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八章 (1) 計画



 沈黙の中、まじまじと見つめられてカゼスは落ち着かなげに身じろぎした。ラウシール様だのなんだのと言われるのには慣れたが、ヴァフラムの態度はそれとは違う。

 驚きと警戒のいりまじる表情で、ヴァフラムはやっと口を開いた。

「私はあなたに会いました」

「私も、自分によく似た人に会いましたよ。あなたとは初対面の筈です」

 カゼスがそう応じても尚、ヴァフラムは疑いのまなざしを変えない。カゼスは目をしばたたき、ちょっと頭を掻いた。

「ええと……その人、レーニアだ、って言いませんでしたか?」

 ガタン、と椅子の動く音がした。だがヴァフラムは動いていない。はて、とカゼスが振り向くと、エイルの丸く見開かれた目と目が合った。

 その顔に浮かぶのは純粋な驚き、それに喜びと恐れが一滴ずつ加わった表情。なぜなのかはカゼスにも分からない。見つめるカゼスの視線を避け、エイルはごまかすようにそそくさと椅子に座り直すと、わずかな手振りで示した――後で話す、と。

 いっそう不審のまなざしになったヴァフラムに、カゼスは気を取り直して問うた。

「違いますか? その人は、今の私よりも衣服はもっと素朴な感じでで……そうだ、乾いた土地にいたんじゃありませんか」

「おっしゃる通り」ようやくヴァフラムがうなずいた。「彼は自分をレーニアだと言いました。私が精神だけで訪れたことに、無茶をするものだと呆れながら苦笑しましたよ。ああそうだ、確かにあなたとは別人ですな。あなたよりも、もっと自信と活力に溢れている印象でした」

「……そりゃどうも」

 ぼそりとカゼスが唸り、アーロンとナーシルが失笑した。つられて幾らか気分が和らいだらしく、ヴァフラムもちらと笑みを浮かべる。

「強引だったとも言えますな。セレスティン、このところの魔術師の失踪は、すべて彼が仕組んだ事のようだよ。しかも彼が言うには、元々あちらにいた者たちを呼び戻しているだけらしい。更に、我々を救いたいのだ、とも言っていた。いやはや独善的な男だよ」

「救う……?」

 カゼスはつぶやき、再びエイルと顔を見合わせた。

 現在――彼らにとっての現在、つまりこの時点から千年足らずの後には、この大地はすっかり荒廃して文明の名残があるばかりになっている。何があったのか、はっきりと教えてくれる手がかりはない。隕石の衝突か火山の噴火か大地震か、惑星規模での気候の変化か。それともあるいは――人類が生み出した、知られざる兵器のゆえか。

 何であれ滅びの待つ未来から、一握りの人間だけでも救いたい、と言うのだろうか?

 二人の声なき会話に、セレスティンが不安を煽られて眉をひそめた。

「救うって、何から? 魔術師を何十人か連れ去って、どうして救うことになるの?」

「私もそれを訊いたよ。だが彼は答えてくれなかった。一人で勝手にしゃべって、勝手にほいと私を追い返した。まったく!」

「私の時と同じですね」カゼスも苦笑した。「何にも説明してくれずに一人で納得して、じゃあさようなら、って。何様ですかね」

「ラウシール様でしょうな」

 ヴァフラムが皮肉っぽく応じ、カゼスは渋面になった。と、リュンデがくすくす笑いながら、カゼスに悪戯っぽい視線を投げて言った。

「どうやら私たちも、『ラウシール様』に対する認識を改めないといけないようですね。言われてみれば、王都の大図書館で読んだ各地の書物には、ラウシール様やそれによく似た『青き者』の伝承が、ちらほらと見られたように思います。ずっと昔には、カゼス様の他にも『ラウシール様』がいらっしゃったんじゃないかしら」

「そんなに何人もラウシール様がいちゃ、ありがたみがないねぇ」

 ナーシルが茶々を入れる。カゼスは平然と肩を竦めた。

「私にとっては納得がいくんですけどね。何も私だけが『ラウシール』なんじゃなくて、結局その他大勢の一人にすぎなかったと判ったわけですから」

「何をおっしゃるんですか」

 途端にセレスティンが憤慨して反論した。

「たとえ事実ラウシールと呼ばれる人々がいたとしても、私たち『長衣の者』にとっての『ラウシール様』はあなた一人です。青い髪の人々がかつてこの地にいたとしても、あなたほどの事を成し遂げた者はいません。そのことは動かし難い事実でしょう」

