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二十二章 (2) 水面下で密かに



 予定外とはいえ王都に来たのだからと、カゼスが長衣の者の支所に顔を出したり、学府に戻って約束通り魔術師たちを指導したりと忙しくしている間、エンリルたちも密かに動き続けていた。

 ハキームは滅多に総督府に姿を現さなくなり、エンリルは同じ敷地内にある住まいにはほとんど帰らず、すっかり仕事漬けの毎日。それが総督府内に匿っているワルドのところで、事故の報告書をまとめるのを手伝っているからだとは、他に知る者はいない。何しろ場合によっては技術長官を告発することになるのだから、報告書は水も漏らさぬ完璧な出来栄えでなければならないのだ。

 そんな状態が五日ほど続き、いつものように深夜まで明かりを灯して紙とインクと資料相手に格闘していたエンリルとワルドのところへ、ハキームが土産を手に戻ってきた。

 ドアが開き、隙間からまず一人の男を押し込む。その後からハキームは素早く滑り込み、静かにドアを閉めた。彼がここまでやって来る物音は、室内の二人にはほとんど聞こえなかった。

「見つけましたよ」

 ハキームは短く言って、男の顔を隠すフードをはぎとった。その下から現れたのは、傷を負い疲れ果てて、すっかり憔悴したエクシスだった。元々死神めいた風貌だったのが、今では亡者にすら見える。

「よくやった」

 エンリルはハキームを労い、ふと眉をひそめた。

「おまえの方は怪我はないのか」

「擦り傷と掻き傷がいくつか。ですが問題ありません。親類の家に匿われていたので、連れ出す時に少し手間取りました」

「身元は知られなかっただろうな」

「当然です。最終的には、殺しはしないと約束して、先方にも納得して頂きましたよ」

 些細なお使いを済ませただけとばかり、ハキームは事もなげに言って、マントや手袋を外す。エクシスは床に座り込んだまま、身じろぎもしない。

 エンリルはゆっくり歩いてエクシスの前に立つと、ふむ、と見下ろした。

「逃げたせいで自ら立場を悪くしたな、スルフィ=エクシス。明日にはラウシールを呼んで尋問に立ち合わせるが、その前に何か言っておきたいことはあるか」

 すぐには返事がなかった。エクシスはのろのろとエンリルを見上げ、疲れた声で問いかけた。

「なぜ……あなたが、私を……? あなたも……王国の敵なのか?」

「なるほど。長衣の者でありながら、王国の為に働いていたことを認めるわけだ。ひとつ言っておくが、私はレント王国の敵ではない。むしろおまえこそ、王国に仇なしていたのかも知れんぞ。良かれと信じてな」

「…………」

 エクシスは反論もせず、ただ黙っていた。気力がすっかり失せて、エンリルに言われたことの意味も理解していないかのようだ。

 と、その目の前にいきなりワルドがしゃがみこんだ。ぎょっとなって怯んだエクシスに、ワルドは何の断りもなく、フードを被せて目深に引き下ろし、襟元を掴んでマスク代わりに引っぱり上げる。いきなり何をするのかとうろたえるエクシスを、ワルドはしげしげと眺めて首を傾げた。

