十六章 (2) 種の運命
「少し歳を取ったかな」
穏やかな声に驚かされ、カゼスは弾かれたように振り向いた。
〈ファルカム!〉
音にならないカゼスの声に、白髪の魔術師はにこやかな会釈を返した。カゼスは相手を凝視し、それから徐々に眉を寄せた。
私は『彼』に会えると思った。――では、まさか?
〈あなたが……そうなんですか。かつて岩山で出会った、青い髪の……そして、セレスティンを連れ去ったのも?〉
ファルカムは心持ち片眉を上げ、おどけたような表情を見せた。
「そうか、君は今はあの時間に居るわけだ。私にとっては随分昔のことだが。おやおや、私を殴りたそうな顔をしているね。触れ合えないのは私としても残念だよ」
〈茶化さないで下さい! セレスティンは……〉
怒鳴りかけてカゼスは言葉に詰まり、うつむいた。連れ戻せはしないと分かっていながらここまで追って来て、何をするつもりだったのだろう。会って詫びたかったのか、それとも責めたかったのか。
自らの内に鬱積していた力が見る見るしぼんでいくのが、目に見えるようだった。カゼスは構えていた手を落とし、どんよりとファルカムを見やって問うた。
〈……セレスティンは、こっちで幸せになったんですか〉
「そう願っているよ」
ファルカムは相変わらず微笑んでいる。その声音から、彼のいる時間には、もうセレスティンはいないのだと分かった。カゼスはため息をつき、荒野を見回した。遠くに街の影がうずくまっている。ファルカムもカゼスの視線を追い、独り言のように続けた。
「彼女はこちらに来てレーニアとなり、目覚しい才能を開花させた。むろん彼女はラウシールではないから限界はあったが、しかし私の功績として君の時代に残っているものの多くは、彼女の協力があってこそだよ。私は幸せだった。彼女もそうであったと思いたいね」
言葉を紡ぐファルカムの、懐かしそうな、愛しむまなざし。カゼスは彼をまじまじと見つめ、それから何がなし衝撃を受けてよろめいた。
〈あなたは……あなたと、セレスティンは〉
「うん。伴侶だった」
照れ隠しなのか、ファルカムはとぼけて明後日の方を向いた。
カゼスは意識が真っ白になり、なす術もなく立ち尽くした。色々と訊きたい事や言ってやりたい事があったはずなのに、何ひとつとして言葉が出てこない。
己の受けた衝撃がぼんやりとまとまって形をとり始め、カゼスはやっと気付いた。
――これは嫉妬だ。
セレスティンは元いた世界を、そこでつながりのあった人々を、すべて、一切、捨てて消えた。そうして逃げた先で自分は伴侶を得、愛情と才能とに恵まれて、幸福な人生を送ったのだ。捨てられた側が嫉妬し、憤慨しても当然だろう。
カゼスの動揺を察してか、ファルカムが振り向き、ふと寂しげな顔をした。
「だがね、彼女の心には癒せない傷があった。何もかもを捨てて逃げ出した負い目だ。彼女は生涯決して、かつての教え子や仲間たちを忘れなかった。それに……まるで天罰とでも言うかのように、私にはひとつ欠陥があってね」
彼は少しためらい、視線を遠くへ向けた。
「……子供を作る力がなかった。彼女は自分で我が子を産むことも、その腕に抱いてあやすことも出来なかったんだ。とても強くそれを望んでいたのに」
カゼスはただ黙って地面を見つめていた。複雑にこんがらかった感情を、虚しく心中で転がす。まるで自分の嫉妬と憤りが、セレスティンの人生に翳を投げかけたかに思われて、微かながらもごまかせない勝利感がひとつの面に現れる。続く側面には、倍加した罪悪感と自己嫌悪。ころころ、ころころ。
ファルカムの言い方が、持って回った奇妙なものだったと気付いたのは、随分長い沈黙があった後のことだった。
子供が出来なかった、と言うだけで済むところを、何故わざと、あえて具体的に言ったのか。そこに、ファルカムの意図が隠されているような気がした。
