四章 (3) 露見
水夫が一人、ロープを持って海に飛び込んだかと思うと、あっと言う間にカゼスのそばまでやって来て、手早く体にロープを巻き付けた。
よれよれになって甲板に上がったカゼスに、エイルがすぐ、乾いた毛布を掛けてくれた。彼はその上からカゼスを強く抱き締め、良かった、と涙声をもらす。掛け値なしの安堵だった。カゼスも一時、お互いの立場を忘れてエイルの肩に頭をあずけた。抱擁を返すだけの力が残っていなかったのだ。エイルが腕をほどくと、カゼスはその場にへたりこんでしまった。
同時に波間でバシッと木の割れる音がして、樽がひとりでに砕け散った。もちろんリトルの仕業だ。
無傷で飛び出してきた水晶球は、一言も無くカゼスの毛布の下にすぽっと隠れてしまった。カゼスは驚き、濡れたせいでどこか具合が悪くなったんだろうか、と心配したが、リトルの意図はまったく別のところにあった。
わっと頭上でおしゃべりが始まり、カゼスが何事かと顔を上げると、ぐるりを水夫たちに取り囲まれていたのである。何やら興奮した様子で口々にまくし立てている内容からして、どうやらリトルはカゼスを救助するため、己の存在を派手に暴露してしまったようだった。
おまけに、しゃべる水晶球の持ち主は、よく見ると青い髪をしているではないか。これで騒ぐなと言う方が無茶だった。人垣の中にはアーロンの姿もあり、やっぱりね、と言わんばかりの顔をしている。
「うぁ……まずいなぁ」
カゼスは苦虫を噛み潰し、救いを求めてエイルを見た。が、彼も困り顔をするばかりで頼りにならない。
と、そこへ、水夫たちをかきわけてヤンノが現れた。
「お客人、無事で良かった。戻って来られるとは奇蹟だな。早く乾いた服に着替えて、体を温めんといかん。立てるかね?」
さ、と手を差し出され、カゼスはありがたくそれに掴まった。
「船長」何人かが声を上げる。「そのお客人、いったい……」
ざわめきに、ラウシール、という言葉がまじる。恐れや警戒よりも興奮が先に立っているのは、彼らがラウシールの信奉者だからではなく、単に珍奇なものを見付けたから、というのが理由だろう。カゼスは興味津々の水夫たちを眺め回し、ちょっと頭を掻くと、イブンが使った嘘が通じるかどうか試してみることにした。
「あのー、実はこれ、魔術で染まってるんです」
は、と当惑した声が返る。カゼスはきまり悪そうに首を竦め、もごもごと続けた。
「きれいな色に染められないかなぁと思って、あれこれ実験してたんですけど、ほら……最近は魔術がうまく働かないでしょう? そのせいで、これ、戻らなくなってしまって。よりによって青色を試した後ですよ。それで、隠すしかなくって」
話すにつれ、周囲の空気が明らかに変わっていく。カゼスは何やら本当に自分がへまをやらかした気分になり、縮こまってしまった。呆れ顔の並ぶ中、ヤンノが「ふむ」とおもむろに唸った。
「お客人のは、まだましだろう。昔、近所に住んでた魔術師なんか、七色に染め分けした猫にそのまんま逃げられて、しばらくえらい騒ぎになったもんだ」
ぶっ、とエイルがふきだす。つられて水夫たちもにやにやし、カゼスが情けない顔で愛想笑いをすると、どっと笑いが弾けた。
カゼスは陽気な笑いに送られて船室に入り、途端にまたへなへなと座り込んでしまった。
毛布の下からころりと出て来たリトルが、もう外聞もなく声をかける。
「信じて貰えて良かったですね、カゼス」
「おかげでおまえの事はうやむやになったしね」
カゼスは恨めしげに水晶球を見やり、ため息をついた。この様子では、実は本物のラウシールです、などと言おうものなら爆笑されること間違いなしだ。ありがたい状況ではあるが、喜べない。
「プログラムを修正しておいて良かったよ」
ほっとした様子でエイルが言った。カゼスが問うまなざしを向けると、彼は濡れた眼鏡を拭きながら答えた。
「ほら、五年前には例の……大崩壊があったろう。あの時リトルが、自発的に君を救出する選択肢を許されていたら、あれは防げたんじゃないか、って意見があってね。もしリトルが単独でラガエ市中に潜入して力場固定装置を妨害できたら、力の暴発は起こらなかった。それが出来なかったのは、リトルには君を『救助する』という命令が施されていなかったからさ。さすがにそれは問題だってことでね。いやぁ、役に立って良かった」
「そうだったんですか」
持ち出された話題にいささか怯みながらも、カゼスは納得してうなずいた。それなら、日頃の毒舌ぶりに反する人道的な今回の行動も、理解出来る。カゼスは水晶球を横目に見やり、皮肉っぽくにやりとした。
「壊れたのかと思ったよ」