「うーん……確かに言われてみれば少し似てるかしらねぇ? 声はそっくりだったと思うし、目の色も同じだけど、でも」

 こんな格好なら誰でも一緒よねぇ、とまでは言えなかった。エクシスがびくりとわななき、へたり込んだままズザッと後ずさったのだ。

「……アリル?」

 かすれ声がこぼれる。エンリルとハキームは目配せを交わした。エクシスの反応にきょとんとしているワルドを押しのけ、エンリルがエクシスの前に片膝をつく。

「双子の兄弟の名か」

 揶揄するような声音だったが、目は薄く紫色を帯びていた。エクシスは愕然とエンリルを見上げ、震えながら小さく首を振った。

「わ、私は知らない、あいつが何をしても、私には関りのない事です!」

「あら、大当たり」

 ワルドが小声でおどけ、シッ、とハキームに牽制される。

「おまえの身辺を洗ってみたが、兄弟がいるとは記録になかったな」

 エンリルが静かに言う。エクシスは床を見つめ、吐き捨てるように答えた。

「誰がドブネズミの数や家族を記録します? 王国によって解放されるまで、我々は人間扱いされていなかった。記録など……」

「なるほど、それがかえって好都合になったわけだ。アリルとやらも魔術師なのか? だとしたら、もぐりだな」

「…………」

「兄弟が片や処刑者、片やもぐりとは、皮肉な組み合わせだ。それとも互いに承知の上で選んだのか」

 しばらくエクシスは口を閉ざしていた。だがその沈黙は、返答を拒否するというよりは、過去の記憶に浸っているがゆえのものだった。ややあって、ぽつり、と言葉がこぼれる。

「アリルが……先に、連れて行かれたのです。魔術の才を見出されて……王国の為に働けと……だから、私は……正式な入門をして、アリルを守ろうと決めました」

「誰がおまえたち兄弟に目をつけた? 当時レーデンにいた、王国の高官か」

 エンリルが問うた直後、ハキームがかすかに息を飲んだ。振り返ったエンリルに、ハキームは驚きの表情で答える。

「レーデン征服から五年ほどの間、あの地方を任されていたのは、アペル殿です」

「トゥーシス=アペルか」エンリルは唸り、エクシスに目を戻した。「そうなのか、エクシス。おまえが仕えている相手は今も彼なのか!?」

 流石にこれには、エクシスも答えようとしなかった。唇を引き結び、頑なに床を見つめ続ける。

「答えた方がいいぞ」

 エンリルの声が凄味を帯びた。瞳がはっきりと紫色に変化する。エクシスは指一本触れられていないのに、いきなり誰かに顎を掴まれたかのようにのけぞった。驚きと恐怖に見開かれたエクシスの目を、深い紫色の双眸が射抜く。

「おまえが真に王国に仕えるというのなら、個人に忠義立てするのはやめることだな。今、進んで協力しなければ、後で貴様を守ってくれる者はいなくなるぞ」

「……こ、皇帝……」

「寝惚けるな」

 エンリルは不機嫌に唸った。瞳の色が元に戻り、エクシスの頭がカクンと下がる。肩で息をつくエクシスを、エンリルはいまいましげに睨みつけ、小さく頭を振って立ち上がる。

「いいか、エクシス、おまえは利用されているだけだ。忠義だが愚かな犬だとしか思われていない。都合の悪いことは隠したまま、ともかく命令すればその通りに動くのだからな。今、我々に協力するなら、たとえ『長衣の者』がおまえを罰しても、王国による処罰はないだろう。それどころか感謝されるかも知れんぞ」

 含みのある言い方に、エクシスは不審げに顔を上げた。何を知っているのかと怪しむ目に、しかしエンリルは答えない。

「おまえとおまえの兄弟が仕えているのは、アペル技術長官なんだな? アリルの方はどこにいる。長官の下か、それとも別に拠点があるのか」

「し……知らない」エクシスは首を振り、慌てて弁解した。「本当に知りません、アリルが今どこで何をしているのか。アペル殿の下で働いているのは、変わりない筈ですが」

「まるでもう完全に手を切ったような言い草だな。守ると決めた兄弟に、随分冷たい仕打ちではないか」

 エンリルが揶揄すると、エクシスは何かを思い出したように自分の手を見つめた。

「……三年、いや四年……そのぐらい前から、我々の道は離れました。私は王国に仕えてきた。『長衣の者』内部における立場を利用した事は後ろめたくはあれど後悔していません。ですがアリルのしている事は……もうわからない。何をしているのか、どこにいるのか、そもそもあれはアリルなのかどうかも」