「……えーと、いや……」

 成し遂げたのは主にエンリル様であって、私はそれに乗っかってただけのような気がするんですけど。そこら辺、時代とともに事実が改変されてやいませんかね。

 とは、とても言い出せる雰囲気ではない。むにゃむにゃ口ごもったカゼスに、セレスティンは歯痒いと言わんばかりの顔を見せた。

「あなたはもっとご自分に誇りを持たれるべきですわ」

「五百年前にも、似たようなことを言われましたよ」

 もっと堂々としていろだとか、ぼろを出すなとか。進歩のない己に、カゼスは苦笑するしかなかった。しかしこの場合、セレスティンの方にも誤解がある。カゼスは誇りを持たない人物ではない。むしろ卑屈なくせに自尊心は人一倍強く、それだからこそ、実績の伴わない権威など笑止として退けるのだ。むろん、「エライ人になったら責任も重くなるから嫌だ」という逃げの根性が強いためもあるが。

 当人もその辺り自覚がなくもないので、この話題を続けて墓穴を掘る前に、さりげなく速やかに撤退した。

「それよりリュンデさん、私も大図書館に行って、他のラウシールについて調べてみたいんですが……図書館に入るのに、何か身分証明になるものが必要だったりしますか?」

 質問を向けられ、王都育ちの本の虫は小首を傾げて答えた。

「一般開架室なら、出入りの際の持ち物検査さえ受けたら、特別な許可がなくても入れますけどねぇ。どの程度の内容を知りたいかによりますが、あの部屋にある書物はごく当たり障りのないものばかりですから……」

「実は他にもちょっと、気になることが幾つかあるんです」

 カゼスは曖昧に応じた。大図書館に行く機会があれば調べたいと考えていた、転移装置のことを思い出したのだ。

 その原理について調べようと思うなら、たとえ「当たり障りのない」部分だけであっても、専門的な書物を探さなければならないだろう。王国の大事な収入源であるだけに、閲覧自由な書架にあるとは思えない。だがその事は、さすがにまだ彼らに洩らす気にはなれなかった。まったく見当違いの所をつつき回すに終わるかも知れないし、逆に何か予想外の大物に出くわしたら、あまりにも危険だ。

 カゼスはもの問いたげなリュンデの視線を受け、ごまかすように続けた。

「本当はね、調べ物なんかしてないで、あのレーニアだかなんだかって人を見付けだして、逆さに振って洗いざらい吐かせたい気分なんですけど。でも、相手の方が立場も力も強いみたいですから、仕方ありませんよね。面倒ですけど、今はまず、相手とまともに渡り合えるだけの材料――事実を、見付けださないと。そのためには多分、政府が見せたがらない性質の本もひっくり返す必要があると思うんです」

「それは『救いたい』という言葉にかかわる事実……ということですね」

 リュンデは鋭い一言をささやき、眼鏡を押し上げた。その仕草がエイルとそっくりだったので、カゼスは思わずおかしな気分になって、二人を見比べてしまった。

 エイルは彼の視線を、発言を促すものと取って口を開いた。

「相手が何から救いたいと意図しているのか、今のところ我々には全く分かりませんがね。しかし、救いたいと言うからには、現状に何か単なる力場の乱れにとどまらない危難があるわけで、それを目の前に突き付けられて喜ぶ政府はないでしょう」

 まったく分からないと言うのはもちろん嘘だが、エイルの言葉には説得力があった。セレスティンもヴァフラムも、深刻な顔でうなずく。

「そうでなくとも社会不安が生じつつあるのに、新たな危機を持ち出したりしたら、大きなお世話だ、黙っていろ、なんて言って牢にでも放りこまれかねませんね。エンリルだったらやりそうな事だけど」

「そうしたところで危機がなくなるわけではないのだがね。しかし、そうなると図書館だけでは用が足りないかも知れん。もっと自由にさまざまな施設を覗ける身分が必要になるが…… 『長衣の者』である証ならこちらで用意出来るし、事実ラウシール様はほかの何者よりも魔術師そのものだ。とは言え、あれだけではな」

 ふむ、とヴァフラムが唸る。セレスティンも困り顔で眉間を押さえた。

「そうですね。総督の認可がついた王国政府の旅券なら、長衣の者の証よりも効力はあるでしょうけど、果たしてエンリルが発行してくれるかどうか」

「長衣の者の証、なんてのがあるんですか」

 思わずカゼスはきょとんとして質問を挟んだ。「ええ」とセレスティンが答える。

「学府で発行される、魔術師であるという証明です。ただそれだけのものであって、その魔術師の技能や人物を保証するものではないんですけど、もぐりの魔術師でないことは証明されるわけです。つまり、政治的には中立で何らかの活動に加わることはない――少なくとも表立っては」

 彼女はそこでちらりとナーシルに険しい視線を投げてから続けた。

「ですから、どこかに住まいを借りたり、店を開いたりする時には重宝するんです。新しい土地でも受け入れられやすくなりますし、場所によっては公共施設に出入りする許可証にもなります。でも、何の権威も力もありませんから。王国内では当然、政府発行の旅券の方が、正式かつ実効のある身分証明になります。ですから、あるに越したことはないのですけれど……」