だがカゼスは結局、それについて問うことはやめた。彼らの間にあった子供の問題など、今は重要ではない。もつれた感情の玉をどこか遠くに蹴飛ばしておいて、カゼスは顔を上げた。
〈魔術師たちを連れ去ったのは、あなたですね。どうしてです?〉
「目的も結果も、君は知っている筈だ」
ファルカムは答え、片眉を上げて悪戯っぽくカゼスを見た。
「君が教えてくれたのだからね。君が当たり前だと思っている世界……戦争もなく、ごく自然に多様な文化が共存し、誰もが『力』に触れることが出来る、そういう世界を、荒れ果てて無人の野と化した大陸に築こうと考えるのは、間違っているだろうか?」
問いかけられ、再びカゼスは沈黙した。
確かにカゼスの育った大陸共和国は、素晴らしい国だと認められよう。安全で、豊かで、飢餓も貧困もない。立ち向かうべき対象があるとすればそれは、無知や無思慮によって引き起こされる人的災害であり、決して地上から消し去ることの出来ない病であり、人の手で管理することの出来ない自然災害であって、決して『他国』ではない。
〈確かに素晴らしい国だとは思いますよ〉カゼスは皮肉っぽく応じた。〈予め選別された人だけが住む、作られた楽園だったんですからね。さしずめあなたは、その作り手となった神様ですか〉
辛辣な台詞にファルカムは怯んだかに見えた。が、それも一瞬のことで、彼はいとも楽しげにくすくす笑いだした。カゼスがムッとすると、ファルカムはまだ笑いながら言った。
「いやはやまったく。ここに来て間もない頃のセレスティンも、君と同じ事を言ったよ。おかしなものだね……その時も言ったが、私は神ではないよ。神であったら、たかが大陸ひとつ、人が住もうが住むまいが気にしないだろう。私はただ、同胞達が消えていくことに焦ってじたばたと無様にあがいた、ひとりのレーニアに過ぎない」
〈消えて……?〉
「君も身をもって理解しているだろうが、我々ラウシールは適応することに非常に長けた種族だ」
立ち話にも疲れたのか、ファルカムは手頃な岩を見つけて、よいしょ、と腰を下ろした。彼がこちらを見上げた時、カゼスは不意に鏡を覗いている錯覚にとらわれ、どきりとした。老いてはいても、目は同じだ。見慣れた自分の目と同じ。
カゼスのたじろぎには気付かず、ファルカムは続けた。
「他の種族を打ち負かすのではなく、相手に『気に入られる』ことで生き延びてきた、と言い換えてもいいな。ただその才能が、ラウシールという種の存続に関しては裏目に出た。我々はあまりに溶け込みすぎて、自ら消滅の道を辿っていたわけだよ。この惑星の力場が実際はとても弱くて、レーニアがいなくなれば衰える一方だと気付いた時には、もうほとんど取り返しがつかなくなっていた」
〈それで、魔術師ばかりを呼び寄せたんですか〉
「結果としてはね。我々はレーニアを呼び戻そうとしたのだよ。ラウシールの血を僅かでも受け継いでいる者たちを。幸い、レントには大勢の同胞がいた」
お隣のよしみでね、と彼はおどける。
「昔からあちらに渡る一族は少なくなかったし、我々の特質を考えると意外なほど、一族の血は消えずに残っていた。だから特定の組織から大勢を呼び寄せることになって、いささか目立ってしまったわけだよ」
〈…………〉
カゼスはぽかんと口を開けてしまった。
そうか。そういうことか。
レントにおける魔術師集団は、カゼスが祖となりキースとアミュティスが設立した『長衣の者』だ。国家にも血族集団にも属さず、中立を維持し、魔術のため、人道的な目的のためにのみ活動する。その基本方針を、明文化はしなかったにせよ、言動によって決定したのはカゼスだった。
むろんカゼスにとっては当然のことで、故郷の治安局の方針でもあったわけだが、それはとりもなおさずラウシールの特質でもあったのだ。協調と調和、平和主義。
