る。

(間に合ってくれ!)

 祈りながら、カゼスはレムノスを目指して跳んだ。


 果てしなく広がる暗闇を跳び越えるのは、一瞬で終わるはずだった。

 だが、カゼスは『狭間』の岸辺、闇の出口で立ち止まっていた。物質世界の様子がうっすら透けて見えているというのに、その手前にひとつの意識が立ちふさがっていたのだ。それは、向こう側に見える現実の肉体とは違う姿をしていたが、どういう理由なのか、正体は何者なのか、もはや問う必要はなかった。

(そこをどいて下さい、レムル)

 カゼスは強い意志の力を込めて、青い髪をした相手に言った。その声は実際に相手の精神を押したが、彼は少したじろいだだけで、半歩も動きはしなかった。

(ここに出て来てはいけない)

 レムルが警告する。彼は今、かつてカゼスが見た昔のファルカムと良く似た風貌になっていたが、その顔立ちと表情はまったく違っていた。険しく油断ない目に宿るのは、あまりにも強い意志。

 だがカゼスも負けていなかった。怯む事なく、はっきりと言い返す。

(いいえ、私はそこへ行きます。そしてあなたのしている事を止める。この世界の人々から、魔術の恩恵を奪い去ったままにはさせない)

(サクスムで何を見てきたのだ? 彼らの手に力を戻せば、どんなことになるか)

(まだ何も決まってなんかいない!)レムルの口上を遮り、カゼスは怒鳴った。(あなたはまるでもう完全に未来が決まってしまっているかのように言う。でも違う、『今』は、まだ何も決まっていないんだ! それなのに、勝手な選別で一部の人だけを連れ去って、あとは野垂れ死ねとばかり放置するなんて、同じ人間がして良いことじゃない!)

 激しく言い募ったカゼスに、レムルは険しい顔をして、しばし沈黙した。そして、小さく首を振る。

(なぜそうまでして、愚か者たちの手に、その身に余る力を授けようとする? どうせ彼らにはその恩恵の素晴らしさも価値も意味も、何も分かりはしない。徒に空費し、荒廃するに任せ、自滅するだけだ。自ら殺し合う程度の者らを、なぜ救わなければならない? おまえとて愛想を尽かしただろう、あのサクスムの街で)

(それは……)

 ぐっ、と言葉に詰まり、カゼスは押し返されそうになる。なんとか踏みとどまったものの、すぐには反論が出て来なかった。

 黙りこんだカゼスに、レムルは同情するかのような口調で畳みかけた。

(どれほど説いても、自己の利益ばかりを追求し、邪魔な他者を排除し、いがみ合い殺し合う、何も考えず荒んだ行いに手を貸す、そんな愚者まで、なぜ救わねばならない? たとえ今は救ったとしても、結局彼らは自らの手で滅ぶ。そんな者らのために、少数の善き者たちが犠牲になるなど、あまりに不公平で馬鹿げているだろう)

 カゼスは片手でこめかみを押さえ、残る片手でしっかりとリトルを体に押し付けた。その固さが、揺らぎそうな意志の力を支えてくれる気がした。

 レムルの言い分には、吐き気がするほどの嫌悪をおぼえた。だが、確かにそうだという考えも、ごまかすことは出来ない。

 サクスムで目にした群衆。何も考えずに騒いでいるか、考えていたらいたで、ただ一方的な憎しみや自己中心的な恨みばかり。あんな人々に魔術の恩恵を戻してやるのかと考えると、うんざりする。

 ――だが。

 それでもやはり、レムルの意見にうなずくことは出来なかった。うつむきがちに、ぽつりぽつりと、反論の糸口を手探りするようにつぶやく。

(確かに、腹の立つことはいっぱいあります。暴動に便乗して勝手気ままに騒ぐだけの人とか……陰口を叩いていたくせにお金を握らせた途端ころっと態度を変える人とか)

 ゆっくりカゼスは今までに出会った人々を思い出していった。

(数人がかりで、弱い女の人を襲うような連中とか……)