 はぁ、とため息。察したアーロンが苦笑した。

「総督は嫌がるでしょうね。本来ならこの国にいるはずのない人間に、しかも何か不穏なことをこそこそ嗅ぎ回る様子が見え見えなのに、旅券を発行するなんて」

「頼むだけは頼んでみますけれど。また険悪になりそうで気が重いわ」

 言葉の後半は小声である。カゼスはつい、にやにやしてしまった。

 二人の喧嘩っぷりを見た限りでは、感情的に見えてセレスティンも実は筋の通った主張をしており、だからこそエンリル相手に引けを取らないし、エンリルの方も冷徹に打算と合理精神のみで応酬しているように見えて、感情的な要素の重要性も理解しているようだった。結果、なんだかんだで実際的な解決が導き出されるわけだ。

 今回もそれを期待出来るように思われたが、セレスティンに孤軍奮闘させるのも気の毒なので、カゼスは同行を申し出た。

「私も一緒に行きますよ。あの人はどうも私が苦手みたいですから、私を追い払うためなら要求を飲んでくれるかもしれない」

「それもどうかと思いますけど」

 セレスティンが曖昧な顔になった。冗談が通じず、カゼスは鼻白む。

 幸い、気まずい空気が漂うより早く、ナーシルがひょいと身を乗り出して言った。

「んじゃ、ラウシール様と長殿が総督に会ってる間、俺はヤンノさんに報告に行っとくよ。心配してるだろうからさ。それに、俺は総督府に近付かないほうがいいだろうしね」

 明るい呑気な声に救われたように、カゼスは背後から椅子に寄りかかっているナーシルを振り返った。

「そのまま船に戻られますか?」

「戻らないよ。追い出されたって言ったろ?」

「でも、まさか王都まで着いて来るわけにはいかないでしょう」

「なんで」

 ナーシルはけろりとしている。カゼスは困惑して目をしばたいた。

「あなたにも都合があるだろうと思ったんですけど」

「ああ、心配してくれてるんだ」

 嬉しそうにナーシルはにっこりする。カゼスが何か言い返す隙もなく、彼はぺらぺらと一人で喋り続けた。

「俺の都合なら気にしなくていいよ、大丈夫。それに指名手配されてるわけじゃないんだから、王都に行ったら捕まるなんて心配もない。どっちかって言うと、あんたの方が危ないんじゃないのかい? 荒事に慣れてるのが必要になるかもよ」

「…………」

「この機会に厄介払いしようと思ったのかい? あんまりつれなくしないで欲しいなぁ。俺は誠心誠意、あんたの護衛兼荷物持ちとして務めてるんだからさ」

 ナーシルはあくまで笑顔だが、言葉には微妙に脅しめいた含みがある。カゼスは疲労を感じて眉間を押さえた。

「あなたとは、一度きっちり話し合わないといけませんね」

「俺はいつでも歓迎だよ」

 図々しいナーシルの態度に、セレスティンが眉をひそめ、アーロンが懸念顔になる。しかし、実際に牽制に出たのはエイルだった。

「ナーシル、あまりカゼスを困らせないでくれないかな。彼は他人の思惑に振り回される人生から抜け出したくて、ここに来たんだからね。君があまり度を越すようだと、カゼスも嫌気がさして、さっさと故郷に帰ってしまうかもしれない」

 エイルの方は表情も声も、温和そのものだ。警告かどうか聞き手が判じかねている間に、彼は苦笑を浮かべて続けた。

「私としては、なるべく長期間滞在してデニスの歴史を知りたいんだけどね。だからと言って置き去りにされたら自力では帰れないし、困るんだ」

 まるで本当にそう思っているかのような、自然な物言いだった。カゼスはつくづくとエイルを眺め、この『管理者』が食わせ者の狸なのか、救い難いほど脳味噌がとろけているのか、どっちだろうと真剣に悩んでしまった。

 ナーシルもそれは同じだったらしく、それまであまり重要視していなかったエイルに対して、初めて厳しい視線を向けた。

「そういや、あんたいったい何者なんだい」

「私はただの歴史学者だよ。ああそうそう、だからだね、カゼス。総督府に行くのは、せめて明日にしないかい? ここをもうちょっとゆっくり見たいんだけど、駄目かな」

 あくまで呑気なエイルに、場の空気が弛む。カゼスは力の抜けた笑みを浮かべ、セレスティンを見た。

「……だそうですけど、泊めて貰えますか?」

「ええ、もちろん。喜んで」

 応じたセレスティンも、何とも複雑な苦笑を浮かべていた。


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