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十五章 (1) 親しさと立場と



 カゼスの挙動不審はエイルとアーロンを困惑させ、ナーシルに余計な手間をかけ、ケイウスに密かな愉しみを提供した。と言っても最後のひとつについては、カゼスは全く気付いていなかったのだが。

 ともあれそれは本来の目的に支障をきたすほど重症ではなく、日中はカゼスもエイルたちと一緒に図書館に通った。昼時には決まってキリリシャがケイウスを従えて現われ、彼ら全員とあれこれ話をした。約束通り、彼女はいくつかの興味深い神話や伝承を教えてくれ、それは大いに助けになった。

 なぜ彼女がこれほど親切にしてくれるのか、カゼスは不思議に思ったが、問いはしなかった。何か理由があるとしたら、それは下心ではなく個人的な秘密、あるいは感傷や信念といったあからさまにすべきでない事柄であろうと察せられたから。

 それに実際のところ、ケイウスがすぐそばにいる状況では、そうした繊細で微妙な話題の綱渡りを出来る自信が持てなかった。目が合うだけで動揺してしまうのだ。もっとも、動揺と言ってもかつてアーロンに感じたものとは異なり、困惑、と言った方が正しい。

(いや違うそうじゃないって、あれは軽い挨拶に決まってるよだって直前に私は『友達みたいに』接してくれって言ったんだし彼だってあれから別に何も)

 本人に訊いてみれば手っ取り早いのだが、流石にそれは出来かねる。変に意識したと思われてぎこちなくなるのも嫌だし、まさか万一ケイウスが自分に、異性に対するような好意を抱いているとなったら、もっと困る。

 そんなわけで頭を抱えること数日、ようやっとカゼスは突破口を発見した。

 いつものように朝食を済ませ、図書館に向かう準備をするかわりに、召使のナブを廊下の片隅で捕まえたのだ。

「あの、ナブさん、ちょっと訊きたいことがあるんですけど、いいですか」

 もちろん、使用人風情が客人を無視することなど許されない。ナブはどこかへ向かう途中だった足を止め、畏まって向き直った。その表情があまりに真面目だったので、カゼスは自分が随分と馬鹿なことをしている気がして、赤面した。

「いきなり変な話ですけど……レントでは、その……挨拶程度に、気軽に、……キスしたりするものなんですか?」

 まさに、朝っぱらから奇妙な話題であることは間違いない。ナブは目をしばたたき、それから小首を傾げて、おかしな客人のおかしな質問に、まともな答えを返した。

「他の国でどうかは存じませんが、家族やごく親しい友人の間でなら、さようでございますね」

 そこで彼はふと思い当たったらしく、こくりと小さくうなずいた。

「とりわけ女性の間では、当たり前に、手をつないだり接吻を交わしたり致します。それでたまによそからのお客様の中には、不道徳だと憤慨される方もいらっしゃいますが、そうした意味合いではございません」

「……男性の場合は?」

 恐る恐るカゼスが問う。ナブはちょっと目をぱちくりさせ、それから何やら考える風情でカゼスを――というかカゼスの肩越しに何かを――見つめ、相変わらず真顔で淡々と問い返した。

「若様に何かされましたか?」

「えっ、いや、あの」

 図星をさされてカゼスがへどもどしている間に、ナブは涼しい顔で続けた。

「でしたら、当の若様にお尋ねになるのがよろしいかと存じます」

 そして、視線をついとカゼスから外す。まさか、とカゼスが背後を振り向くと、ケイウスが壁につけた片手に額を押し当てて、小刻みに肩を震わせているではないか。

 カゼスが口をぽかんと開けて絶句している間に、ナブは

「若様は日頃は真面目なお方ですが、時折はめを外されますので」

 などと付け足して、では失礼致します、と慇懃に一礼して立ち去ってしまった。声を殺して笑い続けるケイウスと二人きり取り残され、カゼスはしばし呆然としていたものの、やがて察して顔を赤らめた。もちろん、怒りのゆえに。