となれば当然、組織に加わるのは、その特質に対して抵抗のない――そもそもはじめから己のものとして備えている――人間が多くなる。中には遺伝子にそれが刻みつけられている者もいただろう。各地の神話に残る『青き者』たちから受け継がれてきた、ラウシールの優れた適応能力が。
だから、レントにはラウシールの末裔が、あるいはそれに近い性質を持つ者が、『意外なほど』多く残っていたのだ。他者に同化し消えてしまいやすいラウシールたちを、『長衣の者』という組織に集め、まとめて保護してきたがゆえの結果として。
〈私は……そんなつもりで、行動したわけじゃなかったのに〉
呆然とカゼスはつぶやいた。
巡り巡って自業自得か? 冗談ではない。それとも、己もまたラウシールの本能で、自分たちが生き残るために行動していたというのだろうか。
己が狭量な選民主義に縛られているとは思いたくなかった。だがそう思うことも結局、ラウシールという種族の単なる性向に過ぎないのだろうか。
混乱してしまったカゼスは、精神の像が揺らいでいることに気付いて、慌ててその場に意識を集中させた。だが、もうかなりの時間、肉体から離れている。戻らなければならない。
〈あとひとつだけ教えて下さい〉
景色が薄れ、存在が遠くなってゆく。カゼスは急いでファルカムに尋ねた。
〈転移装置のこと……あれに細工をしたラウシールが誰か、知りませんか〉
ファルカムは目をしばたたき、不思議そうに考え込む。その間にもどんどん、荒野の風景は薄くなり、端から消えてゆく。
「ああ、そうか」
ようやく応じたファルカムの声はひどく遠かった。
「……を訪ねたまえ。レムルの裔が……」
肝心の部分が聞こえない。カゼスは必死で意識をつなぎとめたが、もう己の声も届いていないのは確かだった。ファルカムはまだ何か言い続けていたが、やがて意を決したように、強い力をこめて一言だけを送って寄越した。
「エクシス」
どこかで聞いた名前だ、と思った瞬間、カゼスは荒野から引き離され、凄まじい勢いで押し流されていった。
「ラウシールって、みんなカゼスさんみたいな人なのかと思っていたんですけど、そうとも限らないみたいですね」
古い書物を机上に広げ、アーロンは向かいのエイルに小声で話しかけた。監視役の兵士が近くの壁際にいるが、彼は二人の会話にはさほど注意を払っていない様子だった。どのみちここは図書館であるから、あまり大声では話せない。会話の内容を聞き取ろうと思うならべったり間近にはりつく必要があるが、お互いにとって幸いなことに、そこまでは命令に含まれていないようだ。
「そりゃまあ、一口にラウシールと言っても色々いるだろうからね」
エイルは目をしばたたき、アーロンの手元を覗き込んだ。
「何か例外的な伝承があったのかい? あまりにラウシール像とかけはなれているなら、それは単に関係ないって可能性もあるよ」
「判断に困る線ですね」アーロンは頭を掻いた。「今まで見つけたそれらしい存在というのは、思想や知識や魔術といった面で影響を与えていますよね。でもこの人は……なんと言うか、もっと人間臭いような」
ほら、と書物をエイルのほうに向けて差し出す。
「レーデン都市連合がレントの属州になったのは、今から三十年……四十年かな、前のことなんですけど、それまではかなり厳格な身分制度があったんです。どこの都市に行っても、奴隷は奴隷、農民は農民、商人は商人、といった具合で。今でこそ階級間の流動性があって、誰でも努力と運次第でレント市民権を得られるようになっていますけど、それまでは……」
アーロンは首を振り、書物のある段落を指した。
「この人物は、あまりに早い時期にレーデンの社会構造を改革しようとしたが為に、理解されずただ反逆者、破壊者、といった程度の認識しかされてこなかったそうです。無理もないですね、今でさえレーデンの田舎では、まだ先祖代々のやり方を変えない人々が多いそうですから。レントのしたことはレーデンの秩序の破壊だとか、余計なお世話だとか言って」
