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十六章 (1) 疲労の残像



 準備をするなかで一番手間取ったのは、リトルの説得だった。

 カゼスとしては、リトルには王都に残ってエイルとアーロンの安全を確保して貰いたかったのである。だが根本的にカゼスのために作られているリトルが、かほど危険の高い状況で離れ離れになることを承知するはずがなかった。何しろ帝国時代と違ってカゼスはろくに魔術を使えないのである。

 だがともかく、身の危険があるとしたらカゼスよりも人質たちのほうであるのは確かだし、そもそも『調査』こそ、リトルが真価を発揮できる分野である。カゼスはそこのところを指摘し、エイルもリトルをおだてまくって、どうにか別行動を承諾させたのだった。

 もちろん、機会があれば必ず、出来るだけ頻繁に、王都に戻ってくること――という、過保護なんだか厳格なんだかよくわからない言いつけも頂戴したのだが。

 その点を除けば、支度に数日を要したのはケイウスの方だった。何しろ名家の御曹司が、供も連れずにはるか島国の属州へ行くというのである。いかに転移装置があると言っても、荷造りから両親への挨拶、農園の方への指示など、すべきことは多い。

 とは言え、状況が状況であるから、ケイウスも出来る限り急いでくれたようだ。

 国王の無茶な決定から三日後、カゼスはケイウスに連れられて、王都の転移施設から旅立つことになった。

「いいかい、長の地位に就かされることが決定しでもしない限り、自分から正体を晒すのは止すんだよ」

 見送りにきたエイルがひそひそと最後まで忠告を並べる。カゼスはどうにか自分で整えた頭にちょっと手をやり、こぼれている数本の毛をつまんだ。

「ええ。でも学府にいる間はもう隠すだけ無駄だって気がしますけどね。むしろ堂々と正体を晒して、でも私は絶対嫌だ、って言った方が効果があるかも。……まぁ、そこのところは臨機応変に行きますよ」

 小声でやりとりする二人の横では、ケイウスが苦笑しながらナブの老婆心をなだめている。生水は飲むな、あれは持ったか、それは入ってるか、云々かんぬん。

 カゼスはそれをちらりと見て同情し、それから改めてエイルとアーロンに向き直った。

「二人とも、本当にありがとうございます。こんなことに巻き込んでしまったのに、嫌な顔ひとつしないでくれて」

 何も出来ないがせめて誠意は込めて、カゼスは頭を下げる。だが、二人の反応は微妙な表情と曖昧な声音だった。

「あー……ええと」

「お礼を言われると困るんですけど」

 二人はそれぞれむにゃむにゃ言い、カゼスが不審げに顔を上げると、ごまかすように苦笑して意味ありげな視線を交わした。そして、歴史学の虜が二人して言うことには。

「だってねぇ、カゼス。君はこのことを個人的な捉え方しかしていないようだけど――まぁ、無理もないけどね――でも、考えてもご覧よ」

「ラウシールに関する事実が明らかになったら、どれほどの発見だと思います?」

「私達の方でもレントの方でも、歴史の認識がひっくり返るかもしれない。ものすごい衝撃だろうね」

「歴史の裏に隠されたラウシール一族の謎と暗躍。なんてまぁ、あんまり真面目な論文の題目にならない雰囲気ですけど。でも、それが事実となったら……」

 ねぇ? と、アーロンが苦笑する。

 カゼスはぽかんとなって二人を交互に眺めた。カゼスといよいよ離れるとなったからか、いまや良心的な罪悪感の仮面はすっかり薄くなり、知的興奮と野心が透けて見えている。なんとまあ。カゼスはぐるりと目を天に向け、大袈裟なため息をついた。

「この状況でよくそんな事を考えられますね」

 呆れた声音を装ったが、言い終えるまでもたずに失笑してしまう。

「いっそ頼もしいですよ、まったく。ええ、あなた方の求めるものが得られるのなら、私も、自分の勝手に付き合わせていると思わなくて済みます。どうぞ存分に調べて下さい。成果を楽しみにしていますよ」

