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十二章 (3) 恐るべきは



「さて、と」

 ひとまずワルドの饒舌から逃れると、カゼスはそっと力場に触れてみた。

(落ち着いてるな、よしよし)

 高レベルながらも馴染んだ輝きを意識し、仕事をこなした満足感に浸る。それから、あれ、と気付いて眉を寄せた。

 この周辺だけ力場が小康状態を取り戻し、安定している。ということはもしや、

(あの凄まじい荒れ具合は、転移装置に原因があるってことか?)

 レントの支配地域にまんべんなく多数の転移装置が配置されたのなら、そしてそのすべてがここの物と同じ欠陥を抱えているのなら、その可能性は一考に値する。

(いやでも、だとしたら王国政府が黙って見過ごす筈がないよなぁ)

 企業の話ならともかく、転移措置は国営だ。政府にとっても、魔術が使えない現状は不利益であろうに。

(まさか使用料をむしり取るために、わざと魔術が使えない状態にしておくつもりだなんて事は、ないだろうし)

 考え過ぎだ、とカゼスは自分の頭を小突き、何はともあれまやかしをかけた。アーロンの所に戻るとは言ったが、彼が浴場に行って皆と合流していたら、そこにいきなり現れるのは、あまり……よろしくない。色々と。

 そんなわけで、カゼスは姿を完全に消してから、跳躍の呪文を小さく唱えた。

 ヒュッ、と空を切る音と共に、カゼスが現れたのは、どこだかよく分からないながらも路上だった。

「わっ!?」

 いきなり見えない何かに背を押され、アーロンがつんのめる。声だけが「あ、失礼」と詫びたことに、驚くよりも理解を示したのがエイルだった。よろけたアーロンを支えながら、小声で話しかけてきた。その髪はまだ濡れており、眼鏡は薄く曇っている。浴場からすっ飛んで来たところなのだろう。

「カゼス、無事だったかい」

「ええ、なんとか片付けられました。おかげでちょっとこの辺りの力場も安定したみたいなんです。ひとまず宿に戻りましょう」

 周囲にはまだ結構な人がいて、てんでに噂をしながら、転移施設の方を眺めやっている。追い払われて戻ってきた野次馬が最新情報をばらまくと、路上で事態の行方を見守っていた人々が、わっとそれに群がった。さすがにここでカゼスが姿を現すのはまずい。

 騒動に巻き込まれないよう、こそこそと人込みを縫って一行が宿まで帰りつくと、下女二人がぶつくさ言いながら湯の後始末をしているところだった。客が戻って来たのに気付くと愛想笑いを顔に貼りつけたが、その下の素顔を見てしまった方としては、何事もなかったようにやり過ごすことも出来ない。エイルが追加の銀貨を握らせると、彼女たちは途端に本物の笑顔になり、元気に手早く片付けを終わらせた。

 室内に他人がいなくなると、カゼスは「やれやれ」と安堵の息をついた。

「いやぁ、参りましたね。まさかこんな事故に出くわすなんて」

 言いながらまやかしを解き、卓上の水差しから陶器のコップに水を注ぐ。同時にリトルがいきなり電池切れになったようにガツンと床に落ち、アーロンとエイルが「あっ」と小さな声を漏らした。

「ん?」

 どうかしましたか、とカゼスは振り向き、ナーシルが頭を抱えて床にうずくまっているのを見てきょとんとする。それから、その横で目を丸くしているケイウスに視線をずらして、

「あっ」

 ようやくのこと、まだ『部外者』がいたと思い出した。まやかしは姿を消しているだけのものであり、それを解けば……青い髪がまったく隠されていないことも。

「あ、いや、あの、これは」

 ぎくしゃくとカゼスは不自然な動きで水差しを置き、なんとか言い訳を捻り出そうと無意味な言葉を連ねる。だが頭の中は真っ白で、嘘のかけらも出てこない。

 固まってしまったカゼスを、しばしケイウスは凝視し――それから、驚くほど予想外の行動に出た。笑いだしたのだ。

「ぶっ……く、はは、ははははは!」

 腹を抱えて彼が笑うもので、緊張していた他の面々は気抜けし、それぞれなりに脱力した。カゼスは途方に暮れ、どうしたものかと頭を掻く。

「いや、あの……ええと」

 困り果てているカゼスに、ケイウスはなんとも愉快げな目を向けた。

「いつもきっちりしているから、随分身なりに気を遣う人だなと、思っていたら……それを、隠すためだったわけですか。それなのに、こんなに呆気なく、うっかりで」

 合間に笑いを挟みつつなんとかそこまで言い、彼はまた大笑いする。カゼスは困惑も忘れてカッと赤面した。

「そ、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか! 誰だってついうっかりするぐらい、あるでしょう!?」