 言っていて悲しくなってくる。だがふと、少しずれた方へ連想が働いた。

(……ケーキ屋さんで人がおとなしく順番待ちしてるのに割り込みするヤツとか)

 口調が変わったことに気付き、レムルがかすかに片眉を上げる。

(初対面で人のお尻触った上に夜這いをかける非常識な誰かさんとか)

 カゼスは顔を上げ、大袈裟にしかめっ面をして見せた。

(そりゃ、勝手に野垂れ死ねと言いたくなる人や出来事には、本当にいっぱい遭遇してきましたけどね。だからって私は本当にそうするつもりなんかありません。今この時点で死ねこの野郎なんて思うような人が、何十年かしたら偉大な人物になってる可能性だって、ないわけじゃないから。いつかどこかで、誰かを助けるかもしれないから。

 それに、誰の基準で“死んでいい人”と“そうじゃない人”を分けるんです? 私だって別の人から見たら、助ける価値のない人間でしょうよ。部屋は壮絶に汚いし、その片付けを友達にタダで手伝わせるし、はた迷惑な希望を言い出して計画外の予算をがっぽり食い潰すし、リトルに言わせればそりゃもう救いようのない馬鹿ですしね)

〈そこまで言った事はありますが、野垂れ死ねという意味ではありませんよ念のため〉

 リトルが注釈をくれた。カゼスは苦笑してしまい、慌てて表情を取り繕って、レムルに真っ向からまなざしを据えた。

(ともかく、あなたの言うことは一理あるようですけど、でもまったく現実的じゃない。そこをどいて下さい。あなたと技術長官には、相応の裁きを受けてもらいます)

(どうしても、と言うのか? ここで力場を再び彼らに開放すれば、おまえの受け取るはずだった遺産が……消えてなくなりはせずとも、ひどくちっぽけでみじめなものに変わってしまうかもしれなくても?)

 遺産、とはカゼスの故郷である大陸共和国のことだ。カゼスは迷いを吹っ切るように首を振った。

(もっとすごいものに変わる可能性だってありますよ。どっちにしろ、調整力が働けば大差は出ません。たとえ大きく変わるとしても……遺されたものを受け取るだけです。それが私たちの本来の在り方でしょう。違いますか)

 どうやらカゼスがもはや心を固めたと見ると、レムルは視線をそらし、小さくため息をついた。

(……見えないというのは、良くも悪くも強いものだな)

 思わせぶりな台詞も、惑わされるものかとばかり無視して、カゼスは大きく一歩踏み出した。出口の外の様子がより鮮明になり、音がかすかに届く。

 そちらに注意を向けたカゼスは、外の様子が変わっていることに気付いた。

 操作室に一人立ち尽くすレムル――アリルの姿。その背後にある扉が開いて、見知らぬ男が外にいる誰かと言葉を交わし、一人で入ってきた。身なりからして高貴の者だろう。その口が動き、アリル、と呼んだようだった。

 むろん、返事はない。精神はこちら側にいるのだから。

 男が用心深く進み、そっと懐に手を入れる。くん、と何かを抜くような動きがあった。そして、素早く突き出されたのは、小さいながらも鋭い刃の切っ先。

 カゼスは息を呑み、目を見開いた。その驚きにつられてレムルが背後を振り返る。同時にカゼスは飛び出していた。

(あぶ――

 全力で、瞬時にレムルの精神を押しのけて外へ出る。

   ――ない!」

 自分の声が室内に響いたと思った次の瞬間、息が詰まった。

(あれ)

 おかしいな、とぼんやり考える。

(突き飛ばすつもりだったのに、どうして失敗したんだろう)

 愕然としている男の顔が、視界の上へ飛び去った。代わって目に映る、床石の継ぎ目。だがそれすらも、縁から黒い闇に覆われていく。最前までいた『狭間』の闇とは違う、光も何もない、虚無の闇。

 頭の後ろでガラス玉が落ちるような、カツンと澄んだ音が響く。それが何を意味するのか、分かったと思った時にはもう何も考えられなくなっていた。

 誰かが名前を呼んだ気がした。

 ……とても、懐かしい声のような気がした。


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