幕間・1
― 聖地 ―
岩山から、青年が息を弾ませて下りてくる。下で待っていた友人が呼んだ。
「レーニア! 啓示があったのか?」
「ああ、分かった、何をすべきか分かったよ」
嬉しそうに応じ、レーニアは同じく青い髪の友人に抱きつく。力強く、しっかりと。
「見えたんだ。もう一人のレーニア、継ぐ者が」
彼は言って腕をほどき、今し方下りてきた岩山に向き直った。太陽を戴く聖地をふり仰ぎ、世界を抱くように両腕を広げる。
「彼を通して未来が見えた。素晴らしい世界だったよ。君にも見せたかったなぁ」
うっとりと語る青い目に、空の碧が映る。ふたつの青の狭間に、時が流れこんだ。
青い髪の、よく似た面差しの、もう一人のレーニア。その意識が抱いていた未来の世界は、羨ましいほどのものだった。
「それぞれに独自性を保ちながらも、全体として大きなひとつの共同体なんだ。ひとつひとつ、どれをとってもきらきらして素晴らしいのに、それらが全体として調和している。相反するものでさえ、だよ。ほとんど夢のようだ」
「それを君は、この地に描こうとしている」
友人が苦笑する。レーニアは振り返り、にっこりした。
「ああ、そうするつもりだ」
「どうやって? 我々はもう数少ないぞ」
「そうだね。あまりにも広く遠くへと散らばり、あまりにも溶け込み過ぎたから。 ……だから、それを呼び戻すんだ」
「…………」
かくん、と友人の顎が落ちる。目を丸くして、しばらく絶句した後、彼は言った。
「ここへか? それほど多くを養う力は、この大地には……」
「ない。今はね。でも時間をかけて少しずつ呼び戻せば、いずれは『力』も、昔のようにはいかなくとも、暮らしていけるほどには回復するだろう。それに、呼び戻すのも一族だけじゃない。ふさわしい伴侶を連れて戻らせるんだ。そうすれば、また離散して消えていくこともなく――あの未来図を描くための下地が作れるだろう」
熱を込めて語るレーニアを見るうち、はじめは驚き呆れるばかりだった友人の顔が、やがて希望に輝き始める。
「壮大な計画だな」
「まったくね。私一人では追い付かない、ほかのレーニアたちにも手伝って貰わないと」
大仕事だ、と言いながらも、苦にするどころか生き生きとしている。だがそこで彼は不意におどけた表情をすると、自分の腹に手を当てた。
「その前に、何か食べないと。レムル、私の分までたいらげてやしないだろうね」
「もうちょっと早ければなぁ」
友人すなわちレムルは残念そうに言い、レーニアの顔が曇ったのを見てにやりとした。
「二人分食べ損ねた。来いよ、火はまだ生きている」
― 王都レンディル ―
大国の王にしては地味な部屋で、レント王オルクスは小さな竪琴を抱え、妃キリリシャを相手に、自ら書いた新曲を披露していた。
開け放たれた大きな窓から、心地よい春風が吹き込んでくる。妃が目を細めているのは、その風に頬を撫でられたからか、それとも夫の紡ぐ調べが気に入ったからか。
いまいち新作に自信が持てない国王は、いささか心のこもらない音で曲を終わらせ、不安げに妻の顔色をうかがった。
が、微笑を湛えたままのキリリシャが、その柔らかな唇を開くより早く、不粋な声が割り込んだ。
「オルクス様、失礼致します」
芸術の夢から現実に引き戻す馴染みの声に、オルクスは顔をしかめて振り返る。秘書官が出入口の近くで一礼し、主君の表情に遠慮しながら、そそくさと部屋を横切ってきた。
「妙なる調べのお邪魔をして大変申し訳ございません。畏れ入りますが……」
「余計な口上は良い。何の用だ」
不機嫌に急かした国王に、秘書官は声をひそめてささやいた。
「学府からの使いが参っております」
「……また、あ奴か」
オルクスはため息をつくと、うんざり顔で竪琴を置いた。
「じきに行く。待たせておけ」
は、と応じて秘書官が退出する。オルクスは行くと言っておきながら、しばらく渋い顔で考え込んでいた。
「まったく、よく働く犬だ」
ぼそりと唸り、またひとつ、深いため息。憂欝げな夫に、キリリシャが微笑んだ。
「怠け者よりは良いではありませんか。健気にも、拾われた恩を感じているのでしょう」
「拾ったのは余ではない、父だ。それも既にこの世におらぬというのに」
やれやれ、とオルクスはぼやきながら立ち上がる。キリリシャがくすりと笑った。
「ならば、遺産の管理も子の務めと諦めあそばせ」
棘はないものの、意地の悪い言葉だった。浪費家の先王のせいで、現王オルクスは質素倹約を余儀なくされているのだ。巷でささやかれる「しわい屋」との陰口を、当人も知らぬわけではない。
オルクスは情けない顔をしたが、屈んで妻の頬に軽く唇を触れさせた。
「すまぬな。すぐに戻る」
「私に遠慮などなさらず、どうぞごゆっくり。お待ちする間、殿の調べのかわりに、春風に耳を澄ませておりましょう」
「……やはり今度の曲はつまらぬか」
妻の言葉を遠回しな皮肉と取り、オルクスは肩を落とす。キリリシャは明るく軽やかに笑った――先程までの竪琴より遥かに音楽的な声で。
「殿ご自身がそのように思われるのでしたら、そうなのでしょう。私には、殿が奏でられる調べは、ただそれだけで何より心地良うございます」
優しく無邪気なその笑みに、つられてオルクスも微笑む。結局褒められたのか貶されたのか分からないものの、そんなことはどうでも良くなって、彼はもう一度妻に口づけすると、足早に部屋を出て行った。