「任せて下さい」アーロンがうなずき、

「デスクワークは我々が、フィールドワークは君が、というわけだ」

 エイルはカゼスの腕を威勢良く叩いた。カゼスは笑い、さて、と連れの様子を見る。と、ケイウスもちょうど話が済んだらしく、こちらを振り向いたところだった。

「では、行きますか」

 ケイウスが言い、自分の鞄を持ち上げる。と、さきほどから所在なさげにしていたナーシルが、それを奪って自分の肩にかけた。ケイウスが目をぱちくりさせ、ナブが用心深い無表情でじっと彼を見つめる。ナーシルは口をへの字に曲げた。

「片足ひきずってる奴に、大荷物は持たせられんだろ。俺は荷物持ちとして雇われてるんだから、仕事はちゃんとするよ」

 しゃべりながらカゼスの荷物も反対の肩に担ぐ。ケイウスは微苦笑すると、それなら頼みます、と殊勝に応じて転移室へ歩きだした。

 握手や目礼を交わし、三人が室内に入ると、扉が閉ざされた。カゼスは転移陣に立ち、眉をひそめてその全容をそっと探る。やはりここも、不完全なままだ。サクスムのものよりは改善されているようだが、装置の中身も含めて、すべての問題が解決されているとは考えられない。だがカゼスはそれを黙っていることにした。

(差し当たりは支障なさそうだし……今の所は言わずにおいて、約束通りエンリル様にまず相談しよう。それに、一度は『力』を流した状態を確かめてみたいし)

 もし転移を行った瞬間にこれは駄目だと感じたら、向こうに着いてから何らかの対策を立てよう。あるいはもしかしたら案外、力を流せばきちんと作動するのかもしれない。

 不安と期待に緊張しながら、カゼスはじっとその時を待った。

 そして、係員の合図と同時に陣が薄く光りはじめ――

(これは)

 赤、青、緑の光が目にも止まらぬ速さで陣を巡り、消え、融合して白く弾ける。

 カゼスは目を閉じ、精神をわずかに開いた。力場に触れず、ただ観察する程度に。

(精巧だ。でも、なぜこんな複雑に……)

 流れてゆく。力の糸が織り上げられ、陣の縁から立ち上がり、壁となって三人を取り囲み、包み込む。

 足場が消えた。瞬間、時空の狭間を掠めて転移が行われる。その刹那に、カゼスは見た。

(――っ!?)

 青い光の糸。支障なく動くかに見えた力の流れを一筋、ほとんど分からない程度に誘い、違う場所へと導く、異質な糸。誰かの明白な意思の跡。

(そんな馬鹿な、これも)

 ヒュッ、と空気がこすれる。瞬きひとつの間に、カゼスはかすかな焦げ臭さを身にまとわりつかせ、エデッサの転移室にへたりこんでいた。

 青ざめているカゼスに、ナーシルが慌てて声をかける。

「大丈夫かい若旦那。いったいどうして」

「……なんでも、ありません。ちょっと眩暈が……」

 カゼスは放心したまま手を振って助けを断り、自力で立ち上がると、何かありえないものを見る目で、改めて転移陣を見下ろした。

(これも、ラウシールが関っているのか……? だったら、なぜ、何をするつもりで)

 わからない。想像もつかない。

 ただひとつはっきりしたのは、レントの魔術師たちがこれに気付けなくても当然だということだった。理論で捉えていたのでは分からない、感覚でしか掴めない細工だ。そう、『ラウシール』にしか出来ないような。

(どうして……まさか、魔術師達の希望を奪って、引き寄せやすくするために? そんな馬鹿げた話があるもんか。でもほかにどう説明したら)

 気遣う二人の連れに導かれるまま、ふらふらと外に出る。途端に高地の清涼な空気が身体を包み、カゼスは我に返って瞬きした。息をつき、不思議な気分で山並みを見回す。季節はもう夏だというのに、ここは清々しく爽快だ。