〈あなたのは『うっかり』なんて可愛いレベルじゃありません! 粗忽、不注意、無思慮で不用心な頓馬の間抜けというんです!〉

 ほとんど悲痛なまでの叫びをリトルがくれる。そこまで言うか、とカゼスは床の水晶球を睨んだが、さすがに今回の失敗は己自身でもあまりに情けなく感じていたので、減らず口さえ叩けなかった。

 ケイウスは心ゆくまで笑い、目尻に浮かんだ涙を拭き拭き、何を考えてか「参ったな」とつぶやいた。カゼスが怪訝な顔をすると、温かな苦笑がそれに応じる。

「あなたを好きになってしまいそうですよ」

「ぅえ!?」

 思わず奇声を上げたカゼスに、ケイウスはまた笑って、首を振った。

「いや、変な意味ではなくて。正直、ラウシールには良い感情を持っていなかったものでね。俺に限らず、王国の、特に軍団兵は皆そうですが」

「あー……」

 なんとなく納得し、カゼスは曖昧な顔になって頭を掻いた。ケイウスも笑いをおさめ、少し真面目な口調になって続けた。

「自分を生み、育んでくれた社会には貢献するのが当然なのに、魔術師たちは古巣を顧みない。命がけで国の防衛に尽くす軍団兵にとっては、面白くないのは当然です」

「それは、でも」

 明確な反論を組み立てられないまま、カゼスは口を開いた。何かが違う、誤解されている、と感じて。だがその思いを論理的に述べられず、結局黙ってしまう。幸い、ケイウス自身が代弁してくれた。

「ええ、彼らの言い分は知っています。国という枠にとらわれず、世界という視野で物事に対処し、病や貧困や災害に対処することで、結果として自分たちの故郷を豊かにすることにもつながるのだ、という……ね。立派な理想だ。しかし一方で現実には鉄と血で対処するしかないこともある」

 今度はカゼスも、でも、の一言さえ口に出来なかった。五年前にも身に染みて感じた事だったから。魔術が使えても、どんなに高い理想を掲げても、どうにもならない事はあるのだ。だが、続けてケイウスが言った事は、即座に否定した。

「魔術師たちが防衛にも加われば、どれほど楽になるか」

「それだけは絶対にいけません」

 意図したよりも厳しい口調になってしまい、カゼスは怯んで口をつぐむ。ケイウスがかすかに揶揄する声音で問い返した。

「あなたはデニス独立に力を貸したのに?」

「それを言われると痛いんですけど」カゼスはため息をつく。「ただ、言い訳させて貰えるなら……あの時はまず、先に『赤眼の魔術師』たちがいて、本来かかわるべきでない政治に介入しようとしていたから、それを正す目的がありました」

 そこでカゼスはちらっとナーシルに目をやった。ここまでは、彼にも説明したことだ。

「それからもうひとつ。これは卑怯なことだから、白状したくはないんですけど」

 正直な前置きに、ケイウスは無言で眉を上げる。カゼスは沈んだ表情で続けた。

「当時は私と彼らのほかに魔術師はいませんでした。そして、彼らは魔術師と言っても、たいした術は使えなかった。この世界の力が強すぎて、上手く扱えなかったんです。実際は、進んだ技術でもって魔術のようなことをしていたわけで……たまたま私は、強すぎる力でもなんとか扱うことが出来ましたが、そうして魔術で彼らのもくろみを阻んでも、同じ魔術で反撃される恐れはなかった。つまり、純粋に魔術対魔術の戦いになる心配は、しなくても良かったわけです。だから戦にも力を貸してしまった」

