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十九章 (2) 守護者の独善



 しばらくして、あちこちでささやかな騒動があり、カゼスのいる場所にも軍団兵がやってきた。先導しているのは、騎乗したケイウスである。

「カゼス! 無事で……」

 言いかけて彼は絶句し、目をぱちくりさせた。そして、戸惑いながら馬を下り、カゼスに歩み寄る。

「雨を降らせたのは、あなただと思ったんですが」

 違ったんですか、と問うケイウスに、カゼスは全身からぽたぽた雫を垂らしながら、情けない苦笑を浮かべた。

「ええ、そうなんですけどね。自分でやっといて、傘の用意を忘れてました」

「…………」

 ケイウスは呆気に取られ、一拍置いて笑い出した。

「それで、ただ大人しく降られていたんですか。あんな凄まじいことをやってのける、偉大なる魔術師殿が?」

「慌てふためいて術そのものをぶち壊さなかっただけ、私にしては進歩だと思ってるんですけど」

 カゼスは恨めしげにケイウスを睨みながら、力を動かして服を乾かす。と、そこへ話し声を聞きつけてナーシルが嫌そうな顔を覗かせた。

「どうやら片付いたみたいだね、若旦那。こっちの五人は引き渡していいのかい? それとも、『長衣の者』の方で処罰するのかい」

 問われてカゼスは不安げにケイウスを見る。明快な答えが返ってきた。

「彼らの身柄はそちらに預けます。司令官にも話は通っていますよ。彼らを見つけたのも、封鎖を解いたのも、あなた方『長衣の者』の力によるのですからね。我々は暴徒を何人か捕えて、騒動の首謀者ないし煽動者を処罰できれば結構。ただし、そちらで捕えた魔術師の身元と処罰の内容については、兵営に報告してもらいます」

「あ、はい。分かりました。……ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げたカゼスに、ケイウスは穏やかな笑みを見せた。

「当然の手続きに則っただけですよ。さて、俺はもうしばらく軍団の手伝いをします。大半は大人しくなっていますが、追い出された住民を戻らせる前に安全を確保しておかないことにはね。後でそちらに合流します」

 そこで彼は声を潜め、人質が勝手な行動をしてすみませんが、とおどけて付け足した。カゼスは苦笑し、ケイウスの背後を窺う。ちょうど馬の体が壁になってくれているので、ケイウスの言葉も兵たちには聞こえなかったようだ。

「それじゃ、学府に戻ってもらうのが一番いいと思います。こちらは捕まえた五人を直接、エデッサに連れて行くことになると思いますから。あなたは転移施設を自由に使えるんですよね?」

「ええ。ではまた後ほど」

 さらりと応じて、ケイウスは素早くカゼスに口付けした。あまりに自然な動作だったのでカゼスは身構える隙さえなく、ぽかんとしている間に、もうケイウスは馬上の人となっていた。

 ケイウスが声をかけ、馬に続いて軍団兵がザッザッと規則正しい足音を立てて歩み去る。彼らの姿が角を曲がって見えなくなってから、ようやくカゼスは赤面した。

「……若旦那」

 何をどう言って良いのやら分からない、といった風情のナーシルが、背後から声をかける。妙に同情的な声音なのは、カゼスが男だと思っているがゆえだろうか。

 カゼスはがくりと頭を垂れた。

「何も言わないで下さい。……ああもう本当に、どうしてこんな事になるんだろう」

 深いため息をひとつ。それからどうにか気を取り直し、頭を振って、カゼスはナーシルに向き直った。

「さてと、私達は魔術が使える内に、あの人たちを学府まで送り届けることにしましょう。また転移施設を使わせてもらうとなったら、対岸まで渡らないといけないし、面倒……」

