第9話 世界の奥からの視線
翌朝、黒い塊は半分ほどに縮んでいた。
完全消滅ではない。
だが落下の兆候はない。
延期は成功している。
問題は——
昨日感じた、あの“揺らぎ”だ。
空の奥。
星のさらに向こう。
何かがこちらを覗き込んだような感覚。
「寝不足か……?」
俺は畑でしゃがみ込み、土をいじる。
土はいつも通りだ。
湿り気も、匂いも、変わらない。
エリシアが歩いてくる。
「街道の整備、始まりました」
遠くで、亡命民たちが木を運んでいる。
簡易の市場も作り始めた。
少しずつ、“場所”になってきている。
「早いな」
「希望があるから」
希望。
重い言葉だ。
ハルトが小屋から出てくる。
「レイ殿。報告が」
嫌な予感。
「二つの大国が動きました」
残りの中で最も厄介な国か。
「どっち」
「北の帝国と、西の連合」
ああ。
均衡の軸。
そこが動くと、本格的だ。
「軍勢?」
「いえ」
ハルトは首を振る。
「視察団」
……ほう。
直接潰しに来るのではなく、様子見か。
賢い。
俺は立ち上がる。
「何人」
「少数」
「ならいい」
少数なら削らずに済む。
エリシアが真剣な目で言う。
「レイ。あなたは、昨日の揺らぎに気づきましたか」
「気づいた」
ハルトが眉をひそめる。
「揺らぎ?」
俺は空を見る。
昼間でも、薄く星が見える気がする。
「世界が、こっちを見た」
沈黙。
エリシアが静かに言う。
「循環を止めかけたから」
「止めてない」
「でも、形を変えました」
俺は唇を噛む。
循環は止めない。
でも。
“延期”は循環に干渉した。
世界が反応するのは当然か。
◇
昼過ぎ。
北の帝国の視察団が到着した。
黒い制服。整然とした隊列。
先頭に立つのは、若い将校。
目が冷静だ。
「あなたがレイか」
「そう」
「帝国はあなたを敵視しない」
即断。
「理由は」
「あなたは均衡を一気に壊さなかった」
将校は空を見上げる。
「消せたはずだ」
「消さなかった」
「それが証明だ」
理性的だな。
俺は頷く。
「帝国は戦争を望む」
正直だ。
「だが制御不能は望まない」
俺は肩をすくめる。
「俺も」
将校はわずかに笑う。
「ならば当面、干渉しない」
去っていく。
エリシアが小さく言う。
「均衡は、少しずつ形を変えています」
「ゆっくりな」
急ぐと削れる。
◇
夕方。
西の連合の使者が来た。
こちらは老練な男。
「若者よ」
第一声がそれ。
「なんだ」
「お前は世界を信じているか」
面倒な質問だ。
「畑は信じてる」
老人が苦笑する。
「世界は均衡で保たれてきた」
「知ってる」
「それを壊せば、反動が来る」
「来てる」
俺は空を指す。
老人は黒い塊を見る。
「延期か」
「そう」
老人は目を細める。
「遠回りだな」
「楽だから」
老人は笑った。
「若いのに、賢い」
俺は否定しない。
「連合は、当面静観する」
去り際に言う。
「だが忘れるな。均衡は、誰かが血を流してきた結果だ」
血。
戦争。
俺は空を見る。
星は、昨日と変わらない。
今のところ。
◇
夜。
黒い塊が、ついに消えた。
自然に。
削らずに。
俺は空を見上げる。
星は減っていない。
延期は成功した。
遠回りは、正しかった。
エリシアが隣に立つ。
「落ちませんでしたね」
「落ちなかった」
ハルトが安堵する。
「これでひとまず……」
その瞬間。
空の奥で、昨日よりはっきりと。
“裂け目”が走った。
黒ではない。
透明な亀裂。
星と星の間に。
エリシアが息を呑む。
「……あれは」
ハルトが剣に手をかける。
「敵襲か」
違う。
俺はわかる。
あれは軍ではない。
もっと深い。
世界そのもの。
亀裂の向こうに、何かがある。
巨大な影。
形はない。
でも“意志”がある。
それが、こちらを見ている。
はっきりと。
「……見られてるな」
俺は呟く。
エリシアが震える声で言う。
「誰に」
俺は空から目を離さない。
「世界に」
亀裂は一瞬で閉じた。
何もなかったように。
星はそのまま。
でも。
俺は確信する。
均衡をいじった。
循環に触れた。
だから。
今度は向こうが来る。
戦争じゃない。
国家じゃない。
もっと根本。
エリシアが小さく言う。
「レイ……」
俺は深く息を吐く。
面倒が、段階を上げた。
でも。
まだ削っていない。
星は、まだ多い。
俺は空に向かって言う。
「遠回りで行く」
返事はない。
でも。
確実に、聞かれた。
物語は、国家間の均衡から。
世界そのものへと、静かに踏み込んだ。
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