「失敬な。今までだって、救助活動こそせずとも頼まれればあなたを援護してきたし、何より危地に陥ることのないよう山のように忠告と助言をしてきたじゃありませんか。それをあなたが聞き入れなかっただけでね!」
「…………」
ごもっとも。返す言葉もなくカゼスは黙り込み、続けて二回くしゃみをした。
「おっと、早く着替えないと」
エイルが慌てて、衣装箱から服を引っ張り出す。ヤンノが黙って、真水の入った洗面器と手拭を用意してくれた。
(魔術が使えないってのは、本当に不便だよなぁ)
ちょいと『力』を動かせば全身すっきり塩抜きが出来るというのに。カゼスは二人が礼儀正しく背中を向けている間に、そそくさと顔を洗い、体を拭いて乾いた服に着替えた。
ちょうど濡れた服を丸めたところで、ノックの音が響いた。
「入っても構いませんか」
アーロンだ。エイルとカゼスは顔を見合わせた。
エイルは何も言わず、曖昧な表情で肩を竦め、ごまかすように眼鏡を押し上げる。判断は任せた、という意味だろう。カゼスは苦虫を噛み潰し、ため息を堪えた。
「どうぞ」
覚悟を決めて呼び入れる。素早く入ってきたアーロンは、後ろから覗き込もうとする水夫たちの鼻先で、きっぱりとドアを閉めた。
「船ってところは、秘密を保つのが難しいですね」
アーロンはおどけてそう言うと、遠慮のないまなざしでカゼスを見つめた。カゼスが言い訳を探して目を泳がせたので、アーロンは小さく苦笑した。
「ご心配なく。僕は何も言いませんよ。あなたが本物なのかそうでないのか、なぜ今ここにいるのか、何ひとつ確実だと判断できないんですから。僕らの仕事は過去をほじくり返すことであって、現在について喋り散らすことじゃありませんし」
言葉の内容に反して、彼の口調は断定的だ。カゼスは頭を掻いた。
「ええっと……その口ぶりだと、なんだかもう確信されてるみたいですけど」
「一応これでも専門家ですからね」
アーロンは笑い、それから真顔になってひたとカゼスに目を据えた。
「あなたが訊かれたくない事は訊きませんし、言い触らされたくない事は一切他言しません。でもひとつだけ、正直に答えて下さい。あなたは……『偉大なる青き魔術師』本人ですか?」
そのひたむきさに負け、カゼスは「ええ」と応じてうなずいた。束の間アーロンは絶句し、それから長い吐息をつくと、失礼とも言わず椅子を引き寄せて座った。
彼がそれきり黙り込み、固く組んだ手を微かに震わせているので、カゼスは心配になってその前にしゃがんだ。
「大丈夫ですか?」
アーロンは何度も小さくうなずき、なんとか言葉を押し出した。
「ええ、ちょっと、その……自分でも予想外に、驚いてしまって。仮説は立てていたんです、ラウシールは自在に時を越えられるのではないか、って。だから、あなたがいつどこにいても不思議じゃない。理屈では分かっていたんですけど」
「自由自在ってわけでもないんですけどね」カゼスは苦笑する。「それに今はあなたも知っているように魔術が使えなくて、私も『偉大なる青き魔術師』なんて事は……」
「そうじゃありません。僕が動揺しているのは、あなたが偉大な魔術師だからではなくて、書物や遺跡や遺物から推測するしかなかった歴史が、確かに現実だと証明されたからですよ。土の下の過去が、今、現在、目の前に存在するなんて」
はあ、とアーロンは息を吐き出し、エイルを見やった。視線の意味に気付き、エイルは共感の笑みを見せる。
「私も初めて魔術師に連れられて過去への旅を経験した時は、同じように感動したよ」
「へえ……そういうものなんですか」
カゼスは目をぱちくりさせた。魔術師にとっては、狭間を通って数多の世界・時間へ旅するのは当たり前のことだ。加えてカゼスの場合、学校の授業で初めて界を渡った時は呪文を間違えて酷い目に遭ったので、感動などとは縁遠い初体験だった。
失敗の記憶に胃を締め上げられ、カゼスは一人しょっぱい顔をする。表情を取り繕うのに苦労していたせいで、彼はアーロンの言葉を聞き逃した。
「はい? 今、なんて?」
「お手伝いさせて下さい」
アーロンの声は固い意志を秘めていた。カゼスは目を丸くして少年を見つめる。
「あなたが何のために今ここにいるのかは知りませんけど、僕にも何か手伝いをさせて欲しいんです。船長はあなた方をレムノスの港まで送るだけなんでしょう?」
言いながらアーロンはヤンノを見やった。黙って茶の用意をしていた船長は、銘々に熱い紅茶を配り、それから「ふむ」とつぶやいた。
「私が頼まれたのは、お客人を無事に送り届け、必要なら現地での便宜を計らう事でしてな。その為の金も預かっております。しかし私では港から遠くは離れられませんし、お客人だけでなく船と積み荷の世話もせにゃなりません。学生さんがお二人を手伝ってくれるのなら、願ったりじゃぁないかと思いますがね」