 語尾が震え、エクシスは唇を噛んで、両手を前髪に突っ込んだ。エンリルは醒めたまなざしを注ぎ、「嘘ではないようだな」とだけ言ってハキームに向き直った。

「明朝、学府に行ってくる。こいつが逃げないように監禁しておけ。万一魔術が使える状態になった場合も、消えてなくなることのないように措置してな」

 不吉な指示にもハキームはただ無言で首肯したが、ワルドは眉を寄せて彼らを交互に見やった。

「ねえちょっと、それって魔術師を監視につけるってこと? それとも、魔術が使えないようにしろってことなの? あたしは魔術のことはよく知らないけど、呪文を唱えられないようにするんならずっと猿轡を噛ませるしかないだろうし、何か図形を書いたりしないようにってんなら手枷をはめっぱなしってことだし……」

「一晩だけだ。明日には学府から監視の為の魔術師を寄越させる」

 エンリルは憐れみの欠片もなく言い、エクシスの青ざめた顔を見下ろして皮肉っぽく眉を上げた。

「逃亡しないと誓いを立てさせたところで、何の拘束力もないのでは致し方あるまい」

 入門の誓いを破っていながら、他の魔術師の破門を担当していた男なのだから――とまでは、言う必要もない。エクシスはうなだれ、ワルドもそれ以上は抗議できずに沈黙してしまった。


 翌朝、学府の長の部屋には左右の輔官とエンリルが顔を揃えた。

「監視役って……でも、それじゃずっと牢獄の前で見張ってなきゃいけないってことですか?」

 エンリルから話を聞いたカゼスは難しそうに唸った。事情が事情だけに、誰でもいいから暇な者を派遣するというわけにはいかない。エクシスが何に関っていたか、なぜ監視しなければならないかを理解している人間で、かつ、一瞬の力場の変化にも対応できる腕前がなければならない。

 となると、左右の輔官に交代で見張ってもらうぐらいしか手はないわけだが、果たしてそんな暇があるかどうか。

 窺うように二人を見たカゼスに、ヴァフラムが応じた。

「エクシスの身柄を学府に移せば、我々で監視は出来ます。総督の目が届かなくなるのは不安だとおっしゃるかも知れませんが」

「すべてが片付くまで確実に身柄を押さえておけるのなら、どこに移しても構わん。しかし奴の兄弟の行方は結局分からず終いだ」

 まさかアペルにへばりつくわけにもゆかぬし、とエンリルは苦い口調で言い、ラジーが運んできた茶をがぶりと飲んだ。

「ああ、それなら」

 リトルが、と言いかけてカゼスは慌てて口をつぐむ。不審げな顔をしたエンリルに、カゼスは咳払いしてから言い直した。

「王都に居残ってる二人が上手くやってくれますから、ご心配なく。あれから何回かあっちに行った時に相談したんですけど、向こうも技術長官には目をつけていたみたいです。それで、気付かれないように行動を監視する、って言ってました。まあ、今はまだ留守みたいなんで、執務室周辺を見張るってことですけど」

「へまをするなよ。ここでばれたら大事だ」

「ええ、分かってます。でも絶対見付かりませんよ、それだけは保証できます」

 何せリトルだから。とは言いたくても言えないので、カゼスはエンリルの疑わしげな視線を甘んじて受けつつも、速やかに話題を変えた。

「それより問題は、告発の材料が揃った後のことです。上手く行けば、レムル――本名はアリルですか、あの人を捕まえて、技術長官も押さえられて、それからやっぱり転移装置を修理することになりますよね?」

「そうなるだろうな。ワルドの報告書と、修正計画書はほとんど出来上がっている。私には技術的なことは分からないが、おまえが施した修正はそのまま採用してあるそうだ。三年前の改造に加担した連中を押さえてしまえば、欠陥の公表を揉み消される心配もあるまい」

 それの何が問題だ、とエンリルは不思議そうな顔をする。と、リュンデが眉をひそめて「困りましたねぇ」とため息をついた。

「もちろん、私たち魔術師にとっても、魔術を当てにしている人たちにとっても、転移装置の修理は望ましいことです。一日も早く、魔術が使えるようになって欲しい……ですが、サクスムでのことがあります」