「ケイ! あなたって人は……!」

 つかつかと詰め寄るカゼスに、ケイウスはとうとう遠慮なく笑い出した。

「あなたは俺をひと月近くも困った状態に置いておいて、しかもそれを笑いのめしてくれた。このぐらいの仕返しは、許されるかと思いますが?」

「それはそうですけど、でも私はわざとあなたを困らせたわけじゃありませんよ!……っ、まだ笑いますか、この!」

 カゼスは唇を噛んで、軽く殴りかかる。ケイウスはまったく楽しげに、片手でそれを防いだ。

「本当はもうしばらく眺めて楽しみたかったんですが、あんまりおかしくて……本当に、あなたには敵わないな」

 敵わないのはこっちだ、と言い返したいのを堪え、カゼスはむうっと口をへの字にしてケイウスを睨みつけた。悔しがれば悔しがるほど、相手を喜ばせるだけだ。

「遠慮するな、なんて言わなきゃ良かった」

 カゼスはぶすっと独り言めかしてぼやいたが、しかし、不機嫌も長くは続かなかった。ケイウスの笑みには穏やかな温かさと相変わらずの真面目さがあり、カゼスの困惑を面白がっていたにせよ、そこには悪意も軽侮の意もないと感じられた。そんな相手にむきになって怒り続けるのも、子供っぽくて情けない。

 カゼスはケイウスと目を合わせ、苦い顔をしようとしたものの失敗し、ふきだしてしまった。ケイウスも一旦おさまった笑いをぶり返す。二人は互いの肩に寄りかかるようにして、しばらく笑い続けた。

 通りすがりの女中が、何事かと目をぱちくりさせる。だが二人を見ていたのは女中だけではなかった。

 日課となった図書館通いの道すがら、ナーシルが不機嫌きわまる様子でぼそりと唸った。

「結局あんたは王様とか偉いさんの味方ってことなのかい」

「は?」カゼスはぽかんと問い返し、それから顔をしかめた。「立場の違う人と仲良くしたら駄目なんですか? 私は誰の味方でもありませんよ、少なくとも今はね。王族だろうと庶民だろうと、いい人は好きだし、悪人は嫌いです。気が合う人も合わない人もいる」

 それだけですよ、とカゼスは肩を竦めた。

「そういう話じゃ済まされないだろ、あいつと仲良くなんて出来っこないんだ。あんたがまだ少しでもデニスのことを気にかけているなら」

「気にかけてはいますよ。でもだからってケイ個人と反目したって仕方ないでしょう? あなたは自分と意見が合わない人とは絶対に付き合えないっていうんですか?」

「そうじゃないって言ってるだろ、ああもう、分からないかなぁ。俺はさ、たとえば蜂蜜だのジャムだのを壺ごと抱えて夜な夜なぺろぺろやるなんて断固反対だ、正気を疑うよ。でもヤンノ船長とはうまくやっていける。それは船を動かすって目的が同じだからさ。だけどあいつは」

 言いさしてふいに黙り込み、厳しいまなざしになってつぶやいた。

「見ているものが、目指している先が違う。だから駄目なんだ、たとえ仲良くしようったっていずれ衝突する。絶対に」

「…………」

 確信をもって言い切られた台詞に、カゼスは返す言葉を持たなかった。

 自分とて見ているものはナーシルとは違う。目指す先も違う。だが、たまたま自分のそれはまるきり別の次元を向いているから、彼らとぶつからずに済んでいるだけの話。

 カゼスは黙って、ただ小さくため息をついた。


 同じ頃、アーロンは郵便局のロビーで青ざめて立ち尽くしていた。

 カウロニアとサクスムに留め置かれている郵便物の転送を頼んでおいたのだが、それが届いたのだ。と言っても封書が一通きり。しかしその表には「至急」と朱書きされていた。それゆえ、宛名はアーロンでも内容はカゼスに向けたものだと分かっていたが、その場で開封して読み、そして立ち尽くすことになったのだ。

「……どうしよう」

 小さく独りごち、眉間を押さえる。そこに記されていたのはあまりに予想外の内容だった。

 『長衣の者』の長、セレスティンの失踪――そして、可及的速やかに学府へお戻り下さい、との要請。

 とくれば、魔術師たちが何を考えているかは明白だ。

(まずいなぁ)

 もしカゼスが望まれるがまま長の地位に就けば、『長衣の者』が『ラウシール教団』に変質してしまうことは、想像に難くない。長が右を向けば全員が右を向く、そんな組織になってしまうだろう。そうなったら、いくら政治には関らないという信条を掲げていても、政治の方が放っておいてくれないに決まっている。

 もちろん、書簡を無視して王都に留まることで、断固無関係を貫く手もある。だがセレスティンが失踪したと聞いて、カゼスが駆けつけずにいられるはずがない。

(……あの人は、カゼスさんをどうするつもりだろう)