「そりゃ、そうかも知れませんけど」
カゼスは自信なさげに言いながら、席について紅茶を手に取った。その動作で返事を遅らせながら、成り行き任せに受け入れて良いのか、それとも断るべきなのかを急いで考える。しかし結局は決断出来ず、相手の都合を伺うしかなかった。
「でも、あー……あなたが何を期待しているのか知りませんけど、そもそも何か調べものの途中なんでしょう? 論文とか……」
「その点は大丈夫ですよ。どうせ今やってるのは先生のための裏付け調査で、僕はまだ自分の論文は書かせて貰えないんです。資料はほぼ探してあるんで、写しを取って学院に送るように頼んでおけば、僕が自分で作業をしなくても構いませんから」
容易い事だとばかりにそう言ってから、アーロンは複雑な苦笑を浮かべた。
「あなたにとっては、あのアーロンと同じ名前の僕が目の前をうろちょろするのは、嬉しくない事かもしれませんけど」
「いえ、そんな事は」慌ててカゼスは首を振った。「私の方こそ、初対面の時からずっと失礼な……」
言いかけてふと、嫌な予感がして眉を寄せる。
「……あの、どうして『嬉しくない』なんて思われるんですか?」
「え、だって」
アーロンは驚いた顔で目をぱちくりさせ、それから遠慮がちに、なんとも曖昧な表情でもごもごと続けた。
「なんていうか、その……恋人、だったんでしょう?」
ぶふっ、と派手に茶を噴いたのはエイルだった。ヤンノは茶碗を取り落としそうになって、慌てて受け皿に戻す。当のカゼスは耳まで真っ赤になっていた。
「なんでそんな……っ、いや、ちょっと待った、それ、定説っていうか、皆知ってることなんですか!?」
声が上ずり、かすれ、裏返る。アーロンは困り顔で、少しばかり赤面しつつ答えた。
「真面目な学者はわざわざ取り上げませんけどね。でも、あの辺の時代をやってる人はたいてい、まぁ……。信頼できる史料には、はっきりそうと書かれているものはありませんけど、怪しげなものには結構いろいろありますよ。ラウシールは女だった、って話もあるぐらいで」
「………………」
ごつん。カゼスは机に突っ伏してしまった。ばれていないと思っていたのは当人だけだったというわけか。周囲は意外と気付くものらしい。
(っていうか……きっとバラしたの、カワードさんだ……絶対そうだ、あの人なら悪気なく酒席の世間話で当たり前のことみたいに喋ってそうだもんな。それもあの大声でさ……目に浮かぶよ、ああ)
恨んでやる。
何やら泣けてきたカゼスは、顔を上げもせず机に向かってぶつぶつ言った。
「否定はしません。けど……その話は勘弁して下さい」
「はあ。あの、すみません」
「……いえ、あなたは悪くないんです」
悪いのはあの水牛万騎長だ。カゼスは勝手にカワード一人に責任をおっかぶせると、深いため息をついた。それから両手で顔を覆って火照りを冷まし、強引に気分と話題を切り替える。
「話を戻しましょう。あのですね。手伝って下さるのはありがたいんですけど、実際のところ、私たちも何をしようとしているのか、よく分かってないんです」
背後でエイルがやかましく咳き込んだり、鼻をかんだりしている。噴き出したはずみで難儀なことになったらしい。カゼスは強いてそれを無視した。アーロンは気遣わしげにそちらを一瞥してから、カゼスに目を戻した。
「分からないって、つまり?」
「『何か』に『呼ばれ』ているのは確かなんですけどね。だから、その正体と理由を確かめて、もう二度と吹っ飛ばされることのないようにしたいんですが、まだ皆目手掛かりもつかめない状態で……」
カゼスはつい、苦い口調になった。アーロンは己の耳を疑うように目を丸くした。
「じゃあ、あなたは使命を帯びてデニスに降りて来られたわけではないんですか? 五百年前の時も、最初からエンリル帝による統一を助けるつもりではなかった、と?」
「そうですよ」カゼスは意地悪く微笑んだ。「そうならざるを得ない、という事は知っていましたけれどね。自発的にデニスに来たわけじゃないんです。今回だって……」
そこまで言い、不安げなアーロンの表情を見て口をつぐむ。カゼスはちょっとおどけた顔をすると、やれやれと肩を竦めた。
「ま、何にしろどうやら例によって成り行きに任せる方が、私には合ってるみたいですしね。ありがたく手伝って貰いましょう」
「喜んで」
アーロンがパッと顔を輝かせる。カゼスもにこりと笑みを返してから、「ああそうだ」と思い出して、一言付け足した。
「お礼は金品じゃ出来ないと思いますけど、それで良ければね」