 単に標高が高くて空気がきれいだ、というだけではない。しばらくレント大陸を旅していたからか、この土地に足をつけた瞬間、明らかな違いを感じた。

 カゼスは茫然としたまま、しばしその感覚の正体を探ろうと立ち尽くしていたが、やがてケイウスに促されて船着場へと歩き出した。


 三人を出迎えたヴァフラムとリュンデは、見る影もなく憔悴していた。

「よくお戻り下さいました。話は後で……ともかく、セレスティンが消えた部屋を見て下さい」

 挨拶もそこそこに、ヴァフラムが長の部屋へと案内する。

「消えた?」

 聞き咎めたカゼスに、リュンデがうなずいた。

「ええ。文字通り、消えたんです。ラジーの見ている目の前で、すうっと姿が薄れて。あの子は、自分のせいだと言ってひどく落ち込んでいます。可哀想に」

「すぐに追うことも考えましたが」とヴァフラム。「私は……私では、危険すぎて出来ませんでした。私まで消えてしまうという予感がしましてね」

 呼び声に引かれ、一度は自ら『糸』を追ってあちら側に行ってしまった身である。その不安はカゼスにもよく分かった。

「その後、この部屋は封鎖して誰も入れていません。どうぞ」

 ヴァフラムが扉を開けた。カゼスは小さくうなずき、他の面々を外に待たせて、そっと中に入った。精神を開きもしない内から、その場に漂う強い気配を感じ取る。

「――ああ」

 ため息がこぼれた。なんという侘しさだろう。セレスティンはずっとここにいたのか。こんな空気の中に。

 セレスティンの椅子に腰掛け、目を閉じる。精神の視界が開けると、予想した通りの残像がどっと覆いかぶさってきた。

 絶望ほど明確ではなく、しかし蜘蛛の巣のようにつきまとう深い疲労。虚しさとため息、縋るもののない心細さと不安――

 これは、無理だ。

 カゼスはすぐに悟った。セレスティンがこんな状態だったのなら、そして呼び声に引かれるがままあちらへ行ってしまったのなら、もう連れ戻せはしない。

 カゼスの精神は正直に涙を流した。こんなに苦しんでいたのなら、自分の都合で王都に行くのではなかった。もうしばらくここにいて、何かしら手助けをすべきだった。あるいはせめて、もっと頻繁に手紙を書き送るべきだった……

 しかし今更何を悔いても、繰言にしかならない。

 カゼスは気を取り直し、頭を振って再び辺りを観察した。セレスティン自身の、底知れない疲労や密かな憎しみ、苛立ち、そういったものに混じって、ラジーの混乱と激しい自責の念が残っていた。

(僕のせいだ、僕が悪いことを言ったんだ。僕が余計なことを訊いて煩わせたりしなければ。僕が一人前だったら、僕がもっと役に立てたら)

 これは後で話をしなければなるまい、と心に刻み、カゼスはその残像をそっと押しのける。ふと、エイルに言われた言葉が蘇った。

 ――最後の一押しをしたのは君かもしれない、だが――

 そう、ラジーだけのせいではないのだ。無論カゼスのせいでもない。きっとセレスティンの場合も、失踪に至るまでに数多の小さな出来事が積み重ねられていたのだ。不用意な一言、身勝手な信頼や期待、些細な誤解。……そして、それらを飲み下し消化してしまう力が、あるいは傷つかぬようにするりと身をかわす柔軟さや器用さが、セレスティンには欠けていた。

 カゼスはため息をつき、薄明の世界を歩いて行く。

 予感があった。

 進んで行けば、出会える。『彼』がそこにいる。期待よりも鈍い怒りを感じ、カゼスは自分に少し驚いた。束の間、足を止めてその理由を考える。そして気付いた。

(連れて行かれてしまったら、どうしようもないじゃないか)

 これまでに失踪した多くの魔術師たちも、セレスティン同様、疲れていたのだろうし、嫌気がさしてもいたのだろう。だからこそ、呼び声は力を持ち、最後には界を越えさせるに至った。それで当人は解放されたかもしれない、だが残された者はどうなる?

 気付けなくて、力不足で、君を助けられなくて――悪かった、すまなかった、と謝罪することも出来ない。今後は改めるからと機会を与えて貰うことも出来ない。一方的な最後通牒だけを残して、『彼』はセレスティンを取り上げたのだ。カゼスから、ラジーから、ヴァフラムやリュンデから。

 物理的に触れられるものなら殴ってやりたい。そんな気分でずんずん歩いていくと、やがて行く手にもはや馴染みになった風景が、すうっと現れた。

 カゼスは足を止め、それを睨み付ける。乾いた風にまじる潅木の葉ずれの音、土の匂いが感覚に伝わる。目を閉じて深く息を吸い、次に瞼を上げた時、カゼスはそこに立っていた。



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