第16話 均衡の守り手
遠均に、一人の男が現れた。
軍を率いているわけでもない。
武器も持たない。
護衛すら最小限。
だが。
彼が歩くだけで、周囲の空気が変わった。
「カリオス様が到着されました」
商業国家の書記官が、緊張した声で告げる。
エリシアの顔が強張る。
「……来ましたか」
ハルトが低く言う。
「七大国の理論顧問」
俺は畑の端からその男を見る。
黒い外套。
落ち着いた目。
無駄のない歩き方。
強い。
武力じゃない。
思想が。
男は俺の前で止まる。
穏やかな笑み。
「はじめまして、レイ」
呼び捨て。
自然だ。
「誰だ」
「カリオス・ヴァル=ゼイン」
軽く一礼。
「均衡の維持を助言する者です」
維持。
なるほど。
こいつか。
都市消滅を“当然”と判断する側。
「遠均は興味深い試みです」
カリオスは市場を見渡す。
子どもが走り、商人が交渉し、兵崩れが荷を運ぶ。
「だが、危険だ」
「何が」
「均衡を、意図的に変えようとしている」
俺は肩をすくめる。
「変わるだろ」
「変化と干渉は違う」
空がわずかに重くなる。
こいつは、わかっている。
星のことも。
「都市が消えました」
カリオスは静かに言う。
「遠回りの結果です」
エリシアが反論する。
「違います。あれは——」
「均衡の補正です」
断言。
迷いがない。
俺は言う。
「止められたかもしれない」
カリオスは頷く。
「止められたでしょう」
「削ればな」
空気が止まる。
カリオスの目が細まる。
「あなたは理解している」
「少しな」
カリオスは微笑む。
「ではなぜ削らない」
エリシアが俺を見る。
答えは一つ。
「幹に届く」
カリオスの目が、わずかに光る。
「……ほう」
「削りすぎると世界が痩せる」
カリオスは数秒沈黙する。
そして。
「それでも削るべき局面はある」
声が低くなる。
「都市一つと、未来全体。どちらを取る?」
残酷な問い。
俺は即答しない。
カリオスは続ける。
「戦争は淘汰です」
「知ってる」
「淘汰は進化を生む」
「犠牲も生む」
「犠牲なき進化は存在しない」
静かな断言。
エリシアが拳を握る。
「それは理屈です」
「理屈こそが世界を動かす」
カリオスは俺を見る。
「あなたは感情で削らない」
「違う」
俺は言う。
「面倒だからだ」
一瞬。
カリオスが本当に驚いた顔をする。
ほんの一瞬だけ。
「……面倒?」
「削ると後処理が増える」
「都市が消えた」
「もっとでかいのが消える可能性がある」
沈黙。
市場の喧騒が遠くに聞こえる。
カリオスは空を見る。
星は減っていない。
今日は。
「あなたは遠回りを選んだ」
「選んだ」
「では証明しなさい」
空気が変わる。
「証明?」
「遠回りが、均衡より優れていると」
「優れてない」
俺は言う。
「削らないだけだ」
カリオスは微笑む。
「それが幻想だと証明されれば」
「何」
「七大国は、あなたを“剪定者”と認定する」
重い。
敵認定。
七大国連合。
削らずに止められる規模じゃない。
カリオスは続ける。
「私はあなたを否定しない」
「ほう」
「だが、遠回りが更なる都市を消すなら」
エリシアが震える。
「……」
カリオスは静かに言う。
「私は、削る側につく」
宣言だ。
思想の戦争。
武器じゃない。
理念。
俺は空を見る。
《剪定者》
声。
《彼は循環を理解している》
「知ってる」
《彼は削ることを恐れない》
「知ってる」
カリオスが問う。
「あなたは恐れている」
「当然だ」
俺は正直に言う。
「全部消えたら困る」
カリオスは静かに笑う。
「では、私はあなたを試しましょう」
「どうやって」
「均衡を、少し動かします」
嫌な予感。
カリオスは一礼する。
「遠回りが勝つか、淘汰が勝つか」
去っていく。
エリシアが小さく言う。
「……あの人は危険です」
「うん」
ハルトが問う。
「削りますか」
俺は空を見る。
星は減っていない。
まだ。
「削らない」
カリオスは思想で戦う。
なら。
俺も思想で戦う。
遠回りで。
削らずに。
だが。
俺は知っている。
次の“補正”は。
もっと大きい。
最短の誘惑は、確実に強くなる。
思想の戦争が、始まった。




