第4話 均衡という名の面倒
俺の家は、畑の隅に建てた木造の小屋だ。
立派でもなければ、城みたいに広くもない。雨風が防げて、寝る場所と火を焚く場所があれば十分だと思っている。
問題は、今日に限って来客が多いことだ。
「……狭い」
エリシアがぽつりと呟いた。
「帰るか?」
「帰りません」
即答。
ハルトが咳払いをする。
「レイ殿、本当にここで……?」
「城に連れていけって?」
「いえ、しかし——」
「目立つだろ」
それだけで十分だ。
俺は鍋を火にかける。適当に刻んだ野菜と干し肉を放り込む。ぐつぐつと音が鳴る。
エリシアは椅子代わりの木箱に腰掛け、両手を膝に置いている。王族らしく背筋が伸びているのが逆に目立つ。
「姿勢、楽にしろ」
「……努力します」
努力って言うやつはだいたいできない。
ハルトが外を見張りながら言う。
「イシュタルとガルディアが同盟を組んだとなると、他の五大国も動きます」
「七大国だろ」
「……ええ。七大国の均衡が、今やっと崩れた」
均衡。
またその言葉だ。
俺は木杓子で鍋をかき混ぜる。
「均衡ってのは、そんなに大事か?」
ハルトは真面目な顔で頷く。
「力が拮抗しているからこそ、大規模戦争は起きない」
エリシアが続ける。
「小規模な戦争は、常に起きています」
「……は?」
俺は顔を上げる。
「均衡を保つために、局地的な衝突は容認されます。力が偏らないように」
淡々と。
自分の国がその“局地的衝突”で滅んだのに。
「ふざけてるな」
俺は呟く。
「大きな戦争を防ぐために、小さな戦争を続ける?」
「そうです」
エリシアは目を伏せる。
「父も、理解はしていました。ですが……選ばれたのが、私たちの国だった」
ハルトが拳を握る。
「ヴァルノアは資源も少なく、軍も小規模。均衡を保つための“調整弁”にされた」
調整弁。
人の国を。
俺は鍋の火を止めた。
面倒だ。
理屈はわかる。
でも気分は悪い。
「つまり」
俺は三つの木皿にスープをよそいながら言う。
「戦争は、わざと起こしてる?」
ハルトは否定しない。
エリシアも、何も言わない。
答えは出ている。
俺は皿を差し出す。
「食え」
エリシアは一瞬ためらい、それから両手で受け取った。
湯気が顔を撫でる。
「……温かい」
小さく呟く。
それだけで、少し救われた気がした。
ハルトが言う。
「レイ殿。あなたが勇者を消したことで、均衡は崩れました」
「うん」
「イシュタルは力を誇示するつもりでした。勇者という新戦力で」
「で、消えた」
「はい」
ハルトは真剣な目で俺を見る。
「他国は動揺しています。あなたが、均衡そのものを破壊しかねない存在だと」
兵器扱いか。
予想はしてた。
俺はスープを啜る。
うまい。
「で?」
「接触があるでしょう。交渉、あるいは牽制」
エリシアが顔を上げる。
「レイ。あなたは、どうするのですか」
どうする。
俺は椅子にもたれた。
最短は何だ?
七大国を脅して黙らせる?
簡単だ。
でもそれをやれば、均衡は完全に壊れる。
星、何個消える?
……また考えてるな。
やめろ。
今はまだ、そこまでじゃない。
「とりあえず」
俺は肩をすくめる。
「この辺りに戦争が来ないようにする」
エリシアが言う。
「それだけでは、いずれ——」
「わかってる」
俺は遮る。
「全部一気にやると面倒が跳ね上がる」
段階だ。
いきなり世界を変えるのは、たぶんよくない。
たぶん。
そのとき。
外から、低い振動音が響いた。
ハルトが立ち上がる。
「……来ました」
扉の外。
重い足音。
金属の擦れる音。
「七大国のうち、どれだと思う?」
俺が聞くと、ハルトは苦い顔をする。
「このタイミングなら……商業国家ミレイアか、軍事国家ガルディア」
「どっちも面倒だな」
ノックの音。
コン、コン、と丁寧だ。
ハルトが扉を開ける。
そこに立っていたのは、派手な装飾の服を着た男だった。笑顔。目が笑っていない。
背後には整った隊列の護衛。
「突然の訪問、失礼いたします」
男は優雅に一礼する。
「商業国家ミレイアより参りました、ルーカスと申します」
ほらきた。
金の匂いがするやつ。
ルーカスは俺を見る。
「あなたがレイ様ですね」
「様いらない」
「では、レイ殿」
すぐ修正。
賢い。
「本日は、提案がございます」
提案。
俺は頭を抱えたくなった。
「あなたは、均衡を崩す力をお持ちだ」
ルーカスはにこやかに続ける。
「我が国と協力しませんか?」
ハルトが険しい顔になる。
エリシアが息を呑む。
俺は聞く。
「協力って?」
ルーカスの笑みが深くなる。
「あなたが我が国に属していただければ、戦争は減ります。必要な戦争だけを、選べる」
必要な戦争。
選ぶ。
俺は椅子にもたれたまま言う。
「俺を兵器にしたい?」
ルーカスは否定しない。
「抑止力、と申し上げましょう」
抑止力。
きれいな言葉。
でも意味は同じだ。
俺は天井を見る。
また選択だ。
最短は何だ?
提案を受けて、他国を黙らせる?
楽だ。
でも。
俺はエリシアを見る。
彼女は唇を噛んでいる。
戦争を選ばれる側の顔。
俺は視線を戻す。
「断る」
ルーカスの笑みが、わずかに固まる。
「理由をお聞きしても?」
俺は答える。
「面倒だから」
沈黙。
ハルトが吹き出しかけて咳き込む。
ルーカスは数秒止まり、それでも笑顔を保つ。
「面倒、とは?」
俺は肩をすくめる。
「属したら、敵が増えるだろ」
「……」
「俺は畑が守れればいい」
ルーカスはじっと俺を見る。
そして、静かに言う。
「では、属さない場合。あなたは“全国家の敵”になる可能性がございます」
ああ。
それを言うか。
エリシアが立ち上がる。
「レイは——」
俺は手で制する。
「いい」
俺はルーカスを見る。
「全国家の敵になると、どうなる?」
「七大国が連合を組むでしょう」
「で?」
「大戦になります」
大戦。
俺は考える。
七大国が集まる。
それはそれで、一気に終わらせられるかもしれない。
……危ない思考だ。
最短思考。
やめろ。
「まあいい」
俺は立ち上がる。
「帰れ」
ルーカスの眉がわずかに動く。
「我が国は、あなたを敵には回したくない」
「俺もだ」
「では——」
「でも兵器にもならない」
ルーカスは数秒沈黙し、それから深く一礼した。
「承知いたしました。本日はご挨拶までに」
去っていく背中。
ハルトが息を吐く。
「……始まりましたね」
エリシアが小さく言う。
「均衡が、揺れています」
俺は空を見る。
青い。
でも。
ほんの一瞬。
昼なのに、星がまた一つ、消えた気がした。
俺は目を細める。
「……揺れてるのは、世界か」
それとも。
俺か。
面倒な予感だけが、静かに膨らんでいた。