「ふむふむ……ああ、ここか。『破壊者は好んで青色を身につけたので、以来長らくレーデンでは青は反体制の色とされてきた』、なるほどね。髪の色がどうとは書いていないが、頭に青い何かを被っていると思われたのかも知れないし、この暴れん坊氏がラウシールだった可能性もある、か。それにしては、やった事は普通の反乱に近いみたいだねぇ」
エイルも曖昧な表情で小首を傾げ、眼鏡を押し上げる。
この反逆者は固定された階級制度の理不尽さや不公平さを説き、身分の低い人々を集めて武力に訴えたが、結局あまりその運動は広がらず、挫折と失意の内に姿を隠してしまったと記されている。
「しかも、はっきり男だったみたいだし」
「美人の恋人がいたそうですからね」アーロンが苦笑した。「ラウシールにしては俗っぽいと言うか、別にラウシールじゃなくてもこういう人ならいただろうな、という印象なんですよ。ただ青色がこうはっきり書かれているわけですから」
うーむ、と二人は揃って唸る。ややあって、エイルがためらいがちに仮説を述べた。
「これは推測と言うより想像なんだがね。大抵のラウシールは時空を越えてこっちに来ているところからして、魔術師なんだろう。だから、やる事も自然と似たり寄ったりになってくる。でもこの……レムルとかいう人物は、もしかしたら魔術師じゃなかったのかもしれない。魔術師の誰かに連れてきて貰った後で、別行動をしたとか」
たとえ魔術師でも、中には好戦的なのがいたかもしれないしね、と付け足して、エイルは肩を竦めた。まだアーロンには話していないが、カゼスの――ラウシールのもつ適応力は、まさに驚異的だ。性別だけではない、容姿や能力さえ、ミネルバにいる頃のカゼスは完全に周囲に埋没していたのだから。しかしそうして、周囲の他種族の望みに合わせてばかりいたのでは、ラウシールという種そのものが消滅してしまうだろう。
(だから現代のテラにラウシールが生き残っていない、ということかもしれない。だが少なくとも、彼ら一族が大勢いた時期には、他種族を打ち負かすという手段をも選べるように、その能力をもった『ラウシール』もいたに違いないんだ)
そう、カゼスにだって、あれで案外、自我を貫く一面もあるのだから。
そんなエイルの内心をどことなく察したのか、アーロンは「そうですね」とうなずいた。
「カゼスさんだってもしかしたら、いざとなったらたった一人ででも、信じることの為に戦いを挑むかも知れませんしね」
おや、とエイルは軽く目をみはる。アーロンはごまかすように苦笑した。
「あ、僕がこんなこと言ってたってことは、内緒ですよ。僕としては、出来ることならそんな場面は見たくありませんし」
「私もあんまり見たくないなぁ」エイルも調子を合わせて笑った。「カゼスがたった一人で戦いを挑むなんて、よっぽど絶望的な状況でもなきゃ、あり得ないだろう。そんなところに居合わせるのは勘弁して欲しいね」
「ええ。それに……あんまり痛々しいですから」
小さく、独り言のようにアーロンがつぶやく。エイルは目をしばたたき、黙って眼前の少年を見つめた。彼は目を伏せ、エイルの凝視に気付かない様子で訥々と続ける。
「あの人は時々、ひどく無理をしているような感じがするんです。多分、本当は……こんな所で失踪だのなんだのって走り回ることもなく、のんびり田舎で昼間からうたた寝でもしているのが、幸せなんじゃないのかな。だからこの状況は、カゼスさんにとっては困ったもので……それに乗じていることが後ろめたくて」
そこまで言って顔を上げ、彼は困ったように恥ずかしそうな微苦笑を見せた。
「だから僕は、あの人が身軽に動けるなら、人質だろうと何だろうと本当に構やしないんです。それなのに、またそれでお礼を言われてしまうんじゃ、どうしたら良いんだか」