 そこまで言って、不意にカゼスはびくりと身を震わせた。そして、ばっと身を翻し、今まさに口にしたばかりの対岸を振り返る。

「そんな、誰が」

 つぶやきがこぼれた。ナーシルが不審げに眉を寄せ、ヴァフラムも、何をやっているのかと訝る顔を出す。が、彼もまたぎょっとなり、カゼスと同じ方向を見やった。

「カゼス様、これはまさか」

「そのまさかです、力場がまた……。ヴァフラムさん、リュンデさんと一緒に、今の内に皆を連れて学府に転移して下さい。私は様子を見てきます!」

 まくし立てるや否や、カゼスは風に乗って舞い上がった。ナーシルが引き止めようと手を伸ばしたが、空を掴んだだけだった。

「おい待っ――……ああ、行っちまった。いったい何があったんだ?」

 わけがわからずに混乱するナーシルに、ヴァフラムが顔をこわばらせ、暗い声で答えた。

「誰かが転移装置をいじっているようだ。力場の流動性が、また落ちてきている。せっかくカゼス様が直したものを、誰かが元に戻したのかもしれない」

「何だって!? それじゃ、そんな所に一人で乗り込むなんて、危険じゃないか! 何考えてんだよ、あの馬鹿旦那ッ!」

 とうとうナーシルは遠慮をかなぐり捨てて罵倒した。すぐにも追いかけたかったが、どのみち船がないのでは対岸に渡れない。

 ナーシルは悪態をつき、束の間ためらってから意を決して顔を上げると、兵営へと走り出した。軍団の船を、必要とあらば乗っ取るほどの覚悟で。


 もちろんカゼスは一人ではなかった。頼れる相棒が一緒である。

〈リトル、様子が分かるかい〉

 転移施設が視界に入ると同時に問うと、水晶球の内側でチカッと光が瞬いた。

〈はい。施設周辺に異状は見られません〉

〈押し入られたとか侵入されたとかじゃないってことかい?〉

〈正当な権利として堂々と中に入ったか、さもなければ侵入に気付かれていないか、どちらかでしょうね〉

〈職員は何やってるんだ!? 大体、いまさらだけど、魔術師が管理に携わってないってのがまずおかしいよ! 事故だの不調だのって度に『長衣の者』の支所に支援要請するなんて、無駄にもほどがある。税金返せ、だよまったく!〉

〈本当にいまさらですね。そのあたりの事情はあなたの関与するところではないでしょうに。そんなことより、中に入るのなら姿を消さないとまずいですよ。もし今、転移装置の調整を行っているのが正当な権利を持つ者だとしたら、あなたはまず確実に追い返されますからね〉

 リトルはカゼスの憤慨を冷淡にいなし、適確な助言をくれる。カゼスは唸りながら力を引き寄せて動かし、まやかしで姿を消した。

 施設に着くと、前の時と同じ場所からすっと中に入る。今回は近くに魔術師がいないので、おい、と呼び止められることもなかった。

〈本当だ。静かなもんだね……お客さんは入れてないみたいだけど、それは今の街の状況から考えたら当然だし。さて、誰がどこでいじってるのかな〉

 カゼスはそろそろと用心しながら廊下を進んだ。転移室の前で人の気配を感じて立ち止まり、そろっと扉の隙間から中を窺う。

(いた!)

 外套にすっぽり身を包んだ怪しげな人物が、床にうずくまっていた。陣の一部は既に描き変えられている。

 カゼスが捕縛呪文を使うべきか否かと迷っていると、相手がこちらに気付いてサッと立ち上がった。逃げられる、とカゼスは反射的に中に飛び込み、同時にまやかしを解く。

「何をしているんですか」

 厳しく問いながら、カゼスはつかつかと詰め寄る。そして、数歩の距離まで来て、ぎょっと目を見開いた。

「エクシス……?」

 フードの下から覗く顔は、あの魔術師そっくりだった。大きすぎる目、こけた頬。だが目がぎょろりとして見えたのは、相手も驚いていたからだったらしい。瞬きした後には、似てはいるが別人だと分かる顔になっていた。

「ファルカム?」

 フードの下から、かすれ声がささやく。カゼスは息を呑んだ。

「あなたは誰です? ファルカムを知っているんですか。転移装置にわざと欠陥を作ったのは、あなただったんですか!?」

 思わず矢継ぎ早に問うたカゼスに、相手は半歩後ずさった。

「……そうか」一人合点した声は微かに震えていた。「おまえがそうなのか。彼の『継ぐ者』、彼の……」

 その独り言にカゼスは眉を寄せ、改めて相手を観察した。見た目はラウシールらしいところなどない。体格や顔つきは男だと断定できるものだし、フードから少しこぼれている髪も白っぽい金髪で、青くはない。むろんまやかしをかけてもいない。

「あなたは、『いつ』の存在なんです?」

 カゼスは質問を変えた。男はファルカムの顔を知り、その言葉を知っている。だがラウシールではない。何かがちぐはぐな印象だった。

 と、男はすっと背筋を伸ばし、落ち着いた威厳のある声を出した。

「私は『守護者』レムル、その血と魂を受け継ぐもの。『継ぐ者』よ、なぜここにいる? 己の時に戻り、遺産を受け継ぐのがおまえの役目だろう」

「なぜ、って……それはこっちが聞きたいですよ。私は呼ばれてここにいるんです。あなたはここで何をしているんです? 転移装置に細工をして、全土の力場をあんな風にして、魔術を使えなくして。ファルカムの差し金ですか」