「全土で一度に工事を、とはいかんでしょうな」ヴァフラムが言い添えた。

「ああ……そういうことか」

 エンリルはふむと片手を口元に当てて考えこんだ。その目がごく淡く紫色を帯びたように見えて、カゼスは思わず「あれっ」と声をこぼす。何かと三人が一斉に振り向いたので、カゼスはややたじろいだ。

「あ、いえ、何でも……。ただちょっと、エンリル様の瞳が、紫っぽく見えたもんで」

 ごにょごにょ言ったカゼスに、エンリルは事もなげに「そうか」と応じた。

「最近、急に自分の力を意識できるようになった。おまえがこちらに来てから、時々妙な感覚がしていたが……はっきり自覚したのは、前回ここに来た後だ」

「前回って……あ」

 思い出した瞬間、カゼスは絶句した。そのまま何も言えなくなったカゼスを、エンリルは複雑な表情で見つめる。

「そうだ。おまえを通じてセレスティンの声が聞こえた、あの時だ。何かが……奥深い所に触れたような感覚がした。あれはセレスティンだけではなかった」

「それって、まさか」

 ファルカムまでもか、とカゼスは眉を寄せた。彼らのせいでエンリルまでが人生を狂わされるのではないかと危惧したのだ。しかしエンリルは微妙に嫌そうな顔をしながら、カゼスの予想とはまったく別の言葉を続けた。

「おまえだ。おまえと、セレスティンと……私の一部が、何と言うか、そうだな……共鳴した。もしその結果、私の力が呼び覚まされたのだとしたら、おまえにも」

 言いかけて、彼はふっつり黙り込む。自分の推論が気に入らないらしい。

 カゼスはあんぐり口を開け、まじまじとエンリルを見つめた。

(そうだよ、あの時レムルは確か『キシュの血』って言ってた、キシュって、それってデニスの……って、え、)

「えぇぇ!?」

 思わず頓狂な声を上げてしまい、慌ててカゼスは口を覆う。じろりとエンリルに睨まれ、カゼスはおたおたと手を振り回した。

「いや、いやいやいや、それはないですよ、何か別の理由か、たまたまですよきっと偶然ですよ! だって私はあなた方みたいな力はないし」

「そうであって欲しいものだな」

 やれやれ、とエンリルはため息をつく。カゼスは少し傷ついた顔をしたが、余計な事は言わずにおいた。ひょっとしたらあの皇帝エンリルと自分は遠い遠い親戚かもしれない、という考えは、ちょっとばかり嬉しい気分にさせてくれたが、同時にこのエンリルとも親類なのだと思うと、やはりちょっとばかり、居心地が悪い。いや、かなり。

「まあ、それはこの際置いといて」カゼスは曖昧な口調で話を戻した。「転移装置の修理の件、どうします?」

「おまえが何とかするしかなかろう」

「……嫌がらせとか腹いせじゃありませんよね?」 

「馬鹿馬鹿しい」エンリルはうんざり顔を見せた。「魔術師たちに言うことを聞かせるのはおまえの仕事だろう。演説でも何でもして、説得しろ。むろん、工事は安全な地域から段階的に行うよう、レント王や評議会に進言する」

「あ、なるほど。そうか、そうですね、分かりました」

 カゼスは納得してうなずき、さて、と一同を見回す。これでひとまず目処は立った。

「それじゃ、あとは……レムルの居所が分かるまで、待つだけですね」

「そういうことだ。せいぜい長らしく仕事をしていろ」

 エンリルは当然のように命令し、席を立った。その上司ぶった態度に物申すべきかとカゼスが悩んでいると、エンリルはふと、珍しく思いやりのこもった笑みを浮かべて言った。

「この機会に、墓参りにでも行ってやれ。異世で喜ぶ奴らがいるだろう。人払いが必要なら協力するよう、現地の警備隊に話を通しておくから、その点は心配するな」

「…………」

 思いがけない言葉に、カゼスは返事も忘れてぽかんとする。その間にエンリルは、さっさと出て行ってしまった。

 去り際に一瞬だけ垣間見えた表情が、なぜだかやけに懐かしく思えて、カゼスはしばらく茫然としていたのだった。



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