 脳裏をケイウスの姿がよぎった。カゼスの身柄を確保するよう命じられたら、彼はその通りにするだろう。虜囚でなく客人待遇にするぐらいは尽力してくれるかも知れないが、見逃してくれるとは思えない。

(この手紙を見せなかったら……いや、駄目だな)

 カゼスに状況を隠すことは出来ても、国王の耳を塞いでおく事は出来ない。思考の袋小路にはまりこみ、アーロンは深いため息をついた。

(こんな時、アーロン卿だったら)

 虚しい仮定と想像。

(剣一本でカゼスさんを守って窮地を切り抜けたんだろうな。……まったく、僕の柄じゃない)

 そもそも帝国時代のカゼスは、権力者の側にいたのだ。それにあの頃は魔術も使えた。守ってくれる戦士がおらずとも、カゼス一人で充分なんとかなったろう。

(つまりどっちにしても僕は役立たずなわけだ)

 アーロンは唇の端に苦い笑みを浮かべ、封書を鞄に押し込んだ。

 図書館に向かって歩きながら、忙しく頭を働かせ続ける。ケイウスに気付かれないように王都を離れるにはどうしたらいいか。離れられたとしても、学府に戻るにはあまりにも日数がかかりすぎる。転移装置が使えたら一番いいのだが……

 あれこれ考えていたもので、彼は図書館の入り口で待ち構えている人物にまったく気付かなかった。

「アーロン=シャーフィール?」

 名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。と、制服姿の近衛兵と目が合った。

(どうしてこんな所に近衛兵が)

 訝った次の瞬間、事態を悟った。先手を打たれたのだ。

 愕然と立ち尽くした彼に、近衛兵はほとんど親切なぐらいの態度で告げた。

「国王陛下のお召しだ。ほかの仲間たちは先に王宮へ案内した。あとは君だけだ」

 さあ、と促され、アーロンはふらふらとそれに従った。脳裏をよぎったのは、早すぎる、という思いだった。

 アーロンのもとに書簡が届くまでに、カウロニアかサクスムで何日か留め置かれていたのは確かだが、しかし、手紙の署名の日付からして、失踪からそう長くは経っていない。せいぜい四、五日だろう。

(やっぱり、学府には間者がいるんだ)

 裏切られた――その失望が重く心にのしかかった。

 王宮に着くと、彼は入り組んだ構内をぐるぐる歩かされ、奥まった場所にある一室に通された。謁見までの控え室らしく、座って休めるように長椅子が三脚あり、テーブルには銀の水差しと大理石のコップが用意されていた。

 緊張した面持ちで長椅子に腰掛けていたカゼスが、最初にアーロンに気付いて、曖昧な笑みを見せた。室内を苛々と歩き回っていたナーシルも振り返り、

「あんたも捕まったかい」

 と肩を落とした。アーロンは苦笑を返し、なげやりに応じる。

「僕ひとりが無事でも、皆さんを助け出すことは出来ませんよ。ここに来るまでに迷子になってしまう。……カゼスさん、どうぞ。手紙が届いていました。多分この件で、王様が僕らを呼び出すことにしたんだと思います」

 アーロンが封書を差し出すと、エイルもコップを置いて身を乗り出した。カゼスは羊皮紙を取り出し、エイルにも見えるようにテーブルに広げる。上からナーシルも覗き込んできた。

 無言の内に三人は読み進め、それぞれなりに顔色を変えた。

「なんてことだ」

 呆然とカゼスはつぶやき、両手で顔を覆った。他には何を言う者もなく、暗い沈黙が降りた。カゼスはセレスティンの姿を思い浮かべ、疲れているようだというリュンデの言葉をなぜもっと真剣に考えなかったのかと悔いた。

 嘆息したカゼスの肩に、アーロンがそっと手を置いたが、彼もまたかける言葉を持たなかった。

 そこへ、すっかり馴染みになった杖を使う足音が聞こえ、四人はハッと顔を上げた。

 見張りの近衛兵が扉を開ける。入ってきたケイウスは、完全な無表情で一同を見回し、テーブルに広げられたままの書簡に目を留めた。

「……では、呼ばれた理由は皆さんも理解されたわけだ」

「何をぬけぬけと」

 ナーシルが唸ったが、ケイウスはそれを無視して廊下に向き直った。どうぞ、と彼が促すと、国王夫妻が現れた。


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