 かつてエンリルに、魔術師を育てて戦線に立たせる可能性を問われたことを思い出す。あの時も、やめた方がいい、と答えたのだった。魔術師とて人間、敵にも味方にもなり得るのだから、戦を泥沼化させるだけだ、と。今のデニスの――レントの状況は、まさにそれだと言える。カゼスは顔をしかめた。

「自分で決めたこととは言え、悪い前例になってしまったわけですから、無念の一言ですね。今の魔術師たちが皆、魔術対魔術の戦争になったらどうなるか、理解していてくれたらいいんですけど」

「……どうなるんだい?」

 ナーシルが珍しく遠慮がちに問う。少しばかり恐れを抱いたまなざしに、カゼスは小さくうなずいて見せた。その恐れは正しい、と認めるように。

「極端な話、世界が崩壊します。魔術とはそもそもが、世界のありように関る『力』を、都合良く利用させて貰う技なんです。手順や処理を省かずきちんとこなして、利用した力を流れに戻すことが出来れば、大きな問題は起こりません。でも、一時に一箇所で膨大な『力』を作用させたりしたら、その目的が破壊であれ防御であれ何であれ、周辺の力場は位相が崩れて大変なことになります。具体的には、竜巻や嵐が起こったり、無害な植物が猛毒を放つようになったり、生物・無生物問わず一定範囲のすべてが砂になったり……」

 さすがに、室内の面々は揃って青ざめた。カゼスは言葉を切り、沈黙する。

 彼が口にした例は、決してこけおどしではなかった。すべて、実際に過去ミネルバで起こった事故の結果だ。幸いあちらの力場はレベルが低い上に、治安局の対処の早さもあって惨事には至らなかったのだが、目の当たりにした魔術師を震撼させるに足る現象ばかりだったという。

「だから、魔術師には中立が求められるんです。特に魔術師が大勢いて、しかも技術も進んでいて、国家が軍事に力を入れているような状況ではね」

 カゼスはそう締め括って、放置されていた水を飲むと、ケイウスの顔色を窺った。彼の前で言うのは憚られたが、その上レント政府は新技術を見切り発車で実用化させてしまうほど強引でもあるのだ。魔術の軍事利用に乗り出せばどんな結果になるか、想像するだに恐ろしい。

 カゼスの心配そうな視線に、ケイウスは顔を上げて微笑を返した。

「なるほど。あなたが平和や中立を説くのには、現実的で切実な理由があったわけだ。納得がいきましたよ」

 ほっとしてカゼスが表情を緩めると、ケイウスは不意に小さく笑いをこぼした。カゼスは嫌な予感に顔をしかめる。

「何が可笑しいんですか」

「いや失敬、面白い人だと思って……そんな風に慎重で思慮深い一面もあるのに、さっきはあれだから」

 自分で言って思い出したらしく、ケイウスは肩を震わせてくすくす笑いだす。カゼスはまたしても赤面し、むくれて抗議した。

「いつまでも人の失敗を笑わないで下さいよっ!」

 だがしかし、いい歳をして子供のように両手をじたばたさせたのでは、笑うなと言う方が無理だ。ケイウスのみならず、他の三人までが盛大にふきだしてしまった。カゼスはますます赤くなり、膨れっ面で部屋の隅に座り込んだのだった。


 同じ頃、転移施設では。

「問題ありませんね。しかしこの魔法陣……どうやったらこんなに見事なものを、あんな状況で、しかも短時間に描けたのか」

「只者ではないだろうな」

 転移室で魔術師が数人、床を見つめて話し合っている。ワルドに呼ばれて所員と一緒に建物には入ったものの、やはり魔術師たちは操作室に入ることを許されず、ただ転移室の陣だけは確認が必要ということでここに集められたのだ。

 上着の裾に青い房飾りをつけた若い魔術師が顔を上げ、まだ残っていたワルドに、もはや何度目になるか分からない問いをまた投げた。

「その人影、本当に心当たりはありませんか」

「ないってば。何度も言ってるでしょ、ちらっと見えただけだ、って」

(そう言や、名前も聞かなかったわ)