「呼ばれた、だと?」

 ささやくように繰り返し、レムルは目をすがめた。その瞬間、カゼスは相手が勝手に自分の『中』を探ったのを感じ、反射的に全力でそれを突き飛ばした。不快な感触が、昔のおぞましい悪夢を呼び覚ます。あの白い部屋で物のように扱われ、様々な検査をされた記憶を。

 わななくカゼスには構わず、レムルは「なるほど」とつぶやいた。

「もうひとつの血が邪魔をするのか。忌々しい……本当におまえは『継ぐ者』なのか? ラウシールに似て非なるもの、レーニアでありながらレーニアの呼び声には応じず、その意志を守りもしない」

「何を勝手にぶつぶつ言ってるんですか」カゼスは怒りをこめて唸った。「あなたもファルカムも同じだ、ラウシールは皆とんでもない独善家ですね。あなたが転移装置に細工していることを、ファルカムは知っているんですか」

「知らせていない。知らないはずだ。これは彼らの負う責ではない」

 不意にレムルの口調が変わった。何か、懐かしく愛しいものを思い出したように。彼はしばし瞑目し、それから静かに言った。

「私はレーニアの意志を守る。そのために時を越えて我が血を引く者に語りかけ、その魂とひとつになった。おまえはなぜそれを邪魔立てする?」

「不公平で身勝手だからです!」

 カゼスはぴしゃりと決め付けた。レムルにもファルカムにも、ひたすら腹を立てていた。

「ファルカムはレーニアの血を引く者を、あるいはそれに近い性質を持ち合わせる者だけを呼び集めて、自分達の国……世界を、滅びから救おうとした。それは同情できなくもない話です。でもそのために、力場をこんな風にして魔術師たちを精神的に追い詰め、甘い誘いに飛びつきやすくするのは、あまりに卑怯じゃないですか! ここから去った人たちにだって、こっち側での人生が、友人や家族や仕事が、あったんですよ!? それをあなたは……!」

「おまえには見えていないのか?」

 応じたレムルの声は、ほとんど憐れみに近かった。カゼスは怯み、言葉を飲み込む。

「今この時のこの世界が、どんな状況にあるか。あの騒ぎを目にしていながら、私が卑怯な罠を仕掛けていると非難するのか? 『守護者』の務めを誹謗するのか」

「あれは……っ、でも、それは」カゼスは首を振った。「違う、レーニアを連れ去られてしまったから暴動になったんです。ここだけで魔法が使える状況になったから、魔術師達の間に絶望が広がっていたから……! あなた方が何もしていなければ、あんな事には」

「ならなかった、と本気で信じているのか。……そうか、おまえは『目』を持たないのだな。ファルカムの力を半分しか受け継いでいないのか」

 ふう、とレムルがため息をついた。カゼスは悔しさに唇を噛み、うつむいて――その後いきなり、愕然とした。

 今、彼は何を言った?

 カゼスは言葉を失って、ただレムルを凝視する。彼の驚愕の理由に、レムルはまったく思い当たらないようだった。

「私はレーニアの意志を守る。おまえは偏狭だと言うかもしれない。だがそれが我々レムルの役目であり、彼らが地上に楽園を築くというなら、私はそれを守る。愛しいものたちが平和に幸福に暮らせる世界があるなら、そこに入ることは叶わずとも、それを守ることが我々の幸福だ。おまえが本当に遺産を受け取るに相応しい者なのかどうか、私には分からない。だがファルカムの決めたことだ……おまえがレーニアなら、キシュの血に惑わされることなく、己の居るべきところへ帰るがいい」

 一方的に言うだけ言い、彼はカゼスの横を通り過ぎて出口へ向かう。

 カゼスはハッと我に返ると、レムルを捕まえようと手を伸ばした。だが意志に反して、手は空を掴んだだけだった。

「待って下さい!」

 カゼスの叫びが単に引き止めるだけのものではないと気付き、レムルは振り返る。カゼスは自分がひどく情けない顔をしていると自覚しながら、声を震わせて問うた。

「あなたは……知っているんですか。私の……私の、親が……」

 それ以上は口に出来なかった。あまりに動揺して、信じられなくて、混乱して。

 レムルはじっとカゼスを見つめ、それから小さくうなずいた。

「おまえは、ファルカムの子だ。とてもよく似ている。……中身は、そうでもないようだが」

 眩暈がした。カゼスは立っていられず、がくりとその場にくずおれる。レムルはそれを一瞥して、そのまま部屋を出て行った。


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