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二十章 (1) 血縁



「あなた方には辛い思いをさせてしまいましたね」

 詫びる口調で、しかしあくまで言葉は事実確認のみにとどめ、キリリシャが言った。アーロンとエイルは湯浴み後のさっぱりした顔で、いいえ、と慌ててそれぞれ首を振る。牢獄に入れられたのはわずか三日、それも『一番良い牢』なだけあって、まともな寝床があるだけでなく、食事に果物まで付くという優遇ぶりだったのだ。あれで辛いなどと言っては罰が当たる。

 キリリシャが現れて二人を牢から出してくれた時には、衛兵の予想が当たったな、と二人とも苦笑したものだが、その後の歓待にはいささか落ち着かなくなってしまった。

 湯浴みに着替え、そして今はずらりと並べられた豪勢な酒肴。召使が二人にそれぞれ三人ずつかしずいて、あれこれと世話をする。囚人からいきなりの王侯待遇だ。食欲をそそる贅沢な食事を前に、しかし食べても良いものかどうか、そもそも作法はどうなっているのかと、二人は途方に暮れた。エイルに比べれば現地人と言えるアーロンも、元々香料半島出身のしがない学生である。レント本国の正餐など経験はない。

 二人の困り顔を見て、キリリシャは愉しげな笑いをこぼした。

「内々のことです、気にせず好きなようにお上がりなさい」

「は……い、ありがとうございます」

 ごにょごにょとアーロンが礼を言う。その横でエイルも頭を下げ、こちらはすぐに「ではお言葉に甘えて」と、裏ごしした野菜のスープに口をつけた。柔らかいスープで喉と胃を落ち着かせてから、エイルは一息ついて切り出した。

「我々が出してもらえたということは、サクスムの状況が伝わったのですね。どうなっていますか? カゼスたちは無事でしょうか」

「ええ、安心なさい。サクスムの兵営の司令官からと、ケイウスから、それぞれ報告書が届きました。ラウシールはじめ長衣の者の迅速な対処によって、さしたる被害もなく、暴動は鎮められたそうですよ。謀反を企んだ魔術師については長衣の者の方で処罰するとのことです」

 キリリシャは淡々とそこまで伝え、それから桜花のような唇をほころばせた。

「これであなた方も、また本来の調べ物に戻れますね」

 その艶やかな笑みに、アーロンは恥ずかしげに目を伏せて「はい」と小さくうなずく。それから彼はふとあることに思い当たり、おずおずと顔を上げた。

「あの……不躾な質問をお許し頂きたいんですが……キリリシャ様、なぜそんなに僕たちの調査に心を砕いて下さるんですか? もしかして妃殿下も、誰か血縁の方をお捜しなのでは?」

 遠慮がちに、顔色を窺いながら小声で問う。予想は当たり、キリリシャは寂しげな表情になった。

「捜しているわけでは、ないのです。ただ気にかかっているだけなのですが」

 憂いを秘めた口調は、捜したくとも捜せないのだ、と暗に仄めかすようだった。二人が見つめる前で、キリリシャはすっと背筋を伸ばした。まるで役者が演じる仮面を取り替えたかのように、そこにいるのはたおやかで優雅な王妃ではなく、凛とした一人の女になっていた。

「この地に嫁する前、わたくしはレクスデイルの王女でした。レントの前に我が国が膝を屈した時、わたくしにはひとりの姪がおりました。まだほんの幼子でしたが、両親を失い、他の親類も多くが戦で倒れて……わたくしが後見になるしかない状況でした。けれども、都が落ちた後、その子は遠い血縁を頼って逃がされていたのです。わたくしがそれを知ったのは、レンディルに連れて来られた後のことでした」

 きり、と唇を噛んで沈黙する。だが感情が表れたのはその口元だけで、言葉にも、ほかの仕草にも、彼女の内にひそむものは片鱗すら見られなかった。

 ややあって内心の葛藤を鎮め、キリリシャは少し表情を和らげた。

「わたくしたちの家系には、実はデニス皇族の血が入っているのですよ」

 意外な言葉に、アーロンが「えっ」と声を漏らす。その驚きが意味するところを察し、キリリシャは愉快そうに首を振った。

「いいえ、残念ながら、伝説のエンリル帝のような力は、わたくしにはありません。その姪の方が少し、デニスに近い血筋でしたけれど……それでも、見た目にも振る舞いにも、それらしいところはありませんでしたね。ただ、そんな理由で彼女は密かにデニスへ……中でも安全なエデッサへ、逃がされたようなのです。彼の地を訪れてみたいと言ったのは、戯れではないのですよ」

 そこまで話したところで、キリリシャは客人がすっかりぽかんと聞き入っていることに気付き、王妃の顔に戻った。

「退屈な話でしたね、さあ、料理が冷めてしまわない内にどうぞ」

 手振りで促され、アーロンとエイルは曖昧にもごもごつぶやいて、食事を再開する。礼儀にかなうだけ食べたと感じられた後で、エイルが話を戻した。

「もしかしてその姪御さんのお名前は、セレスティンというのでは?」

「失踪したライエルという長ですか? いいえ、姪の名はナヒティです。でも……そうですね、ナヒティというのはあからさまにレクスデイル風ですから、セレスティンのようなレント風の名に変えていたとしても、不思議ではないでしょうね」