 知らないものは言いようがないのだから、好都合でもあるが。

 とぼけているワルドに、若い魔術師は食い下がった。

「もしかしてその人、髪が青かった、なんてことは」

「えっ?」

 思わずワルドは驚いた声を出し、慌てて口をつぐんだ。なんで知ってるの、と喉まで出かかったのを、辛うじて飲み込む。幸い、他の魔術師たちも「まさか」などと口々に動揺の声を漏らしたので、ワルドのそれも不自然には思われなかった。

 青い石の腕輪を着けた魔術師が、不安と期待のいりまじった顔でつぶやく。

「ラウシール様が、これを?」

「もしそうなら、なぜ我々から姿を隠す必要があるんだ」

「きっと何か事情がおありなんですよ。だってほかに、こんなことが出来る魔術師がいると思いますか」

 わいのわいのと議論を始める魔術師たち。ワルドは呆気に取られてそれを眺めていたが、ややあって言葉が途切れた隙に「あの、ちょっと」と口を挟んだ。一斉に振り向いた魔術師たちに向かって、彼女は困惑顔で問うた。

「訊きたいんだけど……髪が青いと、何かあるわけ?」

「――!?」

 あんぐり開いた口と、目玉が落ちそうなほど見開かれた目が、その返事だった。

 音が消え去ったかの如き時間の空白に続いて、非難と怒号の大合唱が始まるかに思われた、直前。

「こちらも問題ないようです」

 隣の操作室から出てきた所員が言い、勢いを挫かれた魔術師たちは揃って鼻白んだ。その場の妙な空気に所員は一瞬戸惑ったものの、すぐに気を取り直して続ける。

「皆さんひとまずお帰り下さって結構ですが、後日報告書作成のためにまたご意見を伺いますので、お名前と連絡先を控えさせて下さい」

 紙とペンを差し出され、魔術師たちは素直に名前を書いていく。その光景を眺めるワルドの脳裏に、リトルの警告が埋み火のように瞬いた。

 ――裏付け調査は慎重に、公表は時機を待って――

「魔術師の皆さんの連絡先は支所で良いとして、と。あなたは確かご旅行の途中でしたね、イスハークさん」

 くるりと所員が向き直る。ワルドは一瞬びくりとし、ごまかすように作り笑いを浮かべた。記憶力のいい奴だ、と内心舌打ちする。施設に入る為に、旅券を見せて技術者だと説明したのだが、あんな切迫した状況で大急ぎに話したことを、覚えているなんて。

「そうなのよね、この後どこに行くかまだ決めてないんだけど。でもここに足止め食うのは勘弁して欲しいわ。休暇もそんなに残ってないから、行ける内にあちこち行きたいのよ。とりあえず、あと二、三日はここの宿に知らせてくれたらいいけど」

 ぺらぺら喋りながら所員の差し出した紙に名前と宿の番地を書く。同時に忙しく頭を働かせ、どうすれば首輪をはめられずに済むか、方策を練った。

(調べられたら失業中だってことも、きっとすぐばれるわね。でたらめの連絡先……これも駄目か、本名を知られちゃってるんだから、実家に迷惑かけるかも)

 えい、仕方がない、と彼女は王都レンディルにある自宅の住所を書いた。家捜しされるかも知れないが、どうせたいしたものは置いていないのだ。

「とりあえず、自宅に送っといて下さい。休暇が終わったら戻りますから」

「わかりました」

 案外あっさり所員はうなずき、それでは、と退出を促した。

 魔術師たちと一緒にぞろぞろと外へ向かいながら、ワルドはわざと伸びをしたりして、何も考えていないふりをした。こちらの警戒に気付かれたら、宿を引き払う前に手を打たれてしまう。

(あいつは何も知らないんだったら、助かるんだけど)

 ただ操作や管理だけを任されているだけで、機密については自分で動くことの出来ない立場であってくれたら。

(あたしの取り越し苦労なら、笑い話で済むんだけどね……)

 ともかく、まずは逃げよう。何事もなければ良し、だが楽観していて落し穴にはまるのはごめんだ。

 内心の決意を表には出さず、ワルドは笑って魔術師たちと別れ、宿へと向かった。


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