「そう考えていることを伝えるだけで、泣いて喜ぶと思うよ」エイルはおどけてカゼスの口真似をした。「分かってもらえて嬉しいです、本当に私はラウシール様とかそんな柄じゃなくて、ごろごろだらだら昼寝していられたらどんなにいいかっ。……とか言ってね」
ぶっ、とアーロンがふきだす。エイルもにやにやし、二人は監視兵の不審げな目を意識しながらくすくす笑った。ややあって笑いがおさまると、エイルはしげしげとアーロンを見つめた。
「君のそういうところは、あのアーロン卿に少し似ているかもしれないね」
「えっ?」
予想外の言葉に、アーロンは目を丸くする。そんな顔をするとまだ少し幼げで、平和な時代に育った二十歳前の少年だというのがよく分かった。エイルは微笑み、机の脇で書物の内容を記録しているリトルを一瞥した。
「いや、私も話を聞いただけで、直接会ったわけじゃないがね」
リトルが記録していた映像でなら見た事はあるが、外見は眼前のアーロンとはあまり似ていない。だが記録にある発言やカゼスが語った思い出を元に、エイルが構築したアーロン卿のイメージは、今のアーロン少年の言葉を口にしてもおかしくないような気がした。
「アーロン卿の方も、カゼスのことをよく理解して、気遣ってくれたらしいよ。カゼスが無理をしてるんじゃないかとか、頼ってくれないと困るとか。そう思うとなんだか不思議だね。カゼスはそういう、助けになってくれる人と縁があるのかな」
しみじみと言われて、アーロンはしばらく沈黙した。その言葉をじっくり吟味し、己のことを言われているのだと実感できるまで味わおうとするかのように。それから彼は、ふと口元をほころばせた。
「それなら、あなたもそうですね」
「私が?」
エイルは眉を上げ、やや大仰に驚いた顔を作った。そのまま彼は笑ってそれを受け流すかに見えた――が、当のカゼスがここにいないからか、その演技に失敗した。
「だったら良かったんだが」
ふとこぼれたささやきは、予期せぬ剥き出しの感情がこもっていた。まるで全身の皮膚を剥ぎ取られたかのようにひどく痛々しい、悲しみと憎しみ、そしてどす黒い怒り。アーロンは怯み、わずかに身を引いて恐ろしげにエイルを見つめる。
エイルは一瞬の暴露を自覚していなかったのか、自分に驚いたように目をぱちぱちさせ、いつもの苦笑を浮かべた。
「おや失礼。いやなに、たいした意味はないよ。私はねぇ……頑張ってはいるんだが、なかなか彼の助けにはなれないものだからね。時々、ぶん殴ってやりたくなる」
「……カゼスさんを、ですか?」
「いや、自分自身を。それに、カゼスをあんな風にした昔の連中――養育者だの教師だの、その他諸々の関係者をね。カゼス本人は、まぁ、そうだね。殴るよりも、奥歯がカタカタ鳴るぐらい思い切り揺さぶって、いい加減、身近にもうひとりぐらい寄せ付けてくれたっていいだろうと喚いてやりたくなるかな」
エイルはちょっと眼鏡を押し上げて、アーロンの困惑を見て取り、苦笑した。
「すまないね、どうやら私もカゼスと同じことをしているようだ。行きずりの他人に甘えて愚痴をこぼすとは、情けないな。今のは聞かなかったことにしてくれると有難いんだが」
「……ああ、なるほど」アーロンは納得の表情になった。「僕らの方では、一里塚から三叉路までの親友、って言い方をしますよ。見知らぬ他人の方が打ち明け話をしやすい、って。それで気が楽になるのなら、僕はちっとも構いませんよ」
アーロンはちょっと笑ってから、ふと遠くを見る目をした。
「今頃カゼスさん、どうしてるかなぁ。深刻な状況でなければいいんですけど」
そうだね、と相槌を打ったエイルに、アーロンはわざとらしく真顔で付け足した。
「変なところでクシャミが出たら、困りますよね」
「………………」
真顔で冗談を言うところも、アーロンという人物の特徴なんだろうか。それとも『海の民』こと香料半島の血を引く人々は、皆こうなんだろうか。
ぼんやりそんなことを考えながら、エイルは気の抜けた苦笑をこぼしたのだった。