 どちらにせよ、当人が消えてしまった今となっては確かめようがない。だからこの話は終わりだ、と言うように、キリリシャは軽く手を振った。

 それからはこれといった話題もなく、キリリシャは楽士を呼んで竪琴を奏でさせ、自身はほとんど沈黙していた。自分だけの物思いに沈んでいる様子の王妃に、客の二人も遠慮して、食事と音楽に気を取られているふりをした。

 やがてささやかな宴が終わると、二人はフィロ家の離れまで、わざわざ護衛つきで送り届けられた。牢からは出したが逃げるなよ、という国王の意思表示かもしれない。

 エイルが部屋に戻ると、机の上でリトルが待っていた。

「やあ、戻ったかい。お陰様でこちらも無事だよ、なんとかね。カゼスの方はどうしてる?」

「『前代未聞の自己嫌悪の、未曾有の深みにはまっている』とかで、壁に向かって瞑想中です」

 今に始まった事でもなかろうに、とばかりにため息をついてから、リトルは整然と報告した。カゼスが学府でヴァフラムたちに告げた内容から、サクスムでの経緯、転移施設にいたレムルなる人物の謎めいた発言まで。

 聞き終えたエイルは、しばらくぽかんと絶句していた。

 ラウシールにも戦士型の者がいたはずだという仮説が、どうやら当たっていたらしい。だがそんなことよりも、最後に聞かされた一言が衝撃だった。

「カゼスが、ファルカムの子……なるほどねぇ」

 はぁ、と驚きの声を漏らし、エイルは眼鏡を押し上げた。言われてみれば確かに、あれほどの魔術の才能を持つのも、単にラウシールだというだけでなく、その中でもとりわけ魔術に秀でた者の血を引いているとなれば納得が行く。

「そして、失踪したセレスティンは向こうでファルカムの伴侶になった。……ということは、まず確実に彼女がカゼスの母親だね」

「そうでしょうか?」

「うん。ついさっきキリリシャ様から聞いたんだけどね。レクスデイルの王家にはデニス皇族の血が混じっているらしい。で、比較的その血を濃く継いでいるという少女が、幼い内にエデッサへ逃がされている。これはセレスティンの経歴ともつじつまが合うし、そのレムルという人物が言ったことにも合致する。キシュの血に惑わされるな、と言ったんだろう? 『キシュ』は……」

聖なる紫花(キシュ・イ・マハシュナル)に見られるように、デニス古語で『神聖』を意味する単語ですね。半分の血、半分しか受け継いでいない、といった発言からも、カゼスがラウシールとそれ以外の人間の両親をもつことは間違いないでしょう。ファルカムの遺物を手に入れた者たちがクローンとして蘇らせようとした、という説も否定される」

「たいしたものだね、カゼスは実は王族だったらしいよ。そう言ったら少しは自己嫌悪から立ち直りやしないかな」

 冗談めかして笑ったエイルに、リトルは束の間沈黙し、ちょっと傾いた。

「無理でしょう。彼は今、ラウシールたちの身勝手さにとことん腹を立てています。母親がセレスティンだと確信したところで、救いになるとは思えませんね。責任を一人で背負い込んで勝手に思いつめて誰かに助けを求めもせず、とことん行き詰った挙句に失踪した、そんな親ではね」

「あー……」

 エイルは曖昧な声を漏らして頭を掻いた。

「そうだねぇ……カゼスにもそういうところがあるし、自覚もしているだろうね。親子だからって性格まで遺伝するとは限らないけど、多少は似たところも出てくる。それが嫌な部分だと、確かに、ひどくぞっとするよ」

 自分の中に流れる血の半分、否、何十兆の細胞にあるDNAの鎖の片割れすべてが、嫌悪する相手と同じものだと自覚してしまうことのおぞましさ。それは、機械であるリトルには分からないだろう――親子関係を厭うという予測は立てられても、具体的な心情までは。だがエイルには、幸か不幸か、分かるのだ。

「うん、そりゃぁ落ち込むだろうねえ……弱ったな。なんとかしてやれたらいいんだが」

「落ち込む暇がなければいいんです。やらなければならない事は分かっているから大丈夫だ、と本人が言っていましたよ」

 エクシスやヴァフラムたちに訊いてレムルの身元を割り出すこと、エンリルに転移装置の件をすべて報告し、事後の対処を相談すること。場合によってはレムルを見つけ出して捕えなければなるまい――王国政府よりも先に。

「ふむ。それじゃあ、私たちも調査を続けつつ転移装置の方にも探りを入れようか。リトル、君ならどこへでも忍び込んで調べることが可能だろう? 現在、転移装置の管理責任を負っているのが誰で、どこにいるのか、ちょっと調べてきてくれないかい」

「簡単に言ってくれますね」リトルは中心のシンボルをくるりと回した。「いいでしょう、リトルヘッドの本領ですからね。ただし、あまり多くを期待しないで下さいよ。人間が独り言で自分の立場や過去や仕事内容を喋ってくれるものなら別ですがね」

 だんだん遠慮のなくなってきたリトルに、エイルは内心カゼスの苦労を思いやりながら苦笑した。

「分かってるよ。見付かったとしても、会えるかどうかは別問題だしね。でもまぁ、とにかく何かやらないことには、いい加減ラウシールの調査だけでは間が持たなくなる。頼んだよ」

「はい、頼まれましょう」

 リトルはおどけた返事をすると、すうっと透明化して窓から出て行った。それを見送り、エイルはふと、自分にもあんな“機能”があればなぁ、などと無茶なことを夢想したのだった。


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